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2012.11.18 Sunday 00:04
この本を読もうと思ったそもそものきっかけは、斎藤環先生の以下の連続ツイートを読んだのが始まりだった。
■斎藤環先生 pentaxxx の「嘘つき」Uの話。(Togetter)

このツイートの後半は、某ジャーナリストを揶揄したものだろうが……私が引っかかったのはそこではない。数年前、ES細胞の論文捏造事件でニュースになった韓国の黄教授について、「黄教授の捏造が徹底的に暴かれ、科学者としての信頼を完全に失ってしまった後も、彼を根強く支持しつづける者が大勢いた」と書かれた部分。

ふと『「負けた」教の信者たち』に、これと似たような話が載っていたのを思い出したのだ。
というのは、17世紀に登場したユダヤ教の(自称)メシア、サバタイ・ツヴィにまつわるエピソード。サバタイは当時のユダヤ人コミュニティにおいて熱狂的な支持を集めたのだが、それに危機感を持ったトルコのサルタンに捕らえられ、なんとイスラム教に改宗してしまったのだ。しかし奇妙なことに、メシアの背教という裏切りにもかかわらず、サバタイをメシアとする信仰は存続したという。

このちょっとそそられるエピソードについて調べているうちに、この本、『予言がはずれるとき』の存在を知ったのだった。

原著は1956年刊、社会心理学の古典らしい。
3人の著者の連名になっているけれども、その一人、レオン・フェスティンガーは「認知的不協和」理論の提唱者として有名。
「認知的不協和」については、wikiにも載っている「喫煙者の不協和」の例が、説明としてわかりやすいだろう。

この本『予言がはずれるとき』には、「この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する」というサブタイトルがついているが、その根幹にあるのが「認知的不協和」理論だ。
歴史上、この世の終末を予言(しかも「○年○月に世界は滅ぶ」などと、具体的な日付まで特定)した宗教団体は、数多く存在する。だが、そういった予言は当たったためしがない。「予言がはずれた」と明らかになったとき、信者はどうしたのか?

普通に考えれば、「信じていたことが間違っていた」と認識を改めると思うだろう。
しかし著者の説によると、予言がはずれた後に、むしろ信念が強固になり、布教活動が活発化する例が多く見られるというのだ。

なぜか?
著者の説明によるとこうだ。
「世界が滅びる」という予言を信じ、それに基づいて行動した人たちにとって、「予言がはずれた=終末がやってこなかった」と明らかになったとき、重大な不協和が起こる。その際、ある種の人々にとっては「(予言を信じた)自分が間違っていた」と認めるよりも、不協和に耐え忍ぶほうが、まだしも苦痛が少ないらしい。とりわけ予言に強くコミットメントした人たち(終末にそなえて、財産を捨てるとか、仕事を辞めてしまったという例が多い)にとっては。

しかし、「終末は来なかった(=予言がはずれた)」という紛れもない事実は残る。そこで彼らは、さらに熱心な布教活動をするようになる。もしそれが功を奏して信者が増えれば、自分の周囲には同じような信念をもつ人ばかりが集まり、世間の冷笑も気にならなくなり、不協和は低減される、というわけだ。

第一章では、歴史上の文献から、終末予言を行なった宗教団体の事例を引き、予言がはずれた後の信者の行動について解説している。(サバタイ・ツヴィのエピソードもその中に含まれている。)

この第一章を読む限りは、堅苦しい学術書のように感じたのだけれども……第二章以降はガラッと雰囲気が変わった。ここから終章までは、著者たちがまさに同時代に、「終末」を予言したグループを見つけ出し、潜入観察した記録なのだ。これがなかなかに愉快な展開だった。

主役をつとめるキーチ夫人(仮名。実名は巻末の訳者解説で明かされている)は、いわゆる「チャネラー」である。クラリオンと呼ばれる惑星の、高次の存在(守護霊だとかイエスの化身だと信じられている)からメッセージが送られてくると主張し、それを筆記しているのだ。

