2017.03.18 Saturday 23:51
カフカの「掟の門」(道理の前で)という短編がある。
(青空文庫で読めます→http://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/47213_28180.html
ひきこもっている人が社会参加するときの状況ってまさにこんな感じ、と説明したのは、斎藤環だったか。
私にとっても、実感としてよくわかる話だ。

「社会参加につまずく」というのは、「就活でつまずく」のと必ずしもイコールではない。私にとっては、それ以前の問題だった。
まず、病気のしんどさが家族に理解されないでしょ。
ずっと一人で抱え込んでいたのを、たまたま病院で知り合った患者さんに、患者会のことを教えてもらって、「病気のしんどさを、同じ病気の人と共有できると、こんなに楽になるんだ」と知った。そこに至るまで、何年かかったことか。

で、病状が少し落ち着いて、仕事を探そうとしたら、「履歴書の空白をどう説明するか問題」に悩んだり。「病気のことを正直に話したら雇ってもらえない。かといって病気のことを隠して働いたら、無理を重ねて結局は倒れる」というジレンマに陥ったり。

昔はネットで得られる情報も少なく、たまたま新聞で見つけたひきこもり支援団体に電話したら、「今は満員で受け入れられない」だの「親と一緒でなければ話は聞けない」だのと言われて、空振りに終わったり。
「ひきこもっていた人が、良い支援者に出会えて、社会復帰できました!」という体験談は、おそらく実際にあることなんだろうけど、私には別世界の話としか思えなかった。

自分もネットで発信するようになってから、受け取る情報も増えて、自分も動いているうちに、「どこへ行けば、どういう相談に乗ってくれるか」ということが、ぼんやり理解できるようになった。
去年このブログ上でやっていた「人に会いたくない」当事者研究(第4回)へのレスポンスとして、幾つもの相談先を列記したのは、自分がそれだけたくさんの試行錯誤を繰り返してきたってことで。
私にとっては、「ただ生きる」ということが、ものすごく大変なことだった。

自分の受けてきた傷や、自分の病気の特性を理解して、それを癒しつつ、人にちゃんと説明できるようにすれば、もう少し生きやすくなるんじゃないか。それをブログに書くことは、自分と同じように悩んでいる人にとっても、なんらかのヒントになるんじゃないか。そういう思いがあって、ブログを書き続けてきた。それについては、ある程度の成果はあったと思う。


で、去年の夏に、癌の再発がわかったとき、ちょっと肩の力が抜けたというか、「もうジタバタするのはやめよう」と思ったんですよ。
おそらくあと数年くらいで自分は死ぬのだろうから、もう残り時間は余生、隠居老人のように生きていくつもりでしたよ。
「座右の銘は恬淡」とも言ったような。

でもって、短歌を作ることなら、地味〜に無理なく続けられるかなあ、と思っていたんですけど……またもや今、「掟の門」が目の前にある状況みたいで。

えっと、「短歌を作って、人に見てほしい」って、すごーくささやかな望みだと思ってたんだけど、実は結構大変なことだったようです。
すでにとんでもなく消耗して、頭痛やら吐き気やら体調不良で卒倒寸前の状態ですが、なんとかまだ生きてます。
「この頭痛が癌の脳転移の症状だったらどうしよう〜」と不安になったのですが、去年も同じように心配して脳のMRI検査しても、結局何ともなかったので、来月まで様子見することに。
えー私はこれから先、生きていけるのでせうか?

短歌って、私にはよくわからない世界です。
いや、「短歌の作り方がわからない」とか「作品がうまく読解できない」という問題なら、勉強すればいいだけの話ですよ。
でも、今の私が直面してるのは、それとはちと違う問題のような……。
短歌の世界、「歌壇」と呼ばれる場所には、私のこれまでの常識では理解不能な、暗黙のルールがあるみたいで。
で、よくわかんないときは、「とりあえずやってみて、失敗から学ぶこと」というのを教わったのも、このブログで、だった。
(過去記事:「空気」、読めますか?

というわけで、短歌の世界がどうなってるのか、私にはよくわからないけど、「とりあえずやってみる」ために、短歌専用の新ブログを作りました。
こちらです。→「あすも短歌の花が咲く
いかにも適当につけたっぽいブログ名なので、もっといいタイトルを思いついたら、後で変えるかも。
はてなブログです。一度は使ってみたかったブログサービスなので、いい機会かな、と思いまして。中身はこれからです。
やっぱりね、せっかく短歌を作ったなら、感想なり批評なり、良いなら良い、ダメならダメって言ってほしいよね。

短歌用のペンネームは、「都樹野(つきの)ひかり」に決まりました。
このブログで長らく使用してきたハンドルネーム「月ノヒカリ」に愛着があるので、名前の読みはそのままで、多少なりとも人間らしい名前にしようと考えた結果、こうなりました。
「都樹野ひかり」というのも、ビミョーにキラキラネームっぽくて、自分の美意識からはやや外れるのですが……仕方ないです。
だってこのブログを始めるとき、自分が短歌を作ることになるなんて、予想してなかったもんねえ。そのつもりだったらもう少し、日本人らしい普通のハンドルネームを名乗ったんだけど。
改めて今見直すと、「石井ゆかり」とか「中島梓」って超いい名前だよね。今さら後悔しても遅いけど。嗚呼。

「都樹野」って、たぶん簡単には変換できないだろうから、皆様はこれまで通り、「ひかりさん」「ヒカリさん」「つきのさん」「ツッキー」等々、お好きなようにお呼びください。

実は「都樹野ひかり」名義で、ツイッターアカウントも作ったんだけど、そっちはもう少し置いておきます。
「同時に新しいことを二つ始めない」というのが、精神科医・中井久夫先生のアドバイスだったので。

体調面の不安を抱えながらなので、少しずつしか進めていけませんが、のんびりお付き合いいただければ幸いです♪






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(10) | trackbacks(0) |
2017.03.09 Thursday 21:23
えっと、ここしばらく体調が悪くて、ネットから離れてました。とある方に相談したら、「ネットから離れたほうがいい」というアドバイスを受けまして、確かにそうかもしれないなあと。

でも短歌は、ネットなしでもつくれないわけじゃないし、まあボチボチやっていこうと思います。
といっても私は、競争社会から落ちこぼれた人間で、もう二度とそこには戻りたくないので、短歌にしても、もう本当に細々と続けて、死ぬまでに幾つかいい作品ができたらいいなあくらいの、ゆるーい感じでマターリやっていきたいです。

で、改めて考えてみて、やっぱり短歌用の別ブログを作ったほうがいいのかな、と。
このブログは、トンデモネタとかヘンテコ企画とか何でもありでやってきたので、それとは別に、淡々と短歌を発表する場があってもいいかもしれない。
短歌用のペンネームはもう考えてあって、短歌ブログではそちらのペンネームでやっていこうかな、と。

あと、それとは別に、拍手コメント等で励ましの言葉をくださった方に、以前はブログ上でレスしていたのですが、癌の再発以降はそれも難しくなって、レスをサボってる状況で。
でもブログ主としては、応援メッセージをくださった方に、なんらかのレスポンスをしたいという気持ちはあるのです。 それについてもちょっと考えていることがあって、また後日発表します。

とりあえず今回は、お知らせだけ。
体調が戻るまで、もうしばらくネットはお休みします。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(2) | trackbacks(0) |
2017.02.10 Friday 23:20
前回のエントリで予告した、新作短歌です。

チョコレートを愛するすべての女性に贈ります。

今回は男子禁制。男性の閲覧希望者は、女装してお入りください。
| ●月ノヒカリ● | 短歌 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017.02.02 Thursday 22:36
えっと、年明けに「今年は短歌やります!」と威勢よく宣言したのですが、さっそく挫折しました……。
理由はですね、どうも自分が思っているよりも、このブログとツイッターが、注目を浴びてる気がするからです。

前々から、月ノヒカリのツイッターをフォロー外から覗きに来る人がいるっぽいなーとは感じていたんですよ。
でもそんな物好きは、多くてもせいぜい12〜3人くらいだろうし、まあいっか、と流してたんですけど……今はそうも言ってられないような……。

といっても、もしかして、このブログやツイッターが「注目されている気がする」のは、例の精神病的な妄想かしら? という疑念も拭えないのですが。

メンタルこじらせてる人へのよくあるアドバイスに、こんなのがあるんですよ。
「自分が思っているほど、他人はあなたのことを気にしていない。これがわかれば楽になる」
このブログのコメント欄にも書き込まれたことがあります。私わりとそれ、真に受けてたんですよ。
ここはアクセス数の少ない過疎ブログだし、ツイッターもフォロワー数三百人台ならたいして多くないし――と思って、のびのびやってたですよ。
と言いつつ、やっぱり炎上は怖いので、あまり変なことを口走らないよう、気をつけてきたつもり、なんですけど……。

どうも、自分が思ってたより多人数に見られてるっぽいんですよね。特に短歌界隈。
いや、その「見られている」というのも、例の精神病の妄想である可能性は否定できないんですけど。

このブログで短歌を発表するのはお休みして、もっと落ち着いて短歌と付き合える場所を探したほうがいいのかしら? と考え込んでしまいました。

本格的に短歌やってる人は、結社とかに入る人が多いんですけど、あれよくわからなかったんですよ、私には。
だって、ブログやツイッターで短歌を発表するのは「タダで」できるのに、結社とか入ると「お金を払って」短歌を発表することになるんです。
それ、私にどういうメリットがあるんだろう?

よくわからなかったんですけど、もしかしてそれは「悪目立ちせず、落ち着いた環境で作品を発表できる」というメリットがあるのかな、と思い至りまして。

まあ確かに、昨今のネットでヘタに目立つと、叩かれるリスクが増えるばっかりで、何にもいいことないですし。
私もネット歴が長いので、「実力が伴わないのに注目されるのって最悪だ」ということもわかってますし。

私はもっとのんびりマイペースでやりたいので、短歌を発表する場所を他所に探したほうがいいのかなあと。
でもやっぱり、「このブログを読んでくれている人が、私の短歌を見てくれたら嬉しい」という気持ちはあって、すでに発表したい短歌もつくってあったんですけど……どうしよう。どうすればいいんだろう。

今つくってる短歌って、今しか発表できない気もするんですよね。
来年になったら、今の自分の短歌は、自分の中で賞味期限切れになってる可能性もある。だったら、気が変わらないうちに、ブログで発表したほうがいいのかなあ、とか。

自分でもまだ答えが出てないんですけど、「困ってることは言語化して、表に出したほうがいい」とよく言われるので、ここに書いてみます。
何かアドバイスがありましたら、コメントいただけると嬉しいです!






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(10) | trackbacks(0) |
2017.01.16 Monday 20:29
ホームレス歌人のいた冬』(三山喬著、文春文庫) という本がある。

2008年末から2009年にかけて、朝日新聞の短歌投稿欄で話題となった「ホームレス歌人」公田耕一氏の実像を追うノンフィクションだ。 この本の中では、公田氏の正体はわからず終いだったが、著者がドヤ街の取材過程で、複数の人から聞かされた言葉というのが、印象的だった。
曰く、「表現できる人は幸せだ」
本から少し引用してみる。

 表現のできる人は幸せだ――。
 公田の足取りを追い始めて以来、何人もの地元関係者が、この同じ言葉を口にした。
 寿という街を知るにつれ、私も少しずつ、そう思うようになった。野宿者やドヤ街の人々にとって、感情の起伏は、それをただ叫ぶだけでは、泣き言や愚痴としか受け取られない。第一、思いをあらわにしたところで、何になるのか……。
 空しさはおそらく、本人にも突き刺さる。しかし、それをもし、表現という形に昇華できれば、話は別である。自分の内面を見つめることが、決してネガティブな行為ではなくなる。
 感情そのものはもろ刃の剣である。自らを奮起させる原動力にもなれば、果てしなく自分を絶望に引きずり込むのもまた、感情にほかならない。しかし、己を守るために感情を押し殺すようになってしまえば、心は砂漠になる。表現、という行為は、その安全弁のようなものではないか。……

   (三山喬『ホームレス歌人のいた冬』p.173)

この一節に、胸を打たれた。
私は過去ずっと、「表現しない、できない人」だった。
私は幸いにも野宿者になることはなかったけど、表に出すことのできない、どうしようもない感情を押し殺し、窒息しそうになっていた。

ブログを書いて、しかもそれを赤の他人に読んでもらいたいなどと考えるのは、もともと文章を書くことが好きな人とか、ディープなオタク趣味の持ち主とか、何か特別に訴えたい主張があるとか、そういった人たちだろう。

私はそうではない。書かずに済むなら、こんな痛々しいブログは書きたくなかった。
私にとってこのブログは、書かざるを得なかったから、やむを得ず書いているものだ。

誰にも話せなかった自殺願望のこと、病気のしんどさ、とりわけ精神病について。
吐き出さなければ、生きていけなかった。そこまで追い詰められて初めて、書くことができた。

自分の身近にサポートしてくれる支援者がいたなら、わざわざネットで表現する必要はなかったと思う。おそらくそちらの方が「恵まれている」のだろう。
でも、「恵まれている」ことは、必ずしも「幸せ」とイコールではないのではなかろうか。

去年、私がこのブログで「当事者研究」をやり始めたのは、身近に当事者研究をやっている場所がなかったからだ(あればわざわざネットでやる必要はなかったと思う)。
やってみて結局、「ちょっとこれはネットでやるのは無理があるな」と気づいて挫折したけど、あのとき参加してくださった皆さんとの間で、とても有意義なやり取りができたと、今も感謝している。

自殺願望についても、病気のしんどさについても、身近にその思いを吐き出せる場があるなら、そっちの方がずっと恵まれていると思う。
私にはそういう場がなかったから、仕方なくブログに吐き出すしかなかった。
そんな吐瀉物のような叫びも、多少不格好でも「表現」すれば、それなりに反応がもらえる。その反応には、嬉しいものもあればそうでないものもあったけど、ごく稀に、思いがけないギフトを受け取ることができた。

表現できることは幸せだ。
何も言えなかった長い時間を経て、多少なりとも表現できている今、しみじみそう実感する。

上手い下手は別として、短歌をつくれることも、私にとってはとても幸せなことだ。
でも実は、この短歌も、ブログで発表しているのは「やむを得ず」という側面がある。

短歌もね、実は、結社とか入ってみようかな、などと考えたりもしたんですよ。
十年、二十年と短歌を続けるつもりなら、どこかの短歌結社に入った方がいいのかもしれない。
ただ私の場合、数年後も生きてるかどうか、生きてても元気でいられるかどうか確信が持てず、長期的な展望も持ちにくい状態で、でも書きたいテーマはあって――それを発表できる場って、ブログやツイッターしか思いつかないんだよね。今のところ。

リアルの歌会とか、めちゃくちゃ参加してみたいんだけどね。
でも、ネットじゃない、リアルの場特有の難しさというのもあるんじゃないかと、私のような人間は考えてしまうのだ。

実は過去に、少しだけ短歌の教室に通ったことがあって、そのときに感じたことだけど。
私が本当に表現したいのが、例えば癌の短歌だったり、統合失調症をテーマにした短歌だったりしても、リアルの場ではそれ、出せないでしょう。そういう短歌を発表したいなら、自分が治らない再発癌の患者であることとか、統合失調症の患者であることを、その場にいる人全員にカミングアウトしなければならないことになる。それはちょっと……どうなんだろう。

病気のカミングアウトを避けて、その場の空気を乱さない、当たり障りのない短歌をつくろうとすると、「自分に嘘をついている」みたいで、嫌なんだよね。
つまり、自分の病歴を隠さずに、自分が本当に表現したい作品を発表できる場、というと、このブログとツイッターしかないんだ。今のところ。

自分が自分のままで「表現」できる場がある。それは、幸せなことなんだと思う。

だから、このエントリのタイトル「ブログを書く人と書かない人、どちらが幸せか?」というのは、無意味な問いだ。
ブログを書くか書かないかは、関係ない。

自分が自分らしく居られる場所がある人は、幸せだ。
そういう場を「ホーム」と呼ぶのだろう。

このブログは、私にとって「ホーム」だ。



ホームレス歌人のいた冬 (文春文庫)      



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