2017.08.06 Sunday 16:50
相変わらず、腫瘍マーカーは上昇していて、癌の肝転移も大きくなっていて、骨転移も増加しているようです。
落ち込む要素しかないので、ブログを更新できずにいました。
夏バテのせいか、グッタリしているので、ブログの更新はもうしばらくお休みします。

私の周囲では、「ステージ4の癌患者に嫌がらせをする」なんて話、リアル生活でもネット上でも、まったく聞いたことがないです。
私のツイッターその他に対して不正行為を働いて平然としている人たちは、「人の命を尊重する」という最低限の倫理すら持ち合わせていないようで……彼らに対して、どういう日本語なら通じるのか、さっぱりわかりません。
文字通り「言葉を失っている」状態です。







| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(4) | trackbacks(0) |
2017.05.05 Friday 00:07
7年以上続けてきたツイッターのアカウントを削除しました。

理由は、不正アクセス等の嫌がらせ行為が続いて、頭痛や吐き気、ふらつき、アトピー悪化といった、深刻な健康被害が生じたからです。
私は再発がんの患者なので、健康は本当に大切だし、今回は「命」の危険を感じるレベルのストレスがあったので、アカウント削除を決めました。

長年相互フォローしてくださった方々と離れるのは残念ですが、退会前に懐かしいフォロワーさんと久しぶりにメッセージのやり取りができたので、それは不幸中の幸いだったと思うことにします。

一応確認しておくと、私のツイッターアカウントは、炎上もしてないし、表立って批判されることは全くなかったです。

ただ、「不正アクセス」と「コミュニケーション操作系のいじめ」はありました(「コミュニケーション操作系のいじめ」というのは、社会学者・内藤朝雄氏による定義で、悪口を言う、シカト(無視)する、くすくす笑い、デマを流す、といった非暴力系のいじめのこと)。

表立って批判されることはなかったけど、私からは見えないところで、陰口のような形で何か言われているのかな、と感じました。陰口のコミュニティは、私にとっては健康を害するレベルで苦痛なので、近づかないようにするしかない。きっと表立って批判できないから、陰口で発散するのかなあと、想像するしかないんですけど(とりあえず私は、そこまで悪く言われるようなことをした覚えは、全くないので)。

もちろん、そんな悪口ばかりではなく、「月ノヒカリ」のツイッターを好意的に見てくださった方も存在するであろうことは、理解しています。直接お礼を伝えられなかった方には、この場を借りて、感謝の気持ちを、送らせてください。

一方で、ツイッターへの不正アクセスという「違法行為」については、どうしても受け入れることができないです。
私はこれまで、愚直に生きてきて、万引き一つしたことがないので、平気で違法行為ができる人の気持ちは、よくわからない。
ただ、自分自身が犯罪に手を染めることがなかったのは、そこまで自分が(少なくとも経済的には)追い詰められることがなかったから、だと思ってます。
だからこそ、犯罪に手を染めてしまう人は、何かそうせざるを得ない事情があったのかな、と想像力を働かせて、できるだけ理解しようというスタンスでやってきました。

今回、私のツイッターに対する不正アクセスを繰り返した人たちが、何を考えているのか、私にはわからない。
私の中には、「権力や権威を批判するのはいいけど、弱い者いじめは恥ずかしい行為だ」という価値観が、揺るぎなく存在するから。

このブログを通じて、病気や障碍の当事者の方、生活保護受給者の方と、交流を持つ機会がありました。その方々は、自分が苦しい立場にあっても、「マイノリティ差別」や「弱者叩き」に参加する人たちではなかったです。

フォロワー数300人台の素人ブロガーに過ぎない「月ノヒカリ」に対して、執拗に違法行為を繰り返した人たちの間に、どんな闇が存在するのか、私にはわかりません。 「もしかしたら、こんな感じなのかな?」とぼんやり想像することしかできません。
以下に引用する文章は、そんな想像の一部です。

