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2014.10.29 Wednesday 22:39
またもやミニシアターで映画を観てきました。
「どうして自分が観るのはミニシアター系の映画ばかりなのか?」について考察しようとしたら、長くなりそうなので、今回はやめておきます。

■映画『悪童日記』公式サイト

ハンガリー出身のアゴタ・クリストフによる原作小説は、全世界でベストセラーになったらしいけど、私は読んでいない。原作未読でも、人間のもつ本質的な残酷さや複雑さといったテーマは、映像から充分に伝わってきた。

物語の舞台は、第二次大戦下のハンガリー。田舎の祖母の家に疎開した双子の少年が、厳しい生活のなか「悪」に手を染めつつ、生き抜いていく――。

※以下、なるべくネタバレはしないように書きましたが、多少はネタバレしているので、未見の方はご注意を!


まず何より、主人公の双子の少年が美しい。その眼光の鋭さ、こちらの心の奥底まで射抜くような眼差しのもつ力は、圧倒的だ。
双子を演じるラースロー&アンドラーシュ・ジェーマントは、家庭の問題を抱えており、ハンガリーの小さな貧しい村で、厳しい肉体労働をするのが日常だったという。なるほど確かに、温室育ちの少年ではあり得ない面構えだ。

映画の冒頭では、双子は仲のいい両親と共に暮らしている。
しかし、母方の祖母の家に身を寄せてから、生活は一変。「魔女」と呼ばれる太った祖母は、双子の母と折り合いが悪いらしく、双子を名前ではなく「メス犬の子」と呼ぶ(この双子の名前は、最後まで明かされないままだった)。祖母は、双子を薪割りなどの労働にこき使いながら、まともな食事も与えない。飢えた双子の前で、飼っている鶏を絞めて焼き、自分だけ貪り食うという底意地の悪さだ。

双子は、聖書と辞書のみで読み書きを覚え、父に与えられた日記帳に日常を書き綴る。映画は、この双子の日記を軸に展開していく。

過酷な現実を生きるために、双子は次第に「悪」に手を染めるようになる。悪といっても「悪ガキのいたずら」レベルの話ではない。最初は、隣人の少女から盗みを学ぶ。と同時に、少女を助けるために、居酒屋で芸を披露してお金を稼ぐシーンもあり、その心根は決して残酷なだけではないことがわかる。

その後、双子の暴力行為は、次第にエスカレートしていく。
神父を強請って金を得る。
司祭館で働く美しい女性のストーブに爆発物を仕掛け、彼女は顔に大やけどを負う。
隣家に火をつけて燃やす。

しかし私は、それらの双子の行為を、単純な「悪」とは見做せない。というのは、双子が手を下す以前に、神父やその女性の方が悪事を働いていたからだ。双子は、彼らなりの倫理観に基づき、神の裁きの代理執行をしただけではないのか――少なくとも私は、そう受け取った。
そもそも神父や司祭館で働く女性が犯した悪徳行為は、彼らが受けた「罰」よりさらに重く、質が悪い。
双子の犯した行為は、確かに「悪」なのだけれども、その行為の内に何かしら「道徳的な正しさ」がひそんでいるように思われる。そのことが、この物語に、深みと複雑さを与えている。


さらにもう一つ、印象深かった点を挙げると。
この双子は、間違いなく祖母から虐待されているのだけれども、共に暮らすうちに、両者の関係が次第に変化していくのだ。

これはずっと前から秘かに考えていたことなんだけど……「虐待」と「愛」って、そんなにすっきり切り分けられるものなのだろうか?

何度かこのブログでも取り上げた、古い少女漫画の名作『風と木の詩』のジルベールは、叔父(後に実父であることが明かされる)であるオーギュストから虐待を受けてきた少年だ。しかし、ジルベールとオーギュとの絆は、ただ単に「虐待」として切り捨てられるものなのか?と考えると、そうではないように思う。二人の関係の底に流れているものは、それもまた「愛」だったのではないか。少なくとも、あの作品を読んだ当時の私は、そう受け取った。

話を『悪童日記』に戻すと、双子と意地悪な祖母との関係も、そんなに単純なものではない。映画の中盤から少しずつ、両者の心が通い合うシーンが現れる。
屋外で発作を起こし倒れてしまった祖母を、双子が家のなかに連れて行こうと必死で引っぱっていく場面。
あるいは、刑事から拷問を受けた双子を、祖母が心配する場面。
そして、愛する母が双子を迎えに来たとき、彼らは母と共に行かず、祖母のもとに留まることを選ぶのだ。
さらに双子は、祖母から「次に発作を起こしたときには、これを牛乳に入れて飲ませてほしい」と毒薬を託される。祖母の望み通り、双子は彼女の自死を手助けする。
祖母と双子との関係は、「虐待する者とされる者」でありながら、しかしそれだけで終わるものでない。両者の間に流れているのは、確かに「愛」ではなかったか。

あるいは、双子を祖母に預け、また迎えに来た母は、確かに双子を愛していたのだろう。しかし、双子の父が戦場にいる間に、他の男と通じて子どもをもうけた彼女の愛は、それほど美しいものだろうか。
また、戦争が終わり、双子を迎えに来た父は、彼の妻のその後の顛末を知り、双子を残してその場を去ろうとする。その彼の態度は、「息子を愛する父」のそれと言えるだろうか。

私たちは、それほど単純な存在ではない。
美しいもののなかに醜悪なものがひそみ、醜悪なものから美しい何かが生まれる。
人間は、あるいはこの世界は、そういう不可思議な逆説を孕んでいるのではないか。

そんなことを考えさせられた。
テーマは暗く重いけれども、忘れ難い映画になりそうだ。

この『悪童日記』、原作は三部作なので、できれば続編も映画化してほしいな。また成長した双子を見てみたいです。

      悪童日記 (ハヤカワepi文庫)




| ●月ノヒカリ● | 音楽・映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
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