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2011.02.01 Tuesday 23:46
「努力」と「真面目」。
この二つの言葉を使うことに、私は引っかかりを感じることが多い。
「努力」と「真面目」という言葉は、世間では頻繁に使われているけど、実はちゃんと定義されていない(あるいは人によって定義の異なる)マジックワードではないだろうか。

「努力」については、小飼弾の『働かざるもの、飢えるべからず。』を読んで確信したことがある。「努力」には2種類あるということだ。
その2つの違いは、以下の記事を読むとわかりやすいかも。
■「苦労」してるのを「努力」してると思ってる人(活字中毒R。)

「苦労」と「努力」、この二つの違いは、「やらされてる」か「やってる」かという違いだという。これ、世間では混同されている気がする。

「やりたくないこと・苦痛に耐える努力」のことを「苦労」と呼ぶとすると、「やりたいことを一生懸命にやる努力」は「一心不乱」と呼ぶのがいい。
そうしたら、「苦労」はしない方がいいけど、「一心不乱」はどんどんやった方がいいってわかるから。何かに夢中になれるのは、それ自体がかけがえのない喜びだもの。

だから、「努力は報われる/報われない」という議論は、私にはちょっと違和感がある。
よく「努力が報われる社会に」とか「真面目に頑張った人が報われるように」とか言う人がいる(年配の人に多い気がする)。これ、私も心情的には同意したいけど、原理的に無理なのではないか、と考えるようになった。

最近、正月に再放送したハーバード白熱教室の録画をちょっとずつ見ているんだけど、その第8回の「努力」についての議論が興味深かった。
これからの「正義」の話をしよう』(M・サンデル)の第6章、「平等をめぐる議論」の次の部分に対応する。ロールズによる能力主義への批判、という文脈をふまえて読んでみてほしい。
 人間には努力と勤勉さの対価を得る資格があるという主張は、ほかの理由からも疑わしい。実力主義の信奉者たちはよく努力のすばらしさを称えるが、努力したからといって所得と富が得られると考えているわけではない。二人の建設作業員がいるとしよう。片方は筋骨隆々で、汗一つかかずに一日で四方の壁を完成させてしまう。もう片方は痩せ型で弱々しく、一度に二個しかレンガを運べない。彼は懸命に作業するが、筋骨たくましい同僚なら一日で難なく仕上げられる仕事も、一週間はかかる。実力主義の信奉者なら、「この人物はひ弱だが懸命に働いている。体の丈夫な同僚より努力しているのだから、より高い賃金を与えるべきだ」とは考えないだろう。

 (マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』P.207)
現実に得られる報酬は、努力の量で決まるのではない。「貢献度」や「達成度」によって決まるのだ。

こういう例を考えると、「努力が報われる」ことを制度化するのは難しいのではないか、と感じる。
痩せて弱々しい建設作業員の努力は、どうすれば「報われた」ことになるのか。筋骨たくましい作業員と同じ賃金が支払われるべきなのか。
上の例は極端だけど、これに類することは、実際にあらゆる場所で起こっていると思う。
「フェア」ってどういう状態をいうのだろう?と考えこんでしまう。

もうひとつ、「真面目」について。
これも、今日では微妙な意味を持つ言葉だよね。
今どき、「真面目な人」っていう評価は、ほめ言葉なのか貶されてるのかよくわからないし。
と思っていたら、ダンコーガイ(小飼弾)がすごいブログ記事を書いていた。
■真面目を真面目に考えてみた(404 Blog Not Found)

とんでもなく鋭いところを突いていると思うので、一部引用する。
真面目には、強力な自己破壊効果がある。

真面目をつきつめると、自分より真面目な奴に席を譲るしかなくなるのだ。米国の真面目はインドの真面目に。日本の真面目は中国の真面目に。そして全人類の真面目は、機械の真面目に。


これは『働かざるもの、飢えるべからず。』にも書いてあったことだけど、今の日本の不況は、決して「どこかに不真面目な奴がいて、うまくやっているから」ではない。
皆が、「より良いものをより安く」提供するために頑張ってきたおかげで、生産性が向上し、結果として雇用が減ったのだ。
真面目な人が真面目に頑張ると、結果として真面目な人の居場所が減る、ということ。
ダンコーガイはさすがプログラマだけあって、システマティックに物事を分析する視点には、思わず舌をまく。


―――ということを書いてきたものの、「真面目」にも「努力」にも意味がない、と考える人は少ないだろう。「真面目にやっても報われないんだから、何やっても意味ないよね」というニヒリズムに陥るのは避けたいし。

ただ、自分の考える「真面目」さや「努力」は、もしかしたら今の時代が要請するものからズレてきているのかもしれない、という認識は持っておいてもいいかもしれない。

個人レベルでは、自分にはどういう種類の努力ができて、かつそれが社会的に有効なのか、試行錯誤し続けること。
社会・政治レベルでは、「フェア」とはどういうことか、「公正な社会」はどうすれば実現するのか、ということを問い続けることが必要なんだと思う。

