2014.04.17 Thursday 21:22
先月からずっと、ブログに書こう書こうと思いつつ、先延ばしにしていた話を書きます。
昨年末に逮捕された、「黒子のバスケ」脅迫事件の犯人が、裁判で読み上げたという意見陳述を読んで思ったこと。

■「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述 1
■「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述 2

この全文を読んで、私は深く心打たれたのだった。すごく読みごたえがある、いい文章だと思う。 ネット上で幾人かの人が正直に告白しているように、私もまた、「自分に似ている」と感じる部分が多々あった。

この文章からひしひしと伝わってくる孤独感や疎外感、自殺願望といったものは、私もずっと持ち続けてきたものだ。しかし、私がとりわけ「え、これ私と同じだ!」と妙に共感してしまったのは、以下の2つの点だった。

一つは、家族関係にトラウマがあることを思わせながらも、「客観的には大したいじめを受けていないし、両親の自分に対する振る舞いも躾の範囲に収まることで虐待ではない」と述べている点。
もう一つは、彼がネット右翼にはなれなかった、つまり「ナショナリズムで気持ちよくなる」ことはなかった、という点。
この二つは、私にも当てはまる。

私もまた、父親から身体的な暴力を受けてきたし、母親からは酷い言葉を投げつけられてきたと思うけど……それが「虐待」かと言われると、そうとは言い切れない。何はともあれ親は大学卒業までの学費を出してくれたし、痣が残るほど叩かれたわけではなかった。(そもそも「しつけ」と「虐待」の線引きって、ものすごく難しいと思う。)
学校でのいじめられ体験もあるにはあるけど、いじめ自殺事件の際に報道されるような、過酷なレベルのものではなかった。
だから、単純に「自分は被害者だ」とは見なせなくて、それで余計に息苦しく(生き苦しく)なっている面がある。

それでもやっぱり、つらい体験には違いないのだから、誰かと「つらかったね」って話し合える場所や人間関係があれば、きっとずいぶん違っただろうな、とは思う。(私は関わったことはないけれども、「アダルトチルドレン」の自助グループなんかはそういう役割を果たしているのかもしれない。)

あともう一つ、「ナショナリズムで気持ちよくなれない」というところにも、シンパシーを感じてしまった。
近年、「ナショナリズムを信奉することで自信を回復している日本人」という言説をしばしば見聞きするようになった。ネット上でも、その実例と思われる人たちを観測できるようになった(いわゆる「ネトウヨ」だ)。
もしかしたら、アダルトチルドレン界隈も、ネトウヨも、それもまた「社会的包摂」の一種なのかもしれないな、とふと思った。自分はどちらとも関われなかったけれども。

それなら自分は、何で救われたかというと――ズバリ「萌え」ですね。
数年前、私が本当に自殺する寸前のギリギリの状態だったとき、『おお振り』に出会い、感動し、深くハマり、そのおかげで生き延びました。『おお振り』は命の恩人です。

上記の意見陳述で、渡辺博史被告は「逮捕の3ヵ月前に生まれて初めて芸能人が好きになった」と言っている。彼ももう少し早くその「好きな芸能人」に出会えていれば、事件を起こさずにすんだかもしれない――と、痛ましく思う。

私には、この文章を「他人事、自分には関係ない」などと突き放すことはできない。
彼の言う通り、失うものが何もない「無敵の人」は、今も存在するし、今後も増えるのかもしれない。ただ、多くは犯罪には関わらず、ただひっそりと生き、あるいは自ら死んでいくのだろうけれども(私がそうしようとしたように)。

前置きが長くなったけれども――そう、ここまでが前置きだったんです――この文章を読んだ後、私はある一冊の本のことを思い出したのだった。
というのは、岡本茂樹著『反省させると犯罪者になります』という衝撃的なタイトルの本だ。内容については、エキサイトレビューでの紹介が素晴らしく、何も付け加えることがなかったため、このブログに感想を書くことはなかったんだけれども。