キーチ夫人はある日、「(1954年の)12月21日に大洪水が起きて、世界は水没する」というメッセージを(彼女が信じる高次の存在から)受け取る。しかし選ばれた者たちだけは、空飛ぶ円盤に乗せられて別の惑星に移住できる、と信じている。キーチ夫人の周囲には信奉者が集まり、小規模ながら「UFOカルト」とでも呼ぶべき小集団を形成していた。(蛇足ながら、キーチ夫人のメッセージというのは、とりたててオリジナルな内容ではない。ラエリアン・ムーブメント等、この手のUFOカルトにありがちなものだった。)

9月末に新聞記事になったその「予言」に出会ったとき、3人の著者は狂喜したと言う。上記の理論について、直にデータを収集する機会に恵まれたからだ。著者らは数人のメンバーと共に、「予言の日」までの約3ヵ月間、観察者としてグループに潜入し、観察を始めることになった。

この記録がとんでもなく面白いのだ。どこにでもいそうで、でもちょっぴり風変わりな登場人物や、素っ頓狂な出来事が生き生きと描写されていて、コメディタッチのドラマをみているよう。
キーチ夫人を盲信するアームストロング医師夫妻、UFOマニアの学生や、いきなり「造物主が憑依した」とトランス状態で語り始める女性まで登場し、まるで『トンデモ本の世界』に出てきそう人たちの大集合なのだ。

大学生を含め、高い教育を受けた人(自然科学系の博士号を取得した人もいた)までもが、こういう話を熱心に信じているあたり、首をひねってしまうところだが……巻末の訳者解説によれば、科学的思考とオカルトへの関心が共存する例は、西洋でも多く見られるという。(オウム真理教もそうだった。)

この観察記録に次々と出てくる珍妙なエピソードに、読んでいて思わず失笑してしまうこともしばしば。
アームストロング博士は40代の医師だが、キーチ夫人のもっとも熱心な信奉者だ。笑っては悪いと思いつつ、いい年した大人が、「空飛ぶ円盤にピックアップされる」と本気で信じている様子は、なんというか、心なごむものがある。

こんなエピソードもある。
アームストロング博士宅では、UFOやらオカルトやらに関心をもつ学生を集めて、定期的にミーティングが行われていた。
ある観察者がそのミーティングに参加した際、そこにいたメンバーに手紙が回され、サインを求められたという。その手紙は、アイゼンハワー大統領に宛てたもので、「空飛ぶ円盤について空軍が収集した秘密情報を公開してほしい」という内容だった(P.96)―――などと何気なく書いてあるのが、なんともおかしい。

また別の女性観察者が、アームストロング夫人のもとを初訪問した際、夫人に「あなたは派遣されてきたのです。彼らが、あなたを送り込んで来たのです」などと言われて、慌てたシーン(P.93)にも、思わず笑ってしまった。彼女は観察者として派遣されたのがバレたのかと焦ったのだが、アームストロング夫人は「守護霊が彼女を派遣してきた」と言いたかったらしい。

この手の「こじつけ」は、このグループでは日常茶飯事らしく、この後も何度も描写されている。
「予言の日」が迫るにしたがって、キーチ夫人宅を訪れる者は誰でも、「守護霊からのメッセンジャー」にされかねない状態だった。著者の一人がキーチ夫人宅のミーティングに訪れたとき、夫人に「あなたが指令を持ってきたんでしょう。私たちを導いてください」としつこく迫られ、困惑したシーン(P.121)―――これもギャグとしか思えなかった。

末尾の「方法論に関する付録」に付記されているが、著者らが身分を隠して(つまり研究目的は内緒にして)グループに入って観察したことは、「学問としての客観性」という意味では、疑問が残る。著者や観察者は、できるだけ中立性を維持しようと努めたらしいが、当然のことながら、キーチ夫人らの活動に何らかの影響を与えてしまったはずだ。
(しかし、たいへん興味深いフィールドワークの記録であることに変わりはない。)

