2011.10.05 Wednesday 23:46
東浩紀,津田大介,和合亮一,藤村龍至,佐々木俊尚,竹熊健太郎,八代嘉美,猪瀬直樹,村上隆,鈴木謙介,福嶋亮大,浅子佳英,石垣のりこ,瀬名秀明,中川恵一,新津保建秀
合同会社コンテクチュアズ
¥ 2,057
(2011-09-01)

『思想地図β』。
東浩紀が「言論の世界を変えたい」と自ら会社を立ち上げ、出版取次を通さない販売方法で、主にツイッターでの宣伝のみで売り上げを伸ばしている思想誌。これがどれほど異例なことなのか、門外漢の私にはよくわからない。

ただ、前巻(思想地図β vol.1)の巻頭言で、東浩紀が「いままで思想や批評に関心を抱かなかった人こそ、手にとってほしい」と書いたとおり、特に思想なんて縁のなかった私でも、比較的すんなりと読めた。

とりわけ今回は、「震災」がテーマになっているだけに、前巻よりも理解しやすい。
しかし、読み終わって、「すっきりと、何かがわかった」という感覚はない。
前巻もそうだったけど、読み終わった後に、なにか大きな宿題を残されたような、モヤモヤ感がある。
それは、過去を振り返るのではなく、「いま・この時代」の言葉を手探りで生成しようとすることの困難、いわば「産みの苦しみ」によるものではなかろうか。

目次とサンプルページはこちらに→『思想地図β』vol.2 について

以下、短い感想(と思ったら長くなったので折り畳みます)。

個人的にいちばん印象に残ったのは、「大阪シンポジウム・災害の時代と思想の言葉」での、鈴木謙介の発言――被災体験とは、なにかいい表しようのない「残余の念」を残してしまう。その言葉にできないものについて、思想が格闘しなければならない(が、現実にはそれができていない)――という言葉に、胸が熱くなった。

震災は、多くの死者・行方不明者と「抉られた土地」を残した。
そういった死者の無念、生き残った者のサバイバーズ・ギルトを思うと、計算上の補償などの「実用的」「合理的」な言葉だけでは足りない。
合理性の外部について語るのは、本来は宗教の役割だったんだけど、文芸とか思想の役割でもある、とのこと。
この部分には、心底から共感した。

「喪失」を体験した人たちには、もちろん安全や生活資源も必要だけれども、それだけで「失った体験」を埋められるものではない。もっと別の何かが必要なはずで――つまりそれが、この本の存在理由になるのかな。

東浩紀の巻頭言「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」、それに続いて掲載されている和合亮一の「詩の礫」(もともとはツイッターで発表された詩)は、まさにその「残余の念」へのひとつの応答なのだろう。
(余談だが、私は東浩紀の巻頭言については、vol.1の方が好きだ。こちらでPDFが読めるので、興味のある方はぜひ。)


次に印象に残ったのは、猪瀬直樹+村上隆+東浩紀の鼎談「断ち切られた時間の先へ ――『家長』として考える」
vol.1で非実在青少年問題について語った同じメンバーが、別のテーマで鼎談するという、面白い試みだ。
前回同様、スリリングで読みごたえがある。
とりわけ、猪瀬直樹の発言――「文学の世界では、家長としての責任を果たしてきた鴎外の系統は途絶え、家長になれない漱石・太宰の系統が残った」「この60年間、文学も政治も、責任ある主体から逃げてきた」という指摘には、なるほどと唸った。

誤解を恐れずに言えば、この鼎談をしている人達は、「体制側」の人間だ。
しかしそれは、反体制を叫んでいればよかった「放蕩息子」の時代は終わった(あるいは終わらせなければならない)ということなのだろう。
それは例えば、次のような東浩紀の発言――終身雇用の大学職をもらって政府批判をするのは簡単だ。けれどそれは「反権力を食わせていく権力」にいいように使われるということでしかない――からも理解できる。

そこは納得するんだけど、「家長」という単語にどうしても引っかかってしまう。「家長」というと、どうしても家庭を持つ男性で、父親でもある人を連想してしまうから。それは「女性が排除された世界」ではないのか?
ここで言われている「家長」というのは、「家父長制」とどう違うのか?
そのあたりが、割り切れなかった。


八代嘉美「私たちはどのような未来を選ぶのか」
科学者の立場から、原発事故後の「科学コミュニケーション」を振り返った批判的考察。(八代嘉美氏はシノドスの放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」の筆者。)

八代氏は、 従来の科学コミュニケーション――上(科学者)から下(一般市民)へ固形の知識を伝授して、お仕着せの「安心」を与えるような――を批判し、「専門家と一般市民が恊働する」新しいコミュニケーションを提唱する。

これを読んで、原発事故後の報道でこんがらがった頭の中が、かなり整理された気がする。
例えば、以下のような説明は、とてもわかりやすい。

原発事故・放射線被曝に関して、政府の発表やマスメディアの報道は、人々を「安心」に誘導するものが多かった。
報道された情報は、(1)客観的な数値、(2)科学的な知見、(3)社会的に成立する基準、(4)主観的な意見、という四つに分類できるが、この四つは同列には扱えない。
例えば、「安心」「不安」というのは(4)の分類に入るものだが、そういった主観的・個人的な考えは、科学の範疇ではない、ということだ。
 科学コミュニケーションが反省すべきは、「個の人々の痛みに寄り添うべきだった」などということではない。むしろ、科学がそのようなことは担えないということを再認識すべきであり、ヒューマニズムの衣装を纏うことこそ有害であることを知るべきだ。
  (『思想地図β』vol.2  P.176)
「科学には限界がある」ということをわきまえつつ、科学の論理では答えが出せない問題について、専門家ではない市民も考えていかなければならない、ということだろう。


