2019.12.05 Thursday 12:20
前々回のエントリにも、 病気や障碍をお持ちの方々からコメントいただいた。
とても嬉しく、素直に感謝の気持ちが湧き上がってくる。
今の自分は、喜ばしいとは程遠い状態にあるけれども、そんな中で、暖かな光が差し込むような喜びを感じることができた。

以前、「キャンサーギフト(癌からの贈り物)」という言葉を書いたことがあるけれども、実際にそれは存在したと思う。
「癌になってよかった」とはまったく思わないけど、それでも、病気からのギフトは確かにあった。
いただいたコメントを読んで、改めてそう実感することができた。

長いあいだ一人で苦しんできた統合失調症体験についても、ずいぶん後になってから、ギフトを受け取ることができた。

病気になりたくてなったわけではないけれども、病気から得たものは、確かにある。
そこで得たものについては、実は心の奥深いところで、自分自身が望んだものだったのではないか。

そんなことを考えながら、以前このブログに引用させていただいた、「悩める人々への銘」という詩を読み返してみて、気づいたことがある。
私は「できないことが多過ぎる」と嘆いていたけれども、「心の奥深いところで望んだこと」については、実は、意外な形で叶っているのではないか、と。

苦痛の真っ只中にいるときには、「病気の中にも祝福がある」なんて考えを、とても受け入れられるものではない。
いや、何度考えても、病気になるよりもならない方が良かった、とは思う。

でも、じゃあ、私がまったくの健康体だったとしたら、私は何を望んだんだろう?
「普通の人生」を望んだのだろうか?

たぶん、そうではないと思う。

私は、わかりやすく「成功」を望んでいたわけでもなかった。
「いい学校・いい会社に入る」「お金持ちになる」「有名になる」「セレブ婚(笑)」……そういうものを、欲しがるタイプではなかったんだよね。もともとの自分は。

私はむしろ「自立した女性」のような存在に憧れがあって、でもそうはなれなかったから、「せめて人並みに、普通に働かなければ」という思いが強くなったんだと思う。

私は、「自立した、強いひと」への憧れは確かに持っていた。けれども、「人並みの幸せ」とやらを本当に望んでいたか? と考えると、それは「望み」というよりはむしろ「義務感」の方が大きかったのではないか。

じゃあ「自分の心の奥深いところにある望み」は何なのか? と、問いかけてみると。

まあ、とんでもないものが出てきましたね。
その答えをストレートに書くのはとても恥ずかしいので、ここには書けない。
いや、自分の奥深くにある望みと向き合うのって、なかなかに恥ずかしいものですね。

このブログでは、統合失調症体験についても書いてきて、「頭おかしい」と言われても仕方ないかな、とは思っていたけど——自分の奥深いところにある望みを言語化してみると、「いや、それ頭おかしいでしょ……」と自分でもドン引きしてしまったくらいで。

だから、それについてはゴニョゴニョと誤魔化しまして、っと。

私が望んだことは、ストレートに叶うことは少なかったけれども、後になって、その一部が、思わぬ形で叶うことはあった。
それは、ここを読んでくださった皆さんが、叶えてくれたことでもある。
——とだけ、書いておくことにする。

改めてこのブログを読んでくださった方、コメントくださった方々に感謝を。

私には、「世界を飛び回る」ような、広い経験を積み上げることはできなかった。
けれども、「深い体験」をすることはできた。
とても貧しく、しかし一方でとても豊かな体験だったと思う。

このブログも、もうしばらくは続く予定です。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(0) | trackbacks(0) |
2019.11.28 Thursday 15:22
がんの肝転移は、今は小康状態を保っていて、まあまあ元気に毎日を過ごしています。
抗がん剤の点滴をする日は、一緒に吐き気止めのステロイドも点滴されるせいか、どうにも眠れなくなるのが難ですが。
そして、ご飯もお菓子も美味しく食べられるようになった結果、また体重が増えてしまいました……。服がキツイって。再びダイエット地獄の始まりか?

