2012.08.23 Thursday 22:55
タイトルが『ウェブ炎上』だけれども、別に「炎上するネットって怖いよね」という話ではない。
前回取り上げた『インターネットは民主主義の敵か』がしばしば参照されていることからもわかるように、「ウェブ上での議論がより豊かなものになることを願って(「著者あとがき」より)」書かれた本だ。
この本は2007年刊なので、現在の状況にはそぐわない部分もある。けれども、『インターネットは民主主義の敵か』と同様に、学ぶべき点も多かった。

ウェブは、自分用にカスタマイズできるメディアだ。
前回も取り上げたように、インターネットは、「デイリー・ミー」と呼ばれる「わたし用にカスタマイズされた新聞」に似ている。Twitterのタイムラインを思い浮かべるとわかりやすいが――ウェブ上では、各人によって「見ている景色が違う」。

そしてウェブ空間は、似た者同士が集まることを容易にする一方で、「デリート・ユー(あなたを排除する)」――つまり不快な意見(ノイズ)を排除することも簡単にできてしまう。それによってコミュニケーションが円滑になる反面、必要な批判であっても排除してしまう危険性がある。

インターネットはしばしば、「他の人の意見を聴く」というよりは、「自作のエコーチェンバー(音の反響する部屋)に閉じこもる」ような、もともとの自分の意見の増幅装置として機能してしまうのだ。
その結果、「集団分極化」(前回の記事を参照)、「サイバーカスケード」(カスケード=小さな滝)と呼ばれるような、極端な言説パターンに向かって集団が滝のように流れていく現象が起こる。
・・・とまあこのあたりは、『インターネットは民主主義の敵か』を敷衍した内容だ。


この本では、日本で実際に起こった「サイバーカスケード」の例がいくつか取り上げられている。
とりわけ題材として興味深いのが、2004年に起こったイラク人質事件についてだ。
当時のネット上では、テロリストへの非難ではなく、「人質となった3人の日本人」へのバッシングが沸き上がるという、異様な光景が繰り広げられた。
この本の第3章、ネット世論が「人質バッシング」になだれ込む仕組みを分析しているあたりからは、学ぶところが多かったので、以下で少し説明してみる。

「マスコミの影響力」というのは、個人がもともと持っている意見や態度を大きく変えることはない。そうではなく、「何が政治的争点であるか」というトピックスの重要性について影響を与えるのだ――という社会学者・大澤真幸の説を引いて、荻上は次のように分析する。
イラク人質事件の際のネット世論では、「立ち位置のカスケード(人質は自己責任か否か)」だけではなく、「争点のカスケード」が起こった、というのだ。

日本のネットユーザーの間では、主として「なぜ人質となった日本人はあんな危険なところへ行ったのか(あの三馬鹿トリオは何を考えているのか)」という問いが共有された。
しかし本来ならば、他にもっと問われるべき論点があったはずなのである。例えば、「なぜ日本人がテロリストに狙われるのか(テロの生まれる背景は何か)」とか、あるいは「政府はどう対応するべきなのか」「イラク戦争は是か非か」「それを支持する日本政府は是か非か」といった政策提言の水準で議論をするための問い。

もし「人質は自己責任」というサイバーカスケードを批判したいのなら、それを無化あるいは中和する方法を考えなければならない。
単に反対意見を述べるだけでなく、議題自体を変更したり、論点を再構築する力が必要なのだ――という提言には、目から鱗が落ちる思いだった。

「本当に問うべき論点」を構築する力のある論者は、今ではネット上の言論空間でもしばしば見かける。

例えば数ヶ月前、タレントの河本準一氏の親族が生活保護を受給していた問題でバッシングが起こった際、きっちりと論点を示して批判した例をして、下記のブログがある。
■「河本準一氏叩きで見失われる本当の問題」(絵文録ことのは)
「そもそも不正受給だったか」「親族に扶養義務はあるのか」「バッシングの結果起こり得るマイナス面」といった、「本当に問われるべき議題」に焦点を当てて書かれた良記事だと思う。

また、原発関連では、「反原発派と推進派の二極対立」ではない議論を提起するコラム記事もある。
■大飯ぐらいは働かさなきゃダメか?(小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」・日経ビジネスオンライン)
小田嶋隆さんは、国民世論の7割は「ゆるやかな脱原発派」であるという現状認識のもと、国のエネルギー政策の大方針という鳥瞰図から見た「再稼働」を検討するべき、という持論を展開している。


