2018.01.28 Sunday 23:38
☆前回までのあらすじ
再発癌の肝転移が大きくなり、腫瘍マーカーも上昇し続けている→治療法を変えなければ→承認されたばかりの、お値段高めの新薬使ってみる?

というわけで、昨年末から新薬の治療が始まりました。
副作用として、「骨髄抑制」がある(白血球が減少するとか)と聞いていたので、とにかく年末年始の病院が休みの間、風邪を引いたらどうしよう〜と気が気ではなかったのですが、無事に年が明けまして。

件の新薬の服用を始めて、体が重〜いような感じがでてきて、「おや? これは副作用かな?」と思いつつ、でもまあこれくらいなら耐えられるかな、と呑気に構えておりました。

ひとつ予想外だったのは、新薬は一度に二週間分しか処方できないとのことで、通院の回数が増えるの面倒だな、と。でも、これも仕方ない、と受け入れたんですが。

年明け初通院の日、血液検査をしたら、白血球と好中球の数値がずずーんと下がっていて、服薬二週間で、休止になりました……。
えっと、この新薬は、分子標的薬(のはず)で、「副作用はあるけど、抗がん剤ほどではない」と思い込んでいた、というか期待していたんですよ。
でも、ここまで骨髄抑制がキツいとは、思ってませんでした。

でもって、一週間後に血液検査をしても、まだ好中球の数値は回復していなくて(むしろ下がっていた)、さらに一週間後に血液検査して、なんとか回復。というわけで、薬は20%減量して、再開することになりました。これが先週までのあらすじ。
もうね、年明けから、毎週のように病院通いしていましたね。

化学療法室で、薬剤師さんとの面談の機会があったんだけれども、
私「あの〜、この薬、体格の良い欧米人基準で、日本人には強すぎるんじゃ…?」
薬剤師さん「そういえば、治験に参加した日本人のほとんどが減量になったと聞きました」
などというやり取りもあり。

私の通っている病院でも、この新薬を使い始めた患者さんは、副作用が強くて、薬を減量する人が多いらしい。
点滴の抗がん剤なら、体表面積あたりで量を調節するんだけど、飲み薬だと全員一律同じ量で、というのもおかしな話だよなー。ぶつぶつ。などと文句のひとつも言いたくなりましたよ。

元々この新薬は「QOLは良い」という話(をネットで見た)だったので、私も「使う価値はあるかな」と思っていたんですよ。
でも私の場合は、結構QOL下がってます。
というのも私には、アトピーという伏兵があったですよ。アトピー悪化&指先がひび割れて痛いのなんのって。ううう水仕事がつらい……。
たぶんこれ、薬の副作用だと思う。
アトピー関係なく、抗がん剤の副作用で「皮膚障害」は多いみたいだけど……なんといいますか、医師は、血液系の副作用(白血球の減少とか)については敏感だけど、皮膚障害はあまり取り合ってくれないというか……それくらい我慢しろってことでしょーか。

これで、薬の効き目がなかったら、とっとと止めればいいんですけど、ついさっき見つけたサイトには、「いくつかの分子標的薬は、皮膚障害が重篤であるほど、がん細胞への薬の効果も大きい…」などと書いてあり、たいへんビミョーな気持ちになりました。

癌に対する効果はあっても、副作用がしんどいのって、悩ましいです。
これが初回治療なら、治療に終わりがあるんだけど……エンドレスの治療ってつらいなあ。と、今になって初めて、リアルに実感しました。

もう本当にいよいよ「闘病…っ!!」って感じになってきましたね。
それでも、十四年前の初回治療で、アントラサイクリン系の抗がん剤やって全脱毛&ゲーゲー嘔吐した時に比べたら、まだマシなんだろうか。

今年は、チョコレート祭りには行けないだろうなあ。
ここ数年、毎年恒例の楽しみだったけど、白血球が減ってるのなら、人ごみで風邪やインフルエンザうつされるの怖いし。そもそも今、あんまりチョコレート食べたい気分じゃないし。
ケーキなら食べたい気分なんで、買ってきて食べるけど…!!

