2010.01.20 Wednesday 20:28
評価:
泉谷 閑示
講談社
¥ 777
(2006-10-21)
コメント:「あるべき悩みを悩む」ために

自分がメンヘラで精神科に通院を続けているということは、以前にも書いた。
これまでに私は、精神科医が書いた本を何冊か読んできたけど、中でも特に深く心に刻まれた本がこれ。
改めて確認することじゃないかもしれないけど、私は別に、本の紹介とか書評をやりたいのではない。そういうのはプロがやればいい。
私は、自分が読んだ本から何を得たか、ということを書いておきたいのだ。

泉谷閑示の『「普通がいい」という病』は、私の心の中の、かなり深い層に問いかけるものだった。
この本がまず「普通でない」のは、精神科医が書いた本としては例外的に、精神医学への批判から始まっているということだ。
現在、医療者は「病気」の名の下に治療を行なっているけれども、「健康/病気」「正常/異常」の境界は、本来はっきり線引きできるものではなく、両者は連続して繋がっているものだ、と著者は言う。

「正常/異常」の区別をつけ、「異常」を精神科の治療の対象としたのは、近代以降の話である、ということがミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(1961年)を引用して語られている。孫引きになるけど、私にとって印象深い言葉だったので、書き記しておく。
 精神病をつくりだしている澄みきった世界では、もはや現代人は狂人と交流してはいない。すなわち、一方には理性の人が存在し、狂気にむかって医師を派遣し、病気という抽象的な普遍性をとおしてしか関係を認めない。他方には狂気の人が存在し、やはり同じく抽象的な理性、つまり秩序・身体的で精神的な拘束・集団による無名の圧力・順応性の要求たる理性を介してしか理性の人と交流を持たない。両者のあいだには共通な言語は存在しない、むしろもはや存在しないのである。十八世紀末に狂気が精神病として制定されてしまうと、両者の対話の途絶は確定事実にされ、区別は既成事実になり、狂気と理性の交換が営まれていたところの、一定の統辞法を欠く、つぶやき気味のあの不完全な言葉のすべてが忘却の淵にしずめられた。狂気についての理性の側の独白(モノローグ)にほかならぬ精神医学の言語は、その基礎には上述の沈黙しかもちえなかった。
   ミシェル・フーコー『狂気の歴史』田村俶訳 P.8

フーコーのこの文章を、「実感として」理解できる人間は、どれほど存在するだろうか。私は、「狂気」の側にいる人間として、フーコーの言葉に深く頷いてしまう。
といっても実は私、フーコーの『狂気の歴史』を読もうと思ったのですが、分厚くて面倒くさい本だったので挫折しました。ここここここを読んで、わかったことにしておこうっと。

泉谷閑示氏は、フーコーの前記の言葉を受けて、精神疾患をめぐる現況を、以下の図のように示し、こう語る。
「狂気についての理性の側の独白(モノローグ)にほかならぬ精神医学の言語」とありますが、これはつまり、「自分は左側に足を置いていると思っていて、右側を単に病気とか狂気とか見るような精神医学は、独り言のように無意味なことばかり言っている」と言っているわけです。なかなか手厳しい言葉ですが、本当にそうだなと私も思います。
     泉谷閑示『普通がいいという病』P.17
私も精神科に通院している患者として、同じことを痛切に感じていた。精神医学というものは精神科医のためのものであって、患者のためのものではない、ということ。

現代社会(および西洋医学)は、理性(=近代的な合理主義)では量れない世界がある、ということを認めようとしない。あらゆるものを数値で把握しようとする、ある意味で融通の利かない、貧しい世界だ。
それでももし、私の言葉が少しでも人に通じるのだとしたら、私にも理性が残されている、ということでしょう。

正常と異常の境界線上にあるような視点や言葉が、今の時代ではほとんど失われてしまった、と泉谷氏はいう。
泉谷氏は、「正常」と「異常」両方の世界を往ったり来たりしながら、「異常」の世界の言葉を「正常」の世界へ伝えようとする人を「詩人」と呼んでいる。

実際、この本には、詩や小説、哲学、宗教の言葉が、たくさん引用されている。
ここでは、中原中也の詩から「今病的であるものこそは、現実を知っているように私には思える」という言葉を取り上げている。これは、世間一般の常識から逸脱した「病的な」人たちの方が、鋭く本質を見抜いているのではないか、という中也の痛烈な告発だという。

しかし、「異常」の側にすっかり行ってしまったら、豊かなものをこちら側に運んでくることができなくなってしまう。正常の側に戻ってくるだけの「したたかさ」や「しぶとさ」が必要だ、と著者は言う。
確かに異常の世界に行ったきりになってしまっては困るわけで、戻ってくるためには「生き汚さ」「図々しさ」みたいなものが必要なのでしょう。
私も、こういう発言ができるくらいの「図太さ」は持ち合わせていたみたいです。そういう「図々しさ」みたいなものを持っていたからこそ、これまで何度か病に倒れながらも、ここまで生き延びることができたのでしょう。

それにしても、フーコーのいう「精神病をつくりだしている澄みきった世界」=現代社会は、それほどまでに「正しい」ものなのか?
ということで次回に続きます。

| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(5) | trackbacks(2) |
2017.04.25 Tuesday 20:28
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Comment
2011/01/27 5:20 PM posted by: -
管理者の承認待ちコメントです。
2012/03/19 2:42 PM posted by: asobitarian
なかなか月ノヒカリさんのような的確な読書感想は書けず、拙い感想ですが、トラックバックさせて頂きました。お暇なときにでもご笑読頂ければ幸いです。
2012/03/20 11:20 PM posted by: 月ノヒカリ
asobitarianさん

トラックバックありがとうございます!
記事を読んだ感想については、後ほど貴ブログにコメントしますね。
2015/08/27 11:04 AM posted by: 鈴鹿修
こんにちは。この本は私もよく読みます。

それにしてもちゃんとしたブログですね。私は文字だけです。
2015/08/29 11:19 PM posted by: 月ノヒカリ
鈴鹿修さん、はじめまして。
このエントリを読んでくださって、またコメントくださって、ありがとうございました。
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2010/12/11 2:36 PM posted by: うさんくさいblog
泉谷閑示「「普通がいい」という病」(講談社現代新書) 携帯のカメラが壊れちゃいました。 本の感想をアップするトリガーに必要なんですが。 出遅れる主義の私は、 スマートフォンには飛びつけなくて ...
2012/03/19 2:38 PM posted by: あそぶログ
私がこのしょうもないブログを作ったのは、月ノヒカリさんの素晴らしいブログ「身近な一歩が社会を変える♪」を読んだことがきっかけでした。その中のエントリー「レールの上を走れなかった人たちへ」を読んだとき、これはまさに私(のような人間)のために書かれた文
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