2019.08.19 Monday 21:25
残暑がまだまだ厳しいですね。
私は、抗がん剤が変わって、その副作用か、38度越えの高熱が1週間以上続き、さすがにバテています……。
詳しくはまた病状報告のエントリに書く予定です。

さて、今は月2回くらいの更新頻度ですが、note(およびはてなの短歌ブログ)で、短歌の更新と、新たに詩(のようなもの)も公開しています。

■【短歌】夏の散歩道 へのリンク

■【連作短歌】ありふれた夜のために へのリンク

■【断章】 世界は愛で充たされている へのリンク

■【連作短歌】水の領域 へのリンク

■【断章】壊れた世界 へのリンク


noteを始めた当初は、詩(のようなもの)を発表するつもりなんてありませんでした。
でも、noteで様々な人の投稿を見ていると、詩を発表されている方が思いの外多く、ここでなら私も、ひっそりと詩を置いていくことができそうでした。
だから今は、たまに「詩のようなもの」も書いています。


短歌でいちばん思い入れがあるのは、やはり「ありふれた夜のために」ですね。
この連作も、当ブログやツイッターで知り合った皆さんとのやり取りの中から生まれたものです。再発がんの治療中の今の自分の状況も、当然反映されてはいますが。

かつてはキリキリと刺すように自分の中に存在した「生まれてこなければよかった」という思いも、今はもう、鳴りを潜めてくれています。
その分、自分の寿命は、もう少し切迫したものになっていますが、それはそれとして。

哲学者ベネターの著書も、一昨年、翻訳が出ましたね。
数年前の自分なら読んだかもしれませんが、今はもう関心が薄れてきています。いい傾向だと、自分では思っています。

苦しみもがいている人が、「生まれてこなければよかった」と言うとき、「死にたい」という言葉よりもさらに悲痛な叫びを、私はそこに感じ取ってしまいます。
自分という存在を、遡ってまで消し去りたいという気持ち。
私自身がそんな悲しみを背負うようになった原因は、私の中でははっきりしているのだけれども、ここには書きません。

生きていれば、悲しいことも、苦しいことも、当然のようにやってきます。
そうであっても、たとえ苦しみのただなかにあっても、自分の存在を祝福できますように。

夏の終わりももうすぐそこ、この暑さもさらりと乗り切っていきましょう♪






| ●月ノヒカリ● | 短歌 | comments(1) | trackbacks(0) |
2019.06.30 Sunday 14:33
ここのところずっとブログを更新してないのですが、いやーとにかく体がだるいんです。これは抗がん剤の副作用でしょう。
昨年から始めた経口抗がん剤、飲み始めてからもう一年くらい経ちました。そろそろまた肝転移が増大して、薬を変えなければならないかもしれませんが、それはまた来月、CT検査の結果を見て決めることになりそうです。

で、ですね、変わったことはというと、体重が増えました。
抗がん剤治療をしてて、体重が増えるなんて……。

昨年入院した時は、体重が減ってたんですよ。どうしよう〜これ以上痩せたら、消えて無くなっちゃうかも(←大袈裟)と心配になり、退院後は、吐き気にめげず、もりもり食べてたんですよ。そしたら、太りました……。

4キロ増えれば自分にとってのベスト体重、と思って食べてたんですが、気がついたら8キロ増えてました。もうね、20年以上見たことがない数値を体重計が示していて、流石にこれはいかん、と思いましたですよ。

いずれ食べられなくなったときのための脂肪の蓄積だと思えればよかったんですが……そうはいきませんでした。服がキツくなったんです。服を買い換えるのはちょっとね。
というわけで、心を入れ替えて、ダイエットすることにしました。

いや、1、2キロならすぐに減らせるでしょ。
と思っていたのですが、甘かった。
体重が減らない……っ! 食べる量を減らしても、体重が減らないんです。
運動はしてるんですが、何しろ常に体がだるく、以前のようにきびきび歩けなくなったので、消費エネルギーが少ないのかも。

そんなこんなで、数ヶ月悪戦苦闘していましたが、なんとか2キロは減らせました。これ以上体重が増えないようにすれば、「ベスト体重から2キロ増」ってことで、まあ許容範囲内かなと。

でも、食べる量を減らすダイエットなんてしてると、抗がん剤で減った白血球の数値が、戻ってくれないあたり、悩ましいところです。


あともう一個、書くつもりだったの、なんだっけ?
そうそう、ホルモン療法から抗がん剤治療に移行して、生理を止める注射をしなくなってから一年経ち、生理が戻ってきてしまいました……。戻ってこなくてもよかったのに〜。
しかもかなり生理不順で、出血がだらだら続いたりして。こういうこと、今飲んでる抗がん剤の副作用でありがちらしいんだけど。

抗がん剤の治療で、ただでさえ白血球値が下がってるというのに、この上出血して、貧血になるなんて……もう体がだるくて仕方ないです。
でも、できれば婦人科にはいきたくない。
またホルモン療法に戻せば、生理を止める注射をしてくれるかなーと、主治医に相談したりして。
なんとも悩ましいところです。

近況は、こんな感じです。
noteでの短歌の発表は、もうしばらく続けるつもりなので、また読んでいただけたら嬉しいです♪

 ←拍手はこちら。コメントも送れます。


| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(8) | trackbacks(0) |
2019.06.10 Monday 13:21
いつもの告知ですが、noteはてなの短歌ブログに、自作短歌を公開しています。

【短歌】二重春時間 へのリンク

【連作短歌】言葉を殺す へのリンク

【連作短歌】夢の消息 へのリンク

【連作短歌】芒果色の日曜日 へのリンク

【短歌】午後の教室 へのリンク

【短歌】水の季節 へのリンク


個人的には、「夢の消息」の連作が、いちばん気に入ってます。でもこれも、原型は2、3年前にできていて、ちょこっと手を加えて公開したものですが。

一昨年の夏に作った短歌も、そろそろ公開してもいい時期かな、と思っているので、次の公開はそれになるかも。やっぱり、夏の短歌を冬や春に公開するのは、ちょっと季節感がねー、気になります。


病状報告も、書こう書こうと思いつつ、何をどこまで書くかが難しくて、なかなかUPできません。が、これも近いうちに書こうと思っています(あくまでも予定)。

とりあえず、今回はこれで。






| ●月ノヒカリ● | 短歌 | comments(8) | trackbacks(0) |
2019.04.27 Saturday 13:02
身体性の宿る言葉、というものについて考えてみる。

何年か前の話だが、「ネット(特にツイッター)の言動は、身体に影響を与えることはない(だからネットは安全圏)」という意味のことを語る人がいた。その人は、いわゆる「知的」な人だった。

それを読んで、私はびっくりしたんだよね。
私は、ネット上の言葉であれ、とんでもなく酷い言葉をぶつけられたとき、お腹のあたりに、ぐわっと痛みのようなものが走る。あるいは実際に、吐き気に苛まれる。もっと深刻な症状に悩まされたこともある。

本を読むことは、こころに働きかけることはあるけど、身体に働きかけられるものはあまりない。
でも、ネットの言葉は、私にとっては、現実の身体に迫ってくるものとして存在していた。
ネットは私にとって、ちっとも「安全圏」なんかじゃなかった。

上記の「知的」な人の発言を見て、「身体性を伴わずに言葉を発する人は、どうやら少なからず存在するらしい」と知った。
身体を伴わず、頭の中だけで言葉を処理する、脳内だけで「概念操作」をしている人たち。

実は、その方が効率がいいのだ。
身体を伴わなければ、言葉はどこまでも遠くまで行ける。しかも速い。

どうも私は、その手の言葉に好感を持てない。
のろくても、愚直に身体性を通した言葉を地道に語る方が、性に合っているらしい。

だから私の短歌も、自分の体験を通過して、その上でつくられたものが多い。初期の作品ほど、その傾向がある(体験を通過したからといって、「事実そのものをそのまま記述している」のとは、距離があるわけだが)。

もちろん初期の作品にも、「想像でつくった歌」はある。
でも、想像で書かれたものが、まったく身体を経由していないかというと、そうでもない。
異世界ファンタジーの中であっても、例えば、「美味しそうな食べ物の描写」なんかは、書き手が現実に食べ物を「おいしい」と体感した経験がなければ、リアリティのある描写にはならないのではないか。

ちょっと話はそれるけど、栗本薫は、グインサーガの中でしばしば「とてつもなく美味しそうな食べ物」を登場させたものだった。
けれども彼女の最晩年のグインサーガにおいては、「おいしそうな食べ物」は登場しなかったと記憶している。おそらく彼女が患っていた癌の進行によって、現実に「食べられなくなった、食べ物をおいしいと感じなくなった」ことによるのではないか。もちろんこれは、憶測に過ぎないけれども。

体験が先行して、その後、言葉によって作品がつくられる。それがもともとの私のやり方だった。
しかし一方で、短歌の世界には、体験よりも、言葉が先にあって、言葉をパズルのように配置することによって歌をつくる人もいると知って、それは新鮮な驚きだった。
言葉の美しさ、言葉による驚きだけをどこまでも突き詰めた作品。確かにそれは、美しい。

そういう作り方もあると知ってから、実際に自分でも、実体験を経ない、言葉先行の短歌をつくってみたりした。
私の短歌作品のうち、どの歌が実体験を経ていて、どの歌が言葉先行でつくられたものか、見抜ける人はいるのだろうか。
たぶん、いない。あるいは、一人か二人、いるかどうか。

だから私は、野暮を承知の上で、幾つかの作品の自作解説なんてことをして、「どこまで自分の実体験か」を明かしてきた。

もちろん、自分の実体験であれ、短歌作品であれ、本人だからといってすべてを「解説」できるわけではない。むしろ解説できない、膨大な部分が手付かずのまま残されている。それは承知の上で、こう書いているんだけど。

でもじゃあ、「体験先行の歌」と「言葉先行の歌」の違いを誰も見抜けないなら、ぜんぶ嘘でもよくない?
ぶっちゃけ、AIが自動生成した短歌が美しければ、それでもいいんじゃない?

私は、古い人間なのかもしれないけど、それについては否と言いたい。
ネットと同じで、短歌だって、その言葉の背後に、人間の身体、息づかいが感じられるから、こころが動くのではないか。

じゃあ言葉先行の作品は意味がないかというと、そう単純な話でもない。
体験を言語化して作品にするのとは、逆方向の力もあるのだ。
つまり、言葉を使って作品を仕上げた後で、その言葉自身が、預言のように、実体験として迫ってくる、と言うパターン。
言葉が呪力をもつごとく、後になって自分自身に降りかかってくるという体験。

こう書くと、オカルト的に聞こえるだろうか。
でもそれもまた、私の「体験」だ。

言葉は怖い。
だから結局のところ、私は(私たちは、と書きかけて、「私は」と言い換える)、自分の身体で引き受けられるだけの言葉しか、発することはできないのだと思う。

身体を通した言葉だけが、その息づかいまでも残すことができる。
言葉とは、そういうものではないだろうか。






| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(6) | trackbacks(0) |
2019.04.14 Sunday 14:57
桜もそろそろおしまいですね。

せっかくだから、今年撮った桜の写真を載せておきます。すべて近所を歩いていて撮った写真です。

まずは河津桜。 河津桜

染井吉野。 染井吉野

枝垂れ桜。 枝垂れ桜

八重桜。 八重桜

開花した順番に載せました。
近所を歩くだけでも、いろんな種類の桜を見られるものですね。

来年も桜を、蕾も開花も満開も散っていく様も、見ることができますように。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(2) | trackbacks(0) |
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