2016.08.15 Monday 22:46
先月もいろいろ検査をして、もうすぐ病院で結果を聞く予定なのですが、その前に。
久しぶりに、Twitterに投稿してきた短歌をまとめておこうと思います。

半年くらい前に、拍手コメントで、当ブログの短歌エントリを褒めてくださった方がいたのですが、お返事できなくて申し訳ありませんでした。当ブログに掲載した自作短歌および引用させていただいた短歌は、著作権に配慮した上で楽しむ分には、問題ないと思います。
私はまだまだ素人レベルですが、世の中にはもっともっと素晴らしい短歌が溢れるほど存在しますので、どうかこれからも良い短歌と出会われますように。

さて、Twitterに投稿した短歌ですが、癌の再発に関するものなど、病気にまつわる作品は、ここでは省きました。それらはまた後日、別エントリで紹介する予定です。

以下は、ここ一年ちょっとの間に作った短歌です。
幾つかの歌は、解説付きで置いていきますので、ご参考までに。

挨拶も交わさず星を贈り合うのが今日のコミュニケーション

つぶやきが君のアンテナ掠ったら黙って星を光らせなさい

ソーシャルな愛を安売りしたくないぼくらに星を返してほしい

液晶の窓に浮かんだ文字だけの弱い絆がぼくらのすべて
これらはTwitterをテーマにした短歌。
「星」というのは、かつてのTwitterの「お気に入り」の☆印のこと。
昨年11月頃から、ハートマークの「いいね」に変更されました。個人的には、☆(お気に入り)の方が良かったですね。
Twitterでは、一言も会話を交わしたことがなく、「お気に入り」や「いいね」をし合うだけの関係でも、何となく「知り合い」のような気がしてくるから、不思議です。

饒舌な酔いどれ人に囲まれてぬるむ刺身を噛み締めた夜
「飲み会ぼっち短歌」です。ブログ主は酒が飲めない上に、飲み会トークが苦手なので、たまに気の迷いで飲み会に参加すると、こういう残念な状況になります。

三日月の欠けた部分を照らしてる地球の光のぼくらは一部
「地球照」がテーマです。地球照の写真と解説は、この過去エントリに掲載してあります。

目が覚めた後に出かけるあてもなく僕の前には空だけがある
この歌は、空の写真と一緒にTwitterに投稿しました。→写真はこちら

(走れない)地球の重力1Gが1.5Gになる月曜日
これは、外出イベントがあって疲れ果てた翌日、別に動けないわけじゃないけど、走るにはからだが重すぎる、というコンディションを歌にしました。

冥闇(くらやみ)の淵に彫られた傷痕が花になる日を待ち焦がれてる
「薄闇の底に彫られた傷痕が花になる日を待ち焦がれてる」とどっちにしようか迷ったのですが、上記表現にしました。「傷痕が花になる」イメージを表現したかったのですが、はたして伝わってますかどうか……。

ジェット機の銀の腹部が鮫になる 途端にここは海底となる
これは晴天の昼、飛行機を見上げたら、宮沢賢治の「やまなし」を連想したので。あんまり短歌っぽくないので、またそのうち作り替えるかもしれません。

化学室観察日誌普遍的絶望生成過程報告

たましいがしずかに凍りついたあとゆるりと溶けて絶望となる
これは「絶望」がテーマ。
一首目は、かなり無理矢理だけど、すべて漢字表記の短歌にしてみました。

夏の夜の夢と夢とが混線し溶け合って壮大な宇宙史に

受信する夢と夢とのあわいには地球のための小さな祈りを

夢を見ている夢を見ている夢を見ている夢を見ている私
これは「夢」をテーマにした三首。
最後の歌は、「夢を見ている夢」を見ている……という意味です。

この夏はあの子の庭の朝顔になって観察されていました

僕よりも君の方こそアルマジロ珍獣決定戦で勝負だ
Twitterやってると、フォロー外からもジロジロ観察しに来る人がいて、珍獣扱いされて困っているアカウントがこちらです。そんな気持ちを、観察日記ならぬ「観察され短歌」にしてみました。