本の内容について、かいつまんで説明すると。刑務所にいる受刑者の更生プログラムに関わっている著者は、「悪いことをした人を反省させてはいけない」と言うのだ。常識とは真逆の主張で、最初は「えっ?」と驚いたものの、よくよく読むと妙に納得してしまった。

犯罪の加害者や問題行為を起こした子どもが、「立派な反省文」を書いて評価される。しかしそれは本当に「反省」なのだろうか?
著者によると、皮肉なことに、何度も少年院や刑務所に入った者ほど「周囲の大人が喜ぶような反省の仕方」を身につけるのだという。
著者が自身の体験から導き出した、「事件の発覚直後に反省するというのは、人間の心理として不自然」という主張には、説得力がある。自分の罪と向き合うのは、長い時間をかけ、手厚いケアの中で芽生えてくるものだ、と。

著者は、「ロールレタリング」という、架空の形で「私から相手へ」「相手から私へ」の手紙を書くことによって自己・他者理解を図る技法を実践している。ここで大事なのは、最初の段階では「自分の内面と向き合うこと」だと言う。いきなり「被害者の気持ちになれ」というのは逆効果なのだ、と。
著者が受刑者と関わる中で見えてきたのは、意外な事実だった。受刑者は、被害者に対して残虐なことをしているにもかかわらず、被害者に対して「負の感情」を持っているケースが多いという。被害者の立場から見れば、とんでもないことだと感じるかもしれない。けれども、まずは加害者が、自分自身の不満や苦しみ、悲しさを表現すること。被害者に対して不満があるのなら、まずその不満を語ること。自分の本音と向き合うこと。それが更生への第一歩だ――と著者は言うのだ。

この本を踏まえた上で、上記の「『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述」を読み返してみると――この意見陳述の書き手は、ちゃんと正しい「更生」へ第一歩を踏み出しているんじゃないか、と感じられる。
この文章、読む人によっては、「自分勝手な論理だ、甘えだ」などと感じるみたいだけれども……私はむしろ、この文章に、書き手の「誠実さ」を感じたのだった。「自分に嘘がつけない人なんだな」って。

またちょっと『反省させると犯罪者になります』の話に戻るけれども、著者の岡本茂樹氏は、加害者が更生するためには、人とつながって「幸せ」にならなければならないと述べている(P.135)。加害者が「幸せ」になり、人の大切さを感じるようになることこそ、更生につながるのだと(エキサイトレビューの末尾を参照)。
ここでいう「加害者」とは、殺人を犯した人を念頭においているみたいだ。この「黒子のバスケ」脅迫事件はそこまでの重犯罪とはならなかった。けど、「幸せになることこそ、更生」というのは、このケースにも当てはまると思う。

で、そこで私は、考えちゃうんですよ。
「幸せ」って何だろう?

一般的には、「仕事の成功」や「家族やパートナーからの承認」なんかが、「幸せ」と結びつけられることが多い気がする。それは持ってる人は当たり前に持っているのだろうけど、ある種の人間にとっては、手の届かない贅沢品だ。

実はこの渡辺博史被告の意見陳述、先月末の朝日新聞論壇時評でも取り上げられていた。高橋源一郎氏によるその時評の末尾は、こんなふうに結ばれている。
 やがてやって来る社会で、わたしたちはみんな「ひとり」になっていくのかもしれない。そこで、わたしたちは、どんな新しい「幸福」の形を見つけることになるのか、いまのわたしには、わからないのである。

 「論壇時評」高橋源一郎(朝日新聞2014年3月27日)

私にもわからない。「負け組」にとっての「幸せ」って、どんなものなのだろう?

この場合の「負け組」というのは、収入とか社会的地位を指しているわけではない。
お金や社会的な地位なんて持ってなくても、ただ、自分がこの世に生まれてきたこと、今生きていることを肯定できる人は、「勝ち組」だと思う。

じゃあ、この渡辺博史被告や、あるいは私自身のように、「自分が生まれてきたことが、何かの罰としか思えない」ような人間は、何をもって「幸せ」になれるんだろう?