とまあこのように、「努力」と「真面目」だけでこんだけダラダラ文章を書いてしまうワタクシは、はたして真面目なのか、不真面目なのか?
その判断は、読者の皆様におまかせします。
おしまい。

| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(4) | trackbacks(0) |
2020.09.12 Saturday 23:46
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Comment
2011/02/03 8:43 PM posted by: 休職中
以前に泉谷閑示の本についてコメントさせていただいた
休職中です。

「真面目な人が真面目に頑張ると、結果として真面目な人の居場所が減る」
鋭い意見だなぁと感じました。
経済的なことには疎いのですが、資本主義というシステムが成り立ち、発展していくには「大量生産」、「大量消費」が前提条件としてあり、資本主義の中で利益を追求していくには「効率化」が必要不可欠でその「効率化」の中で日本人より賃金の安い外国人の採用や、機械化等で労働者自体が不必要になってきているのが日本の現状ではないかと思います。

今は違うのかもしれませんが、昔の公務員は仕事をしないことで自分たちの仕事(雇用)を守っていたような気がします。
効率を上げずに人員数を稼ぎ、予算さえ通ってしまえばよかったのですから。

真面目=効率化、不真面目=非効率とどちらもイコールではないですが、何だかいろいろ考えさせられました。

うまく文章にできてなくてすいません。
2011/02/04 11:34 PM posted by: 月ノヒカリ
休職中さん、こんばんは。

>資本主義というシステムが成り立ち、発展していくには〜

小飼弾氏が言いたいのは、たぶんそういうことだと思います。
「労働者が不必要になった」というより、「ひとつの業界そのものが消えた」とか「今まで必要とされていた技術が、使い物にならなくなった」とか、そういうことが世界中で起こっているんじゃないかと。

例えば、かつてのフィルム写真しかなかった時代と、デジカメ全盛の時代では、求められる技術も商品も違ってくるでしょうし。
「手に職をつければ、一生食える」という話は、今や夢物語ですね。

昔の公務員も仕事をしていなかったわけではないでしょうが、お役所というのは基本的に前例踏襲・システム維持の組織なので、「時代の変化に柔軟に対応する」のは難しいのでしょうね。

効率化はすべきですが、「コスト削減」の度が過ぎても息苦しくなりそうだし、バランスが大切なんだろうなあと思います。

たとえ機械化が進んでも、人間にしかできないことがあるはずなので、これからはそれを模索していかなきゃならないのかなあ、などと考えています。

>うまく文章にできてなくて

いえ、私も全然まとまらないのにブログ書いてるので、問題ないです(笑)
またいつでも遊びにいらしてください!
コメントありがとうございました。
2011/03/22 3:24 PM posted by: 真面目なHさんのはなし
世の中には、時々印象的な人がいます。
一つ前の職場で出会ったHさん(女性・20代)、彼女もそんな1人でした。

一つ前の職場は、外資系医療関係の会社でした。
私のいた頃は、本社での派遣から別会社への業務委託へと業務を移行中でした。
私は本社への派遣、Hさんは別会社(移行先)への派遣であり、ともに同じセクションのリーダーでした。
業務の移行が完了したら、私はクビになる運命です。

Hさんは休憩をとりません。ほとんどトイレにも行きません。それでいて、何かに追われているかのように事務作業をこなします。傍で見ていて息が詰まりそう。自分の部下にも(下手をすると上司にも)同じ事務作業のやり方を要求します。当然、ついていけなくなる人が続出。しかし、「限界まで頑張ることが会社のためであり、働いている以上それは当然、できないやつは辞めさせられてもしょうがない」というところから考え方を変えません。
本来、私の立場からは何かを「指示」することはできない(それをやると、「偽装請負」になるため、本社から固く止められていた)のですが、あまりに見ていられないので、何度か話をしたことがあります。

1.この仕事はミスが無いのが絶対条件。急がせるとミスが出る。それにかかるコストはどんな時短でも取り戻せない。
→ノーミス+時短こそ最強。急いだくらいでノーミスができない奴はこの仕事に向いてない。辞めるのがお互いの為。

2.我々の仕事は、仕事のやり方を作ることにある。募集人材のレベルに合わせた仕組みを作らなければ、自分がいなくなってから会社が困る。
→逆に部署のレベルを今のうちに引き上げておくことこそ会社のためになる。募集人材のレベルはそれに合わせて自然と引き上げられる。

「会社のため」が絶対ワードだったので、次はそれを逆手に取りました。

3.今、私のところ(本社)とあなたのところ(委託予定先)で、委託料を協議しているところだ。この仕事は1日何人何時間でやるのが妥当なのか、算出の基礎資料となる。今、委託先の立場で限界までパフォーマンスを上げることは、「この程度でできますよ」と自らを安売りする行為。それは背信行為にはならないのか。しかも派遣の立場で。
(もちろんこんな事を言う私は、自らの派遣先に対して背信行為を働いていることになり、バレたらかなりヤバイのですが。)

