2020.06.26 Friday 20:48
前回のエントリに書いた、「知人に病気のことを告げるべきか?」問題について、各方面からコメントをいただきました。体験談や助言をくださった皆様、本当にありがとうございました。

「伝えた方がいい」という意見が多かったですが、一方で当事者の方には別の思いがあるようで、一筋縄ではいかない問題だと改めて感じました。
病気のことをまだ伝えていない知人に、すぐに伝える決心はつきませんが、いずれ何らかの形で伝えようと考えています。まあ、まだもう少し時間は残されていると思いたいのですが。


あと、先月のブログエントリで触れた、がんの遺伝子パネル検査について。
先月末に結果を知らされて、落ち着いたらブログでも報告するつもりでした。ですが、いろいろ話は動き始めていて、なかなか落ち着かないので、まだブログには書けずにいます。
とりあえず、今も治療は続けています。

遺伝子パネル検査、私がかかっている病院ではすんなり申し込みできたので、気軽な気持ちで受けてしまいました。検体は過去の手術で摘出したものだし、自分にとっては、(検査費用がかかること以外には)それほど負担はなかったので。ですが、一般的には、まだまだレアな検査らしく、ブログにどこまで書いていいものか、迷いもあります。

将来的には、遺伝子検査もゲノム医療も、もっともっとポピュラーなものになっていくのでしょう。
先進国に住む我々は、一生に一度は「全DNAを読まれる」時代が来る、という話も聞いたことがあります。

自分はその恩恵を受けられるかどうかわかりませんが、今回の検査のデータは、今後の研究に生かされるよう願っています。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(0) | - |
2020.06.22 Monday 19:50
自分が死ぬという実感が湧かない。
肝臓の数値が見たことのない高値を更新して、今や死を想わない日は一日もないのだけれども、それでもまだ実感は湧かない。
だから、身辺整理だの終活だのには程遠く、今日も積読本が溢れかえる部屋にいる。

それはそれとして。
連絡が途絶えた友人って、いないだろうか。

学生時代の友人で、今はもう連絡を取っていない人はいるけど、それは「お互い何となく年賀状を送らなくなった」という自然消滅だ。

そうではなくて、定期的に会っていたものの、ある時期から、メールを送ってもうんともすんとも反応がない。そういう友人がいる。
もっと親しければ、電話してみたり、自宅に様子を見に行ったりしたのかもしれないけど、あいにくそこまで親しくないので、そのままになっている。

なんでこんなことを書くかというと。
自分がこの先「連絡が途絶えた人」になる可能性があるから、だ。

がんが肝臓と骨に転移して、自分の生命を脅かしている、ということは、このブログに書いてきた。
だから、このブログを読んでくださっている方々には、最後にお別れを言う余裕があるかどうかはわからないけど、更新が途絶えたら察してくれるだろう、と思っている。

同じように、病気のことを伝えている数少ない知人、あるいは病気つながりの友達(がん友)については、最後にお別れを伝える余裕があるかわからないけど、連絡が取れなくなったときは察してくれるだろう。

問題は、病気のことを伝えていない知人である。
私がある日突然、「連絡が取れない人」になったら、どう思われるんだろう?

新型コロナ以降の外出自粛があって、リアルに会う機会はなくなったけれども、かえってオンラインのつながりが強化された、そういう知人がいる。
彼らに病気のことを伝えるべきか、伝えるとしたらいつ、誰に、どういう形で言うべきか。ここしばらく悩んでいる。

できればギリギリまで伝えたくない。
変に気を遣ってほしくないから。

そういう意味では、病気つながりの人たちとの付き合いは気楽だ。
もしかしたら気を遣わせてしまっているのかもしれないけど、長年がん患者をやっていれば、がんが転移して亡くなった知人は何人もいるし、自分もその一人に過ぎない。

ちょっと話はそれるけど、ケアについての本を読むと、「傾聴」とか「共感的に聴く」ということが推奨されている。受け答えの仕方について、マニュアルめいたものがあったりもする。
私がかかっている病院でも、看護師さんたちはとても親切で、よく話を聴いてくれる存在だ。