 社会は逸脱者を必要とする

 これが議論の出発点である。犯罪者であれ、アンダークラスであれ、ニートであれ、発達障害者であれ、社会によって逸脱者とされた人々は社会にとって望ましくない存在として、否定的に語られる。それが政策化すれば、 時に撲滅運動及び治療の対象者とさえなるだろう。

 しかし、そうした政策的な取り組み及び言説とは裏腹に、社会はむしろ逸脱者を必要としている。もちろん、最初に述べたように逸脱者が発現しない社会には変化と創造は起こらないという次元での必要性もある。しかし、 それとは逆の意味で、逸脱者はなくてはならない存在なのだ。

 社会の中で声高に非難の対象とされているのに、必要とされるとはどういうことなのか。意外に思われる読者もいるかもしれない。しかし、その理由はデュルケーム及びその影響を受けた社会学者、人類学者たちの見解によってある程度明らかにできる。彼らの考えによれば、いかなる社会も人々の不安、傷つき、怒りを鎮めるための破壊すべき想像上のシンボルを必要とする。この役割を社会の内部で担う者こそが、社会によって作り出された逸脱者なのである。

 グレーゾーンへ(38) 社会は逸脱者を必要とする .法璽範世泙箸

上記のブログ記事は、数年前クラウドシティという有料SNSに参加していたとき、幾度も読み返した文章です。

「市民社会モード」にある大人たちから見ると、学校生活を送る生徒たち(特に、いじめが発生している学校の生徒たち)は「無秩序」で「無軌道」に見える。また、「モラルや規範意識が欠けている」「人間関係が希薄だ」「幼児化している」と思えることもある。
 教室で悪ノリして空騒ぎを繰り返したり、いじめによって被害者の生徒を虫けら扱いしたり、いじめを咎められてもまったく反省するそぶりを見せなかったり、被害者が自殺しても加害者が平然と学校生活を続けていたりするためだ。
 ところが、実際に生徒たちが置かれているのは、「無秩序」とは正反対の状況だ。
 学校は、全体主義に支配された国に似ている。

(中略)

 本章冒頭で、「学校モード」における「良い悪い」は、「市民社会モード」の「良い悪い」とまったく違うと述べた。それを象徴するような2つの事例を見ていただきたい。
【事例1】
「一年のとき、クラスで“仮死ごっこ”というのが流行ったんです。どちらかが気絶するまで闘わせる遊びなんですが、私は『ひょっとしたら死んでしまうんじゃない? やめなさいよ』と止めました。そしたら男子が『死んじゃったら、それはそれでおもしろいじゃん?』というんです。バカバカしくなって止めるのをやめました」
「ほんとに死んじゃったら遊んでいたみんなはどう思うんだろう?」耐えかねたようにひとりの教員が言った。
「あっ、死んじゃった、それだけです」別の生徒が語りはじめた。「みんな、殺すつもりはないんです。たまたま死んじゃったら事件になってさわぐけど、その直前まで行ってる遊びはいっぱい学校の中であります」
 彼らは、どちらかといえば、“優等生的”に振るまう、普通の中学生たちだった。
(青木悦『やっと見えてきた子どもたち』あすなろ書房)

 (内藤朝雄『いじめ加害者を厳罰にせよ』pp.43-47)


 しかしながら、われわれはこれらの非難から、ソピステースだけが特別に悪いものであったように考えるなら、それは大へんな間違いである。プラトンはギリシア芸術の精華である悲劇作品を否定して、その作家たちを理想国から追放しようとしたのであるが、その取り扱いは人々に苛酷と感じられるものであった。しかし、事情はソピステースの場合でもそれほど違ってはいなかったのである。プラトンの厳しい理想主義的要求の前には、当時の国家社会の政治も文化も一切がとうてい吟味に堪えうるものではなかったのである。しかも事情は今日でも違ってはいない。われわれはさきにソピステースの徳育や弁論術が、べつにわれわれから軽蔑されたり、嘲笑されたりするようなものではないことを述べた。無智はかれらだけのことではなく、むしろわれわれにおいていっそう暗黒だからである。誇張された言葉で正邪善悪を云々する声は天下にみちみちているけれども、われわれはそれが何であるかを深く考えたことはないのである。

