2016.05.08 Sunday 00:00
何を今さら、な話かもしれません。が、今回は、年明けからブログにUPしてきた「人に会いたくない理由」の当事者研究を振り返ってみて、改めて気づいたことを書こうと思います。

まず、「ネット上で文章に書いたものをUPする」という形式で当事者研究をやる場合にも、「侵襲性がある」ということ。これについては、最初に考慮しておくべきだったかもしれない、と反省中です。
以前、精神科医である中井久夫の著書から、症状と回復の「作用/反作用」についての文章を引用したことがありました。当該エントリから再引用してみます。
……一般論として考えますと作用には必ず反作用が伴い、この反作用は回復への歩みを打ち消すことによって、いやおそらく時にはそれ自体の持つ力によって回復のコースを慢性化へと曲げてゆく可能性があります。
(中略)
ある治療行為にせよ、薬物にせよ、環境の変化にせよ、本人の自己治療行動、いや夢や思考や症状の変化にせよ、すべて、慢性状態を変えようとする作用は、必ずそれを打ち消そうとする内力を発生させます。これはそう前提してかかってよいことです。

 (中井久夫『最終講義』より)

つまり、当事者研究には、「自分自身も気づかなかった側面を知ることができ、他者と共有できる」というプラスの側面ももちろんあるんだけど、副作用のような反発が起こることも当然あり得るわけで。
今回、このブログに「人に会いたくない」当事者研究を寄せてくださった方には、深刻な副作用が生じるようなことがなければいいのですが……。

私の場合ですが、当事者研究を書いた後、実は少し落ち込みました。
自分自身の「困ってること」は、これまでにもブログに書いてきて、わかっているつもりでしたが……「やっぱりどうしようもないんだな」ということが、改めて突きつけられてしまった、という感じで。

私にとって一番切実なテーマは、何度も書いたように、「複数の病気を抱えながら、どうやって生きていけばいいのか?」という問題です。
「病気を抱えながら、どうやって生きていけばいいのか?」について、相談したり、話し合ったりできる場があってほしい。そう心の底から切望しているんですけど……現実には、私の身近には、そういう場はないんですよね。
だから、他に選択肢がないから、ブログに書くしかない、と思ってやってきたわけですが。

これまで書いてきて感じたことですが、リアル生活ではあまり歓迎されない病気の話が、ネット上なら歓迎される、というわけではないんですよね。病気の話題は、ネット上でもまず歓迎されません。
ただ、このブログはアクセス数を稼ぎたいとか、そういう目的でやってるわけではなく、一人、二人でも、読んで何かを感じてくれる人が現れたなら、それで充分だ、という気持ちで書いています。カッコつけてるように見えるかもしれませんが、これはマジです。
だから、このブログの話題が、「一般の人にあまり歓迎されない」のは、まあ仕方ないというか、別に構わないのです。
ただ、ネット上で当事者研究をすることの困難については、それとは別に考えるべきで。

「病気を抱えながら、どうやって生きていけばいいのか?」という問題について、誰にでも当てはまる普遍的な正解というのは、ないでしょうね。「できるだけ健康的な生活を心がける」とか、そういう一般論を除いては。
皆それぞれが異なる身体を持っていて――つまり抱えている病気・障碍の種類や程度が人によって異なっていて、その上置かれている状況も人それぞれ、なのですから。
だからもし、ある人にとって、何らかの益のある言葉が見つかるとしたら、それはいろんな意見が自由に、雑多に出されているような場において、じゃないかなあと。たくさんの言葉に接していく中で、「ふと答えに気づく」ような形でしか見つからないんじゃないか、と思うんです。

同じように、私は「病気を抱えながら、どうやって生きていけばいいのか?」について話し合える場を切実に必要としている、のだけれども――でも実際に、「病気を抱えながら、どうやって生きていけばいいのか?」というテーマで、人を集めて話し合っても、良いアイデアが出てくるとは限らないのでは? とも思うんです。
もしなにか良いアイデアを思いつくとしたら、それは私が日常生活の中でいろいろなことをやってみて、その過程で「ふと気づく」ような形でしか、得られないのではないか? と。

・・・というわけで、ふりだしに戻ってしまいました。
つまり、日常生活の中で、いろんなことを「実験」としてやってみて、その時々に振り返りつつ、できることを探していく。そういう試行錯誤を繰り返すしか、ないんじゃないか。
それは要するに、今までやってきたことなんだけど。