でもそれ以上に、同じ病気を経験している友人知人とのつながりは、精神的な支えになってくれている、と感じる。
「実は病院でこんなことがあって〜」
「あるある〜私も〜」
と、世間話をする感覚で話したことに、ごく自然に共感される。この癒し効果はすごい。
「共感的に聴く」ことは、「本物の共感」には敵わないんだなあ、としみじみ思うのだ。

ともあれ、転移したがんの患者が死ぬことは、よくあることだし、自然なことだ。
がん友なら、そう思ってくれるだろう。


で、話は戻るけれども、がんの転移について伝えていない人たちに、それを伝えるべきなんだろうか?
今ではないとしても、もっと危なくなった時点で、ひとこと言った方がいいのだろうか。
それとも、何も言わずに消える?

こんな感じで、ずっと答えが出せないでいる。


ここまで読んでくださった奇特な方へ。
「早めに言った方がいい」「ギリギリまで伝えない方がいい」「何も言わない方がいい」etc.……何かご意見やアイデアがありましたら、コメントや拍手コメント等で教えていただけるとたいへん嬉しいです。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(8) | - |
2020.05.30 Saturday 20:42
暑くなってきましたね。
note(およびはてなの短歌ブログ)で公開している短歌(と詩)、また少し溜まってきたので、こちらでも告知を。

■【断章】美醜について へのリンク

■【連作短歌】午前27時のLove Letter へのリンク

■【連作短歌】沈みゆく春に へのリンク

■【短歌】千の眼を へのリンク

■【連作短歌】春の回廊 へのリンク

■【短歌】むらさきの へのリンク

■【連作短歌】踏まれた薔薇 へのリンク


前回の短歌カテゴリの記事に、「もう短歌やめるかも」と書いたのですが、なんだかんだ言って、その後もポツポツと短歌を作っています。
外出自粛生活が始まってから、以前よりウォーキングすることが増えたので、近所を散歩しながら作った短歌も多いです(「春の回廊」「むらさきの」がそうです)。

もう少し作りためてから発表しようと思いつつ、来年の今頃は同じように短歌を発表できるかわからない——との思いから、桐の花の短歌は、一首だけで公開することにしました。

「午前27時のLove Letter」の連作は、私が考える「JUNEの世界」を表現したものになりました。BLではなく「JUNE」です。
十代の頃の私は、「JUNE小説を書いて、中島梓の小説道場に投稿する」のが憧れでしたが、それは叶いませんでした。でも代わりに、「JUNE短歌」を作ることができたので、それでいいかな、と今は思っています。

前から発表する予定だった連作は、あと一つ残っています。
それにプラスして、最近作った短歌もあるので、また折を見てnoteに公開していきます。
これからもお付き合いいただければ幸いです♪






| ●月ノヒカリ● | 短歌・詩 | comments(0) | - |
2020.05.25 Monday 13:02
たまにはブログに読書メモを。
長文の感想を書く元気はないので、ちょっとした読書記録ですが。
ずっと途中読みで放ってあった本を、つい先日やっと最後まで読んだのだった。

高秉權(コビョングォン)著『哲学者と下女』


韓国の哲学者の著書に触れたのは、これが初めて(あまり翻訳されていないのではないか)。

タイトルは、古代ギリシャの哲学者タレスの逸話から取られたのだろう。
タレスはある夜、夜空を見上げて星の運行について考えていたら、穴に落っこちてしまった。それを見ていた下女は笑ってこう言ったという。「熱心に遠い星のことを考えていても、自分の足元にあるものには気づかないのですね」

このエピソード、「夜空の星のような高みからものを考える哲学者」と、「足元の現実に拘泥する大衆」の対比として捉えることもできる。

その上で、著者は以下のように評する。
「生を省察する余裕がないならばその生は奴隷的だ」という哲学者の言葉と、「生の切実さがないならばその知とは遊戯や道楽に過ぎない」という下女の批判、どちらも正しく、一方でどちらも間違っている。
一見して敵対する関係にある哲学者と貧しい者、その救済は互いからやって来るのではないか。

その次に出て来るエピソードが、この本でもっとも印象的だった箇所だ。
哲学者カントと、韓国のとある障碍を持つ女性、それぞれが夜空を見上げたとき、何を思ったか?

