2015.04.09 Thursday 23:45
読書によって知識を得ることはできるのだろうけど、「知識を得る」ことと「わかる」ことは、どうも別物らしい。
そう感じるのは、ある本を読んでいまいちピンと来なかったとしても、何年も経ってから読み返すと「あれはこういうことだったのか」と腑に落ちることがあるからだ。
つまり、「わかる」ためには、「経験」が必要なのではないだろうか。

つい最近、精神科医の中井久夫先生の著書を読み返して、まさにそういう「ああ、あれはこういうことだったのか」という感覚を味わった。その箇所をここに書き写してみる。

中井久夫先生の専門は統合失調症で、以下に引用するのも統合失調症について書かれたものだ。ただ、治療の「作用」「反作用」という捉え方は、他の病気にも当てはまる面があると思う。
……
 このように考えていくと、そもそも症状というのは病気を推進しているだけなのか、結果的にそうなっているのか、生体の回復の側にも属しているのではないかと考え直したくなります。そんなにはっきり線引きできるのかどうか、こういう疑問を私は持つようになりました。しかし、あまりそういうことを考えると私自身が混乱します。どちらかといえば回復推進的(抗病的)あるいは疾病推進的(起病的)というところで止めています。どちらかが副作用とみなされるわけです。かなり経ってから気づいたのは、作用にはそれと逆方向の(回復を打ち消す)反作用が伴うことがしばしばあるということです。グラフにはっきり出ることもあります。しかし、物理学の場合と同じく、作用点と反作用点が違うから、作用と反作用の法則があっても、ものは動くわけです。面接による治療、アートセラピーその他のハイフンセラピー(これは英語でハイフンをつける治療法で園芸療法、音楽療法、その他です)も反作用点が作用点から離れているという見地から見直してはどうでしょう。妄想を論理的に反駁しても無効なのは、ひょっとすると作用点と反作用点が近いからかもしれません。また、自己免疫を考えると、抗病力あるいは回復力にそういう疾病推進的な面もあると考えてみる必要もあるでしょう。

  (中井久夫『統合失調症の有為転変』P.64〜65)

上記の文章は、とある統合失調症の患者さんが、極期にはきれぎれの言葉しか発せなかったけれども、かなり後になって妄想をちゃんと言葉で語れるようになった。妄想をきちんと話すと妄想の再燃と取られがちだけど、これは回復の一過程と考えていいのではないか――というエピソードの続きとして書かれたもの。

もう一カ所、中井先生の別の本から、「作用」と「反作用」の部分を引用してみる。
 私の知る限り、回復過程における作用と反作用のからみ合いを指摘したものはこれまでありませんでした。回復とは一方向に進む過程と私も考えてきました。実際上そう考えてよい場合も少なくありません。しかし、一般論として考えますと作用には必ず反作用が伴い、この反作用は回復への歩みを打ち消すことによって、いやおそらく時にはそれ自体の持つ力によって回復のコースを慢性化へと曲げてゆく可能性があります。慢性状態のほうが回復途上の状態よりも安定性が高いとすればいったん成立するとワナのように抜けにくくなりかねません。ある治療行為にせよ、薬物にせよ、環境の変化にせよ、本人の自己治療行動、いや夢や思考や症状の変化にせよ、すべて、慢性状態を変えようとする作用は、必ずそれを打ち消そうとする内力を発生させます。これはそう前提してかかってよいことです。では、システムというのは全く動かせないか。そんなことはありません。作用点と反作用点が違うから、システムは動くのです。おそらく作用点と反作用点とが離れていればいる程よいのでしょう。回復初期の身体反応の出現が好ましいのも、作用点から離れた反作用点だからかもしれません。下痢などは後ぐされがほとんどありません(回復後の初期には下痢は良い徴候です)。このように自然治癒力は慢性状態においても働きを止めていません。また、外からの働きかけでも、たとえば絵を描くという作用はきっと別の場所で反作用を生むでしょう。また「ゆりもどし」が回復期や慢性状態からの離脱過程にはしばしば起こりますが、これは反作用として眺めてあわてず騒がずに回復の全構図の中に収めるほうが実り多いでしょう。

  (中井久夫『最終講義』P.65〜66)

上記二つの文章に書かれた、症状と回復の「作用/反作用」の話、自分としては、統合失調症の初発から十年以上過ぎて、回復に向かい始めた今だからこそ、納得できる面があった。

というのも、冒頭の「症状というのは、生体の回復の側にも属しているのではないか」というあたり、思い当たるフシがあるのだ。
私は統合失調症を発症して、その数年後に再発してるんだけど、今振り返ると、実はその再発こそが「回復」の契機となったように思う。再発したとき、統合失調症の症状そのもの(不眠とか思考奪取とか)は、ヘビーで辛かった。でもその再発を経て、初発時のトラウマティックな記憶がもたらす苦痛は、かえって軽減されたのだ。