以下の歌は解説なしで。
Twitter投稿時とは表現を変えた作品、削った作品もありますが、だいたい投稿した順に並べました。

帰るべき巣をつくれない僕たちに夜のひかりはいつもやさしい

ミネルヴァの梟は飛ぶ 息絶えた坑道のカナリヤの墓標へ

この森にさざめく声を掻き寄せて祈りにかえる八月の魔女

楽園を追われたけれど知恵の実を齧ったことは悔いたりしない

スケルトン自動車走る透明な生き物が棲む島をめざして

蒼天を駆ける空色飛行機は世界を青に導くだろう

メロディになりそこなった雨音を拾いあつめて降るラグタイム

悪役になりきれなくてきらきらと緋色の羽根を振り撒くぼくら

ト短調の吐息と寝息だけ乗せて終バスはゆく夜の向こうへ

ピアニシモの吐息でしゃぼん玉を吹くようにやさしい沈黙が在る

帽子から次々跳び出す鳩や花、リボンのように語りあいたい

お喋りな君の指から蝶々が舞い降りてきてこの指とまれ

歩いても歩いても家に帰れない夢から醒めたあとの秒針

人の世の蜜に焦がれた咎ゆえにこの地に生きるわれら流刑囚

空想の裡(うち)に重ねた罪を知りつつ裁かない天日(てんじつ)の眼は

バーゲンセールにされた世界を生きている魂さえも稀釈しながら

倫理学教師が夜毎訪れて花を散らしてゆく裏通り

降りそそぐ龍の涙を掌(て)に受けて沁みゆく爬虫類のにおいに

火星発アラームも犬の呼び声も巻き込んで夏蟲交響曲(なつむしシンフォニー)

アンドロイドの踊り子たちは偽りの楽土の夢を舞いながら散る

蟲や樹の御魂がヒトに輪廻する秘史を忘れて虐殺の庭

木洩れ陽も猫も私も生塵もすべて一つになるeuphoria

ここでは以上です。
病気にまつわる短歌は、また後日、別エントリでまとめる予定です。

例によって、感想などコメントいただけると、ブログ主は泣いて喜びますので、よろしくです♪

←拍手はこちら。コメントも送れます。




| ●月ノヒカリ● | 短歌 | comments(0) | trackbacks(0) |
2016.08.08 Monday 00:18
ブログお休みしていましたが、書きたいことができたので、再開します。

ちょっと遠回りになりますが、自己責任論の話から始めます。
自己責任論で一番ポピュラーなのは、「お前が貧困状態にあるのは、努力が足りないからだろ」というのが定番ですね。
それに対する反論はたくさんされているんだけど、通じない人にはさっぱり通じないみたいで、いまだに「貧困は本人の努力が足りないせい」と平然と言ってのける人、わりと見かけます。
それはそれで問題なんだけど、今回私が焦点を当てたいのは、そこではない。

前にも書いたことがあるけど、「苦しんでいる当人が、誰よりも自己責任論を内面化している」という問題があるんだよね。私にとっても、その「内面化された自己責任論」が、自分が感じている精神的苦痛の源になっている、みたいで。
これは私自身だけじゃなく、心の病等で苦しんでいる方々がこのブログに寄せてくださったコメントからも、感じていたことだ。

「お前が苦しいというのは、ただの甘えだ」という声が、どこかから聞こえてくるんですよ。「聞こえる」というのは、比喩的な表現で、統合失調症的な「幻聴」ではない。たぶんそれは見えない「世間」から発された言葉、なんだと思う。
それはお前の被害妄想じゃないか、という人もいるかもしれない。そういう面も少しはあると思う。 でも、「病気だろうがなんだろうが、お前が働かないのは甘えだ」的な言葉を投げつけられたことは、このブログを書いていて、実際に何度かあったのだ。

「自分の努力が足りないんじゃないか」とか「甘えちゃダメだ」という言葉は、過去ずっと、誰よりも自分自身が、心の奥に持ち続けてきたものだった。
でも、このブログを始めてから、少しずつ、少しずつ、過去のつらかったことを絞り出すように書いてきて。 改めて思ったのだった。
「あれ、私って結構、苦労してきたんじゃないか?」とか、「自分は努力が足りないって思い込んでたけど、それなりに努力したこともあるよなあ」ということを。

でも、このブログを読んだ上で、「甘えだ」と言ってくる人もいるわけで、本当に「世間様」というのは厳しいものである。
もちろん、世の中には、私よりもずっと大変な思いをしている人もいる、ということはわかっているつもりだ。このブログに寄せられたコメントを読んで、この方は私よりも大変そうな状況に置かれているな、と思ったことだって何度もある。そして、不思議なことに、そういう人ほど、こちらを労わるようなコメントを書いてくださるのだ。

