2018.04.16 Monday 23:43
またもや腫瘍マーカーは上昇し、肝臓への転移も悪化し続けているので、新たな抗がん剤治療を始めることになりそうです。
初発の時の抗がん剤治療がめちゃくちゃつらかった記憶があるので、再発しても抗がん剤はもう嫌だ〜二度とやりたくないよ〜と、ずっと思ってたんですけどね。

でも今、肝臓への転移が大きくなっていて、いつ何が起こってもおかしくない状態らしいので。
迷った末に、また薬剤師さんに相談したら、候補に挙がった数種類の抗がん剤の一つを「すごーく奏功した事例を見てきた」からと勧められて、「とりあえずやってみたら?」ということになりました。

自分では、あんまり納得していないんですけどね。
というのも、実は乳がんになって以降、「癌の症状でからだがつらい」ということはほとんどなくて、だいたい「治療のせいでつらい」ことの方が圧倒的に多かったから。
唯一の例外は、骨転移の治療で。注射のおかげで、骨の痛みも軽くなったし、ちょっとした運動なら問題なくできるくらいの効果はありました。

でもそれ以外は、肝臓への転移についても、自覚症状はほぼないんです。
しんどいのは薬の副作用で、好中球が減少したせいか、しょっちゅう熱を出したり、体がだるかったり、皮膚への影響や脱毛もあり。

癌の遠隔転移がわかってから、いろいろ調べて、初めて知ったことがたくさんあります。
例えば、「無増悪(むぞうあく)生存期間」と「全生存期間」の違いとか(こちらのサイトに解説がありました)。
そして、これから使う予定の抗がん剤は、「無増悪生存期間は延長するが、全生存期間は延びない」という治療が多いらしい。
正直に言うと、「無増悪生存期間は延長する(可能性がある)けど、全生存期間は延びない」治療をするメリットが、私にはよくわかりません。

治療のおかげで、寿命は延びなくても、QOLを保てるとか、「元気に過ごせる時間が長くなる」というのなら、メリットはあると思っていたんですが……先に書いたように、私の場合は、これまでのところ、「癌そのものの症状」よりも「薬の副作用」の方が、ずっと苦しかったわけだから(骨転移治療の注射は除いて)。

こんな苦しい思いをしてまで、治療する意味ってなんなんだろう?
むしろ抗がん剤治療しない方が、元気に過ごせるんじゃないの?
ということは、考えてしまいますね。


その他にも、癌の治療をしてきて「意外と知らなかったあれこれ」について、メモ程度に書いておきます。


●「高いから」良い薬、「新しいから」良い薬、というわけではない

これは、考えてみれば当たり前のことではあるんだけど、なんとなく、すっごく高価な薬に対しては、すっごい効き目を期待してしまうのが人情といいますか。
概して「新しい薬」は高い。でも、それが効くかどうかは個人差がある。
言われてみればごく当たり前のことなんだけど、心情的には、「新薬」というと勝手な期待感を抱いてしまいますね。
実際に自分で使ってみたら、あの値段ほどの価値あるのかなあ? と思ってしまいましたが(あくまでも個人の感想です。効果も副作用も、人によって異なるはずなので)。


●腫瘍マーカーの値が「100」の人と「10,000」の人を比較して、「10,000」の人の方が症状が重い、というわけではない

これも初めて知ったとき、「え?そうだったの?」と意外でした。
腫瘍マーカーというのは、人と人とを比較するものじゃなく、一人の人の中での変化を見ていくものだということ。これは教えてもらわなければ誤解したままでした。
ついでに言うと、腫瘍マーカーが上昇し続けていても、画像診断上は病状変化なし、という例もあるのだそう。私の場合は、これまでのところ、腫瘍マーカーの上昇と画像診断の結果は連動していましたが。


こういう、「医師にとっては常識だけど、患者にとっては知ってびっくり」な話、探せばもっとありそうです。

これは患者仲間から聞いた話だけど、「化学療法中は、〈古典的な意味で〉栄養のあるものを食べた方が良い」という説もそうです。
つまり、「玄米菜食」的なヘルシーな食事は、元気なときなら問題ない。でも、抗がん剤で正常細胞も痛めつけているときは、ちゃんと動物性たんぱく質を摂取した方が回復が早い——という話は、薬剤師さんからも聞いて、信頼性はあると思います。

こういう豆知識、本やネットの情報を見ているだけでは、なかなか伝わってこないんですよね。

その他、また気づいたことがあれば、書いておこうと思います。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(2) | trackbacks(0) |
2018.04.04 Wednesday 00:16
「人生の残り時間を考えたら、つまんない本を読んでいる場合じゃない」
こういうけち臭い考え方、以前は好きじゃなかった。
「玉石混交」というのは大事だと思っていて、つまらない本から学べることだっていくらでもある。だから、いろんなジャンルのいろんな本に手を出してきた。

でも、再発癌の治療のために、読書に費やせる時間や体力が減りつつある今は、読む本を厳選せざるを得ない。体が弱っているときは、本を読むこと、PCで文章を書くこと、普段何気なくできていたことも、実はものすごく体力を必要とする営為だったんだ、とつくづく実感する。

続きを楽しみにしている漫画は当然読むんだけど、それ以外に、何を読むべきか。
「これはぜひ読んでおきたい」と思ったのが、石牟礼道子の『苦海浄土』だった。人類初の産業公害である、水俣病の患者に寄り添いつつ描かれた文学作品。

昨年5月のエントリにちらっと書いたけど、あの当時読んだ文庫版には第一部しか収録されていなくて、実は第二部・第三部もあると、読み終わってから気づいた。
というわけで、第二部「神々の村」・第三部「天の魚」も収録された池澤夏樹編集の世界文学全集版『苦海浄土』を購入し、ちびちびと読み進めて、先日やっと読み終わったのだった。

池澤夏樹が編集した全30巻の世界文学全集で、日本語作品として唯一選ばれたのが、石牟礼道子の『苦海浄土』だということ、私も小耳に挟んではいた。だから、『苦海浄土』は、「日本人なら、教養として読んでおきたい書物」と言えないこともない。
でも、今の私は、「教養としての読書」はもういいかな、と思ってて。
幾つになっても、教養を深めるのはいいことだ。ただ、今の私には、教養よりも他に求めるべきものがあるんじゃないかと、くどいようですが人生の残り時間を考えると、思ってしまうのである。


社会学者の鶴見和子さんは、脳出血で倒れた後、こんな短歌を作られたそうだ。

片身(かたみ)麻痺の我とはなりて水俣の痛苦をわずか身に引き受くる /鶴見和子

ご自身が半身麻痺になったとき、「水俣病の患者の痛苦」に思いを馳せた鶴見さんに倣って、というわけでもないのだけど、私もまた『苦界浄土』を、今の自分と重ねつつ読んでいた。
もちろん、当初は原因もわからない奇病と言われ、公害と認められるまでに辛酸を舐めつくさなければならなかった水俣病の患者の痛苦を、『苦界浄土』を読んだだけで勝手に共感するのは、あつかましすぎるというものだろう。

ただ、私自身も精神疾患を含む重い病気をいくつか体験してきて、今現在も治癒しないと言われている再発癌の治療中で、しかも病人に対する無理解や蔑視や偏見をまざまざと肌で感じてきて——そういうことがあった今だからこそ、『苦界浄土』に描き出された水俣病の患者の苦しみが、少しだけリアルに感じられる。病気そのものの苦痛のみならず、患者が受けた有形無形の差別や無理解を、かつてよりもリアルに受け取ることができる。そういう面は確かにあるのだ。

痛みを分かち合うための読書。
気分転換の読書、愉しむための読書とは別に、そういう読書も、人生の残り時間でできたらいい。


『苦海浄土』第一部の白眉とされる「ゆき女きき書」は、実際には「聞き書き」ではなく、患者の心の中の言葉、声なき声を聞き取った石牟礼道子が、文字に写したものだった。そうであっても、この「語り」の価値は損なわれない。報道や学術用語では表し得ない「なまなましさ」が宿っている。