なので、このブログはこれまで同様、風の吹くまま気の向くまま、その時々に考えたことを書いていくことになります。
唯一、これまでと異なることがあるとしたら、「リアル生活で話せることについては、あえてブログに書く必要はない」ということでしょうか。
ブログに書くのは、「リアル生活ではなかなか話す機会がない」内容が中心になると思います。
これからもぼちぼち続けていくつもりなので、読者の皆様におかれましては、気が向いたときにでもマターリお付き合いいただければ幸いです。






| ●月ノヒカリ● | 当事者研究 | comments(6) | trackbacks(0) |
2016.04.05 Tuesday 22:20
さて、エイプリルフールネタはおしまい、通常モードに戻ります。

【当事者研究】なぜ私は「人に会いたくない」のか?のエントリを受けて、皆さんからいただいた「人に会いたくない理由」の当事者研究を、順番に公開させていただいてます。

今回は、まみさんの書かれた当事者研究、上記記事コメント欄からの転載です。

はじめまして。
書き込むのが遅くなってしまいましたが、私も参加させてください。
今現在、私も人に会いたくない気持ちが強く、友人と疎遠になっています。
月ノヒカリさんの人に会いたくない理由に沿って、自分も考えてみました。
(1)経済的理由
収入がほとんどなく、もったいなく感じてしまう。

(2)心理的理由
人にあっても楽しくない。
自分の現状を話したくないし、きかれたくない。
上手くいっている人の話を聞くのが苦痛。
同情されたり見下されるのが嫌。
話すのが苦手。

(3)身体・健康上の理由
途中疲れてくると、相手に気をつかえなくなってくる。

私の場合、心理的理由が大きいようです。
2、1、3の順で深刻度が大きいです。

最近友人と会いたくないなあと思ったのは、会っても楽しくなく、疲れてしまったからです。

私は人としゃべるのが得意でなく、仲が良い人と一緒にいても、沈黙ができてしまい「何喋ったらいいんだろう・・・」と、不安になってしまうことがあります。

今現在、仕事についていないので、就職、結婚、出産と、人生のステージを着々と進んでいっている人に、なんとなく引け目を感じてしまうし、見下されるのでは・・・とか、相手に気をつかわせそう・・・などと考えてしまいます。

3は2が原因になって引き起こされているようにも感じます。
長時間人と一緒にいると、疲れてきて頭痛がしてくることがあります。そして相づち、顔の表情などを失礼のないように保つのが難しくなってきます。
自分のタイミングで帰れればいいですが、そうでない状況もあります。
たとえば、その場所まで他の人の車に乗せてきてもらった場合、言い出しにくいです。

まとまりのない文章で申し訳ありません。

当事者研究にご参加くださって、ありがとうございます。
まみさんも、「心理的理由」がメインだと自己分析されてます。

「人としゃべるのが得意ではない」というのは、いわゆる「コミュ障」問題ですね。これはこれで、私にとっても大きなテーマではありますが、ひとまずここでは置いておきます。

「自分の現状を話したくないし、聞かれたくない」という点については、一つ前の当事者研究のエントリと重なる部分があると思いました。
未婚かつ無職だと、自分の現状を人に説明しづらい。「上手くいっている人」の話を聞くのもつらい。そのために、人付き合いから遠ざかるようになる。
無職って、ただ単に「収入がない」というだけの問題じゃないんですよね。それだけじゃなく、無職だと、自分自身の置かれている状況に引け目を感じてしまって、「社交的な場に参加しづらくなる」という負の側面があるように思うんです。

経済的な問題だけじゃなく、「働いていないこと」への負い目とか、「働かなければならない」という焦りみたいなものが加わって、問題を複雑にしているのではないか? と自分自身を振り返ってみて感じます。
社会的な立ち位置を持っていないと、「友人と会う」ことすら、心理的に苦しくなる。

私自身も無職で、こういうブログを書いていて、無職の方からコメントをいただくこともありますが……実は「無職」云々の話は、あまりコメント欄に書き込まれないのですよね。
無職の方は、拍手コメントあるいはメールで、密かにメッセージを送られる方が多いです。

つまり、「無職であるがゆえの、心理的なつらさ」みたいなものは、ネット上ですら、あまり表に出てこない、語りづらい問題みたいなんです。
まみさんのように、コメント欄に意見を書きこまれる方は、少数派だと感じます。
もっと少数派の、開き直ってる人は、「ニート」を売り文句にしてブログ書いたりしてますが……実際は、「ネット上ですら、無職であることはオープンにできない」という感覚の方が、より一般的なんじゃないかなあと思うんですよね。