一方で、このブログを読んだ上で「甘えだ」という言葉を投げつける人は、「働いている健康な人」ばかりだった。私が把握している範囲では、の話だけど。
もちろん、働いている人には働いている人の苦しみというのがあるというのはわかる。私自身、働く上での苦痛や苦労を経験したこともある。
でも、それとは違う病気の苦しさというのは、どれほど言葉を尽くして説明しても、届かない人にはどうやっても届かないんだな、とつくづく実感するしかなかった。

「世間様」は、私に対して、とても厳しい。
私が、「それなりに努力はしたけど、潰れました」と訴えると、「ちゃんと計画を立てずに、闇雲に努力するからダメなんだ」などとツッコミを入れる。
「病気になったのは、お前の食生活が悪いからじゃないのか」というのも、定番のツッコミだ。

自分の被害妄想も、多少は入っていると思う。
でも、こういう「無限に世間から責められている感覚」というのは、確かに自分の中にあって、それを現実に言葉にしてぶつけにくる人が現れると(たまにいるのだ)、私を責めてくる「世間の声」というのは、妄想なんかじゃなかった、実在するものだった、と改めてショックを受けるのだった。
こんなに苦しんでも、「まだ苦しみ方が足りない」と責められているようで、でももう苦しいのは嫌だ、ラクになりたい、と叫びたくなる。
「世間」の内部にいる人、きちんと社会に居場所を与えられている人には、こういう感覚は、理解しがたいのかもしれない。
逆に、「世間」の外側にいて、苦しんでいる人には、この感覚は、ある程度理解してもらえるんじゃなかろうか。無限に「世間」から責められているような感覚。

私が本当に欲しかった言葉は、「これまでよく頑張ったね。大変だったね。ちゃんと休んで、またできることをやろう」とか、そういう言葉だったんだと思う。
実際にそういう言葉で、私を慰めてくれたのは、これまでに自身も病気や障碍で苦しんでこられた方ばかりだった。これは100%そう。もちろん、病気で苦しんだことのある人皆が皆、優しくて親切ってわけじゃないってこともわかってるんだけど。

「私もあなたと同じように、苦しんでる」というメッセージ。それは、ずっと苦しんできた人でなければ、伝えることができないんだと思う。
精神科医やPSWも、相談に乗ってくれるし、支えてもらえることもあるけど、それとはちょっと異なる。「苦しいのはあなただけじゃない。皆苦しいのよ」という一般論とも違う。
努力しても、休んでも、勉強しても、助けを求めても、それでもどうしようもないことがある。それを経験として知っている人の言葉は、誰のどんな言葉よりも、心に響く。そういうこと、何度もあった。

癌が再発してからの私は、以前と比べて「できないこと」が増えて、苦痛を感じる時間も増えて、落ち込むことも多くなって、これから先「悪くなる」ことはあっても「良くなる」見込みはなく、それなのに、なんで苦痛に耐えてまで生き続けなきゃいけないんだろう? などと考えてしまうことがあった。そんでもって、どんなに考えても、自分が苦痛に耐えてまで生きる理由、というのは見つからなかったんだけど。

でも、今苦しんでいる人、大変な状況に置かれている人に対して、それでも生きてほしい、と私が願う理由は、はっきり説明できる。

苦しんできた人にしか、伝えられないメッセージはあるんだと思う。
「あなたと同じように、苦しんでいる人間が、ここにいる」というメッセージだけが、ほんの少しだけ、私を孤独な苦しみから、解放してくれる。
だから、今苦しんでいる人に、それでも生き続けてほしいと、私は願うのだ。自分と同じような苦しみを味わったことがある人、そういう人が発する言葉に、私は救われてきたから。

最近よく、過去に出会った再発癌の患者さんのことを思い出す。
今から十年以上前、私が癌の初回治療をしていた頃のこと。
患者会で、癌が遠隔転移している方に出会うこともあったし、ネット上で交流があった癌患者さんの「癌が再発した」という報告に接したこともあった。
その当時の私は、彼女たちを慰めたい、励ましたい気持ちはあるけれども、「かける言葉が見つからない」と感じていた。
それでも何とか伝えた言葉が、正解だったのかどうか、今もわからない。