そして「天の魚」の章、不知火海の描写が美しい。海で獲った魚を、舟の上で食べるのがいちばん旨いという漁師。その美しい海や魚が、チッソ水俣工場からの水銀混じりの廃液で汚染されているとは、漁師たちは思いもよらなかったのだろう。
この美しい描写があればこそ、公害で「何が失われたのか」が、ありありと迫ってくる。失われたのは、患者の命や健康だけではない。彼らの生業が、豊かな幸をもたらす海が、失われたのだ。


第二部以降には、水俣市民による、水俣病患者に対する有形無形の差別や蔑視も、容赦なく記されている。
「……あの病気にかかったもんは、腐った魚ばっかり食べる漁師の、もともと、当たり前になか人間ばっかりちゅうよ。好きで食うたとじゃろうもん。自業自得じゃが。会社ば逆うらみして、きいたこともなか銭ば吹きかけたげなばい。市民の迷惑も考えず、性根の悪か人間よ。あやつどんは、こう、普通の人間じゃなかよ。……」
 (『苦海浄土』世界文学全集版 p.250)

水俣病発生から二十年近くを経て、加害企業であるチッソを提訴した患者たちに対する、水俣市民の声を、石牟礼道子が記したものだ。
公害の加害企業であるチッソは、地域の経済発展に寄与した一大企業であった。その恩恵を受けている地域住民にとっては、公害の被害を訴える水俣病患者は、目障りな存在だったのだろう。

石牟礼道子は、水俣病の患者に寄り添い、加害企業であるチッソへの怒りも胸に抱きつつ、しかし声高に非難することはない。静かな筆致で、チッソや国の、無責任な体質を暴く。


水俣病患者とチッソ社長とのやり取りに出てきた、このような一言も、琴線に触れた。
……症状というのはね、被害のほんの一面にしか過ぎないんです。
  (同書 p.582)

この一言の意味は、例えば次のような、石牟礼道子による地の文に照応するだろう。
 チッソ資料による水俣病患者一覧表記載の「自宅でぶらぶら。歩行やや困難」とは、田上勝喜および、彼の発病によってひきおこされたこの一家の苦難について、失われた歳月について、ひとことも語り得ていない。ましてこの一片の記載が、患者や患家の生活資金と行政当局からみなされている「見舞金」改訂の資料となるならば、その酷薄さはまことに空恐ろしい。
  (同書 pp.378-379)

私自身も、癌や精神疾患その他の病気を長く患ってきたから、思うことがある。
例えば、医師の「カルテ」には、病気のごくごく一部分しか書かれていない、ということ。
患者には、カルテには表記されることがない「生活」があり、そこにはもっともっと大きな困難や不安や苦痛や、ときにささやかな喜びもあるということ。
石牟礼道子の筆は、後者の「カルテには記載されない、患者のリアルな生活」を活写する。


上野千鶴子著『〈おんな〉の思想』は、石牟礼道子に一章が割かれているのだが、そこでこんな分析がされている。
『苦海浄土——わが水俣病』は三種類の文体で描かれている。ひとつは著者の「わたくし」を主語とする地の文章。もうひとつは水俣の方言とおぼしいはなしことば。もうひとつは医師の診断書や役所の報告書。とりわけ後二者は互いに理解不可能な外国語であるかのように本文中に説明なく投げ出され、通常のドキュメンタリーのように事件を追っていくのはむずかしい。……
 (上野千鶴子『〈おんな〉の思想』単行本版 p.41)

……その三つの言語を理解できるからこそ、互いに異言語を語るゆえに通じ合えぬ者たちをつなぐ「通辞」を、彼女はみずからに任じた。
 (同書 p.56) 

利潤を追求する企業の論理、医学や行政の論理、そして患者の生きた言葉。まるで異なる母層から生じた複数の言葉のそれぞれの意味を、石牟礼道子はかろうじて理解できるが故に、彼女は「通訳」のような役割を果たすことになった。
だから読者は、患者の立場に寄り添って記された本書から、水俣病をめぐる全体を透かし見ることができる。

私もまた、当時の水俣市民であったなら、患者に対して無言の(あるいは小声での)非難を向けたかもしれない。
あるいはもし、自分が当時のチッソに勤務していたら、患者の訴えを矮小化し、会社の責任回避に加担したかもしれない。
そんなことを考える。
今現在も、こういった社会的不正は、日本の、いや世界のあちこちで行われているのだろう。

水俣病が公害病であり、チッソが加害企業であることを、私たちはすでに知っている。
だから、今の時代に『苦界浄土』を読むとき、読者は、患者の立場に身を寄せるだろう。公害企業であるチッソは、悪役のように見えるだろう。

では、現在進行形で起こっている、似たような出来事について、私たちは、同じようなものの見方ができるだろうか?
被害者を力づけ、加害者に対する告発を応援する、そのような行動が取れるだろうか?

加害者が居直り、嘘をついて誤魔化す。被害者が責められ、貶められ、被害を矮小化され、告発を妨害される。これが水俣病の現場で起こったことだ。
現在進行形の社会不正においても、同じようなことが起きていないか。
世論が「加害者の味方」であるケースすら存在する。そうであっても、私たちは真実を見抜き、きちんと被害者と向き合えるのだろうか。
水俣病の歴史から、私たちはちゃんと学んできたのだろうか。

残念ながら、とてもそうは思えない。今も似たような社会的な不正義が横行しているのみならず、被害者に対する差別や二次被害も繰り返されているように、私の目には映る。

今も形を変えて、世界のあちこちで起こっている社会的不正の原型のようなもの。
『苦海浄土』は、その生々しい記録だ。


蛇足ながら、『苦海浄土』の読書と並行して、日本中世史研究の泰斗である網野善彦の『無縁・公界・楽』を読んでいたのだけれども、そこで小さなシンクロニシティを感じた。
網野善彦が描こうとした中世の海民の姿が、『苦海浄土』の「天の魚」の章に出てくる漁師と重なったのだ。「海の上におればわがひとりの天下じゃもね。魚釣ってるときゃ、自分が殿様じゃもね」と語り、釣った魚を船の上で食べる。この、都市ではあり得ない贅沢が許される場所は、「苦海=苦界」ではなく「公界」であり、網野善彦が見いだそうとした、日本の底流に息づく「自由」だったのではないか。そんな妄想をしてしまった。


本書を通じて知ったことを、今後何かに活かせるだけの時間が自分に残されているかどうかは、わからない。それでも、死ぬ前に、知っておいてよかったと思う。水俣病の患者が受けた痛苦を、わずかにでも知ることができてよかった。そういう読書体験もあるのだ。









| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(0) | trackbacks(0) |
2018.03.17 Saturday 00:06
薬の副作用で、好中球(白血球の一種です)絶賛減少中なのに、風邪をひいてしまい、2週間ほどグッタリしていました。

その間、日課のウォーキングは中止して、ストレッチもさぼり気味だったんですが、その後の血液検査で、中性脂肪が基準値を超えていました。ちょっと運動をさぼっただけで、こんなにすぐに血液検査の結果に出るんですね〜。
体調もほぼ平熱に戻ったので、そろそろウォーキング再開することにしました。

まあ中性脂肪が多少増えたところでどうということはないのですが、問題なのは、治療法を変えてから、年明け以降少し下がっていた腫瘍マーカーが、また上昇し始めたことで。うーん、好中球減少で、休薬したり減薬したりしたので、薬が効かなくなったのでしょーか。
詳しくは画像診断(CT)の結果を見てから、改めて考えることになりそうですが、それにしても。
この新薬を使い始めてから、薬代が高いのはともかく、身体のだるさとか皮膚障害とか、それなりにしんどい副作用があったのに、それでも効果がないというのは、がっかりですね……。
まあ、癌の治療というのは、そういうものだと頭ではわかっているのですが。