さて本題。
先日、インフルエンザワクチンの接種をしました。
実はこれまで、接種したことがなかったんですよ。
アレルギーが怖かったし、罹ったら薬で治せばいいやと思っていたので。

でも今は抗がん剤治療中で、風邪だけでもなかなか治らなくてしんどいのに、もしインフルエンザに罹ったらどうなることか……と心配になって。

そもそも抗がん剤治療中にインフルエンザワクチンを接種してもいいものかどうか?
気になってネットで調べたら、ワクチン接種が推奨されていました。

◎参照:がん患者さんのためのインフルエンザQ&A(国立がん研究センターがん情報サービス)

主治医に確認したところ、「ワクチン接種するなら、休薬期間にして」と言われまして。
休薬週まで待って、近所の内科でワクチン接種しました。
予約を取って、病院で問診票に記入して、ワクチン接種してもらい、お値段は3,500円でした。

ちなみに、もしインフルエンザに罹ってしまったら?
がんの治療でかかっている病院は大きめの病院なので、主治医には、「インフルエンザを疑うようなら、ここには来ないで。近所のかかりつけ医で治療して」と言われています。
そうですよねー。抗がん剤治療中の人も多い病院に、インフルエンザウイルスを持ち込むのは、大迷惑だよね。

ただ、これまでも抗がん剤治療中に高熱が続いたとき、病院に電話したら「今から受診して」と言われたこともあるので、自分では判断に迷うこともあるかもしれませんが。まずはかかりつけ医で検査、かな。

人混みに出かけることはあまりないのですが、満員電車に乗らざるを得ないときはあるので、せいぜいマスクとうがい手洗いで自衛することにします。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(0) | trackbacks(0) |
2019.11.14 Thursday 20:01
がんが進行して、寿命のリミットが見えてくると、どうしても人生振り返るモードになってしまう。過去のあれこれについて、さまざまな後悔が湧き起こる。

私が今も後悔に苛まれるのは、過去長い間、自分の病気は「頑張ればもう少しなんとかなる」と思い込んでいたことだ。「普通の人に少しでも近づくために、アルバイトでもいいから就労しなきゃ」と考えて、雇用労働に従事しようとしては、病気が悪化して倒れる、を繰り返してしまったことだ。

「軽度」と周囲にみなされるレベルの病気・障碍であっても、ある意味では重度の障碍よりもしんどい面もあるということが、語られている本はある。
過去にこのブログで取り上げた、『障害・病いと「ふつう」のはざまで 〜軽度障害者どっちつかずのジレンマを語る』や『漂流する発達障害の若者たち』がそれだ。

他にも、人生の半分を弱視者として過ごし、残り半分を全盲者として過ごした著者による『だれか、ふつうを教えてくれ!』(倉本智明著)という本もある。
倉本氏は言う。世間では、障碍が軽度である人たちの困難は、重度障碍者と比べて小さいと理解されている。しかし、それは本当だろうか?
著者は弱視者であった頃の経験を踏まえて、「一見しただけで障碍を持っているかどうかわかりにくい人たち」には、「説明しても人に理解されづらい」「そのために、必要な援助を受けられない」「必要な施策や社会的な対応が立ち遅れる」「人間関係がぎくしゃくする」といった困難(しんどさ)があると述べている。

本から一部引用してみる。
 軽度障害者は、重度の障害者とくらべれば、からだのつくりが健常者に近いため、無理をすれば、時に健常者とおなじようにふるまうことができます。でも、これが落とし穴なんですよね。
 おなじようにふるまえると言っても、あくまで「無理をすれば」なわけです。健常者用にできあがっているルール(中略)にしたがおうとすれば、大変なエネルギーを必要としますし、どこかで破綻をきたす可能性も高い。
  (中略)
 にもかかわらず、軽度者というのはその無理をしてしまいがちなんですね。重度であれば、よくもわるくもできないことがはっきりしています。そのために、「いまのルールではだめだ」と気づくことも早い。
 周囲の人びとも、「重度の人にくらべれば……」「軽い障害はがんばればなんとかなるんだから……」と無理を要求したり称揚したりしがちです。(中略)
 そうやって、健常者のようにふるまおうとして挫折することで、軽度障害者のしんどさは、さらに大きなものになっていく。悪循環から抜け出しにくくなるわけです。

(倉本智明『だれか、ふつうを教えてくれ!』pp.95-97 理論社2006)

私も、寝たきりになるレベルで身体の病気が悪化したときは、「仕方ない。今は休もう」と考えることができた。けれども、ある程度回復した時点で、「そろそろ動き出さないと」と頑張って、結局また病気が悪化したり、新たな病気に倒れたり、を繰り返してしまった。

精神の病気もそうで、統合失調症の急性期は、体はむしろ元気だった。だから頑張って仕事を探して働いて、その結果、心も体もボロボロになった。
ずいぶん後になって、精神科医・中井久夫の著書を読んだら、「統合失調症の急性期からの回復は、焦ってはならない。6ヶ月は休養すべき」と書いてあって、私もそうしなければいけなかったのかな、と後悔した。

今の私は、がんが転移して命の期限が迫っている上に、統合失調症の後遺症やアトピーもあり、決して「軽度」とは言えない状態だと思う。けれども、今の社会制度は、「身体・精神を含めて、複数の疾患を持つ状態」に、対応するものではない。

ただ、このブログを書き始めてからは、「世間体」とか「一般論」ではなく、自分の本当の欲に従って、やりたいことをやろうとしてきた。それができてよかった、と心から思う。

かつてのように、「働かなければいけない」という思いから、一生懸命「就労」を目指して、その結果がんが再発して寿命を縮めていたら、今よりももっと、どうしようもなく悔いが残ったのではないか。

誰かに押し付けられた道、世間一般から外れないための道ではなく、自分が望んだ道を歩いてきたなら、道半ばで倒れても悔いはない。

このブログやツイッターで発言したり、短歌を発表したために、かなしい誤解や信じられない嫌がらせ、いわれのない中傷にあって、体調を崩したこともあった。
やっぱり自分が持っている感覚は、少数者のそれなんだな、と痛感させられた。

それでも、私が「声を上げること」「表現すること」を選んだのを、後悔したことは一度もない。

このブログを書いて、後悔したことは一度もないです。

     

ツイッターもゆるゆる再始動しています。




| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(2) | trackbacks(0) |
2019.11.07 Thursday 20:44
前々回のエントリで触れた「統合失調症短歌」を読んでくださった方から、「(統合失調症ではないが)共感できる部分もある」というコメントをいただきました(コメントくださった方、ありがとうございます)。

「何かに責められているような感じ」というのは、心の病・症状を抱える方にとって、共通する感覚なのかもしれない、と考えさせられました。

さて今回は、noteで作品を発表していて、改めて気づいたことを書いてみます。

   *   *   *   *   *

noteで短歌を発表した後、タグを辿って、他の人の文章や作品に触れることがある。
そうしたら、プロフィール欄に「統合失調症」「精神障害者」と書いている人もちらほら見かけるのだ。
noteは、良く言えばクリエイター志向、つまり自分の文章や作品を発表しようという意欲のある人たちが集う場所だから、ごく普通の「精神障碍者」と同一視はできないとは思う。
そうであっても、「統合失調症」「精神障碍」をオープンにすることは、かつてよりもハードルが下がってきているのかもしれない。

しかしこれは、あくまでもネット上で、ハンドルネームで活動する上での話だ。
リアル生活で、周囲の人に病名をカミングアウトするか否かは、やはり迷うところではないだろうか。