このブログでは、「あまり表に出てこない、語りづらい問題」をこそ取り上げたいと心がけてきたので、私も開き直ってかなり率直に書いてますが……どうもこの「無職であるがゆえの、心理的なつらさ」というのは、経験したことのない人には、あまり理解されていないみたいです。私がそれに気づいたのは、本当につい最近のことです。

無職にとっての「人に会いたくない」問題と、ちゃんと働いている人の「休日に人に会いたくない」問題とでは、どうも悩みの質が違うんじゃないか、と感じます。
おそらくまみさんも、「仕事についていた期間」と「仕事についていない期間」の両方を経験しておられると思うので、その違いを比較できるのではないでしょうか。

私の場合、無職の期間が長いので、自分にとっての「人に会いたくない」問題というのは、「社会的に居場所がない」という悩みとほぼイコールだと感じます。それにプラスして、経済的な不安と、健康上の問題がのしかかっている、というのが今の自分の状態ですね。
この「社会的に居場所がない」感覚というのは、仕事についているかいないか、既婚か未婚か、家族の有無、そういった要素によって差が出てくるのではないでしょうか。

この当事者研究は、「人に会いたくない」というテーマで書いていますが、私自身、本当に心から「人に会いたくない」と思っているのか? と問われると、そうではない気がします。
「そんなに気を遣わずに付き合える人間関係」とか「他人とともにいて、楽しく過ごせる時間」をむしろ求めているのかもしれません。

まみさんも、置かれている状況が変化したら、「人に会いたくない」という悩みが減り、「人と会って楽しい」と感じられる時間が増えるのかもしれませんね。

数年前、Twitterでフォロワーさんと、「無職の人の自助グループみたいなものがあったらいいな」というやり取りをしたことがありました。これはまだ実現していませんが、そういう集まりがあれば、もう少し詳しく問題点を探し出せるのかもしれません。


さて、こちらのエントリについても、ご意見やメッセージ等がありましたら、ご自由にコメント欄や拍手コメントでお寄せください。
いただいたコメントは公開する可能性があります。拍手コメントでいただいたご意見は、コメント欄に転記させていただくかもしれません。公開を希望されない場合は、「非公開で」とお書き添えください(拍手コメントの場合は、「レス不要」にチェックを入れてください)。


この「人に会いたくない理由」というテーマで、皆さんからお寄せいただいた当事者研究は、ひとまずこれで全部です。
何か「スッキリと、答えが出た」わけではないのですが、皆さんの当事者研究やコメントを拝読して、共通する部分、それぞれ異なる部分が、うっすらと見えてきたように思います。

私自身も、これから先、外に出て「人に会う」とき、どういう態度をとるべきか、あるいは何を目指すべきか、ヒントをもらえた気がします。
この当事者研究が、参加された皆様、あるいは読んでくださった皆様にとっても、何らかの収穫があったのなら、ブログ主としても本望です。

当事者研究については、今後また別のテーマで始めるかもしれません。
もちろん、この「人に会いたくない理由」というテーマについても、新たな発見があったとき、あるいは自分が実践してみた結果報告など、またコメントいただけると嬉しいです。

人に会っても会わなくても、どちらにせよ皆様ができるだけ元気に毎日を過ごされることを、お祈りしています!



※ブログ主はまたリアル修行があるので、しばらく(2週間程度かな?)ブログ更新はお休みします。




| ●月ノヒカリ● | 当事者研究 | comments(6) | trackbacks(0) |
2016.03.20 Sunday 22:36
皆様お元気でお過ごしでしょうか。しばらく安静にしてなきゃいけなかったので、ブログの更新が遅れました。
先日、日課のダメダメ体操をしていたら、腰を痛めてしまったのです。そんなわけで最近はグータラ生活に逆戻り、またしても「人類ダメ化」に貢献してしまったブログ主でありました。

あと、これはコメントされる方へのお願いなのですが、ブログ主のレスを必要とするコメントは、コメント欄に書き込むか、メールで送ってください。拍手コメントについては、レスしない場合もあり、レスするとしても何ヶ月も先になる可能性があります。ご理解くださいますようお願いします。

さて、本題。

【当事者研究】なぜ私は「人に会いたくない」のか?のエントリを受けて、皆さんからいただいた「人に会いたくない理由」の当事者研究を順番に公開させていただいてます。

今回は、2月5日にいただいた拍手コメントからです。

ヒカリさんこんにちは。

私なりに自分の人と会いたくない、という気持ちを色々と振り返ってみました。

/搬療理由がある
¬疑Δ任△
十代と二十代なかばは精神疾患の療養にあてていたため、その期間の他人への説明、、などの説明しづらい事情を何件か抱えている

です。
,枠茲譴笋垢機△搬仗誘枋イ異様に強いことです。(体力が少しついたので若干克服はできてます。)これはうつと神経症に起因しているので精神的理由、、なのかもしれない?です。