これから先のことも、悩みます。
治療の効果があればいいんだけど、副作用ばかり苦しくて「やって損した」となる可能性もある。乳がんは薬の選択肢がそれなりに多いから、余計にそう思うのかもしれないけど、癌の治療って、博打みたいなものだよね。

考えれば考えるほど頭の痛い問題ですが、それとは別に、もう少しブログを更新できたらいいな、とは思ってます。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(2) | trackbacks(0) |
2018.01.28 Sunday 23:38
☆前回までのあらすじ
再発癌の肝転移が大きくなり、腫瘍マーカーも上昇し続けている→治療法を変えなければ→承認されたばかりの、お値段高めの新薬使ってみる?

というわけで、昨年末から新薬の治療が始まりました。
副作用として、「骨髄抑制」がある(白血球が減少するとか)と聞いていたので、とにかく年末年始の病院が休みの間、風邪を引いたらどうしよう〜と気が気ではなかったのですが、無事に年が明けまして。

件の新薬の服用を始めて、体が重〜いような感じがでてきて、「おや? これは副作用かな?」と思いつつ、でもまあこれくらいなら耐えられるかな、と呑気に構えておりました。

ひとつ予想外だったのは、新薬は一度に二週間分しか処方できないとのことで、通院の回数が増えるの面倒だな、と。でも、これも仕方ない、と受け入れたんですが。

年明け初通院の日、血液検査をしたら、白血球と好中球の数値がずずーんと下がっていて、服薬二週間で、休止になりました……。
えっと、この新薬は、分子標的薬(のはず)で、「副作用はあるけど、抗がん剤ほどではない」と思い込んでいた、というか期待していたんですよ。
でも、ここまで骨髄抑制がキツいとは、思ってませんでした。

でもって、一週間後に血液検査をしても、まだ好中球の数値は回復していなくて(むしろ下がっていた)、さらに一週間後に血液検査して、なんとか回復。というわけで、薬は20%減量して、再開することになりました。これが先週までのあらすじ。
もうね、年明けから、毎週のように病院通いしていましたね。

化学療法室で、薬剤師さんとの面談の機会があったんだけれども、
私「あの〜、この薬、体格の良い欧米人基準で、日本人には強すぎるんじゃ…?」
薬剤師さん「そういえば、治験に参加した日本人のほとんどが減量になったと聞きました」
などというやり取りもあり。

私の通っている病院でも、この新薬を使い始めた患者さんは、副作用が強くて、薬を減量する人が多いらしい。
点滴の抗がん剤なら、体表面積あたりで量を調節するんだけど、飲み薬だと全員一律同じ量で、というのもおかしな話だよなー。ぶつぶつ。などと文句のひとつも言いたくなりましたよ。

元々この新薬は「QOLは良い」という話(をネットで見た)だったので、私も「使う価値はあるかな」と思っていたんですよ。
でも私の場合は、結構QOL下がってます。
というのも私には、アトピーという伏兵があったですよ。アトピー悪化&指先がひび割れて痛いのなんのって。ううう水仕事がつらい……。
たぶんこれ、薬の副作用だと思う。
アトピー関係なく、抗がん剤の副作用で「皮膚障害」は多いみたいだけど……なんといいますか、医師は、血液系の副作用(白血球の減少とか)については敏感だけど、皮膚障害はあまり取り合ってくれないというか……それくらい我慢しろってことでしょーか。

これで、薬の効き目がなかったら、とっとと止めればいいんですけど、ついさっき見つけたサイトには、「いくつかの分子標的薬は、皮膚障害が重篤であるほど、がん細胞への薬の効果も大きい…」などと書いてあり、たいへんビミョーな気持ちになりました。

癌に対する効果はあっても、副作用がしんどいのって、悩ましいです。
これが初回治療なら、治療に終わりがあるんだけど……エンドレスの治療ってつらいなあ。と、今になって初めて、リアルに実感しました。

もう本当にいよいよ「闘病…っ!!」って感じになってきましたね。
それでも、十四年前の初回治療で、アントラサイクリン系の抗がん剤やって全脱毛&ゲーゲー嘔吐した時に比べたら、まだマシなんだろうか。

今年は、チョコレート祭りには行けないだろうなあ。
ここ数年、毎年恒例の楽しみだったけど、白血球が減ってるのなら、人ごみで風邪やインフルエンザうつされるの怖いし。そもそも今、あんまりチョコレート食べたい気分じゃないし。
ケーキなら食べたい気分なんで、買ってきて食べるけど…!!