今の私が、ぼんやり考えているのは――「生まれてきてよかった」とまでは言えなくとも、「自分が生まれてきたことは、そんなに悪いことではなかった」と、心からそう思えるような日が来れば、それは「幸せ」と呼べるのではないか、ということだ。それ以上の具体的な形については、今の私にはわからない。

渡邊被告にも、彼の文章に共感した人たちにも、私自身にも、いつかそんな日が来ることを願いつつ、この(いささか長過ぎる)小文を終えたい。


       反省させると犯罪者になります (新潮新書)




| ●月ノヒカリ● | 社会 | comments(8) | trackbacks(0) |
2017.12.12 Tuesday 21:22
| スポンサードリンク | - | - | - |
Comment
2014/04/23 10:05 AM posted by: ごろ-
月ノヒカリさんの 思慮深いグログ更新を楽しみに待っています。

ご本人の気持ちとは別にして、待っている人が数多く(私もその一人)いるではありませんか。 決して下記のようなことはありません。

>じゃあ、。。。。あるいは私自身のように、「自分が生まれてきたことが、何かの罰としか思えない」ような人間は、。。。
2014/04/24 9:53 PM posted by: 月ノヒカリ
ごろ-さん、こんばんは。
えーと、前に拍手コメントくださった方かな?

いや、すでに更新も滞りがちなブログを楽しみにしてくださっているとは……恐縮です。奇特な方ですね〜。そんな方、絶対に「数多く」はいないと思いますが(笑)
しかし、ごく少数でも、読んでくださる方がいる限りは、マイペースで続けていこうと思います。

お心遣い、胸に沁みました。
今後ともよろしくお願いします。
2014/04/27 5:29 AM posted by: はな
迫力のある記事をありがとうございます!
数日に渡って何度も読み返してしまいます。
カウンセリングを受けても受けても根深い共依存体質で前向きになれないのに刻々と年を取っていく私は本当にシンパシーを感じました。
私は激しい虐待家庭で育ったわけではないのに自分は毒で罪であるという意識が心の底に常にあります。
いつか解放し解放される日がくるのか…
どうしてなのだろうかと長年不思議に思っていましたが、最近 石原加受子さんの「自分中心心理学」に出会って一見普通の家庭に見えても子供のありのままの感情を大切にしない他者中心の意識でダ育つと充分に心が傷ついていく理由が納得いくように思いました。
石ノヒカリさんや渡邉被告のように自分に素直になって心の中をさらけ出すのは(犯罪の賛否両論は別として)本当に勇気のあることだと思います。
紹介して頂いた本も目からウロコになりそうで読んでみようと思います。
これからもブログ楽しみにしています☆
2014/04/28 10:15 PM posted by: 月ノヒカリ
はなさん、こんばんは。
こんな長いエントリを読んでくださってありがとうございます。

犯罪は悪いに決まっていますが、しかしこの意見陳述はすごく訴えかけるものがありますね。
私はこれを読んで、他人事ではないというか、同時代を生きる者としての応答責任を感じてしまって、自分なりに応えずにはいられなかったです。しんどい作業でしたが。

この「被告人意見陳述」であぶり出されている意識――「負け組」意識みたいなもの――を抱えている人、それなりに存在すると思うんですよね。
でも、「この意見陳述に共感した」という声は、ネット上ですらあまり見かけなくて、自分としてはモヤモヤしていました。

「勝ち組」の人たちがこの文章を「他人事」とみなすのは仕方ないこととして、彼と同じように生きづらさを抱えた人たちが、声をあげることができないとしたら、それは問題じゃないかと。
渡辺被告も、この「意見陳述」で述べたようなことを、もっと早い段階で、誰かに話したり、言葉にすることができていれば、事件を起こさずにすんだかもしれない……と感じます。

石原加受子さんについては存じ上げなかったのですが、最近は家族関係の問題を取り上げるカウンセラーさんも増えているみたいですね。
「自分中心」というあたり、当ブログで取り上げた泉谷閑示『「普通がいい」という病』と相通じるものを感じます。