△痢嵬疑Α廚実はメインじゃないか、、と思っています。出先で人と知り合う機会があっても言えないんですよね、、働いてないって。何の職業か、というのは人と人が出会ってまず確認する名刺代わりみたいなもので私は自分を説明できないんです。初対面で他のひとびとが、自己紹介がわりに自分の仕事のことを話し合ってるのを見るにつけ、自分は人の集まりに参加してはいけないし人と関わる資格がない、と学習しました。(自己憐憫とかではない、割と客観的な事実だと思っています)
もし説明しようとすると、のあんまし人には言いたくない黒歴史?を引き出してこなくてなはらなくなります。病気してたとか(しかも精神病だ)、中学高校は不登校だった、とか自分でも話しててあまり面白くないし聞かれたくないので、やはり人には会わない方が幸せだ、とここ何年も人の集まりに参加してみて積み重ねた実感であり結論です。

人と会ってすごく疲れるのは、私にはとても隠し事が多いから、なのだろうと思います。
聞かれたくない、突かれたくない場所が多すぎるので、人と会う事にすごく神経を使うんだと思う。地雷が多すぎるというか、、、。年相応の経験とかもあんま無いので、その辺のコンプレックスもあります。人と会った後はコンプレックスで死にそうになります。

現在、六回限定のカルチャーセンターの絵の教室に恐る恐る通ってるんですが、リハビリというより人と会いたくない気持ちをますます強めてしまっています。あといっかいで終わるのが嬉しくてたまりません。

と、思いの丈を書きなぐってみました。
ここに来る方は既婚者や、仕事は行けてる人が多いので私はやはりマイノリティーなのかなと思いました。隠し事が多いから人と会い辛い、、で思いつきましたが、facebookで顔写真なんか載っけちゃうような友達も多いような人は、人にむしろ聞かれたいような経歴の持ち主だったりしませんか、、。有名大学出身、海外留学経験、海外在住、社会的ステータスの高い仕事、とか。隠し事の有無、大小、というのが今んとこ自分の中では対人におけるキーワードになってる感じです。非コミュネタだとつい饒舌になっちまいます、、、読んでてこれ面白いかな〜と気にしつつこれにて失礼します。

まずは、当事者研究の公開を承諾してくださって、ありがとうございます。
以前も書きましたが、ブログ主にはめちゃくちゃ共感できる内容でした。

人に会っても疲れるだけで楽しいと思えないのは、自分が「無職」だから。これ、すごくよくわかります。
とりわけ初対面の人の間に入っていくとき、「何の職業か、というのは人と人が出会ってまず確認する名刺代わりみたいなもの」というのは、その通りだと思います。
そこで、「働いていない」とは言いづらいですよね。既婚女性の場合は、「専業主婦」という言葉もありますし、外で働いていなくてもさほど奇異な目で見られることはないでしょうが……「未婚で無職」って、本当に説明しようがないです。

ただ、無職だからといって、「人の集まりに参加してはいけないし人と関わる資格がない」わけではないと思うんですよ。
「病気で療養していて、今はリハビリの最中です」と言って、何とか切り抜ける方法もあると思うんです。その辺の悩みについては、過去このブログでも書いたことがありますが(→このエントリとかこのエントリで)。

でも私も、病気のことは、積極的に言いたくはないし、聞かれたくないですね。
「言っても理解されない」という思いもありますし、実際に、理解されなくて傷つくこともありましたし。

かといって、病気のことを隠したら隠したで、やっぱりしんどいことはあるんですよね。
例えば、私の場合、「癌」について話題になったときに、居心地の悪い思いをするとか。

あと、精神病については、偏見が怖いという気持ちが今もあります。
自分の精神疾患については、(医師や支援職を除けば)ネット上でしかオープンにしていないのですが……ネット上だけでも傷ついてしんどい思いをしたことはありましたから、リアル生活ではもっとカミングアウトするのが怖いです。

「地雷が多すぎる」というのは、言い得て妙というか、私自身も本当にそうだなぁと思います。
今の自分が「普通のレール」からかなり外れたところにいるから(好きで外れたわけではないのですが)、「ちゃんとレールの上を歩いている人」の何気ない一言が、いちいち突き刺さるなんてこと、本っ当にしょっちゅうあるんですよね。