つくづく思うんだけど、がん患者に対するサポートって、昔に比べたらずいぶん整ってきていると感じます。化学療法室で、薬剤師さんにちゃんと薬の説明をしてもらえたのも、すごくありがたかったし(ついでに、これから先使う可能性のある薬のことまで質問しちゃいました)。

昔はなかったサポートが、今の時代にはある。とてもありがたい。
でもやっぱり、つらいものはつらい。
そういうものなんだな、闘病って。

副作用はできるだけ少なくて、癌に対する効果は大きい治療法があればいいんですけどね。

ともあれ、がんばれ私!!






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(8) | trackbacks(0) |
2017.12.25 Monday 00:55
ツイッターの #MeToo ハッシュタグで、性犯罪やセクハラの被害を訴える動きが、世界中で広がっている。
ハリウッドの女優が大物プロデューサーのセクハラを告発したことから始まるが、日本でも、有名ブロガーのはあちゅうさんが電通勤務時代に受けたセクハラ・パワハラについての記事が出て以降、続々とセクハラ被害にあった女性の声が上がって「炎上」のような様相を呈している。
過去、自分のツイッターTLに、女性の性犯罪やセクハラ被害体験談が流れてくることはちらほらあったので、潜在的な被害者は多いのだろうな——とは思っていたけど、改めてその数に圧倒された。

単なる「嫌がらせ」と「ハラスメント」との違いは、権力関係の有無にある。
権力を握っている側が、立場の弱い人間に対して、人格や尊厳を侵害するレベルの理不尽な行為をすれば「パワハラ」だし、それが性的な嫌がらせを含む場合は「セクハラ」になる。
そう考えると、私が今年に入ってから、とある人たちにされた嫌がらせは、「パワハラ」であり「セクハラ」でもあったと思う(例えば、事実ではない異性関係の噂を広めたり、容姿や胸が大きい小さいなどと揶揄することもセクハラに当たる)。

私は現在、会社勤めをしているわけではないので、典型的な「セクハラ」「パワハラ」の被害を受けた、とは言いづらい状況だ。ただ、被害者の告発を読んでいると、私自身が過去にされた「嫌がらせ」の痛みと重なる部分があるように感じた。
様々な証拠や条件が揃っていたら、私ももっときちんと詳細を書いて、自分の被害体験を公に問いたかった。残念ながら自分にそれができないということは、いま表に出ている被害体験は「氷山の一角」に過ぎず、もっと多くの被害が水面下にあって、今も一人で苦しんでいる人がたくさんいることの証左のように思われる。

これから書くことは、特に目新しいことのない、個人的な思いにすぎないかもしれない。でも、私自身が抱えている痛みからの回復のためにも、書くことにする。

すでに多くの女性が述べていることだけど、はあちゅうさんのセクハラ告発記事を読んでいて、悲しくなったのは、以下の部分だ。
「私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」
 https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.bn3GZkOk2#.ed11eJVJR

ここを読んで、伊藤詩織さんが、著名なジャーナリストから受けたレイプ被害を告発した時、女性からの非難があったと語ったことを思い出した(こことかここを参照)。
私はそれが不思議で仕方なかった。なぜ女性が、性犯罪の被害にあった女性を叩くのか?
私はレイプのような重い性犯罪の被害にあったことはないけど、それでも女であるがゆえの理不尽な差別や犯罪の被害、それに伴う苦痛は、多少なりとも理解できる。だから、なかなか言葉にはしづらいけれども、詩織さんのように勇気を出して被害を告発する人を、応援したい気持ちはある。

