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2020.09.12 Saturday
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2020.03.12 Thursday 22:35がんの治療のための通院と、近所での買い物や散歩以外、どこへも出かけられない日が続いています。
先月末から、あれよあれよという間に、各種イベントは中止になり、図書館を含む施設が次々と閉鎖されました。
私、「自分の体調の悪化」以外の理由で、ヨガに通えなくなる日が来るなんて、思ってもみませんでした……。
がんの治療で通っている病院の主治医にも、「不要不急の外出はしないように」と言われてしまいまいました。ヨガ教室もダメだそうです。
確かに、スポーツジムでコロナウイルスの集団感染が起きた例もありますからねー。
この状況、いつまで続くのでしょうか。
早く落ち着く日が来てほしい。
「不要不急の外出を控えなければいけない時期」が長期化すると、下手したら私、病院と近所以外へはどこへも出かけられず、誰とも会えないまま、一生を終えることになったりして……まさか。まさかね。
まあ、読みたい本はたまってるし、家にいても退屈することはないのですが、それにしても。
映画も観に行けない(これはまあいい)、美術館にも行けない(これはちょっとショック)、ヨガにも通えない(体がなまりそう)、カフェでおしゃべりとかもできない(かなりショック)、公共交通機関を使うのもビクビクしながら——これが長期化するとなると、かなりのストレスです。
私のストレスなんて、この騒動で仕事を失ったり、収入が減って生活を維持できない、という人たちの深刻さに比べれば、大した問題ではないです。
そうは思うものの、残り少ないかもしれない人生の最後の時間を、どこへも行かず、誰にも会わずに過ごすのか? と考えると、切ないものがありますね。
学校も各種施設もイベントも、どこかの時点で再開されるのでしょう。私も、以前のように気軽に出かけられる日が戻ってきてほしいです。ですが、新型コロナウイルス感染のリスクがある中で、リスクを取ってでも出かけていいものか? と考えると——悩みますね。
もし私が、新型コロナウイルスに感染したら、どうなるんだろう?
抗がん剤治療中のため、通常よりも重症化のリスクが高いとは言われています。
それだけではなく、感染がわかった時点で、抗がん剤治療は中止になる、のかなあ。そうなったら、いつまで保つのか……。
あと、もし感染して、気づかないまま今の病院に抗がん剤治療のために通院したら——病院にいる患者さんや医療従事者をウイルスに晒してしまうことになるかもしれない。
そう考えると、やっぱり「リスクを取る」のは、難しいな、と感じます。
それから、いま入院したら、面会禁止なんだそうです。だから、緩和ケア病棟に入院している患者さんが、人生の最後になるかもしれない時間に、家族と会うのもままならないという……。
もう本当に、重症者はできるだけ少なく、経済的なダメージも最小限で、なるべく早く終息してくれるように祈るばかりです。
こうも状況が変わってしまうと、以前考えていたようなテーマでブログエントリを書くのは、難しくなりました。 一方で、「もうやめるかも」と言っていた短歌は、新しい連作を作って、こそっとnoteで公開しています。
非日常の事態がやって来ると、何気ない日常というのは、本当に奇跡のような時間だったんだな、と改めて思い知らされます。
これからどうなるかわかりませんが、手洗いを忘れず、休めるときは休んで、体力を維持しながら、できることをやっていきましょうね。
あなたも私も、一日でも早く、奇跡のような日常を取り戻せますように。
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2020.01.02 Thursday 17:03初夢の話。
名古屋駅から少し東に離れた場所にいた。15分も歩けば、駅北側の商店街に出られるはずだった。
しかし、歩くのはちょっと面倒だ。近くにバス停があったので、バスに乗って行こうと思った。
バス待ち中の女性に、「このバスで駅前の文具店に行けますか?」と尋ねてみた。
女性は、「このバスでは行けない」と言う。その文具店へ行くのは別のバスで、しかもかなり時間がかかりますよ、トンネルを五つ抜けた先にあるから、と。でもその文具店には、すごく可愛い文具があって、他では買えないので、行く価値はあります。そう教えてくれた。
かなり時間がかかると聞いて、私は行くのを諦めた。文具店へ行くのは、またの機会にしよう。
——このあたりで夢が切り替わったので、後半は省きます。
この夢はちょっと変だ。現実の名古屋駅前とは、かなり異なる。
名古屋駅前は、ここ10年くらいの間に、高層ビルの建築、建て替えが進んだ。
駅の北側には、KITTE名古屋やルーセントタワーはあるけれども、「商店街」など存在しない。小さな商店がひしめいているのは、駅裏だ。
駅裏が「親不孝通り」の異名を持つのは、予備校街だからとも、オタク御用達の店があるからとも言われている。予備校とオタク、どちらも通過済みの私は、二重の親不孝者なのだろう。
そして、中学生の頃ならともかく、今の私は、「可愛い文具」に特に萌えはない。
「書きやすいボールペン」へのこだわりはあるが(ジェットストリーム派です)。
なんだったんだろうなあ、この夢は。
ちなみにこの、「実在の名古屋駅前とはちょっと異なる、夢バージョンの駅前」は、以前にも夢に出てきたことがある。リピーターなのだ。夢バージョンの特殊な駅前地図が、私の脳内にはあるらしい。
こういう、「よく知っている場所にいるはずなんだけど、現実のその場所とは少し違っている」という夢を見ることは、しばしばある。
どうせ夢でしか行けないのなら、中世ヨーロッパ風の世界とか、シルクロードとか、宇宙空間とか、もっと夢のような別世界に行けたらいいのに。
そう思わないでもない。
けれども、その手の別世界は、夢から覚めた後もありありと思い出せるようなリアリティを伴うことは、まずない。
よくよく思い出すと、今回の夢に出てきた名古屋駅前商店街は、もう少し家に近い地下鉄の駅前の、かつての姿に似ている。かなり前のことだが、私は、その駅の近くにある病院に通っていた。病院から駅へ向かう道のりも、「夢の中の名古屋駅前地図」と重なる。
そこまで考えて、気づいたことがある。
この手の夢に出てくる、「よく知っているはずの場所なんだけれども、現実のその場所とは少し異なるパラレル世界」は、自分がつくる短歌に似ているのだ。
本や漫画や写真の世界から短歌をつくったこともあるけど、自分の実体験を種として短歌が生まれることの方が、私には多い。
そのとき、実体験の描写をしているつもりでも、無意識の世界で、他の記憶や景色と混ざり合って、少し歪んだ世界を写し取ることになってしまう。
私は海外生活をしたことがないので、外国の景色や日常は、リアルな夢(あるいは短歌)にはならない。
私の日常(や、よく知っているはずのもの)が、無意識の世界を通過して、少し歪んだ姿であらわれる場所。 それがあの夢であり、自分の短歌なんだと思う。
だから、私がつくった短歌を読んでもらえるのなら。
夢を見るときのように、こちらの世界に遊びにきてほしい。
それが今年の初夢だ。
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2019.12.28 Saturday 13:26
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2019.11.03 Sunday 17:23先日、たまたま大雨のあと外に出た。ふと空を見上げたら、虹がかかっていた。
しばらくの間、虹はうっすらと二重になっていた。
虹を見たのは久しぶりだ。
狂詩曲(ラプソディ)はしゃぎつかれて眠る雨、それから虹を奏でるひかり
(連作短歌「ありふれた夜のために」より)
生きているうちに、もう一度虹を見る日は来るかな。来てほしいな。
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2019.10.11 Friday 22:15祝☆「表現の不自由展」再開!
というわけで、再びあいちトリエンナーレ、愛知芸術文化センター会場に行ってきました。
表現の不自由展は、希望者多数のため抽選。抽選に2回参加して、残念ながら2回とも外れてしまいました。
が、表現の不自由展中止に抗議するために、展示を中止していた作品たちの再開を見ることができたので、再訪してよかったです。
芸術文化センター地下2階では、ピア・カミルの「ステージの幕」が下まで降りていて、音楽も鳴っていました。 ああ、本当に再開したんだなあ、と感慨深いです。
「ステージの幕」、近くで見ると、Tシャツの脇を開いて縫い合わせていて、頭を入れる穴の部分にスピーカーが仕込んであるとわかりました。
これまで展示中止していた作品では、タニア・ブルゲラがずっと気になっていたので、今回やっと体験できたのが嬉しい。
展示室に入る前に、手にスタンプを押されます。私の手に押されたのは、「10150920」という数字でした。これは、2019年に国外へ無事に脱出した難民の数と、国外脱出が果たせずに亡くなった難民の数の合計だそう。
そして真っ白な壁に、数字が書いてあるだけの部屋。 難民の数、少しずつ増えてるんですね。
室内にはメンソールの匂いが充満していて、目や鼻にツーンとくる刺激。
「難民の数、とんでもないんだよ! 素通りするなよ! ちゃんと体に刻みつけろ!!」という作家の叫びが聞こえてくるような。
芸術文化センター会場の外では、拡声器を持った男性が、表現の不自由展再開への抗議スピーチをしていて、その近くに「ヘイトスピーチ反対」のプラカードを持った女性を見かけました。
明日12日は台風接近のため、あいちトリエンナーレの会場はすべて休館だそうです。
台風、どうか大きな被害が出ませんように。
皆様もお気をつけて。
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