カントは夜空を見上げ、「星々が光を放つ天空と、自分の胸の内で光を放つ道徳律」を対比させて、後者を称えた。
他方、1996年のソウルで行われた障碍者の合宿で、とある障碍者の女性は星空を見て、カントとはまったく逆の思いを抱いたのだった。普段家と職場に閉じ込められていた彼女が、生まれて初めて夜空の下で、焚き火を囲んでおしゃべりをするという体験をしたとき、彼女の中で変革が起こったのだ。
ずっと自分が「できない」と思い込んでいたことは、実はそうではなかったと気づいてしまった。永遠のものだと思っていた心の奥の道徳律——自分の中にあった従順さや禁忌の命令の数々——が、星空の下で砕け散った。この体験の後、彼女は、寮を出て自立生活を始めることになったのだという。

本書の冒頭に書かれたこのエピソードに、私は胸を鷲掴みにされた。
哲学とは「博識さ」ではなく、「目覚めさせること」にある、と著者は言う。

この一連のエピソードは、最後の訳者あとがきにあった「シニシズム批判」ともシンクロしている。
この本の翻訳者である今津有梨氏は、「他者に対する冷笑の底には、自己に対する冷笑——つまり自己自身の無視——がある」と見抜く。
そしてこう続ける。個人の無力感を背景にもつシニシズムを批判するなら、その批判は、彼らの「無能力」に向けられはしない。「あなたに力がないというのには根拠がない」と喝破することによって、冷笑する者の足場を崩壊させることこそが「批判」になるのだ、と。
彼らのもつ無力感が、実は根拠のないものだったと暴かれるとき、そこから「できるかもしれないこと」のあらゆる可能性が開かれる。
ここで、(シニシズムへの)批判を発する者にできることは、彼/彼女の力が最大限発揮されるよう、手助けすることに過ぎない……。

こんな清々しい「批判」があるだろうか。
(現代社会に蔓延っているとされる)シニシズムを批判した文章なら、ネット記事でいくつか読んだ記憶がある。けれども、批判の対象となる人に可能性と力を指し示すような、そんな批判を見たことはなかった。

この本のサブタイトルは、「日々を生きていくマイノリティの哲学」というものだ。
この社会で生きていく過程で、否応なく植えつけられてしまう無力感。この感覚を感じたことがあるなら誰でも、この本の言葉が呼びかけているところの「マイノリティ」に当たる。

いわゆる「マイノリティ属性」を持つか否かに関わらず、この社会で無力感に苛まれた経験があるなら。
この本を読む過程で、自分の実人生と重ねつつ、揺さぶられたり、気づかされたりすることがあるのではないか。
私もまた、この本の随所で、様々な言葉で力づけられる思いがした。

ちょっとした読書メモのつもりが、思ったより長くなってしまった。
哲学の本ではあるが、エッセイ的な文章で、とても読みやすい。
あまり話題になってはいないようだけれども、私にとってはずっと手元に置いておきたい一冊だ。


     




| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(0) | - |
2020.05.09 Saturday 22:15
ゴールデンウィーク明け、がんの治療のための病院に行ってきました。
案の定、病院はめちゃくちゃ混んでました。新型コロナウイルスへの厳戒態勢が敷かれ、入り口で体温チェックもありました。

この状況で、主治医から、なかなかにヘヴィーな話を聞かされたんです。
4月に抗がん剤を変えたばかりなのですが、腫瘍マーカーが上昇していたんですね。
なので、またもや治療を変えることになるかもしれないわけです、が。
そこで主治医に、
「まだ使ってない薬はあるけど、ここから先はエビデンスがない治療になるので、治療をやめて緩和ケアに移るという選択肢もあります」
と言われました……。