インターネットを、自分の声を聞く「エコーチェンバー」としてではなく、さまざまな価値観をもつ人同士の「翻訳装置」として機能させること。ウェブ空間で、さまざまなトライブ(種族)を、「分断」するのではなく、「横断」する流れを構築すること。

この本の中で荻上は、スピーディーなカスケードに対して、ゆったりと言説を蓄積できる場所――即時性を重視する衆議院に対して、時間をかけて言説を吟味し、良識の府たろうとする参議院のような役割を担うようなハブサイトを構想していた。(それを具現化した場所の一つが、「シノドス」なのだろう。)

ただ、シノドスも含め、そのような議論のプラットフォームがネットユーザーに共有されるのか?と考えるに、はなはだ心もとない気もする。
先のイラク人質事件の際も、「ブログではまっとうな議論が行われていた」という意見に対して、「議論を求めている人は喧噪を避け、議論が成立しているブログに集まったから、そう見えるだけだろう」――というのが著者の見解だった。
議論の土台そのものが「分断」されている現状。
加えて、ネット上の情報の流れはますます速くなり、ウェブが言説を積み上げる場所(ストック)ではなく、フロー型のコミュニケーションの方が中心になってきていると感じる。熟議とは程遠い、脊髄反射的な反応も、Twitter等では散見する。

そんな脊髄反射的な反応も含めた「政治空間」を構想したのが、東浩紀の『一般意志2.0』なのだろう。
私は『一般意志2.0』、未読なんだけれども……『ウェブ炎上』の著者、荻上チキが、東浩紀にインタビューしているシノドスジャーナルの記事は興味深い。
「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か? 東浩紀×荻上チキ

「熟議には限界がある」という東浩紀が、それを補完するものとして「政治空間をニコ生化する」構想を展開する。
東浩紀は「リベラル」「左派」に対して挑発的な言葉を投げかけているけど……例えば次のような東の提案は、有意義でもあり、かつ実現可能でもあるのではないだろうか。
(東浩紀発言)それこそ、南京大虐殺とかアジアに関するアカデミックなシンポジウムなんて数えられないくらい開かれているんだろうけど、そういうのをすべてニコ生とかで中継して、ネトウヨ板やVIP板に貼られて、どんどんコメント受け付けたらいいと思うんですよ。そうすれば、自分たちがどういう国で、どういう環境で喋っているのかがわかる。そのうえで「共存」とか「リベラル」とか言ってほしい。『一般意志2.0』はそういうことを提案した本でもあります。

 (http://synodos.jp/info/1651/11

地理的・時間的に、あるいは階層的にかけ離れた場所にいる者同士が、容易につながることができるネット空間。
「異なるトライブを接続する」場所としてのウェブには、リスクだけじゃなくて、可能性もあるはずだ。

ネット空間がどう変化しようとも、私はきっと「ゆっくりと考える」ことしかできないだろうけど……それでも自分なりに、できれば有意義な議論に関わっていきたい、と思う。
『ウェブ炎上』、 自分もまたウェブで発信していく上で、多くの示唆を受けた本でした。




| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017.10.20 Friday 22:55
| スポンサードリンク | - | - | - |
Comment
name:
email:
url:
comments:
Trackback
http://newmoon555.jugem.jp/trackback/346
Search
Profile
Category
Recommend
Recommend
私の幸福論 (ちくま文庫)
私の幸福論 (ちくま文庫) (JUGEMレビュー »)
福田 恒存
たとえ不幸のうちにあっても、私たちが「幸福である」ために
Recommend
新版・小説道場〈4〉
新版・小説道場〈4〉 (JUGEMレビュー »)
中島 梓
わが人生の師。全4巻
Recommend
敗北からの創作
敗北からの創作 (JUGEMレビュー »)
明川 哲也
9・11テロ後「敗北」した私たちにできる「創作」とは?
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Admin
Calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>
Latest Entry
Archive
【WEB拍手】
応援してくれる人、拍手ポチッと押してね↓↓↓
↓ブログ主に小銭を!
Analytics
Sponsored links
Mobile
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM