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2020.09.12 Saturday
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2014.09.03 Wednesday 23:36前回のエントリまでの流れで、いろいろと難しいことをゴチャゴチャ考えてたら、アタマの中が煮詰まってきたので、超どうでもいい話をします。
大まかな内容としては、「美しく完成された作品よりも、出来損ないの未完成作品の方が、実は価値があるのではないか?」という話。 -
2012.03.01 Thursday 23:45久しぶりにJUNEカテゴリの話を。
といっても今回は、801・BLとはあまり関係ないので、どなたでもどうぞ。
くどいようだけどもう一回確認すると、かつて「JUNE」という、いまで言うBLの先駆けとなる雑誌があって、私は十代の頃、どっぷり愛読していたのです。
あの雑誌に掲載されていた作品は、多くが読者の投稿だったんだけど、それにしては異様にレベルが高かった。
小説は「中島梓の小説道場」、漫画は「竹宮惠子のお絵描き教室」という、その道の大御所が指導していたからかもしれない。
いま想うと、なんとも贅沢な雑誌だった。あんな雑誌はもう現れないだろうなあ。
・・・話を本題に戻すと、かつての「JUNE」には、歌人の藤原龍一郎を選者とする「黄昏詞華館」という詩歌の投稿コーナーもあった。
そこで常連だった沖下一美という人の詩、私はものすごく好きだったんだ。
沖下一美は、『思い出の番人』という一冊の詩集だけしか残していない。
「小説道場」や「お絵描き教室」の出身者たちが、その後プロとして活躍しているのとは裏腹に。詩というのは、いまの時代、やっぱり売れないんだろうなあ。
でも私にとって沖下一美は、須和雪里や尾鮭あさみと同じくらい、懐かしく思い出深い名前だ。
彼女の詩の中で、とりわけ印象に残っている詩をひとつ、ここに書き写しておく。 -
2011.01.23 Sunday 23:24ネタにつまったから、というわけではないのですが、死ぬほどどうでもいい話をします。
ちなみに腐女子トークです。
以下、BLとか801とかに耐性のない方、「それ何?食べられるの?」という方は、ここで回れ右。 -
2010.10.01 Friday 21:01前回の記事「Twitter上のBL・腐女子論まとめ」を受けて、自分なりに思ったこと(の一部)を書きます。
JUNE、BL的なものを愛好する理由の一つとして、ジェンダー・セクシュアリティの問題は避けて通れないのではないかと思う。
松尾慈子さんは、asahi.comの連載「漫画偏愛主義」内で、「私はBLのおかげで自らの性を肯定的に受け止められるようになった」と書いてるし、ツイッターBL論でもそういう流れになってますが……。
まったく自慢にならない話ですが、私は3X歳の今も、自分の性を肯定的に受け止められません。
@negimisoさんの「男でも女でもない第3の性があるならそれでも良いのかも」とか、
@chimnyanさんの「BL的なものとJUNE的なものの違いは、「女性性」という源流に帰るか、または新たな道を模索していくか、そういう違いなのかもとも思ったりします。」
という表現には、とても共感したんですが。
ジェンダー・セクシュアリティの問題、「自分の性を受け入れられない」という話をしようと思うと、どうしても鬱陶しい自分語りにしかならない気がする。自分の中にも「書きたくない」「読まれたくない」気持ちがあるし。
特に葛藤することなく「男性」や「女性」でいられる人には、こういうのどうでもいいか、気持ち悪い話なんだろうなあ。
だからここまで読んで苦手意識を感じた人は、ここで回れ右。 -
2010.09.27 Monday 23:57Twitter上で、俄にBL論・腐女子論が盛んになったのは、5月頃だったと思う。
そのときにブログにまとめておこうと思ったんだけど、例によってブログ主はトロいダメ人間ですから、記事にするのが遅くなりました。
以下は、私が読んだ腐女子論togetterまとめを順番に並べて、ちょこっとコメントしただけの記事です。
腐女子については、「知ってほしい」という気持ちと「そっとしておいてほしい」という気持ち、ふたつが入り交じっているので、ここに書くのってどうなのかなぁと今も迷いがあるんですが。
関心のある方はどうぞ。 - ←新しい記事 1/3 pages 古い記事→