もっとも、
「Tさん(私)はまだ若いし元気なので、治療を続けてもいいと私は思いますが」
とも付け加えられましたが。

いつかこういう時が来るだろうと思っていましたが、それが今とはね。
今の抗がん剤は、とりあえずもう1クールやってから、CTを撮ることにしました。

がんの遠隔転移がわかってから、「あんまりつらい治療はしたくないなあ」と思いつつ、『抗がん剤10の「やめどき」』などという本を読んだりもしました。
結局のところ、治療が嫌になったらいつやめてもいいし、使える薬がある限り治療を続けてもいい、という話なのですが。

あと、「緩和ケアに移行する」といっても、緩和ケアの内容は、基本的に「痛みのケア」と「精神的なサポート」だけなので、「痛みがなければ何もしない」ことになります(私の場合、精神科は、他にかかっているところがあるので)。

2016年にがんの肝転移・骨転移がわかってから、ホルモン療法の薬は3種類、抗がん剤は5種類(骨転移の治療薬は別として)、次々と薬を変えて治療してきました。
これだけいろんな治療を続けた後に、別の抗がん剤治療をしたり、まだ使ってないホルモン療法の薬を使ったとしても、「効果があるかどうかはわからない」そうです。

とりあえず今のところは、私は治療を続けるつもりでいます。 といっても、しんどい副作用に耐えてまで、「一か八かのリスクのある治療」はあまりしたくないです。副作用が軽めの抗がん剤か、まだ試していないホルモンの薬を使うか……。

でも、「ここで治療をやめる」という選択肢もありなんだな。それを主治医の口から聞いたのは、これが初めてでした。

あと、実は、がんの遺伝子パネル検査の依頼も出していて、今はその結果待ち中でもあります。
「がんゲノム医療」は、一昨年くらいからニュースでも取り上げられるようになり、ご存じの方もいるかと思います。昨年、保険適用になったため、迷っていたのですが、私もこのタイミングで検査することにしました。
過去の手術で摘出したがんの組織から、遺伝子変異を調べる検査です。一度に100以上の遺伝子を調べることができ、50〜80%の人に遺伝子変異が見つかるものの、その遺伝子異常に対応する薬があって治療に結びつくのは10%くらいとのこと。
運よく薬が見つかっても、そこから治験に入らなければならないわけで。
なかなかにハードルが高そうですが、あまり期待せずに結果を待つつもりです。


で、がんの遠隔転移がわかってから、ずっと気になっていたこと——いつまで治療を続けるのか? についてですが。
これまでに、医師や看護師さんを含めたいろんな人に相談してきましたが、だいたい以下のような感じらしいです。

・使える薬がなくなるまで、治療をがんばって続ける人が多い(通院できる程度の体力があることが目安)。
・通院できるだけの体力がなければ、治療はできない。
・使える薬がなくなったら、治療はできない(緩和ケアは除く)。
・自分が治療をしたくなければ、やめてもいい。
・肝機能があまりにも悪化したら、治療はできない。


あと、これは昨年、乳がんの講演会で聞いた話なのですが、再発乳がん患者(といってもタイプによって異なりますが、「ホルモン陽性・HER2陰性」の自分の場合)の生命予後は、だいたい5年弱くらいなのだそうです(平均値なのか、中央値なのかはわかりません)。この「5年弱」というのは、ホルモン療法も抗がん剤もフルに活用した結果なのでしょうが。
かつては、「肝転移したら余命半年」と言われていた時代もあったそうで、それに比べたら、今はずいぶん延びました。

私も、遠隔転移がわかってから、そろそろ4年が経ちます。
この4年間で、様々なことにチャレンジできたので、悔いはないと言えばないのです。が、今年初めに出るはずだった十二国記の短編集がまだ出てないし……(早く読みたいよう)。

新型コロナで外出もままならない日が続きますが、それでもできることはやって、人生の残り時間、制約の中でも生きることを楽しめたらいいな、と思ってます。



☆追記
この文章を下書きした夜、またもや発熱しましたが、いつも通り(前もって処方されていた)抗生物質を服用して、なんとか熱は下がったので、UPします。


【がんゲノム医療についての参考サイト】
■がんゲノム医療とがん医療における遺伝子検査(国立がん研究センター がん情報サービス)






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