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2015.11.27 Friday 20:44
アキ・カウリスマキ監督作品『ル・アーヴルの靴みがき』をDVDで観た。
カウリスマキ監督作品は、ネット上で「市井の人々の日常を描いた名作揃い」という評判をちょくちょく目にするので、一度は見ておきたいと、前々から思っていたのだった。
フランス語の映画だったけど、カウリスマキ監督はフィンランド人らしい。

映画の主人公マルセルは、フランス北西部の港湾都市ル・アーヴルで、靴みがきを生業としている初老の男。妻のアルレッティ、愛犬のライカとつつましく暮らす平凡な人間だ。しかしある日、彼の妻が不治の病で入院することになる。その上、ひょんなことから、アフリカから来た難民の少年を自宅に匿うことになる。
ハリウッド映画的な派手さはないけれども、地味にドラマチックな展開ではある。

難民問題は、私にとっては身近なニュースではなく、遠い世界の出来事だと感じていた。 けど、この映画を見て、難民の存在がリアリティを伴って理解できるようになった。
――などと書いたら、大間違いなのである。

実はこのDVDには、特典映像として、主役のアンドレ・ウィルムと警視役のジャン=ピエール・ダルッサンのインタビューが収録されているんだけど、そこでは意外な裏話が語られていた。

例えば、映画の序盤、コンテナに潜んでいたアフリカからの不法入国者たちが、警察の監視のもとで発見されるシーン。 インタビューでは、監督のこんな言葉が紹介されていた。
「もし私が現実主義者なら、中にいる彼らを汚物まみれに描くだろう。でも私にはそんな描写をする権利はない。彼らには一番いい服を着てもらう」
確かにこのシーンに登場する難民の人たちは、長距離を移動してきたにしては、妙にこざっぱりとした格好をしていた。
つまりこの映画は、リアリズムを追求しているわけではなく、政治的な意図をもって選択された「表現」なのだ。

また、主役を演じたアンドレ・ウィルムは、こんなことを語っていた。
「私は労働者階級の男を演じるとき、きれいな言葉で話すように気をつけている」
なるほど、この映画に出てくる庶民、とりわけ主人公やその妻は、どこか上品な印象がある。それはリアルな庶民の姿ではないのかもしれない。しかし不思議なことに、不自然さはあまり感じない。この映画に流れている独特の雰囲気は、そんなところから醸し出されているのかもしれない。

しかし一方で、上記のインタビューでは、こんなことも語られていた。
「多くの映画では、労働者階級が天使のように描かれている。自由を求めて闘う彼らを賛美するような形でね。だが現実には酒に依存する人もいて、必ずしも天使とは言えない。つまり、複雑な問題を抱えている彼らを、我々の心情に合わせたやり方で描くのはよくない。彼らの厳しい現実にも目をやるべきだ」
欧州には社会主義の監督が多い。カウリスマキもその一人である――という話に続いて、述べられた内容だ。

この「社会的弱者の描かれ方」問題については、フィクションだけではなく、ドキュメンタリーやジャーナリズムにおいても、同じような側面があるのではなかろうか。当たり前のことだけど、貧困層であれ障碍者であれ、ダメな部分もたくさん持っている欠陥だらけの人間であって、必ずしも無垢な被害者であるわけではない。私がある種の報道(それも弱者に寄り添うような形の報道)に、どこか居心地の悪さを感じてしまうのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。

映画のラストは、奇跡が起こって、ハッピーエンドで終わる。
これはある意味でファンタジーだ。
でもまったくのおとぎ話というわけではなく、リアリズムとファンタジーの絶妙なバランスの上に成り立っている物語じゃないか、と感じる。

この映画が、社会的に「負け組」の人たちに支持されるのは、理解できるように思う。
私自身、ひきこもるしかなく、どこにも行き場がない閉塞感に苦しんでいたとき、有名人の派手な成功譚などには、心惹かれることはなかった。無名の市井の人たちの、ささやかな日常を慈しむ物語こそが、私を慰めてくれた。


この映画を見て、ふと思い出した本がある。
良知力による社会史の名著『青きドナウの乱痴気』のあとがきに出てきたエピソードだ。
良知氏が貧乏学生としてウィーン留学中、グレーテという小さな身障者の老女が、同じアパートに住んでいたのだという。彼女は子どもの頃に病気をして、身長が1メートル8センチしかなく、いつもどこかが悪くて医者通いばかりしていた。
良知氏夫妻とグレーテとの交流が簡素に著述されているだけなのだけれども、私はこの短い文章がとても好きで、幾度も読み返したのだった。
このあとがきの最後のほうに、こんな一節が出てくる。
 むかし貧しいグレーテは、小さな古ぼけたラジオでいつもシュトラウスのワルツを流していた。彼女自身もなかなかいい声でウィーン子らしくよく歌を口ずさんでいた。身障者で夫も子供もなく、孤独でしかも貧乏なのにいつも陽気で、明るくニコニコと振舞っていた。私が何気なくそのことにふれると、彼女は一瞬真面目な顔になって、「ウィーン子はね、苦しみや悲しみみたいなものはシュトラウスを歌いながらみんな喉の中に流しこむのよ」と言った。

   良知力『青きドナウの乱痴気』p.268

このささやかなエピソードが、生きるのがつらくてたまらなかった頃の私を、どれほど慰めてくれたかわからない。 その後、シュトラウスを聴くたびに、私はグレーテおばあさんのことを思い出した。
私は、「成功」したいわけでも「勝ち組」になりたいわけでもなかった。こういう慎ましやかな日常の幸せをこそ、取り戻したかったのだ。

アキ・カウリスマキ監督の『ル・アーヴルの靴みがき』もまた、深い絶望に苛まれる人たちに、あたたかな希望の光を手渡してくれる、そんな映画じゃないかと思う。

     

上に引用した良知力『青きドナウの乱痴気』のあとがきは、『日本の名随筆 別巻59 感動』にも収録されているようです。




| ●月ノヒカリ● | 音楽・映画 | comments(4) | trackbacks(0) |
2020.09.12 Saturday 20:44
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Comment
2015/12/02 2:29 PM posted by: 青
>政治的な意図をもって選択された「表現」なのだ。
「表現」、そうなんですよね。でも映像で見せられるとそれが正しいのかなと思いそうです。
海外のことなんて何も知らないのに漠然としたイメージがある感じ。

>この「社会的弱者の描かれ方」問題については、フィクションだけではなく、ドキュメンタリーやジャーナリズムにおいても、同じような側面があるのではなかろうか。当たり前のことだけど、貧困層であれ障碍者であれ、ダメな部分もたくさん持っている欠陥だらけの人間であって、必ずしも無垢な被害者であるわけではない。私がある種の報道(それも弱者に寄り添うような形の報道)に、どこか居心地の悪さを感じてしまうのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。

この部分も頷きました。それだけ余裕がないんだと思います。「普通」をぎりぎり演じられている人も手いっぱいで。理解しようというより助けてあげようというイメージを作り出すことを優先されがちでしょうか。
被害者意識より自分を律することですが大変だな〜というのが正直です。。。
2015/12/03 10:17 PM posted by: 月ノヒカリ
青さん、こんばんは。

そうですよね、映像で見せられると、それが真実であるかのように思えてしまって。私もこのDVDの特典映像を見なければ、盛大な勘違いをしていたかもしれません(笑)。特典映像を見ておいて良かったです。

「社会的弱者の描かれ方」問題については、青さんのおっしゃるように、「助けてあげようというイメージを作り出すことを優先されがち」という側面があるのかもしれませんね。そしてそれは必要なことなのかな、とも。
ただ、そういう描き方をされると、困っている人がかえって萎縮してしまうんじゃないかな、という懸念もあるんですよね……。
その手の記事を読んで、「自分はそこまで追い詰められていないから、もっと我慢しなきゃいけないのかな」とか、「私はそこまでの努力はしてなかった。自分の努力が足りないのかな」とか、私はそう思ってしまうことが結構あったので。そうなると余計に、自分が困ってることを発信しづらくなって、自分で自分を責める悪循環に陥って――そういう過程を経て、今は「自分のダメなところを認めることから、出発しよう」と思えるようになったのですが。
このブログも、手探りで表現を模索しながらやってます。

コメントありがとうございました。それではまた。
2015/12/08 2:37 PM posted by: 雪月
こんにちは〜。
私はこの映画観てないのですが、タイムリーな話題が。
公開はまだ先ですが、アキ・カウリスマキ監督が最新作を撮るらしいですよ。詳しくはこちらを→http://natalie.mu/eiga/news/168510

この監督さんのは「レニングラード・カウボーイズ」シリーズしか観たことなかったので(といってもだいぶ前のことなのでほとんど覚えていませんがコメディタッチの映画でした)、このようなものを撮る人だとは知りませんでした。

もしかしたら「レニングラード…」も、もう一度観ると何か違った発見があるのかも?まあ観る機会があったらというとこですが☆

めっきり寒くなりましたねー。体調崩さぬようにお気をつけて!
ではまた〜(*´▽`*)
2015/12/10 9:11 PM posted by: 月ノヒカリ
雪月さん、こんばんは。
ニュースお知らせありがとうございます!
「ル・アーヴル」は“港町3部作”だったんですね。でもって、次作も難民がテーマだと。
撮影開始が来年秋、ということは、公開はもっとずっと先になるでしょうが……覚えておきます。

私は「レニングラード・カウボーイズ」は見ていないのですが、「ル・アーヴル」もコメディといえばコメディかもしれません。ゲラゲラ笑える映画ではないのですが、ところどころユーモラスな表現があって、クスッと笑ってしまったり。
「ル・アーヴル」以外の作品は近所のレンタルショップになかったので、他の作品を見られるかどうかわからないのが残念ですが……。

先週は外出することが多かった(←対自分比)のですが、なんとか体調崩さずに済みました。
雪月さんもお体大切に。
コメントありがとうございました〜。それではまた!
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