 (田中美知太郎『ソフィスト』pp.172-173)


退会前にもツイッターに書きましたが、ツイッターは私にとって、自分と同じように病気や障碍で苦しんでいる方々と繋がれる大切な場であり、生きるために必要な情報を得ることができる有益な場でもありました。
そのアカウントを削除するのは、身を切るような痛みを伴うものでした。

でもそれ以上に今は、健康面の不安が大きいです。
不正アクセス等の嫌がらせ行為が続いたのは、体調が悪くなるレベルのストレスだったので。

今月、再発がんの検査(CTとMRI)をする予定です。
今は自分の健康問題だけで手一杯なので、まずは体調回復に努めようと思ってます。

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| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(9) | trackbacks(0) |
2017.03.18 Saturday 23:51
カフカの「掟の門」(道理の前で)という短編がある。
(青空文庫で読めます→http://www.aozora.gr.jp/cards/001235/files/47213_28180.html
ひきこもっている人が社会参加するときの状況ってまさにこんな感じ、と説明したのは、斎藤環だったか。
私にとっても、実感としてよくわかる話だ。

「社会参加につまずく」というのは、「就活でつまずく」のと必ずしもイコールではない。私にとっては、それ以前の問題だった。
まず、病気のしんどさが家族に理解されないでしょ。
ずっと一人で抱え込んでいたのを、たまたま病院で知り合った患者さんに、患者会のことを教えてもらって、「病気のしんどさを、同じ病気の人と共有できると、こんなに楽になるんだ」と知った。そこに至るまで、何年かかったことか。

で、病状が少し落ち着いて、仕事を探そうとしたら、「履歴書の空白をどう説明するか問題」に悩んだり。「病気のことを正直に話したら雇ってもらえない。かといって病気のことを隠して働いたら、無理を重ねて結局は倒れる」というジレンマに陥ったり。

昔はネットで得られる情報も少なく、たまたま新聞で見つけたひきこもり支援団体に電話したら、「今は満員で受け入れられない」だの「親と一緒でなければ話は聞けない」だのと言われて、空振りに終わったり。
「ひきこもっていた人が、良い支援者に出会えて、社会復帰できました!」という体験談は、おそらく実際にあることなんだろうけど、私には別世界の話としか思えなかった。

自分もネットで発信するようになってから、受け取る情報も増えて、自分も動いているうちに、「どこへ行けば、どういう相談に乗ってくれるか」ということが、ぼんやり理解できるようになった。
去年このブログ上でやっていた「人に会いたくない」当事者研究(第4回)へのレスポンスとして、幾つもの相談先を列記したのは、自分がそれだけたくさんの試行錯誤を繰り返してきたってことで。
私にとっては、「ただ生きる」ということが、ものすごく大変なことだった。

自分の受けてきた傷や、自分の病気の特性を理解して、それを癒しつつ、人にちゃんと説明できるようにすれば、もう少し生きやすくなるんじゃないか。それをブログに書くことは、自分と同じように悩んでいる人にとっても、なんらかのヒントになるんじゃないか。そういう思いがあって、ブログを書き続けてきた。それについては、ある程度の成果はあったと思う。


で、去年の夏に、癌の再発がわかったとき、ちょっと肩の力が抜けたというか、「もうジタバタするのはやめよう」と思ったんですよ。
おそらくあと数年くらいで自分は死ぬのだろうから、もう残り時間は余生、隠居老人のように生きていくつもりでしたよ。
「座右の銘は恬淡」とも言ったような。

でもって、短歌を作ることなら、地味〜に無理なく続けられるかなあ、と思っていたんですけど……またもや今、「掟の門」が目の前にある状況みたいで。

えっと、「短歌を作って、人に見てほしい」って、すごーくささやかな望みだと思ってたんだけど、実は結構大変なことだったようです。
すでにとんでもなく消耗して、頭痛やら吐き気やら体調不良で卒倒寸前の状態ですが、なんとかまだ生きてます。
「この頭痛が癌の脳転移の症状だったらどうしよう〜」と不安になったのですが、去年も同じように心配して脳のMRI検査しても、結局何ともなかったので、来月まで様子見することに。
えー私はこれから先、生きていけるのでせうか?

短歌って、私にはよくわからない世界です。
いや、「短歌の作り方がわからない」とか「作品がうまく読解できない」という問題なら、勉強すればいいだけの話ですよ。
でも、今の私が直面してるのは、それとはちと違う問題のような……。
短歌の世界、「歌壇」と呼ばれる場所には、私のこれまでの常識では理解不能な、暗黙のルールがあるみたいで。
で、よくわかんないときは、「とりあえずやってみて、失敗から学ぶこと」というのを教わったのも、このブログで、だった。
(過去記事:「空気」、読めますか?

というわけで、短歌の世界がどうなってるのか、私にはよくわからないけど、「とりあえずやってみる」ために、短歌専用の新ブログを作りました。
こちらです。→「あすも短歌の花が咲く
いかにも適当につけたっぽいブログ名なので、もっといいタイトルを思いついたら、後で変えるかも。
はてなブログです。一度は使ってみたかったブログサービスなので、いい機会かな、と思いまして。中身はこれからです。
やっぱりね、せっかく短歌を作ったなら、感想なり批評なり、良いなら良い、ダメならダメって言ってほしいよね。

短歌用のペンネームは、「都樹野(つきの)ひかり」に決まりました。
このブログで長らく使用してきたハンドルネーム「月ノヒカリ」に愛着があるので、名前の読みはそのままで、多少なりとも人間らしい名前にしようと考えた結果、こうなりました。
「都樹野ひかり」というのも、ビミョーにキラキラネームっぽくて、自分の美意識からはやや外れるのですが……仕方ないです。
だってこのブログを始めるとき、自分が短歌を作ることになるなんて、予想してなかったもんねえ。そのつもりだったらもう少し、日本人らしい普通のハンドルネームを名乗ったんだけど。
改めて今見直すと、「石井ゆかり」とか「中島梓」って超いい名前だよね。今さら後悔しても遅いけど。嗚呼。

「都樹野」って、たぶん簡単には変換できないだろうから、皆様はこれまで通り、「ひかりさん」「ヒカリさん」「つきのさん」「ツッキー」等々、お好きなようにお呼びください。

実は「都樹野ひかり」名義で、ツイッターアカウントも作ったんだけど、そっちはもう少し置いておきます。
「同時に新しいことを二つ始めない」というのが、精神科医・中井久夫先生のアドバイスだったので。

体調面の不安を抱えながらなので、少しずつしか進めていけませんが、のんびりお付き合いいただければ幸いです♪






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(10) | trackbacks(0) |
2017.03.09 Thursday 21:23
えっと、ここしばらく体調が悪くて、ネットから離れてました。とある方に相談したら、「ネットから離れたほうがいい」というアドバイスを受けまして、確かにそうかもしれないなあと。

でも短歌は、ネットなしでもつくれないわけじゃないし、まあボチボチやっていこうと思います。
といっても私は、競争社会から落ちこぼれた人間で、もう二度とそこには戻りたくないので、短歌にしても、もう本当に細々と続けて、死ぬまでに幾つかいい作品ができたらいいなあくらいの、ゆるーい感じでマターリやっていきたいです。