さすがにこれは堪えたらしく、これ以降は滅茶苦茶な指示はしなくなりました。
しかし、自らの働き方は一向に変わりませんでした。

この頃になると、Hさんを心配しつつも、どうしたら言い負かせるかを楽しみにすらしていた私。

4.休み時間は必ずとれ。休んでいるという姿勢を見せろ。もし今、Hさんが交通事故にあって、たとえ相手が100%悪くても、相手の弁護士はHさんの勤務状況を聞きにくる。その時「休憩も取ってない」となったら、賠償とかもろもろで会社に迷惑が掛かる。

これ以降、休んでいるフリをするようになりました。


ある時、「なんでそんなに必死で働くのか」と聞いたことがあります。
Hさんは、涙を流しながら、こう言うのでした。
「時給の高い人に負けたくない」
私には、「それだけ働いてるんだから、時給上げてもらうように言ってみなよ」と言うのが精一杯でした。

しかし、Hさんが自らそんなこと主張するはずがないのは、私がよく知っています。
Hさんは、5年前の私の姿そのままだからです。
―「正社員に負けたくない」そう言っていた、契約社員の私。


それから半年後、Hさんは退職しました。
契約期間が終了したから。ただそれだけの理由です。
いまだに業務委託への移行は完了していません。
Hさんは途中で仕事を取り上げられたのです。
それでもHさんは笑顔で退職していきました。
まだ次の仕事も決まっていないというのに。

「時給の高い人に負けたくない」
あの時、喉まででかかった言葉のかわりに、この本を贈りました。
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0361-b/
いつか心に届く日を信じて。


それから半年後、私も退職しました。
今、委託先の人たちは、当時の私たちの約半分の時給で働いています。

2011/03/26 10:53 PM posted by: 月ノヒカリ
ふなぼりすたさん、再びこんばんは〜。

>真面目なHさんのはなし
なんだかエロスパムコメントみたいな名前デスねw

「真面目なHさんのはなし」、文章を読んだだけですべてが理解できたわけではありませんが、「ラットレース」という言葉を思い浮かべました。

一方で、やっぱり同じように休みなく働いていた別の人のことを思い浮かべました。
私が癌の治療をしていたときの外科の主治医です。

診察日の主治医は、朝8時半から夕方5時頃まで、休みなく診察をしていました。
おそらく昼食も食べていなかったと思います。
それどころかトイレに行く姿も見たことがありませんでした。
そして病気(癌)になられました。
幸い、経過はよく、現在も医師として活躍しているようですが……。

医療現場も崩壊寸前といわれています。それは本当なんだと思います。
でも主治医には、「真面目なHさんのはなし」に感じるような、悲壮感はないんですよね。

それは主治医が「仕事を生きがい」としていたから、しかも患者さんに好かれ、感謝されていたからじゃないかなあと思うんです。(実際、私も主治医が好きでした。)

主治医のような働き方が良いとは思いません。
部下はある意味でしんどいでしょうね。
患者としても、主治医に病気になられるのは辛いものです。

ただ、やっぱり「仕事を生きがいとしている人」と、そうではなく「やりたくない仕事を無理してやっている人」では、仕事観が異なるんじゃないかなあと思うんです。

言論界の中心にいるのは、前者です。
自分の「やりたいこと」を仕事にしている自由業者なら、「労働は尊い」と実感できる瞬間もあるのでしょうね。
仕事が「作家」や「学者」なら「寝食を忘れて仕事に没頭する」のも、称えられるでしょうし。

一方、ネットで生活保護を叩く人は、後者なんだと思います。
「俺らがこんなに苦しんで働いているのに、あいつらはズルい!」ということなのでしょう。
苦しんで働いている人たちが「労働は尊い」なんて言い出すと、話はおかしくなります。

私は、「仕事が生きがいの人」と「やりたくない仕事をお金のために無理してやっている人」の言論は、分けて考えなきゃいけないんじゃないかなあ、と思う。
私は、圧倒的に後者ですから。

もちろん、世の中には「中間」の人もいるのもしれません。

・・・とここまで書いて、リンク先を見たら、ちょっと私のコメントも的外れかもしれない、と思ってしまいました(笑)
『搾取される若者たち』、私は読んだことないんですが……「やりがい搾取」という問題かな?

う〜んと、強引にまとめようw
勤勉賛美は、工業社会にしか通用しない時代遅れの思想だと思う。
言論人が「努力は美しい」と言うのも実態を知らなさすぎる。
かといって左翼的なワープア論も、かえって労働賛美を強化させそうで怖い。
小飼弾はいいこと言ってるんだけど、障碍者まで視野に入れると足りない部分もある。

こういうのをひっくるめて、新しい形での「労働論」みたいなものを創り出さなきゃいけないんじゃないかなあ、と考えてます。
まだまとまってないけど、続きは拍手レスで。(ここまでで疲れたよw)

コメントありがとうございました〜。それではまた!
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