風邪をひいたときに発熱するのは、「細菌やウイルスを殺すために体温を上げているのだ」という話を聞いたことがある。これについては、どの程度医学的に根拠のある話なのかはわからない。
ただ、病気の「症状」というのは、病気を進行させるだけではなく、むしろ回復を促すために現れるケースもあるのではないか。そんなことを考えさせられた。

といっても、私は別に「だから薬による治療はやめて、自然に症状が進むに任せよう」などと言うつもりはない。
ただ、薬では治すことができない部分もあって(トラウマティックな記憶は、薬を飲んだからといって消えるものではない)、その苦痛を緩和するために、患者自身が見つけたオリジナルな方法が有効なケースもあるのではないか、と思うのだ。

それから、中井先生は絵画療法を実践されているのだけれども、患者が「絵を描く」という行為にも、副作用のようなものがどこかで現れるのではないか、という説も興味深い。
いやそれどころか、患者自身が夢を持つこと、考え方を変えること、自分で治そうと努力すること、そういった行為にもすべて反作用、つまり病気のほうに押し戻す力が働くというのだ。病気にしろ何にしろ、慢性化した状態を変化させることの難しさは、そこにあるのだろう。

『最終講義』によれば、回復が「過程」であるのに対し、(病気の)慢性状態は「状態」であり、ホメオスタシスのように均衡が保とうとする力が働いている、とのこと。
それを変えようとするなら、どこかで抵抗が起こるのは、当然なのだろう。

ただ、慢性状態はまったく動かせないかというとそうではなくて、慢性状態を変えようとする何らかの行為(作用)と、病気のほうに押し戻そうとする力(反作用)は、同じ場所で同時に働くわけではないから、たとえ「ゆりもどし」があったとしても、ちゃんとシステムは動くのだという。

泉谷閑示氏の『「普通がいい」という病』にも、本来の治療というのは「病的な安定」から「健康な不安定」の方にもっていく作業なのだ――という一節があったのを思い出した。

今の状態を変えようとするなら、抵抗する力が働くのも当然のことであって、「ゆりもどし」があったとしても、回復の全構図に位置づけることができれば、それでいい。中井先生の本を読んで、そんなふうに考えられるようになった。

中井先生の『最終講義』中に出てくる、「回復とは、全体として地力がついてくるようなものだ」という一節も、今の私には、深く頷ける言葉だった。
「地力」というのは、ただ薬を飲んでいれば身に付くものではないのだろう。本を読むとか、筋トレなどの「体力づくり」をするのも、もちろんまったく無駄ではないのだろうけど、それだけでは駄目で、生きるための「総合力」が少しずつUPするのが、「回復」に近づくことになるのではなかろうか。そしてその「総合力」には、「健全な自己愛」とか「尊厳」といったものも含まれるのではないか。精神疾患の患者の多くは、まず「健全な自己愛」が損なわれた状態にあるのだから。そしてその「健全な自己愛」こそ、取り戻すのが一番難しいものじゃないかと感じる。

こういう本を読んでも、もちろん病気が治るわけではない。けど、「回復」のイメージがちょっとだけ広がった気がする。
回復のイメージが広がれば、様々な制約のある中で、少しだけ「自由」に近づけるのではないか。
そんなことを願いつつ、日々を過ごしている。

※参考記事
上岡陽江・大嶋栄子『その後の不自由』
順調に後退中


   





| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(7) | trackbacks(0) |
2017.08.10 Thursday 23:45
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Comment
2015/04/10 8:52 PM posted by: 青
「健全な自己愛」とか「尊厳」は多くの人にとってもテーマであると思います。
人々がなんとな思うくこのくらいの「普通」。メディアの流す「流行」など。「流行」は最悪スルーすればいいけど「普通」というのはやっかいです。
早く暖かくなりますように(笑)
2015/04/12 2:26 PM posted by: ららら
統合失調症に関して私が偏見等がない理由ですが、
30代の頃、それらしき症状を経験した事があります。
両親は私の発言を聞いて、オカシイと感じたようで、それを理由に、精神障害者の申請をするように促された
事があります。(症状は軽いし一時的なのにもかかわらず)

私は 父にそのような事を言われて、我に返ったのですが、(経済力がその時点であるのに、親自身が援助をしたくなかった事から出た発言です)

私自身は、両親からによるwバインドにより 発症した症状だと考えています。
友人などの関係でも、自分が否定されてしまうような関係を繰り返してしまったり。

自分は けして お人好しでもないし、いい人間でもないですが、私から見ると、狡猾さのある人は、けして
欝にもならなし、精神的に病む事がないようです。

普通の人が生きられない社会なのかな?という感じです。

回復イメージというのは きっと 回復に向かっている気がしました。

もし他者から否定的態度を取られても、自分は自分を
否定する必要がないですよね^^

健康そうに見える人が、必ずしも 健全な自己愛を持っている人間とは限らず、むしろ、かなり偏った自己愛を
持つ人間が この社会では のさばっていると つくづく思います。


2015/04/12 3:04 PM posted by: 雪月
>「慢性状態のほうが回復途上の状態よりも安定性が高いとすればいったん成立するとワナのように抜けにくくなりかねません。」

今の私に当てはまるような気がして、ドキリとさせられました。
この本なら読みやすそうかな?今度図書館で探してみようと思います。

>「健全な自己愛」
というものがいまいちピンときませんが、

>回復のイメージが広がれば、様々な制約のある中で、少しだけ「自由」に近づけるのではないか。

これは私もそう願います。
運動とかもイメージトレーニングするのが効果あると聞いたことがあり、本当かどうか分かりませんが、似てるのかなって思いました。
と書いてみてちょっと違うかなーとも思い、うーむ。難しい。
自分の症状って私いまひとつ把握しきれていないのですよね。クリニックの先生に話すこともほぼ無くいつも通りの薬もらって帰るだけだし。

なんだか上手くまとめられないコメントで失礼いたしました〜(-_-;)
2015/04/12 11:44 PM posted by: 月ノヒカリ
青さん、こんばんは。
「健全な自己愛」というのは確かに、とりたてて病気でない人にとっても重要なテーマかもしれませんね。
でも自分としては、毎日死ぬことばかり考えていた頃に比べて今はずいぶん楽になったと感じるので、やっぱり病気からくるしんどさというのも、無視できないのではないかと思います。

私は、「流行」は昔からスルーしてましたけど、「普通」はスルーするのが難しいですね。下手すると社会的に抹殺されかねませんから。

まあでもお互い、マイペースで行きましょう♪
コメントありがとうございました。
2015/04/12 11:46 PM posted by: 月ノヒカリ
らららさん、こんばんは。

統合失調症への偏見については、どの程度今の世の中にあるのか、私自身わからないです。
ただ、ネット上には「メンヘラ」を揶揄する言葉がいくらでも目に入ってくるので、精神疾患に対する偏見は、根強く残っているとは思います。

らららさんのご家族の事情はわからないのですが、家族の中にある歪みは、いちばん弱いところ、つまり子どもに現れることが多いんじゃないでしょうか。

とある漫画家さんが、「今の時代、まともな人間は皆メンヘラになるんだよ」と言ってたのですが、そういう面もあるのかなと。
当ブログに載せた末井昭氏の記事にも「どうしても死にたいと思う人は、まじめで優しい人たち」という一節がありました。

例えば、道で人とかち合ったとき、相手に道を譲るタイプの人ではなく、人を押しのけて進むタイプの人のほうが、なぜか「成功」しているように見えることは、私もよくあります。

でもやっぱり自分は、「人を押しのけて進む」タイプにはなりたくないので、「自分がなりたい自分」に向かって歩いていくしかないのかな、とも。
他人の目を気にし過ぎるのではなく、「自分が好きでいられる自分」を目指しつつ、生きていきたいです。

コメントありがとうございました。お互いマイペースで行きましょうね。
2015/04/12 11:48 PM posted by: 月ノヒカリ
雪月さん、こんばんは。

中井久夫先生の『最終講義』、最初に読んだとき(十年近く前かな?)はピンと来なかったんですけど、今読み返したらハッとする部分が多々ありました。
元は大学の講義なので、読みやすいかどうかはわかりませんが……。

「健全な自己愛」というのは、たとえばいじめとかハラスメントを受けたときに、ただ自分を責めるのではなく、「相手の方も悪いんだ」とちゃんと思えるかどうか、そのあたりが分岐点かなと個人的には思います。
あとは、「自分には価値がない」と思ったり、変に卑屈になったりせず、逆に傲慢になることもなく、自然体で自信が持つことができるなら、それは「健全な自己愛」じゃないかなあと。

私も、クリニックの先生には薬をもらうだけで、あとは「当たり障りのない話題」しかできないですね〜。
なので、こういう本を読んで、自分なりにヒントを見つけていくしかないのかなと。

コメントありがとうございました。コメントはまとまってなくても無問題ですよ〜。このブログの文章も、全然まとまってないですし(笑)
今後ともヨロシクです。
2015/08/15 9:16 AM posted by: -
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