一方、この本には東大病院放射線科の中川恵一氏へのインタビューも載っているんだけど、これは八代嘉美氏とは対称的というか、立場の違いがあらわれているように感じた。
中川恵一氏(ツイッター@team_nakagawaで有名)は、どちらかというと「安心」をアピールする主張が多かったために、「御用学者」というレッテルを貼られることもあった。
これについては、7月13日の日経ビジネスオンライン「正しく怖がる放射能13 〜ガン告知に学ぶ放射線情報リテラシー」内のエピソードを読んで、わかったことがある。
東大で行なわれた討論会での、中川氏の「でも私は医者ですから」という発言だ。
「医者は、患者を不安がらせるような言葉を言ってはいけない。むしろ安心させる方向で話をしなければならない。それは、危険なものを安全であるかように言うのではなく、危険な状況であればあるほど、その伝え方は段階的に、慎重にしなければならない」
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110711/221405/?P=2
これは、私も癌を経験したことがあるから、中川氏の主張は、実感としてよくわかる。
中川氏の発言は、医師という立場から、患者に配慮するように言葉を選んだものだった、ということだろう。


この科学コミュニケーションの齟齬という問題は、「仙台シンポジウム・震災で言葉に何ができたか」の内容と、少しリンクするかもしれない。
仙台市在住の作家・瀬名秀明の「実は私たちは、主治医からの信頼できるアドバイスを必要としていたのではないか」という発言を受けて、東浩紀は次のように述べている。
――言論人の役回りは疑いを差し挟むことであり、希望を語る言葉を求められるのは、そもそもできないことである、と。
さらに、「癒しの言葉と希望の言葉は違うのではないか。本当の希望は絶望を通り越さないと出てこない」という東浩紀の言葉も、示唆的だ。


この本の最後に収められている東浩紀・和合亮一対談「福島から考える言葉の力」を、東は「僕たちがいま必要としているのは、希望ではなく絶望を前にした連帯。未来ではなく喪失を前にした連帯。アッパーな連帯ではなく、ダウナーな連帯」という言葉で締めくくっている。

ここには、「わかりやすい答え」は書かれていない。「ひとつになろう日本」という標語からは、遠いところにある思想だ。

「思想地図β」のβとは、「ベタ」であり、「β 版」の意味でもあるとのこと。
つまり、ここにあるのは完成された思想ではなく、これから、アップデートされ続けていくべき知なのだろう。

同時代に生成する思想に立ち会うという、興奮を味わいたい人はぜひ。

あとこの本、1冊あたり635円(定価の3分の1)が義援金になるそうです。

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| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(2) | trackbacks(0) |
2017.03.19 Sunday 23:46
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Comment
2011/10/07 12:39 PM posted by: 青い鳥
今回のテーマは、本当に重い…、、、 被災された人々の、肉親と引き裂かれた深い悲しみ…。何ヶ月も劣悪な避難所に押し込められた心身の苦痛…。これからの暮らし、生計に対する底の知れない不安…。
>計算上の補償などの「実用的」「合理的」な言葉だけでは足りない。
合理性の外部について語るのは、本来は宗教の役割だったんだけど、文芸とか思想の役割でもある、とのこと。

人間の‘生,というものは、やはり『政治・思想・科学など』では解決できない領域が、大部分を占めるであろうし、宗教や慈悲、文芸・芸術によって、荒廃した心情が慰められ、微かな希望を見いだされることも事実であろうと思います…。しかし、政治の責任を問わないでいて、いいものであろうか?とも思う…左右思想の違いなんてくだらないイデオロギーの範疇を超えた『政治の責任』です…。大震災直後から現在に至るまで、地域医療が崩壊、野戦病院化しているそうです。完璧な医療体制が理想ではありますが、そうまでにはないにしても、最近の『小さな政府指向・民間丸投げの社会福祉分野』が仇となったのは否定できないではないでしょうか…?。 もし、スウェーデンやオランダなど高福祉社会が大震災に遭遇したとしたらどうだったのだろと、いつも考えています。被災者の不幸の度合いなるものは、日本よりは、遥かに穏やかだったであろうと考えます。
>放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」

人類は『核』の暴走を止める技術は持ち合わせてないのですね。それに石破政調会長がいみじくも吐露したように、歴代政府が『原発にこだわり続けた真意』なるものが、《一年以内に核兵器に転用可能な準備を絶やさず継続する事(所謂、機微技術)にあった》ことが白日のもとに晒された以上、原発=核兵器の論が成り立ちますね。また、放射能の人体に与える影響が専門家の間でも、様々な考えがあり、安全と断言することが出来ない現段階では、より安全な領域に軸足を置くことが、危機管理の基本・要諦であると思います。原発を推進するために、火力・水力発電を休止させている現状を見ると、国家の真意が人命は二の次、三の次でしかない…否、人間の尊厳なんて『日本という国家』は眼中に置いてないのだろうと確信しています。
2011/10/08 11:04 PM posted by: 月ノヒカリ
青い鳥さん、こんばんは。

そうですね。おっしゃる通り、政治は大切です。
思想や文芸は、基本的に「生活の役に立つ」ものではないですから。

ただ、「政治」を動かしているのは、人間です。
だから、まずは毎日の生活を大切にすること。
誰かの責任を問うのではなく、自分にできることを実践していくこと。
「自分もまた、責任を引き受ける」という姿勢が大切なんじゃないのかな、ということをこの本を読んで思いました。

青い鳥さんも、ぜひ『思想地図β』読んでみてください。
学べることがたくさんあると思います。

コメントありがとうございました。
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