真面目な学術書だというのに、この先――とりわけ「予言がはずれるとき」には――どうなるのか、ワクワクしながらページをめくり続けてしまった。

詳しい過程は実際に読んでもらうとして、結論としては―――当然、洪水なんて起こらなかった。予言ははずれた。そして著者の仮説どおりの展開になった。
それまで「選ばれた人のみが救われる」と信じ、マスメディアへの露出や広報活動を避けてきたキーチ夫人は、予言がはずれた直後に一転、自らマスコミに電話をかけ、活発な布教活動を始めたのだ。
巻末の訳者解説によると、終末予言がはずれたときによく用いられる論理は、「(霊的な存在によって)人々に試練が与えられた」とするか、「我々の祈りが届いたから、危険は回避された」とするかのどちらかだという。このグループでも、その両方の論理が用いられ、予言は正当化され続けた。

どうも予言の日の直前にメンバーが漏らした発言から察するに、(予言を信じて)仕事を辞めたり、貯金を使い果たしてしまったために、もはやメンバーの者たちは「洪水が起きてもらわなければ困る」という心境だったらしい。
ここからも、コミットメントの強かった者(仕事を辞めた人とか)ほど予言に執着し、コミットメントが少なかった者(もともと懐疑的だった人)は、信念を捨て去るのは比較的たやすかった―――ということは理解できる。

興味深いのは、予言がはずれたその瞬間、およびその後の数日の過ごし方が、「予言がはずれた後、信念を捨て去るか、あるいは保持し続けるか」に影響している、という事実だ。
第七章「予言のはずれに対するリアクション」によると、予言は成就しないとはっきりしたその日、同じ信念を持つ人たちと過ごした人は、信念を保持し続け、むしろ強化する傾向が見られた。
逆に、家族の反対にあったり、家が遠かったりで、その場に居合わせなかった人は、予言がはずれた後、信念を放棄した。

ベルタ・ブラツキー(“造物主が憑依”した女性だ)が、自身の心境を説明した部分(P.262)は、わかりやすいだろう。「(同じ信念を持つ)皆と一緒にいるときは、疑わなくてすむ。でも一人になると、疑問がわいてくる」とのこと。
つまり、同じ信念を持つメンバーと絶えず会って支え合わないと、(予言の失敗によって生じた)不協和を低減できないのだ。

この説明は、集団と個人との関係を考える上で、いいヒントになる。
もしカルトから脱会したい・させたい場合は、物理的な距離を置くことが重要になるだろう。
逆に、例えばアルコール依存症の人が断酒したいときは、同じ目的を持つ人とともに過ごすのは、有益なことなのだろう。

この本に出てくるような「UFOカルト」なんて、特殊な人たちの話だと思ってしまうけど……冒頭で取り上げた斎藤環先生のTwitter発言にあるように、現在あらゆる場所で「プチカルト化」とでも呼ぶべき現象が生じているように思う。
まして「認知的不協和」はあちこちで見られる、自分も身に覚えのある話だ。

といっても私は、カルトでもさほど害のないものなら、別に信じててもいいんじゃないかと思うのだけれども……でも身内がカルト信者になったら嫌だろうなあ。
(これも蛇足ながら、この本のエピローグにさりげなく書かれていた「金銭の申し出については、彼らは決まって拒絶した」という一節には、彼らがいわゆる「金儲け目的」ではないとわかっただけに、かえって不気味さが増した。)

というわけで、カルトの論理や「認知的不協和」について考える際に、この『予言がはずれるとき』、押さえておきたい一冊ではないでしょうか。






| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(2) | trackbacks(1) |
2020.09.12 Saturday 00:04
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Comment
2012/11/19 5:29 PM posted by: あそびたりあん
大変興味深い記事ですね。
コメント欄では書ききれないほどの感想を持ちましたので、自分のブログに記事を書いてトラックバックさせて頂きました。
2012/11/20 11:17 PM posted by: 月ノヒカリ
あそびたりあんさん、こんばんは。
トラックバックありがとうございました。
そちらのブログにお邪魔しますね!
それではまた。
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2012/11/19 5:25 PM posted by: あそぶログ
 月ノヒカリさんの最新エントリーが面白い。 『予言がはずれるとき―この世の破滅を予知した現代のある集団を解明する』という本の紹介なのだが、3人の社会心理学者が、終末予言を行った宗教団体に潜入観察した記録が中心になっているそうだ。潜入取材や潜入観察とい
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