これは、「無職で困るなら、働けばいいじゃん」という、単純なアドバイスでは解決しない問題です。
病気で長い間ひきこもりに近い生活を送っていた人間が、「じゃあ明日から働こう」なんて、まず無理なんですよ。ハードルが高すぎるんです。

心身ともに健康であったとしても、例えば長期休暇後の初出勤の日は、「なんとなく調子が出ない」ような感覚があるんじゃないでしょうか。
病気で長期間の療養をしていた人の場合は、その「調子が出ない」感覚が、もっとずっと重くキツいレベルでのしかかっているわけです。

病気でひきこもった経験のある人、皆が皆「就労」をゴールにすべきだとは、私は考えていないのですが……たとえ「就労」を目指すとしても、いきなりは難しい。
「ひきこもり状態」から「就労」に移行するまでの中間段階として、「外出して、人付き合いを楽しむ」くらいのことは、できる必要があるんじゃないかと思うんです。
でも、「無職」だと、そもそも人付き合いの輪に入ることが難しい。
これ、本当に深刻なジレンマだと思います。

私は、過去に乳がんの患者さんの自助グループに参加したことがありますが、やっぱりそういう場に参加できるのも、「ちゃんと働いているか、既婚女性(専業主婦)」のどちらかだと感じました。
私も、ハードな治療をしていたときは、他の乳がん患者さんの体験談や情報を必要していたので、そういう場に参加していたのですが……治療が一段落したら、足が遠のきました。癌の患者さんにも精神病のことは話せなかったし、既婚者や、そうでなくても仕事には行けている人の間で過ごすのは、苦しかったので。

病気の自助グループのような場ですら、「未婚で無職」の場合、参加のハードルが高くなる。
これは私自身、これまで実感してきたことです。


じゃあ解決策はないのか?
先のエントリで、今の私は、外出して人に会って「楽しい」と感じることがたまにある、と書きました。
コメント主さんの参考になるかわかりませんが、私の場合を書いてみようと思います。

まず、コメント主さんは、「カルチャーセンターの絵の教室」に通っておられるそうですが……もしかしてその教室では、「雑談タイム」が多いのではないでしょうか?
いや、私のように「地雷が多すぎる」タイプの人間にとって、一番しんどいのは「雑談タイム」なんですよね。仕事について聞かれるのも、そういう時じゃないでしょうか。

だから私が、ひきこもりに近い生活をしていたときに最初に始めたのは、ヨガだったんですよね。ヨガの教室では、全員ただ黙々とポーズをとるだけで、「雑談タイム」が一切ない。当然仕事について聞かれることもない。だから、比較的通いやすかったのだと思います。教室へ行くのがしんどいときもありましたが、「これは自分の健康のために必要なことだから」と自分に言い聞かせて、通っていました。

思うんですけど、コメント主さんの通っている「絵の教室」が、各々ただひたすら技術の向上を目指して一心に描き続けるだけの教室だったなら、もしかして通いやすかったんじゃないかなあと(もちろん絵を描くことが好きな人にとっては、の話ですが)。そう、「絵を描くことの技術向上を目指す」ための苦労はあるけれども、人付き合いのしんどさはないような場所だったら…?

答えを言ってしまうようですが、私にとって「楽しい」と感じる場というのは、いわゆる「雑談」じゃなくて、自分の興味・関心のある分野について話せる勉強会的な場だ、ということになります。
昨年このブログで募集したオフ会が「お気に入りの本を紹介し合う」というテーマだったのも、そういう理由からです。
「好きな本について話す」のなら、「雑談」よりも苦にならない。うまくいけば「楽しい」と感じることができる。
そんでもって楽しい時間を過ごせたなら、そのあと疲れ果てても、「まあいいかな」って思えるんですよね。

私も何年もの間ずっと試行錯誤し続けてきて、本当にたまにですが、「楽しい」と感じることができる場と出会うことができました。
でも、私は「雑談タイム」が苦手だから、飲み会的な場には参加しないことが多いです。だから今も、人付き合いについては、「深入りは避けている」という感じですね。

なんかものすごく長くなってしまったので、この辺で。
コメント主さんの参考になったかわかりませんが……でも私は、この場でこういう話ができたこと自体、すごく嬉しかったです。
リアル生活はおろかネット上ですら言えなかった悩みを、同じような立場の人と共有できる。ブログやっててよかったなあ、と思えるのは、こういうときです。
改めて、この当事者研究を書いてくださったことに、心からの感謝を。


さて、こちらのエントリについても、ご意見やメッセージ等がありましたら、ご自由にコメント欄や拍手コメントでお寄せください。
いただいたコメントは公開する可能性があります。拍手コメントでいただいたご意見は、コメント欄に転記させていただくかもしれません。公開を希望されない場合は、「非公開で」とお書き添えください(拍手コメントの場合は、「レス不要」にチェックを入れてください)。






| ●月ノヒカリ● | 当事者研究 | comments(2) | trackbacks(0) |
2016.03.10 Thursday 22:58
更新が遅くなりました。
【当事者研究】なぜ私は「人に会いたくない」のか?のエントリを受けて、皆さんからいただいた「人に会いたくない理由」の当事者研究公開、第5回です。

今回の発表は、1月29日にいただいた拍手コメントです。

こんにちは、まろまろです。
私の「人に会いたくない理由」の当事者研究をこちらに送らせていただきます。

私にとって人と会いたくない理由で一番大きいのは、

1.「人と会って」
2.「失敗」したり
3.「傷ついたり」するのが
4.「怖い」からです。

心理的理由です。

ちなみに自律神経の病気になるまでは、潜在的には「怖い」と思っていたとしても日常的には「おっくう、腰がひけてしまう」レベルでとどまっていました。
病気になってからは「会っていて気分が悪くなったらどうしよう」「会った後、すごく疲れるんじゃないかな」というように、自覚的に「怖い」と感じることが増えました。(身体・健康上の理由)

「経済的理由」は、これらに比べるとサブ的な問題です。相手や状況とハカリにかけて「割に合わない」と思うかどうかです。

私は過去「失敗できない」という気持ちにずっと強くとらわれていました。だから、非常に防衛的に生きるようになっているのだと思います。怖いという感情が湧くのも、人に心を開くのが下手という自覚があり、それを他人に気付かれまいとするからです。
結果、過剰に相手の話を聞いてしまったり、自分から話題を振ったりと頑張った結果、本来の自分よりハイパフォーマンスな人だと思われたりして余計な心労を抱え込んだりすることもしばしばです。

これは誤解があったら申し訳ないのですが、私は「いわゆるコミュ障(自称できる人)」が羨ましく思うときがあります。私にはこれまで、黙り込むという選択肢があまりなく、嘘をついてでも会話しようとやっきになっていました。
そうすると嘘が前提になった生き方になり、「自分がコミュ障だ」とも言えず、自分をどんどん見失うのです。
また、こういう余計なサービス精神が、心を開かなくていい相手にも発揮されると、あとあと後悔する羽目になります。(どうやってフェードアウトするかでまた一苦労です)

なぜ私が問題をこじらせたかというと、心を一人にしてやる時間がなかったからだと思っています。
「体面(何の?って感じですが)を保とう」という意識が、あらゆる場面で私を支配していました。物理的に一人でも、意識が常に人目を気にしているようなところがありました。オタク仲間、家族含めプライドの高い人たち、「負けない」人たちに囲まれて生きてきたため、自分もそれに合わせるようになったのでしょう。

重篤な病気ではありませんが、自分が他人の価値観を意識して生き続けるのは辛かったです。
そういえば未だかつて「人に会いたくない」と素直に口に出していったこともないです。「今日はちょっと体調が」と「納得してもらえそうな」理由をチョイスしています。

もっと正直に生きられればいいなと思います。

素晴らしい当事者研究、ありがとうございます!
例によって、本当に蛇足ながらブログ主の感想をば。

まろまろさんにとっては、人に会いたくないのは「心理的理由」がメインのようですが、私も読ませていただいて、「それ、わかる!」と共感してしまう部分が多々ありました。

病気になる前「おっくう」なレベルだったことが、病気になって以降「怖い」と感じるようになったというのは、私自身も思い当たるフシがあります。

あと、「過剰に相手の話を聞いてしまったり、自分から話題を振ったりと頑張った結果、本来の自分よりハイパフォーマンスな人だと思われたりして余計な心労を抱え込んだりすることもしばしば」「余計なサービス精神が、心を開かなくていい相手にも発揮されると、あとあと後悔する羽目に」「どうやってフェードアウトするかでまた一苦労」のあたりは、私自身、太字ゴシック体で強調したいくらい、頷いてしまいました(ので、太字にしてみましたw)。

そんでもって、「心理的理由」がメインであっても、「気分が悪くなったら〜」とか「すごく疲れる」といった「身体・健康上の理由」も付随する、というのは、これまでの当事者研究でも出てきた話ですね。
心理的な問題を抱えている人は、同時に身体的な問題を抱えていることもしばしばある。これ、見落とされがちだけど、結構重要なポイントじゃないでしょうか。

一方で、「コミュ障(自称できる人)が羨ましい」というくだりは、よくわからなかったです……。
「コミュ障」というのはネットスラングであって、リアル生活では使わない言葉だと私は思ってました。ネット上で「コミュ障」を自称する人はわりと見かけますが、リアル生活で「コミュ障」を自称する人には会ったことがないです。
あと、コミュ障は「話せない」だけじゃなく「しゃべりすぎる」という症状も含むものと、私は解釈しています。

私も「沈黙の時間」が苦手で、しーんとなったときは、場を取り繕うために一生懸命話そうとするタイプです。でも、それやると、結構な確率で浮いてしまうんですよね…(泣)
「皆が沈黙していても、その場の居心地は悪くない」という状況、あんまり経験したことがないような……。自分の中では、「沈黙は気まずいもの」という思い込みがありますね。こういう思い込み、あんまりよくないのでしょうけど、なかなか改めるのは難しいです。

それから、まろまろさんが「人に会いたくない」気持ちのときに、そのまま口に出すのではなく、「今日はちょっと体調が」と納得してもらえそうな理由をチョイスして伝える、というのは、まっとうな大人の処世術だと感じました。それって人付き合いする上で大事なことじゃないかと。
私の場合、そういう大人の処世術的な対応が苦手なので、自分を「コミュ障」だと思ってるんですよね。「今日はちょっと体調が」という形で「取り繕う」のが苦手なんです。
だから、本当は人に会いたくない気分であっても、「約束をしたのだから行かなきゃ」と無理して出かけて、結果として疲れ果て、しかもあんまり楽しくない。

実は私もあんまり、自分に正直に生きてはいないですね。
「もっと正直に生きられればいいな」はまったく同感です。

これまでに頂いたコメントを読んだ上での印象ですけど、まろまろさんはかなり人に気を遣われるタイプなのではないでしょうか。で、それって結構大事なことだと思うんですよ。「社交の達人」と呼ばれる人は皆、自分から話題を提供して人を楽しませつつ、相手の話もちゃんと聴ける人、みたいです。
まろまろさんは今、「社交の達人」への道を歩んでおられる真っ最中じゃないかとお見受けします。

ただ、いつも相手に合わせてばかりだと、自分はしんどいだけで、ぜんぜん楽しくないんですよね。
相手への気遣いは継続しつつ、どうすれば自分も楽しめるか。どうすれば素直な自分を出せるのか。
これ、私にとっても、今後の課題の一つです。


さて、こちらのエントリについても、ご意見やメッセージ等がありましたら、ご自由にコメント欄や拍手コメントでお寄せください。
いただいたコメントは公開する可能性があります。拍手コメントでいただいたご意見は、コメント欄に転記させていただくかもしれません。公開を希望されない場合は、「非公開で」とお書き添えください(拍手コメントの場合は、「レス不要」にチェックを入れてください)。
よろしくお願いしまーす。

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| ●月ノヒカリ● | 当事者研究 | comments(10) | trackbacks(0) |
2016.02.25 Thursday 23:14
【当事者研究】なぜ私は「人に会いたくない」のか?のエントリを受けて、皆さんから寄せられた「人に会いたくない理由」の当事者研究を公開する試み、4回目です。
今回は、1月28日にいただいた拍手コメントです。

初めまして、「私が人に会いたくない理由」の記事を拝見致しました。とても共感する箇所が多く読んでいて何度も頷いてしまいました。実は今現在人に会いたくないという気持ちと葛藤している最中です、なので当事者研究の3つの理由に自分の状況を当てはめて考えてみようと思います。

経済的理由 : 交通費や飲食代が無職の自分にとって大きな出費であること。
心理的理由 : 今の駄目な自分を友人に知られたくないという気持ち。
身体・健康上の理由 : 電車やバスに乗ると吐き気や動悸なと具合が悪くなる。

簡潔に書くとこのような理由があります、3つめの理由ですがひどい時には外で人混みに近付いた時にも具合が悪くなる事があり、いざ出かけようとしても駅にさえたどり着けず引き返したりもしました。これらの症状は治療が必要だとは思っているのですが、親に金銭的な迷惑が掛かることと病院への道中も体調を崩すかもしれない不安と恐怖でなかなか足が向かないのです。自分でも自分が分からず、外に出るのが怖いです。まとまりのない文章ですみません。

(読みやすくするため、適宜改行を加えさせていただきました。)