コメントありがとうございました〜。
2014/11/21 5:05 PM posted by: あそびたりあん
大変ご無沙汰しています。
ブログを停止してから、いつか再開しようしようと思いつつ、1年以上経ってしまいました。
月ノヒカリさんは相変わらず素晴らしい記事を書き続けておられますね。
ただ、唯一の欠点は、長すぎる、ということです。
いや、ひとつひとつの記事が長すぎる、と言っているのではありません(もちろん、決して短くはありませんが)。
「長すぎる」という意味は、ひとつの記事の中に過去記事やほかの人の記事へのリンクがたくさん貼ってあるため、月ノヒカリさんのひとつの記事を完全に理解するためには、それらをすべて読まなければならないと思ってしまい、別の記事を読んでいると、そこからさらにまた別の記事へと誘導され、きりがなくなってしまい、コメントをしようと思っていても、結局できなくなってしまった経験が、一度や二度ではないのです。

このコメントも、最初に「黒バス事件意見陳述に共感した者として、言っておきたいこと」を読み、そこから、この記事と「「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述を読んで」を読み、さらにこの記事にリンクされている「「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述 1&2」を読み、『反省させると犯罪者になります』のレビューを読み、さらに、「「努力」とか「真面目」とか」、「「努力」が認められるということ」、「河本英夫 『飽きる力』」、「自殺は本当に悪なのだろうか?」などの記事を読み、さて、どれにコメントしようかと迷った挙句、最終的にこの記事にコメントすることにした次第です。

「黒子バスケ」事件については、当初、あまり関心を持っていなかったのですが、私が購読している東京新聞に篠田博之氏が毎週日曜日に連載しているコラム「週刊誌を斬る」の中で「無敵の人」と題して取り上げているのを読んで興味を抱き、月ノヒカリさんの関連記事を読み漁った次第です。

月ノヒカリさんがこの記事に書いておられることには非常に共感します。
と同時に、岡本茂樹氏の『反省させると犯罪者になります』の内容(あくまでもレビューを読んで理解した範囲ですが)にも大変共感いたします。
渡邊被告が現在、反省も謝罪もしないと言っているのは(彼にしてみれば)当然のことでしょう。にもかかわらず、彼が将来、自分の存在の大切さに気づき、「幸せ」(それがどのような意味にせよ)になって欲しいと思います。真の反省はその後にしか生じないでしょう。
そもそも反省とは自発的にしか生じ得ないもので、他人に向かって「反省を求める」など愚の骨頂にしか思えません。(そういえば、この夏から秋にかけて「朝日新聞は謝罪と反省をしていない」との狂信的大合唱が湧き起こり、あたかも「従軍慰安婦」問題が存在しなかったかのような大大的デマゴギー・キャンペーンがありましたね。『創』や『週刊金曜日』などが主催して先月東京で開かれた「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」というシンポに私も参加してきましたが、参加者が多くて(500人くらい?)驚きました。)

ところで、渡邊被告の最終意見陳述は一部しか読んでいないので、もしかしたら誤解があるかもしれませんが、彼が「現在の日本の国教は『努力教』ではないのか」と言っている部分は当たっていないと思います。日本の国教が「努力教」であったのは70年代までで、その背景には右肩上がりの経済と、「一億総中流」幻想がありましたが、90年代以降、それは木っ端微塵に打ち砕かれ、現在(00年代以後)は、新自由主義イデオロギーに基づく「自己責任教」がそれに取って代わってしまったと思います。そのことが明白になったのは、04年のイラク人質事件ではないかと思います。あのとき、「人質」とされた人たちに「自己責任」という罵声が浴びせかけられるのを見て、日本はなんという社会になってしまったのかと愕然とした記憶があります。やはり小泉=竹中の新自由主義路線以後、日本は変わってしまったのだと思います。まとまりのないコメントですみません。
2014/11/22 10:20 PM posted by: 月ノヒカリ
あそびたりあんさん、お久しぶりです。

「黒子のバスケ」脅迫事件についての一連のエントリは、かなり力を入れて書いたものですが……まあ確かに、力を入れ過ぎかなーとは思ってました(連載モノみたいになってしまって)。