このブログで再発の報告をしたとき、励ましのコメントをくださった方も、同じような気持ちだったのかな、と思う。
「かける言葉が見つからない」中で、それでも言葉でメッセージを伝えようとしてくださった方々には、何度感謝してもし足りないくらいだ。

だから今、自分がこういう状況にあって、それでも私がブログを書き続ける意味があるとしたら。
私が発した言葉が、悲鳴のような叫びや嘆きや呻き声のようなものも含めて、めぐりめぐって、いつかどこかで誰かの心を温めることができるかもしれない。そのとき、その誰かも、私自身も、ほんの少しだけ、孤独から解放されるかもしれない。そういう、ささやかな願いのようなもの。
自分にとって、本当に心から「書きたいこと」があるとすれば、それだけだと思う。

そんなわけで、ぼちぼちとですが、ブログを再開することにしました。
といっても、書くのは身辺雑記とかで、たいした内容にはならないでしょうが。
よかったらこれからも読んでやってください。






| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(4) | trackbacks(0) |
2016.07.17 Sunday 15:18
これまでブログやツイッターを通じてお付き合いくださった皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。
とても嬉しかったし、すごく励みになりました。

でも、癌の再発以来、どうしてもナーバスになってしまって、ネットにつながることでしんどくなることが増えました。
このブログでのコメントのやりとり、ツイッターのフォロワーさんとのやりとりで、励まされたことはたくさんあったのですが、ネットに接続するとどうしても、見たくない情報まで受け取ることになってしまうんですね。
今の自分の心身の状態を考えると、しばらくネットから離れた方がいいかな、と判断しました。

また、気持ちが落ち着いたときに、更新を再開しようと思います。
ご心配をおかけして申し訳ありません。

ツイッターは鍵をかけましたが、フォロワーさんとのリプやDMのやり取りはできる状態ですし、このブログのコメント欄、拍手コメントも書き込める状態にしてあります。レスは遅れるかもしれませんが、「まったく連絡が取れない状態」ではないので、ご心配はなさらないでくださいね。

ではまたいつか、皆様と元気にお会いできますように。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(2) | trackbacks(0) |
2016.07.11 Monday 20:23
「歴史にifはない」という言葉がある。
同じように、人生にもifはないのが現実だ。
そうであっても、「もしあのとき○○だったら、どうなっていたんだろう?」と未練がましく考えてしまうことはある。

私がよく考えるのは、もし十年前に、今と同じレベルの精神病患者の支援体制があれば、私も「就労ルート」に乗って、それなりに働けていたのかもしれないな、ということだ。

私が最初に統合失調症を発症したのは、今から15年ほど前のことだけど、その頃に比べて今は、精神障碍者の支援体制は格段に整ってきていると思う。
精神科医以外に、PSW(精神科ソーシャルワーカー)にも相談できるようになったのは大きい。
もしかしたら、私が知らなかっただけで、過去にもそれなりに支援体制があったのかもしれない。けれども、そういう情報を知らなければ「無い」のと同じで、だから今、それなりに情報が手に入るようになったこと自体、時代の変化というか、精神病者をめぐる状況は改善されてきていると感じる。

今から十年程前、最初の乳がんの手術後に陥った鬱状態から、ひとまず浮上した頃のこと。
私は支援などまったくない状態で、いろいろと足掻いていたのだった。ハローワークで募集していた就職セミナーに通ってみたり、キャリアコンサルタントの講演を聴きに行ってみたり、簿記の資格を取ったり……そしてそのたびに体調を崩しては落ち込む、というのを繰り返していた。
その時に相談した、精神科医の対応は、今でも忘れられない。
私が動き回った結果、体調を崩したことを伝えると、「そんなの大したことじゃない。疲れるのは普通のこと」といかにも面倒くさそうに言い放つ。「精神障碍者手帳を取得して、就労することはできるのか」と尋ねると、「さあ、知りません。自分で考えて」との答え。その上、「このまま働かずに親の脛をかじって、親が死んだら生活保護を受ける気か。それが嫌ならさっさと働け」という説教まで喰らったのだった。

ちなみにその当時は、「生活保護の水際作戦」が盛んにメディアで報道されていて、私自身、「生活保護は簡単に受給できないもの」というイメージを抱いていた。だからその精神科医の言葉を聞いて、自分はもう、このまま働けないのなら死ぬしかない、と思い詰めることになったのだった。
それから何年もの間、強い自殺願望に苛まれながら、それでもなんとか生き延びたのは、本当に偶然としか言いようがない。

もしあのとき、精神科医が、私も障碍者手帳を取得できることを教えてくれて、障碍者就労支援のような制度に乗れていれば、今の私は、全然違った場所にいたのかもしれない。「普通」とは言えないかもしれないけれども、「普通」の尻尾にしがみつくくらいの生活は送れていたのかもしれない。もちろん、その方が幸せだったかどうかはわからない。

一方で、もし統合失調症を発症したのが30年前だったとしたら、ひょっとしたら一生、精神科病棟で暮らすことになっていたかもしれない。統合失調症は歴史的に、そういう病気だった。

病気と闘うのも、時代や環境の制約を受けるということ。
そしてその結果の幸不幸は、一概には判断できないということ。
たぶんそれが、どうしようもない現実なんだと思う。

先月、癌の転移がわかってからも、いくつかのifを想像してしまった。
それについては、書き出したらキリがないし、意味もなさそうなのでやめておく。

椎間板ヘルニアだと思っていた痛みが、癌の骨転移だとわかった時から、不安や恐怖に支配される時間が長くなった。
今までに経験したことのない頭痛を感じると、「もしや癌の脳転移か?」などと心配になって、いそいそとネットで検索してみる。検索結果に戦慄する。
私の癌は進行がゆっくりなので、まだ数年は生きられるつもりでいた。けど、それだって、確かなことではないんだ。
とりあえず、不安なことは全部メモして、次の診察の時に主治医に尋ねてみることにする。それしか、不安を解消する方法はない。

時々、夜寝る前に、iPodでビートルズの「マジカル・ミステリー・ツアー」を聴く。3年前、リンパ節再発がわかったときに、私を励ましてくれた歌。私は再び、マジカルミステリーツアーに誘われているらしい。行き先もわからない旅へ。
でも今は、あの時とは別の歌のように聞こえる。終着駅が、少し先に見え始めているせいだろうか。

あとどのくらいの時間が自分に残されているのかもわからなくて、その残された時間をどう過ごすべきかも定まっていない。私は今も、途方に暮れたままだ。







| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(9) | trackbacks(0) |
2016.06.28 Tuesday 21:42
十年以上積読状態だった本を読み終わったので、久しぶりに読書感想の更新。
石光真清の手記4部作、『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』です。

実は一ヶ月前に、本は読み終えていたのです。その後、癌の再発がわかり、新たな治療が始まったため、この感想は、途中で中断しつつ書きました。先へ進むほど文章が雑になっていくのはそういうわけで、そこはご容赦を。

さて、石光真清とはどんな人物か。
明治元年に鹿児島に生まれ、少年時代に神風連の乱、西南戦争を間近に見て育つ。陸軍幼年学校へ入学の後、日清戦争が初出征。その後ロシア研究を志し、ロシアに留学。日露戦争前夜のハルビンで諜報活動に従事する。日露戦争後は、大陸での事業の失敗、内地での郵便局長を経て、齢五十にして、ロシア革命の年、シベリア出兵前夜の極東ロシアで諜報活動を行う。
冒険小説のような展開でありつつ、明治・大正期の一日本人から見た歴史の側面、生活史としても興味深い。 「波乱万丈の人生」というのは、この人のためにある言葉かもしれない。

この手記は、もともと発表するつもりで書かれたものではなく、著者は死期に臨んで焼却を図ったらしい。著者の長男である石光真人が編纂し、世に出たのがこの4部作。

以下一冊ずつ、個人的にツボったところを紹介します。


城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)
石光 真清
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石光真清は、明治初年、熊本の下級武士の四男として生まれた。明治生まれなのに、髪を結い、刀を差して、忠君愛国の武士道教育を受けて育つ。
十歳の頃に、神風連の乱、西南戦争といった不平士族の反乱を間近で見て、激動の時代の始まりとともに、少年期を過ごした。

個人的に感銘を受けたのは、次のシーン。
洋学を勉強している真清の兄らが、旧態依然とした神風連を冷笑したとき、父はこう言ってたしなめたのだ。
「洋学をやるお前たちとは学問の種類も違っているし、時代に対する見通しも違うが、日本の伝統を守りながら漸進しようとする神風連の熱意と、洋学の知識を取入れて早く日本を世界の列強の中に安泰に置こうと心がけるお前たちと、国を思う心に少しも変りがない」
(中略)
「いつの世にも同じことが繰返される。時代が動きはじめると、初めの頃は皆同じ思いでいるものだが、いつかは二つに分れ三つに分れて党を組んで争う。どちらに組する方が損か得かを胸算用する者さえ出て来るかと思えば、ただ徒らに感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とする者もあり、新しいものといえば頭から軽佻浮薄として軽蔑する者も出て来る。こうしてお互いに対立したり軽蔑したりしているうちに、本当に時代遅れの頑固者と新しがりやの軽薄者が生れて来るものだ。これは人間というものの持って生れた弱点であろうなあ……」
この真清の父の言葉に、私も胸を打たれた。明治初期の無名の人物の口から、今の時代にも通じる人間観が語られる。この手記は読む価値がありそうだ、という手応えを得た瞬間だった。

この後、父の死、陸軍幼年学校へ入学、日清戦争へ出征、そしてロシア留学を決めるところで、この巻は終わる。



曠野の花―石光真清の手記 2 (中公文庫)
石光 真清
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この巻はめちゃくちゃ面白かった。読みながら、「事実は小説よりも奇なり」という言葉が何度も頭をよぎった。

真清のロシア留学、まず最初にたどり着いたウラジオストックには、僧侶に扮して諜報活動を行っている人物が登場する。すっとぼけた坊さんかと思いきや、日露戦争時に再開した彼は、軍服を着て颯爽と馬を走らせたというのだから、映画のような話である。

その後の真清は、馬賊の首領と親交を結んだり、諜報活動の一環として、ロシアが占領の手を伸ばしつつある満州ハルビンで写真館を開いたり……その写真館は、ロシア東清鉄道の御用写真館となり、大繁盛したというのだから、これも度肝を抜く話だ。

また、お花、お君という、馬賊の首領の妻となって活躍する日本人女性も登場する。男装したお花が、戦乱を逃れて真清の元にたどり着く展開は、まるで山田風太郎の小説を読んでいるかのように錯覚した。

件の写真館には、ロシア文学者・二葉亭四迷も立ち寄ったというエピソードも、興味をそそられる。
一冊だけ読むとしたら、この巻がおすすめ。



望郷の歌―石光真清の手記 3  (中公文庫 (い16-3))
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日露戦争従軍記から始まり、戦争終結後は、満州で起業しては失敗、を繰り返す真清。
日露戦争時、陸軍司令部からの命令が「全滅を期して攻撃を実行せよ」という唖然とする内容だった、とか、戦場で数々の戦死体を見てきた真清が、自殺した老大尉の部屋を気味悪がるシーン、そして戦後、「若者よ満蒙の天地が待っている」などと煽られて大陸に渡った日本人の末路などなど、興味深いエピソードが多々記されていた。
事業に失敗した真清は帰国して、世田谷の小さな郵便局長として、家族とのささやかな生活に幸福を見出す。



誰のために―石光真清の手記 4 (中公文庫 (い16-4))
石光 真清
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1917年、齢五十を前に、ロシア革命が波及しつつあるアムール河流域の都市ブラゴヴェシチェンスクで諜報活動を行うことになった真清。
レーニンのボリシェビズムが、極東の地でどう受け入れられ、また反発を招いたか、という記録として興味深かった。

「誰のために」というタイトルは、日本軍の中途半端な軍事行動への批判を述べる真清に対して、「君は誰のために働いとるんだ、ロシアのためか」と怒りをあらわにした上官の言葉から来ている。
この後の日本は、泥沼のシベリア出兵に踏み出すことになるのだが、直接この手記とは関わりのない話なので割愛。
晩年の真清は、「自分の人生は失敗だった」と語り、失意の日々を送ったようだ。


手記のあらすじはだいたいこんな感じでした。
以下は、全巻を読んで、個人的に連想したことなど。

石光真清という人は、私利私欲を超えたところで、「国のために」尽くした人物だ。
とはいえ、この手記からは、ガチガチの愛国者という印象は受けない。真清は馬賊やロシア人の懐に飛び込んで、彼らの信頼を獲得している。諜報活動をする人には、そういう「人なつこい」一面が必要なのだろうか。

ここで注目したいのは、真清がハルビンに諜報目的の写真館を開く際、軍籍を退き、「一民間人として国に尽くす」道を選んでいることだ。
この「軍籍を退いて、国のために諜報活動をする」という真清の決断に対して、反対の言を述べたのが、参謀本部の井口少将だった。その井口少将の言、なかなか興味深いので、引用してみる。
「なんで君は現役をやめたんじゃ。俺には理解出来ん。普通の手段では働けんから、身を犠牲にして丸腰になって大いに軍のために働こうというのだろう。それは駄目だよ。君が現役を退いた以上は、誰が一体君に命令するんだ。戦時職務は勿論あるが、平時はなんの責任もない商人一疋だからな。一体どんな成算あって、こんな乱暴なことをやったんじゃ」
(中略)
「……しかし、君考えて見給え、軍人といえども国家に対する責務を持てば、その反面、権利を与えられるのが当然じゃ。その点は軍人も文官も商人も皆同じことじゃ。君が現役を退けば、軍としては君に与うべき何ものもない。(中略)報酬もなく、地位もなく、ただ国家に対して、軍に対して、片務的に君が義務を負うという理由がわしにはわからん」

今の時代に生きる私たちの目は、この井口少将の見解の方が、「合理的」に映るのではなかろうか。
対する真清の答えは、「それは初めから覚悟しております」というものだった(『曠野の花』302〜303ページ)。もしかしたら、若さゆえの血気に任せた決断だったのかもしれない。だが真清は、命令ではなく、「自発的に」国に尽くし、「片務的に」義務を果たす道を選んだのだ。はっきり言ってお人好しすぎる。
当時の真清は「生涯この決断を後悔しない」と心に誓ったものの、後になって、民間人として職にあぶれ、不遇に甘んじることになった時、この井口少将の言葉が心に蘇ったようだ(『望郷の歌』91ページ)。

この手記を読む限り、真清は、国にいいように利用されたのではないか、という感想を抱いてしまう。
でも一方で、私利私欲で動くのではなく、個人の利害を越えた何かのために身を捧げる真清の生き様は、どこか眩しく映るのも事実だ。

人は、ただ単に、「自分一人の快楽のために」生きることは、実はそんなに楽しいことではないのだと思う。

快楽については、『望郷の歌』の末尾に、象徴的なエピソードが登場する。
真清が世田谷で家族との穏やかな生活を享受している時代、浮浪者となった古い知人が訪ねてくるのだ。放蕩生活の末、一文無しになった谷口という男の話は、含蓄に富んでいる。
「遊んで遊んで遊び呆けてから死のうと決心した人生行路だったが、実際にやってみると与えられた快楽や金で買った逸楽などは、過ぎてしまうと跡形もなく消えうせて、これで満足して死ねるという境地には、どうしても到達できなかった」というのである(『望郷の歌』218ページ)。

自分一人の快楽を求める生き方は、虚しい。
しかし、「お国のために」という生き方は、戦後日本では、さっぱり流行らなくなった。もしかしたら今後、「国家のために生きよ」という思想が強化されるのかもしれないけど、戦後ずっと長い間、「お国のために」という言葉は忌避されてきた。

「自分一人のため」ではなく、「国のため」でもないとしたら、人が、自分の利害を超えた活動をするのは、何のため、あるいは誰のためなのだろうか。

答えを言ってしまうようだけど、「家族のために」というのが、今の時代の落としどころになっている、みたいだ。
先日会った、とあるリベラル左翼系の学者の口から、「自分一人のために闘おうとは思えないけど、家族のためなら闘える」という言葉を聞いて、そう実感した(もっとも、左翼の場合、闘う相手は「国家権力」になるわけだけど)。

しかし「家族のため」という言葉が、すんなり受け入れられるのは、恵まれた家庭を持つ者だけだ。
今の日本には、家族を持たない、持てない人が、いくらでも存在する。

「自分一人のため」ではなく、「自分の家族のため」だけでもなく、「お国のため」でもない形で、個人の利害を超えた「公」に通じる道は、あるのだろうか。

これは、私にとって、ずっと前から引っかかっているテーマだ。
この手記を読んでも答えは出なかった。でも、これからもずっと、「誰のために」というテーマには、引っかかりを持ち続けるのだと思う。


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