でも、現実には、女性がセクハラや性犯罪の被害を告発するとき、「女性からの反発」があることを覚悟しなければならないみたいだ。とても悲しいことだけれども。

伊藤詩織さんは、年配の世代の女性は、我慢して男社会に合わせるのが当たり前だったから、自分のように告発することに否定的なのではないか、と述べている(参照URL)。
確かに、年配の世代の女性は、今より我慢しなければならないことも多かったかもしれない。今でも、生きていれば我慢して他者に合わせなければならない場面も多くある。でもその「我慢」は、本当に必要な我慢か? という疑問は、考えてみてもいいんじゃないかと思う。
ハラスメントに耐えて、心身を病んでしまった人、中には自ら命を絶つ人も存在するのだ。加害者の体面を保つことは、本当に、被害者の命よりも大切なことだろうか?

若い世代の女性で、セクハラ告発に批判的な例として、指原莉乃さんの記事がある。指原さんは、「セクハラなんて自分にもまわりにもない」と発言したらしい(参照URL)。
AKB界隈で「セクハラがない」というのはちょっと信じがたいのだけれども、指原さんはかなり「空気を読んで、自虐しつつ発言する」タイプで、そうすることで「勝ち抜いてきた」タレントだから、彼女の中では「セクハラなんて存在しない」ことになっているのかもしれない。

これについては、トイアンナさんのブログ記事を読んで、腑に落ちる面があった。ある種のゲームを戦っているエリート層にとって、「優秀さ」というのは「女性であることを売りにできる、そこを使ってのし上がること」も含まれる、とのこと(参照URL)。

なるほど、「女性であることを売りにする」のは、私にとってものすごく苦手な分野だ。そういう価値観の場所では、私はきっと生きていけないだろう。

えっと、つまり、まとめると。
男社会で女性が生きていくためには、自分の「女性」の部分を売りにしつつ、でもセクハラは上手にかわしつつ、男性と同じ仕事をして出世するしかない、と。
・・・いやそれ、無理ゲーでしょ。少なくとも私にはできない芸当だ。

はあちゅうさんの記事に戻ると、上記引用の続きで、彼女はこう語っている。
「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」
 https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.cgOBWq8qj#.umeA6V5V9
この言葉、私も全面的に賛同したい。


もう一点、はあちゅうさんの記事に戻って、妙に共感してしまったポイントを挙げてみる。
セクハラ・パワハラ加害者は、少なくとも「仕事」の面では、実績があり尊敬できる存在だった、という点。ハラスメントを告発しづらい、それどころか「被害者本人が、ハラスメントの被害にあっていることに、気づくことすら難しい」のは、この問題があるからだと思う。

実は私自身、簡単に人をリスペクトしてしまって、でもよくよく近づいて見てみたら、「こんな卑劣なことが平気でできる人なんだ…」と知って愕然とする、ということが、過去に何度かあったのだった。そういうことを複数回繰り返しても懲りないあたり、自分は本当に馬鹿だなあ、と呆れてしまうのだけれども。

誰が見ても人格的に問題のある人物からハラスメントを受けたのなら、逃げることもさほど難しくはなかったと思う。
でも、仕事上の実績があって尊敬している人にハラスメントされると、「逃げ遅れる」こともあるのだ。尊敬している人が、そんな酷いことをするはずがない、と心のどこかで信じたいから。

これもよく言われることだけれども、社会的に「人当たりの良い、親切な人」という評価をされている人であっても、目下の女性に対しては、高圧的な態度をとる男性もいる。立場が上の相手には慇懃に振る舞い、立場が弱い相手に暴言を吐くタイプだ。

性犯罪やハラスメントの被害でも、今回の #MeToo 運動でも、「声を上げた被害者を孤立させてはいけない」と言われている。でも、加害者が対外的に「善い人」という評価を得ている場合は、被害者が「ハラスメントの被害にあった」ことを、周囲に理解してもらうためのハードルが上がる。
ましてや仕事上の実績がある加害者と、弱い立場にある被害者とでは、被害者が泣き寝入りすることが圧倒的に多いであろうことは、想像に難くない。とても残念なことだけれども。