はじめまして。
とても深刻な事情をお持ちなのに、コメントの公開が遅くなってすみません。
最初に言っておくべきでしたが、私は医療や福祉の専門家ではないので、この当事者研究の場で「アドバイス」をするのは控えよう、と思っていたのです。
ですが、今回は禁を破ってアドバイスします。余計なお節介かもしれませんが、よかったら読んでください。

コメント主さんの「電車やバスに乗ると具合が悪くなる」というのは、病院へ行って相談するべき症状じゃないか、と思います。
たぶん、メンタルクリニックとか、心療内科とか、「こころの病気」が専門のお医者さんに診てもらうのがいいのでしょうね。もしかしたら、薬を飲めばよくなる症状かもしれませんし。
ご家族に事情を説明して、付き添ってもらうのがベターです。一人で病院に行くより、ご家族と一緒の方が、安心できるのではないでしょうか。

もしかして、車やタクシーなら、気分が悪くならないのでしょうか?
その辺りの事情はわからないのですが、親御さんと一緒に、なんとか病院に行く方法を考えてみてください。

問題は、どこの病院がいいのか? ということですが……メンタルな病気の場合は、医師との相性も大事ですから、「この先生とは合わないな」と思ったら、別の病院を探したり、してみてください。

上に書いた通り、まずは病院で相談、が第一です。
ですが、もしかして、金銭面の心配や、親御さんに相談しづらい、とコメント主さんが思われたときのために、第二案、第三案も書いておきます。

お住いの地域の「保健所」や「精神保健福祉センター」といった行政機関に、「こころの問題」について相談する場がないか、ウェブ検索で探してみてください。

例えば、私が住んでいる愛知県には、こんなサイトがあります。
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/master/0000014030.html
このサイトのトップに、「こころの健康に関する相談」の電話番号がかいてあります。お住まいの自治体の公式サイトを調べて、こういう相談窓口がないか、探してみてください。
公共の機関なら、無料で相談できるはずです(通話料はかかりますが)。

あるいは、愛知県保健福祉センターでは、「ひきこもり相談」「メンタルヘルス相談」がメールで相談できるようにもなっています。
https://www.aichi-pref-email.jp/top.html
このようなメール相談も、お金はかかりません。上に書いたようなことを、ぜひメールで相談してみてください。私のような素人ではない、専門家が回答をくれるはずです。

相談しただけですぐに解決、というわけにはいかないかもしれませんが、「次に何をするべきか」というアドバイスはもらえるかもしれません。

自治体によって支援体制は異なりますが、コメント主さんのお住いの地域外の自治体であっても、相談を断られることは、まずないと思います。

これらの相談は、病院に通うのと並行してやってみてもいいと思います。
というか、ぜひ並行して、いろんなところに相談してみてください。もちろん「いろんなところ」と言っても、怪しげな業者には引っかからないでくださいね! 最初はまず、公的な機関を探してみてください。

病院にソーシャルワーカー(ケースワーカー)がいる場合は、そこでも相談するのもいいと思います。
あるいは、現在は、精神保健福祉士(精神科ソーシャルワーカー)のいる「地域活動支援センター」も各地に整備されています。
あと、女性会館などでも、「女性のための悩み相談」窓口が設けられていることもあります。

自分の経験上ですが、「相談先は複数あった方がいい」と思うんですよね。
一カ所で相談して、そこで解決しなくても、また別のところで相談する。
そういったことを繰り返してみてください。

そうやって相談を重ねていくうちに、「どこで、誰に、何を相談すればいいか?」が、段々ぼんやりとわかってくると思います。
自分が困っていることを相談すること自体、大事な社会体験です。

もちろん、いきなりいっぺんにやるのはしんどいでしょうから、ゆっくり、自分のペースでいいので、チャレンジしてみてください。
自分の体をいたわりながら、できそうなことから始めてみてくださいね。


こちらのエントリについて、ご意見やメッセージ等がありましたら、ご自由にコメント欄や拍手コメントでお寄せください。
いただいたコメントは公開する可能性があります。拍手コメントでいただいたご意見は、コメント欄に転記させていただくかもしれません。公開を希望されない場合は、「非公開で」とお書き添えください(拍手コメントの場合は、「レス不要」にチェックを入れてください)。

特に、コメントされた方と同じような悩みをお持ちの方や、「ここに相談するといいよ」みたいな情報をお持ちの方は、ぜひ教えてください!




※追記
ブログ主は来週いっぱい、リアル生活がやたらハードなので、次回の更新は再来週以降になります。





| ●月ノヒカリ● | 当事者研究 | comments(4) | trackbacks(0) |
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