で、改めて考えてみて、やっぱり短歌用の別ブログを作ったほうがいいのかな、と。
このブログは、トンデモネタとかヘンテコ企画とか何でもありでやってきたので、それとは別に、淡々と短歌を発表する場があってもいいかもしれない。
短歌用のペンネームはもう考えてあって、短歌ブログではそちらのペンネームでやっていこうかな、と。

あと、それとは別に、拍手コメント等で励ましの言葉をくださった方に、以前はブログ上でレスしていたのですが、癌の再発以降はそれも難しくなって、レスをサボってる状況で。
でもブログ主としては、応援メッセージをくださった方に、なんらかのレスポンスをしたいという気持ちはあるのです。 それについてもちょっと考えていることがあって、また後日発表します。

とりあえず今回は、お知らせだけ。
体調が戻るまで、もうしばらくネットはお休みします。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(2) | trackbacks(0) |
2017.02.02 Thursday 22:36
えっと、年明けに「今年は短歌やります!」と威勢よく宣言したのですが、さっそく挫折しました……。
理由はですね、どうも自分が思っているよりも、このブログとツイッターが、注目を浴びてる気がするからです。

前々から、月ノヒカリのツイッターをフォロー外から覗きに来る人がいるっぽいなーとは感じていたんですよ。
でもそんな物好きは、多くてもせいぜい12〜3人くらいだろうし、まあいっか、と流してたんですけど……今はそうも言ってられないような……。

といっても、もしかして、このブログやツイッターが「注目されている気がする」のは、例の精神病的な妄想かしら? という疑念も拭えないのですが。

メンタルこじらせてる人へのよくあるアドバイスに、こんなのがあるんですよ。
「自分が思っているほど、他人はあなたのことを気にしていない。これがわかれば楽になる」
このブログのコメント欄にも書き込まれたことがあります。私わりとそれ、真に受けてたんですよ。
ここはアクセス数の少ない過疎ブログだし、ツイッターもフォロワー数三百人台ならたいして多くないし――と思って、のびのびやってたですよ。
と言いつつ、やっぱり炎上は怖いので、あまり変なことを口走らないよう、気をつけてきたつもり、なんですけど……。

どうも、自分が思ってたより多人数に見られてるっぽいんですよね。特に短歌界隈。
いや、その「見られている」というのも、例の精神病の妄想である可能性は否定できないんですけど。

このブログで短歌を発表するのはお休みして、もっと落ち着いて短歌と付き合える場所を探したほうがいいのかしら? と考え込んでしまいました。

本格的に短歌やってる人は、結社とかに入る人が多いんですけど、あれよくわからなかったんですよ、私には。
だって、ブログやツイッターで短歌を発表するのは「タダで」できるのに、結社とか入ると「お金を払って」短歌を発表することになるんです。
それ、私にどういうメリットがあるんだろう?

よくわからなかったんですけど、もしかしてそれは「悪目立ちせず、落ち着いた環境で作品を発表できる」というメリットがあるのかな、と思い至りまして。

まあ確かに、昨今のネットでヘタに目立つと、叩かれるリスクが増えるばっかりで、何にもいいことないですし。
私もネット歴が長いので、「実力が伴わないのに注目されるのって最悪だ」ということもわかってますし。

私はもっとのんびりマイペースでやりたいので、短歌を発表する場所を他所に探したほうがいいのかなあと。
でもやっぱり、「このブログを読んでくれている人が、私の短歌を見てくれたら嬉しい」という気持ちはあって、すでに発表したい短歌もつくってあったんですけど……どうしよう。どうすればいいんだろう。

今つくってる短歌って、今しか発表できない気もするんですよね。
来年になったら、今の自分の短歌は、自分の中で賞味期限切れになってる可能性もある。だったら、気が変わらないうちに、ブログで発表したほうがいいのかなあ、とか。

自分でもまだ答えが出てないんですけど、「困ってることは言語化して、表に出したほうがいい」とよく言われるので、ここに書いてみます。
何かアドバイスがありましたら、コメントいただけると嬉しいです!






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(12) | trackbacks(0) |
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