このあたりの事情については、fujiponさんの次のブログ記事に書かれている実例が参考になる。
■狭い世界での「権力者によるパワハラ・モラハラ・セクハラの複合攻撃」について(いつか電池がきれるまで)

結論の部分から、一部引用してみる。
 世の中には、人格的には最低最悪なのだけれれど、素晴らしいコンテンツを作ることができたり、仕事で凄い能力を発揮したりする人がいて、一緒に働くのはまっぴらごめんだが、社会全体としてはメリットが大きい、という人がいる。そういう怪物をどう扱うべきなのか。
(中略)
 彼らの能力を利用しようとして、行状を黙認してきた人たちにも、責任はある。
 ということは、僕にも責任はあるし、もし、「誰もがいいなりにならざるをえないような権力」を自分が持っていたら、同じことやるかもしれない、という不安もあるのだ。僕は無能で、自信がないから、やらないだけなのではないか。いや、そんなふうに考えることが、ああいう行為を本人や周囲の人に「特別な人間に与えられた特権」だと勘違いさせてしまっているのかもしれない。
 あるいは、本人たちにとっては、「ああいう形の愛情表現」というのが、本当にあるのではないか。コンテンツとしての「歪んだ愛情表現」は、世界に満ち溢れている。
 http://fujipon.hatenablog.com/entry/2017/12/18/170319

上記引用の末尾の部分と関係することだけど、世の男性の一部には、「女性は、セクハラされて喜んでいる」と思い込んでいる人もいるらしい。確かに、そういう「歪んだ愛情表現」を描いた作品、「セクハラ的な行為をされて喜ぶ女性」を描いた表現は、結構な数で存在しているように見える。
ただ、「表現の自由」や「表現規制」については、複雑な問題を孕んでいるので、ここでは触れないことにする。

「人格的に問題のある人が、素晴らしいコンテンツを作る」例は、私も思い当たるフシがある。
私もこれまで、セクハラやDVの噂がある男性の書いた著書や文章に、深い感銘を受けたことがあった。また、上に書いたように、「仕事」は尊敬できるけど、「人物」はとんでもないハラッサーだった、という例も知っている。実はスティーブ・ジョブズもそういうタイプだったらしいし。

「仕事の業績」とその人の「人間性」は、切り分けて考えられるものなのか?
この問いについては、わりと長く考え続けているのだけれども、まだ答えが出ない。
自分が直接の被害にあったハラッサー(ハラスメント加害者)の「仕事」や「作品」がどんなに素晴らしいものでも、それを目にするとトラウマのような記憶が蘇ってくるため、リスペクトし続けることは難しい。
でも、直接の被害にあっていなければ——どうだろう?

一つ言えるのは、どんなに素晴らしい仕事上の業績がある人でも、法に触れる行為をしたなら、きちんと法の裁きを受けるべきだし、そうでなくても倫理的に大きな問題のあるハラスメントや著しい人権蹂躙などの行為をしたなら、社会的な制裁が下されなければならない。これは当たり前のことだと思う。でもその「当たり前」が機能していないことが問題なのだ。加害者の多くが見逃され、被害者の多くが泣き寝入りしているのが現状だ。

法や人倫に反する行為をした人たちが、全く裁かれることがなく「上」にいるのは、被害者だけの問題ではなく、集団全体にとって、ひいては社会全体にとって、大切なものを損なうことになる。社会を支えている土台の部分が損なわれる。権力を持つ側の腐敗を放置しておくと、その腐敗は、集団全体をじわじわと侵食し、やがて全ての構成員の首を絞めることになりかねない——と、ここで警告しておく。

適切な法の裁きや社会的な制裁がなされた後でも、なお加害者の「仕事」は素晴らしいものであり得るのか?
権力を握っている人間が、弱い立場の人間にハラスメントをしてしまうのは、人間の本性なのか?
これらの問いについては、これからも考え続けたい。

まとまってないけど、ひとまずこれで。皆さんにも問題を共有してもらえると嬉しいです。






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