つくづく思うんだけど、がん患者に対するサポートって、昔に比べたらずいぶん整ってきていると感じます。化学療法室で、薬剤師さんにちゃんと薬の説明をしてもらえたのも、すごくありがたかったし(ついでに、これから先使う可能性のある薬のことまで質問しちゃいました)。

昔はなかったサポートが、今の時代にはある。とてもありがたい。
でもやっぱり、つらいものはつらい。
そういうものなんだな、闘病って。

副作用はできるだけ少なくて、癌に対する効果は大きい治療法があればいいんですけどね。

ともあれ、がんばれ私!!






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(8) | trackbacks(0) |
2017.12.25 Monday 00:55
ツイッターの #MeToo ハッシュタグで、性犯罪やセクハラの被害を訴える動きが、世界中で広がっている。
ハリウッドの女優が大物プロデューサーのセクハラを告発したことから始まるが、日本でも、有名ブロガーのはあちゅうさんが電通勤務時代に受けたセクハラ・パワハラについての記事が出て以降、続々とセクハラ被害にあった女性の声が上がって「炎上」のような様相を呈している。
過去、自分のツイッターTLに、女性の性犯罪やセクハラ被害体験談が流れてくることはちらほらあったので、潜在的な被害者は多いのだろうな——とは思っていたけど、改めてその数に圧倒された。

単なる「嫌がらせ」と「ハラスメント」との違いは、権力関係の有無にある。
権力を握っている側が、立場の弱い人間に対して、人格や尊厳を侵害するレベルの理不尽な行為をすれば「パワハラ」だし、それが性的な嫌がらせを含む場合は「セクハラ」になる。
そう考えると、私が今年に入ってから、とある人たちにされた嫌がらせは、「パワハラ」であり「セクハラ」でもあったと思う(例えば、事実ではない異性関係の噂を広めたり、容姿や胸が大きい小さいなどと揶揄することもセクハラに当たる)。

私は現在、会社勤めをしているわけではないので、典型的な「セクハラ」「パワハラ」の被害を受けた、とは言いづらい状況だ。ただ、被害者の告発を読んでいると、私自身が過去にされた「嫌がらせ」の痛みと重なる部分があるように感じた。
様々な証拠や条件が揃っていたら、私ももっときちんと詳細を書いて、自分の被害体験を公に問いたかった。残念ながら自分にそれができないということは、いま表に出ている被害体験は「氷山の一角」に過ぎず、もっと多くの被害が水面下にあって、今も一人で苦しんでいる人がたくさんいることの証左のように思われる。

これから書くことは、特に目新しいことのない、個人的な思いにすぎないかもしれない。でも、私自身が抱えている痛みからの回復のためにも、書くことにする。

すでに多くの女性が述べていることだけど、はあちゅうさんのセクハラ告発記事を読んでいて、悲しくなったのは、以下の部分だ。
「私の場合、自分が受けていた被害を我慢し、1人で克服しようとすることで、セクハラやパワハラ被害のニュースを見ても『あれくらいで告発していいんだ…私はもっと我慢したのに…私のほうがひどいことをされていたのに…』と、本来手をとってそういうものに立ち向かっていかなければならない被害者仲間を疎ましく思ってしまうほどに心が歪んでしまっていました」
 https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.bn3GZkOk2#.ed11eJVJR

ここを読んで、伊藤詩織さんが、著名なジャーナリストから受けたレイプ被害を告発した時、女性からの非難があったと語ったことを思い出した(こことかここを参照)。
私はそれが不思議で仕方なかった。なぜ女性が、性犯罪の被害にあった女性を叩くのか?
私はレイプのような重い性犯罪の被害にあったことはないけど、それでも女であるがゆえの理不尽な差別や犯罪の被害、それに伴う苦痛は、多少なりとも理解できる。だから、なかなか言葉にはしづらいけれども、詩織さんのように勇気を出して被害を告発する人を、応援したい気持ちはある。

でも、現実には、女性がセクハラや性犯罪の被害を告発するとき、「女性からの反発」があることを覚悟しなければならないみたいだ。とても悲しいことだけれども。

伊藤詩織さんは、年配の世代の女性は、我慢して男社会に合わせるのが当たり前だったから、自分のように告発することに否定的なのではないか、と述べている(参照URL)。
確かに、年配の世代の女性は、今より我慢しなければならないことも多かったかもしれない。今でも、生きていれば我慢して他者に合わせなければならない場面も多くある。でもその「我慢」は、本当に必要な我慢か? という疑問は、考えてみてもいいんじゃないかと思う。
ハラスメントに耐えて、心身を病んでしまった人、中には自ら命を絶つ人も存在するのだ。加害者の体面を保つことは、本当に、被害者の命よりも大切なことだろうか?

若い世代の女性で、セクハラ告発に批判的な例として、指原莉乃さんの記事がある。指原さんは、「セクハラなんて自分にもまわりにもない」と発言したらしい(参照URL)。
AKB界隈で「セクハラがない」というのはちょっと信じがたいのだけれども、指原さんはかなり「空気を読んで、自虐しつつ発言する」タイプで、そうすることで「勝ち抜いてきた」タレントだから、彼女の中では「セクハラなんて存在しない」ことになっているのかもしれない。

これについては、トイアンナさんのブログ記事を読んで、腑に落ちる面があった。ある種のゲームを戦っているエリート層にとって、「優秀さ」というのは「女性であることを売りにできる、そこを使ってのし上がること」も含まれる、とのこと(参照URL)。

なるほど、「女性であることを売りにする」のは、私にとってものすごく苦手な分野だ。そういう価値観の場所では、私はきっと生きていけないだろう。

えっと、つまり、まとめると。
男社会で女性が生きていくためには、自分の「女性」の部分を売りにしつつ、でもセクハラは上手にかわしつつ、男性と同じ仕事をして出世するしかない、と。
・・・いやそれ、無理ゲーでしょ。少なくとも私にはできない芸当だ。

はあちゅうさんの記事に戻ると、上記引用の続きで、彼女はこう語っている。
「けれど、立ち向かわなければいけない先は、加害者であり、また、その先にあるそういうものを許容している社会です。私は自分の経験を話すことで、他の人の被害を受け入れ、みんなで、こういった理不尽と戦いたいと思っています」
 https://www.buzzfeed.com/jp/takumiharimaya/hachu-metoo?utm_term=.cgOBWq8qj#.umeA6V5V9
この言葉、私も全面的に賛同したい。


もう一点、はあちゅうさんの記事に戻って、妙に共感してしまったポイントを挙げてみる。
セクハラ・パワハラ加害者は、少なくとも「仕事」の面では、実績があり尊敬できる存在だった、という点。ハラスメントを告発しづらい、それどころか「被害者本人が、ハラスメントの被害にあっていることに、気づくことすら難しい」のは、この問題があるからだと思う。

実は私自身、簡単に人をリスペクトしてしまって、でもよくよく近づいて見てみたら、「こんな卑劣なことが平気でできる人なんだ…」と知って愕然とする、ということが、過去に何度かあったのだった。そういうことを複数回繰り返しても懲りないあたり、自分は本当に馬鹿だなあ、と呆れてしまうのだけれども。

誰が見ても人格的に問題のある人物からハラスメントを受けたのなら、逃げることもさほど難しくはなかったと思う。
でも、仕事上の実績があって尊敬している人にハラスメントされると、「逃げ遅れる」こともあるのだ。尊敬している人が、そんな酷いことをするはずがない、と心のどこかで信じたいから。

これもよく言われることだけれども、社会的に「人当たりの良い、親切な人」という評価をされている人であっても、目下の女性に対しては、高圧的な態度をとる男性もいる。立場が上の相手には慇懃に振る舞い、立場が弱い相手に暴言を吐くタイプだ。

性犯罪やハラスメントの被害でも、今回の #MeToo 運動でも、「声を上げた被害者を孤立させてはいけない」と言われている。でも、加害者が対外的に「善い人」という評価を得ている場合は、被害者が「ハラスメントの被害にあった」ことを、周囲に理解してもらうためのハードルが上がる。
ましてや仕事上の実績がある加害者と、弱い立場にある被害者とでは、被害者が泣き寝入りすることが圧倒的に多いであろうことは、想像に難くない。とても残念なことだけれども。

このあたりの事情については、fujiponさんの次のブログ記事に書かれている実例が参考になる。
■狭い世界での「権力者によるパワハラ・モラハラ・セクハラの複合攻撃」について(いつか電池がきれるまで)

結論の部分から、一部引用してみる。
 世の中には、人格的には最低最悪なのだけれれど、素晴らしいコンテンツを作ることができたり、仕事で凄い能力を発揮したりする人がいて、一緒に働くのはまっぴらごめんだが、社会全体としてはメリットが大きい、という人がいる。そういう怪物をどう扱うべきなのか。
(中略)
 彼らの能力を利用しようとして、行状を黙認してきた人たちにも、責任はある。
 ということは、僕にも責任はあるし、もし、「誰もがいいなりにならざるをえないような権力」を自分が持っていたら、同じことやるかもしれない、という不安もあるのだ。僕は無能で、自信がないから、やらないだけなのではないか。いや、そんなふうに考えることが、ああいう行為を本人や周囲の人に「特別な人間に与えられた特権」だと勘違いさせてしまっているのかもしれない。
 あるいは、本人たちにとっては、「ああいう形の愛情表現」というのが、本当にあるのではないか。コンテンツとしての「歪んだ愛情表現」は、世界に満ち溢れている。
 http://fujipon.hatenablog.com/entry/2017/12/18/170319

上記引用の末尾の部分と関係することだけど、世の男性の一部には、「女性は、セクハラされて喜んでいる」と思い込んでいる人もいるらしい。確かに、そういう「歪んだ愛情表現」を描いた作品、「セクハラ的な行為をされて喜ぶ女性」を描いた表現は、結構な数で存在しているように見える。
ただ、「表現の自由」や「表現規制」については、複雑な問題を孕んでいるので、ここでは触れないことにする。

「人格的に問題のある人が、素晴らしいコンテンツを作る」例は、私も思い当たるフシがある。
私もこれまで、セクハラやDVの噂がある男性の書いた著書や文章に、深い感銘を受けたことがあった。また、上に書いたように、「仕事」は尊敬できるけど、「人物」はとんでもないハラッサーだった、という例も知っている。実はスティーブ・ジョブズもそういうタイプだったらしいし。

「仕事の業績」とその人の「人間性」は、切り分けて考えられるものなのか?
この問いについては、わりと長く考え続けているのだけれども、まだ答えが出ない。
自分が直接の被害にあったハラッサー(ハラスメント加害者)の「仕事」や「作品」がどんなに素晴らしいものでも、それを目にするとトラウマのような記憶が蘇ってくるため、リスペクトし続けることは難しい。
でも、直接の被害にあっていなければ——どうだろう?

一つ言えるのは、どんなに素晴らしい仕事上の業績がある人でも、法に触れる行為をしたなら、きちんと法の裁きを受けるべきだし、そうでなくても倫理的に大きな問題のあるハラスメントや著しい人権蹂躙などの行為をしたなら、社会的な制裁が下されなければならない。これは当たり前のことだと思う。でもその「当たり前」が機能していないことが問題なのだ。加害者の多くが見逃され、被害者の多くが泣き寝入りしているのが現状だ。

法や人倫に反する行為をした人たちが、全く裁かれることがなく「上」にいるのは、被害者だけの問題ではなく、集団全体にとって、ひいては社会全体にとって、大切なものを損なうことになる。社会を支えている土台の部分が損なわれる。権力を持つ側の腐敗を放置しておくと、その腐敗は、集団全体をじわじわと侵食し、やがて全ての構成員の首を絞めることになりかねない——と、ここで警告しておく。

適切な法の裁きや社会的な制裁がなされた後でも、なお加害者の「仕事」は素晴らしいものであり得るのか?
権力を握っている人間が、弱い立場の人間にハラスメントをしてしまうのは、人間の本性なのか?
これらの問いについては、これからも考え続けたい。

まとまってないけど、ひとまずこれで。皆さんにも問題を共有してもらえると嬉しいです。






| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017.12.12 Tuesday 00:03
病院で、先月撮ったCTの結果を聞いたところ、癌の肝転移はさらに大きくなり、このままでは危険なので、薬を変えなければならないとのこと。

覚悟はしていたけど、それでもやっぱり、ずーんと落ち込みました。
例によって、ケーキを買ってきて食べたら、少し浮上しましたが。

落ち込もうとなんだろうと、治療法は決めなければいけないわけで。
主治医からは、「ちょうど新薬が出たんだけど、やってみる?」という提案がありました。
その「新薬」については、私もネットで情報は得ていて、選択肢の一つだったので、「じゃあやります」ということに。

ただ、私が通っている病院で、その薬が承認されるのは今月半ば頃、さらに年末年始の休みも考慮した上でスケジュールを考えると、最短で今月末からの治療開始になりそうです。

で、家に帰ってから、改めてネットで、その新薬の薬価を調べたら——目玉が飛び出ました。
その新薬を含めた治療費を計算したら、3割負担でも、1ヶ月で20万円くらいかかりそうで。
もちろん、高額療養費制度があるから、上限額を超えた分は、手続きすれば戻ってくるはずですが……これから先、こんなにも高額な治療費を払い続けるかと思うと、めまいがしますね。それに見合う効果があればいいんですけど。

これは前々から思ってたことだけど、診察室で医師は、薬価とか治療にかかる金額について、教えてくれないものですね。聞けば教えてもらえるのかもしれないけど(でも3割負担の場合の金額までは、きっと医師も回答を準備していないと思う)。
患者としては、「副作用」が一番気になる情報ではあるけど、治療にかかる「費用」も無視できない問題のはずですが……。私も、その薬価を知ってたら、「やります」とは言わなかったかも。実は今でも、ちょっと迷ってます。

でもって、その新薬を使うとして、このブログに、その治療について書くかどうか、それも迷うところです。
ステージ4の癌患者として率直に言うと、私自身が切実に知りたい・読みたいこと、とりわけ同じような状態の患者さんに発信してほしい情報は、次のような内容です。

・どんな薬をどういう順序で使ったか(薬剤名、詳しい治療スケジュール)
・治療の効果はどうだったか
・どんな副作用があったか
・3割負担で医療費はいくらになるか
・どのくらいの期間、その薬を使ったか(減薬することがあればそれについても知りたい)

こういう内容の話を、医療情報サイトにあるような「公式アナウンス」ではなく、患者さんの生(なま)の声で語ったものに触れたい。

——と思いつつ、自分のブログでは、今使っている薬の名前をきちんと書いていないのは、そういった個人情報がどこでどう悪用されるかわからなくて怖い、という気持ちがあるからです。

どうなんだろうなあ。
やっぱり詳しい治療の話は、オープンなブログに書くべきではないのかな。

ちなみに、前回のエントリの後半に書いた、「使える薬のリスト」は、「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」内の「薬物療法について」のページにあります。

私は、がん患者支援センターにあった冊子版から、必要な部分をコピーしてもらいました。
乳がんのサブタイプによって使える薬は違うので、この表を見ただけでは、わからない点もありましたが——私の住んでいる地域では、がん患者のピアサポート制度が充実していて、ピアサポーターの方に質問したら、「これはHER2陽性患者用の薬」といった説明や、個々の薬の副作用についても、スラスラと教えてもらえました。乳がんは特に患者数が多いから、同じような患者さんを見つけやすいという意味では、ラッキーなのかも。

これから使う予定の「新薬」については、上記「ガイドライン」にはまだ記載がないですが、現在ネット上で、日本語で読める情報だけでも、それなりに出ています。

それにしても、どうなんだろう? この新薬。
臨床試験の結果もネットに出てるけど、「そんなものか」という感じで、「夢のように素晴らしい薬」という気はしない。副作用が「軽い」と言えるかどうかも微妙だし(実際にやってみなければわからない)。
でもって、こういう「冷めた」目線で新薬について書いちゃうのって、新薬に期待している患者さんが見たら、それこそ冷水を浴びせて治療の意欲を削いでしまうリスクもありそう。

だからやっぱり、こういうオープンなブログでは、余計なことは書かない方がいいのかもしれない。使っている薬剤名は明かさずに(といっても、詳しい人が読めばわかっちゃうだろうけど)、ぼんやりとした闘病記を書くしかないのかな。

ともあれ、これからいよいよ「自分の体を使った人体実験」的な治療を始めることになりそうです。せめて良い効果があるといいな。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017.11.30 Thursday 00:00
今回は、再発癌の治療の話です。
相変わらず、癌の腫瘍マーカーは上昇し続けていて、肝転移も大きくなっていて。
そろそろまた、薬を変えなきゃいけない時期なんだろう、けど。

主治医には、治験を勧められているんですよね。
二種類の抗がん剤の比較試験なんだけど、私はあまり乗り気ではない。というか、はっきり言って、その治験には参加したくない。
理由は、一つの抗がん剤が、脱毛を含む副作用があるから。他に選択肢がなければ、脱毛する薬でも諦めて使うかもしれないけど……今の時点で、脱毛を伴う抗がん剤は使いたくない。

で、私は主治医にそう伝えたんですね。「脱毛する抗がん剤は嫌です」って。
でもね〜、なぜか主治医には、繰り返し治験を勧められるんですよね〜。
えーと、これはつまり、病院側の都合で、私に治験を受けてほしい(データを取りたい)のかな? とか、考えたりもしました。でも、どう言われても嫌なものは嫌だし、自分の体のことなので、自分のQOLを優先したいです。当然のことだけど。

えっと一応、念のために書いておくと。
乳がんの治療は、初回治療(乳がんの診断された時点の治療)は、決められた通りの「標準治療」をした方がいいと言われています。
でも、遠隔転移して、基本的に治癒しないとされている状況なら、自分の好きなようにやっていいと思うんですよ。

風の噂か都市伝説かっていうくらいのレアケースだけど、「癌で余命宣告されたけど、世界一周旅行に行って帰って来たら、癌が消えていた」という話を聞いたことはあります。
それなら、ダメ元で世界一周してみるのも手ですよね。

——って、私は、そこまで度外れて「好きなようにやる」ほどの体力も経済力も持ち合わせていないです。
高価なサプリメントの効用もあんまり信じていないし。

だから、私が「好きなようにやる」といっても、「再発乳がんの治療薬のうち、比較的副作用が少ないものから試したい」という、至極穏当なレベルの話に落ち着くわけです。小市民ですねー。

診察室で、次の治療について主治医に尋ねてみたら、「肝臓の転移が大きくなっている場合、命に関わるので、ある程度強い抗がん剤で叩いておくのが一般的。だけど、決まりはない」とのこと。

「決まりはない」のなら、私は、副作用が軽めの薬から使っていきたい。
私の場合は、「生存期間が数ヶ月延びる」ことよりも、QOLの方が大事。
——ということ、主治医に話してるつもりなんだけど、伝わってないのかも。

診察室で主治医とのやり取りがスムーズにできるよう、「今後の治療に使える薬とその副作用のリスト」が欲しい。けど、どこで手に入るんだろう?
よくわからないままに、がん患者支援センター等を回って尋ねてみて、それらしきリストを手に入れました。
「納得できないまま治療する」ことにはならないよう、これから先使うかもしれない薬の名前くらいは覚えておこうと思います。あまり気乗りのしない作業だけど、この先、そんなに長くないかもしれない残りの人生がかかってるわけだから、仕方ないです。

で、主治医が提案する治験を断っても、患者として、今後の治療をしていく上で不利な状況になる、なんてことはないですよねえ。

こういうことで、ちまちま悩んだりするのって、「世界一周して癌が消えた」的な人と正反対な気がする。でも、そういう性格なのだから、これも仕方ないです。

うーん、気が重いなあ。
まあでも、私は、「明るく前向きな闘病ブログ」をやるつもりはないので、これでいいのです。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(5) | trackbacks(0) |
2017.11.18 Saturday 00:02
大江満雄という詩人をご存じだろうか。
たぶん、知らない人が多数派だと思う。
私が大江満雄の名を知ったのは、瀬尾育生著『戦争詩論 1910-1945』の中で、「とても奇妙な戦争詩を書いた人」として一章が割かれていたからだ。
その奇妙な戦争詩を通じて、大江満雄という人物に興味を持ったタイミングで、この『来者の群像』が出版されたのを知り、これも何かの縁かと思って手に取ってみた。

私の好きなタイプの本だ。歴史の表舞台には決して登場しない、けれどもその時代や社会の限界とがっちり向き合った人々の、生きた証が刻まれている。

戦前はプロレタリア詩を書き、検挙され転向して、戦時中は多くの戦争詩を書くことになった大江満雄。
その大江が、戦後間もない頃、ハンセン病者と出会った。正確に言えば、ハンセン病療養所の入所者の詩作品と出会い、それから約40年、彼らの詩作に伴走し続けることになったのだ。
まだハンセン病への偏見の強い時代に、大江は頻繁に療養所へ足を運び、ハンセン病者と飲食を共にしたという。

タイトルにある「来者」という語は、大江による造語だ。大江は、『論語』微子篇にある「来者は追うべし」にヒントを得て、ハンセン病の詩人を(「癩者」ではなく)「来者」と呼んだ。私たちに未来を啓示する「来たるべき詩人」を、ハンセン病の詩人の中に見いだそうとしたのだ。

ハンセン病は、戦後に特効薬が発売されて以降もずっと、国による隔離政策が続いていた(隔離政策については、「ハンセン病 Q&A」の説明がわかりやすい。患者隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのは、1996年のこと)。
発症後、療養所から一歩も出ることなく生活しなければならなかった人々にとって、「表現すること」は、自らを救う行為でもあったのだろう。「ホームレス歌人」がそうだったように。

ハンセン病の詩人といえば塔和子しか知らなかったけど、この本には、他のハンセン病者の詩もいくつか紹介されている。
この本に紹介されている中で、私の一番好きな詩を、以下に書き写してみる。

  病める樹よ
島比呂志


永遠の中の
一年がなかったら
永遠は存在しないということを
樹よ
よく考えてみるがいい

どこからか吹いてきた悪病に
おまえの枝や葉が
変形し
醜悪になったからといって
絶望してはならない
なるほど
風が吹けば
おまえは
仲間以上の危険にさらされるであろう
雪が降れば
ひとしお寒さが浸みるであろう
けれども
全力を挙げて耐えるがいい
ありだけの生命の火を燃やすがいい
やがて
おまえの生涯が終り
板となり
柱となる日
苦しみに耐えて来た
一年一年が
いかに美しい年輪となり
木目となることであろうか

樹よ
悪病を歎くことなく
ありだけの力で生きるがいい
やがて摂理の銛にかかる日まで
血みどろに生きるがいい
樹よ樹よ樹よ樹よ
病める樹よ!


来者の群像』pp.202-205(初出は『愛生』1952年11月号)

私もまた、病気と闘っている最中であるせいか、この詩の言葉に深く響き合うものを感じた。

「生きるとは、年をとることじゃない。いのちを燃やすことや」
これは、ハンセン病訴訟の原告の一人であった中山秋夫氏が語った言葉だ。
隔離政策によって、社会の片隅に追いやられた人の、人生の底の底から絞り出された、生命力をもつ言葉たち。

彼らハンセン病詩人を励まし、詩作を導いたのが、大江満雄だ。
大江は、ハンセン病療養所の園内誌で詩の選評をしていたのだが、この選評からも、大江の「本気」が伝わってくる。大江の文学観のみならず、人間観をも垣間見ることができて、興味深い。いくつか引用してみる。
「詩は反対の立場の人をも納得させることが大切だ。〔中略〕文学というものは敵を(敵とはラテン語では自分のもたないものをもっている者をいう意味があるという)射るものであり、そして共感にまで高めるものでなくてはならぬ」

「現代詩人は感傷性をきらうが、私は、感傷的にならざるをえない立場にある人に、感傷性をもつなということは、雨の中を傘をささずに歩む人に、雨に濡れるなというにひとしいと思う。〔中略〕感傷性には貴重な宝庫があり、泉があると、いうことを知り、それを発見する努力をしなければならないと思う。感傷は感情の傷みだから、それを自らが、いやし、自らが創造的な力に高めてゆくということが大切だと思う」

「『エゴを死刑にしてやりたい』これは、なかなかおもしろいが、〔中略〕エゴというものは社会愛人類愛と切り離すことはできないものだと思う。作者の自己にきびしい態度には好感もてるが、エゴを虐殺すると社会愛とか人類愛の精彩がなくなると思う。自我は人間の表現的実際活動によって社会我世界我に成長するといいたい」

来者の群像』pp.48-49(栗生楽泉園園内誌『高原』大江による詩の選評)

私もまた、細々と短歌を作っているので、上記の大江の評に感じ入るものがあった。と同時に、これらの言葉はとても高い理想を謳っていて、そう簡単に手が届くものではない、とも思える(「敵」が「納得する」だけでなく「共感する」詩って、どんな詩なんだろう…?)。

大江はまた、ハンセン病詩人にこんなアドバイスを送ったという。
「ハンセン病であることを外に強調するな、人間として純粋なものをうたえ」

個人の痛みから出発しながらも、より広い視野でものを見ること。そういう態度があってこそ、普遍的な人間のもつ深みへと到達することができるのだろう。
大江の文学観に同意するにしろしないにしろ、私もまた、表現活動するとき、立ち返りたい原点だ。

この本の巻末の「参考文献」の欄には、ハンセン病療養所で発行された園内誌が列記されている。
もしかしたら、誰の目にも触れないまま、埋もれてしまったかもしれない「来者」の言葉たち。
彼らの生きた証を、今この時代によみがえらせてくれた著者に、心からの賛辞を贈りたい。






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