たまたま先日読んだ文章では、「自分が統合失調症であることを、周囲に話すことを選んだ人」と、「話さないことを選んだ人」、両方の意見に触れる機会があった。
どちらにもメリット・デメリットはある。

病気についてカミングアウトするか否かの問題は、精神疾患だけではなく、がんという病気についても同様だ。
近年、著名人が乳がんに罹患した、というニュースに触れる機会が格段に増えたため、かつてよりも、がんをオープンにすることのハードルは低くなっている、と感じる。
でも、私が最初に乳がんと診断された15年前は、今よりずっと言いづらい病気だった。まだ「AYA世代」という言葉もなかったため、若年でがんに罹った人の孤独感も大きかった。

乳がんの患者さんの中でも、「病気をオープンにする人」と「家族や患者仲間以外には話さない人」、それぞれ存在した。
病気について打ち明けて、「それをどう受け止めるかは相手の問題」と考えられる人は、カミングアウトするメリットの方を選ぶのだろう。
一方で、他の人の何気ない一言にくよくよしてしまうタイプの場合、「話さない方が無難」と思ってしまうかもしれない。

私は長く後者だったけど、少しずつ前者に近づいてきているように思うから、これは不変ではない。
けれども、「病気について打ち明けたら、離れていく人がいた」というのもよく聞く話で、それを受け入れられるものかどうか。

やはり私は、今でも、病名を打ち明けないことの方が多い。
今の私は、急に体調が悪くなるリスクがあるので、それについて知っておいてほしい人には、「今ちょっと病気の治療中で…」と言うことにしている。

「乳がんと統合失調症、どちらがカミングアウトしづらい病気か?」と考えると、圧倒的に統合失調症の方が言いづらい病気だ。つまり、統合失調症の方が、スティグマ性が高い病気なのではないか。
乳がんに罹患したことは、一部の友人・知人に話したことがある。けれども、統合失調症については、まだ話したことはない。

乳がん罹患後うつ病になった、という話は珍しくない。親しい患者仲間にもそういう人がいる。
そういう相手であっても、私が統合失調症で精神科に通院していることは、話せなかった。

つまり、私が「再発乳がんの患者であり、統合失調症の患者でもある」ということは、家族以外は、医療者や支援職に相談するために必要な場合しか、話していない。

唯一、その両方について打ち明けられる場所が、ネットなのだ。

乳がんと統合失調症、この二つは私にとって、どちらも巨大な体験だった。
その二つを統合できる場所が、私にはネット、つまりこのブログしかなかった。

相手によって、環境によって、見せる自分の顔が異なるということ。
作家の平野啓一郎が「分人主義」と名付けたように、これは現代において、特に珍しいことではない。

でも私は、バラバラの自分のままでは不安だった。私には、「再発乳がんと闘っている自分」と「統合失調症の後遺症に悩む自分」を統合する場所が必要だったのだ。
私が、このブログを必要とした理由の一つは、これだと思っている。

いや、病気だけではない。
BL好きや腐女子であることも、一般世間にはカミングアウトしづらい。
あいちトリエンナーレなんかは比較的「話しやすいテーマ」だ。けれどもどんな分野であっても、興味のない人には、どこまでも興味のない話題でしかない。

だから私にとって、このブログは、「さまざまな自分を統合する場所」として、必要だったのだ。
自分の病気のみならず、私が好きなもの、関心を持っていること、それらすべてを一つにまとめて眺めることができる場所として。
それが、このブログだった。






| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(2) | trackbacks(0) |
2019.11.03 Sunday 17:23
先日、たまたま大雨のあと外に出た。ふと空を見上げたら、虹がかかっていた。

しばらくの間、虹はうっすらと二重になっていた。
虹を見たのは久しぶりだ。

虹
狂詩曲(ラプソディ)はしゃぎつかれて眠る雨、それから虹を奏でるひかり

(連作短歌「ありふれた夜のために」より)


生きているうちに、もう一度虹を見る日は来るかな。来てほしいな。




| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
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