いろんな記事にリンクを貼ったのも、理解の一助になればとの思いからでしたが、読者さんを迷子にしてしまうことまでは、考えが至りませんでした。
私もまだまだ文章修行中の身ですが、もう少しすっきりと読みやすい文章を書くよう、心がけたいです(できるかどうか心許ないのですが、今後の課題として)。

あそびたりあんさんには、関連エントリをすべて読んでいただいた上に、貴重なご意見を書いてくださって、心から感謝しています。私もまだまだ未熟者ですが、やはり多少なりとも成長していければいいなと思っているので、今後もぜひ率直なご意見をいただけると嬉しいです。


篠田博之氏は、東京新聞でコラムを連載されてるんですね。
私は黒バス事件で初めて知ったのですが、地道にいい仕事をされている方だな、と感じました。

朝日バッシングのシンポジウム、盛況だったみたいですね。
WEBRONZAにも篠田氏のレポートがありました。
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/special/2014110600015.html

私自身はさほど良識派ではないつもりですが……それでも、慰安婦問題以降の朝日バッシングには、暗澹たる気持ちになりましたね。「メディアの良識」というのは、もはや消え去ったのか?と。

ブログに文章を書くときは、なるべく怒りは抑えて冷静な表現を心がけているつもりですが、それにしても昨今の週刊誌は、広告を見てるだけでも苦痛なレベルで、もう何と言えばいいやら――です。朝日バッシング以前も、中韓叩き似非ナショナリズムが満載でしたし。
数年前までは「中韓叩きなんて一部のアレな人だけがやってることでしょ?」と思っていたのですが、今はそうも言ってられないみたいで、大変な時代になったものだと感じます……。


「努力教」と「自己責任教」についてですが、両者は同じようなものだと感じます。
「努力すれば報われる」という考え方は、たやすく自己責任論と結びつくからです。「失業中だとか、生活保護受給者とか、社会から落ちこぼれている人間は、努力が足りないからそうなったのだ」と語る人は、(政治家も含めて)大勢います。

問題は、「負け組」となった本人までもが「自分の努力が足りないからこうなったのだ」と思い込んでいることですね。かつて湯浅誠さんが「自己責任論が弱者の中で内面化されている」と語ったのも、同じ意味ではないかと。

渡邊被告が「日本の国教は『努力教』だ」と述べているのは、そういう文脈の上でのことだと、私は理解しています。

ただ、渡邊被告の意見陳述を読むと、自分が事件を起こした原因を「親子関係」と「小学校時代のいじめ体験」に求めていて、格差社会論については退けているあたり、ちょっと気になるところではあります。
私は政治方面に疎いので、実際のところ小泉・竹中路線の影響がどの程度あったのか、判断できないのですが……(私が就職氷河期で苦労したのは、小泉政権以前のことだったので)。
でも経済的な問題って、人が抱える問題の中で、かなり大きなウェイトを占めているはずですよね。
問題を分析するためには、心理学的なアプローチと、経済・社会的なアプローチ、両方が必要ではないかと感じます。


久しぶりにコメントいただけて嬉しかったです。
あそびたりあんさんがブログ再開される日を気長にお待ちしています。それではまた。
2014/11/28 5:22 PM posted by: あそびたりあん
>「努力教」と「自己責任教」についてですが、両者は同じようなものだと感じます。

そうですね。私自身の理解では両者は全く別物なのですが(それについてはいつか機会があれば論じたいと思いますが、今は省略します)、渡邊被告自身は同じような意味で論じていたのかもしれません。

ところで、岡本茂樹氏の『反省させると犯罪者になります』を早速買って読みました。期待にたがわぬすばらしい本でした。特に、次のような言葉には共感を覚えました。
「人は、自分がされたことを、人にして返すものです。・・・そう考えると、人を傷つける人は、自分自身が傷ついていると理解できます」
「問題を起こすに至るには、必ずその人なりの「理由」があります」
「否定的感情を吐き出すことが出発点」
「非行少年や受刑者の大半は不遇な環境のなかで生きています」
「加害者……の心のなかにうっ積している「被害者性」に目を向けないといけません」
「再犯しないためには、……何より人に頼って生きていく生き方を身に付けることです」
「更正するためには、人とつながって「幸せ」にならなければならない」

 この本を読んで、一見、どんな不可解に見える事件にも、(「心の闇」などといった曖昧なものではなく)必ず何かしらの原因があるのだ、ということを改めて確認できました。
 また、私が前々から思っていたことで、「よくぞ言ってくれた!」と共感したのは、刑事裁判の判決で、被告人が「反省」しているか否かによって量刑が変わることの馬鹿馬鹿しさ(不条理さ)です。冤罪事件の場合は、被告人が冤罪を訴える=「反省していない」、ということで、一層重い刑に処せられるという不条理が生じますが、たとえ真犯人の場合であっても、反省の有無を量刑判断に加えることの不当性は、本書の筆者が言うとおりだと思います。
反省は真に自発的なものでなければ無意味であるという簡単なことがわかっていない日本人が多いために、何か事件が起こるたびに、メディアは謝罪と反省を求め、事件を起こした者はとりあえず上辺だけの謝罪を行う、という馬鹿馬鹿しい儀式がいつまでもたっても繰り返されていますね。

 なお、本書は極めてまじめな内容なのに、インパクトを強めるためとはいえ、(筆者と編集者のどちらが決めたかはさておき)タイトルは少し奇を衒いすぎている印象は否めません。
2014/11/29 10:35 PM posted by: 月ノヒカリ
あそびたりあんさん、再びこんばんは。

『反省させると犯罪者になります』、読まれたのですね。
私もこれ、良い本だと思いましたが、著者は教育学が専門の方ですよね。法学がご専門の(と勝手に思ってました)あそびたりあんさんにも賛同いただけるのは、心強いです。
この本を読んだのはずいぶん前なので、あそびたりあんさんのおっしゃる「被告人が反省しているかどうかによって、量刑が変わることの不条理さ」という話、どこに書いてあるのか思い出せなかったのですが(すみません)。

本当に、最近のやたら「謝罪と反省」を求める風潮が、犯罪や不祥事の減少につながるとは、まったく思えませんね。
著者の「刑務所にケアの視点を導入する」という主張は、真の意味で犯罪を減らすために大事なことだと思うのですが……ただでさえ財政が厳しいこの時代に、受刑者への支援をさらに増やすのは、現実的には難しいかもしれないですね。受刑者への支援を充実させる方が、再犯率が下がって社会の安定につながるとは思うのですが。

渡邊被告も最終意見陳述で述べている、「刑務所は最大の福祉施設」というのも、なかなか可視化されないけど、重要な問題だと感じます。軽度の障碍や病気を抱えた人が「刑務所に入るしか生き延びる術がない」というのも、ずいぶん酷い話だと思うのですが、こういう話もあまり表には出てきませんね。そういう話を知れば、単純に「厳罰化しろ」とは言えなくなると思うのですが。

本のタイトルは、確かにちょっと狙い過ぎな感じですが、でもショッキングなタイトルに引かれて読む人もいるかもしれないですし。この本、もっと広く読まれてほしいです。

コメントありがとうございました。それではまた。
name:
email:
url:
comments:
Trackback
http://newmoon555.jugem.jp/trackback/422
Search
Profile
Category
Recommend
Recommend
私の幸福論 (ちくま文庫)
私の幸福論 (ちくま文庫) (JUGEMレビュー »)
福田 恒存
たとえ不幸のうちにあっても、私たちが「幸福である」ために
Recommend
新版・小説道場〈4〉
新版・小説道場〈4〉 (JUGEMレビュー »)
中島 梓
わが人生の師。全4巻
Recommend
敗北からの創作
敗北からの創作 (JUGEMレビュー »)
明川 哲也
9・11テロ後「敗北」した私たちにできる「創作」とは?
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Admin
Calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
Latest Entry
Archive
【WEB拍手】
応援してくれる人、拍手ポチッと押してね↓↓↓
↓ブログ主に小銭を!
Analytics
Sponsored links
Mobile
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM