2016.03.10 Thursday 22:58
更新が遅くなりました。
【当事者研究】なぜ私は「人に会いたくない」のか?のエントリを受けて、皆さんからいただいた「人に会いたくない理由」の当事者研究公開、第5回です。

今回の発表は、1月29日にいただいた拍手コメントです。

こんにちは、まろまろです。
私の「人に会いたくない理由」の当事者研究をこちらに送らせていただきます。

私にとって人と会いたくない理由で一番大きいのは、

1.「人と会って」
2.「失敗」したり
3.「傷ついたり」するのが
4.「怖い」からです。

心理的理由です。

ちなみに自律神経の病気になるまでは、潜在的には「怖い」と思っていたとしても日常的には「おっくう、腰がひけてしまう」レベルでとどまっていました。
病気になってからは「会っていて気分が悪くなったらどうしよう」「会った後、すごく疲れるんじゃないかな」というように、自覚的に「怖い」と感じることが増えました。(身体・健康上の理由)

「経済的理由」は、これらに比べるとサブ的な問題です。相手や状況とハカリにかけて「割に合わない」と思うかどうかです。

私は過去「失敗できない」という気持ちにずっと強くとらわれていました。だから、非常に防衛的に生きるようになっているのだと思います。怖いという感情が湧くのも、人に心を開くのが下手という自覚があり、それを他人に気付かれまいとするからです。
結果、過剰に相手の話を聞いてしまったり、自分から話題を振ったりと頑張った結果、本来の自分よりハイパフォーマンスな人だと思われたりして余計な心労を抱え込んだりすることもしばしばです。

これは誤解があったら申し訳ないのですが、私は「いわゆるコミュ障(自称できる人)」が羨ましく思うときがあります。私にはこれまで、黙り込むという選択肢があまりなく、嘘をついてでも会話しようとやっきになっていました。
そうすると嘘が前提になった生き方になり、「自分がコミュ障だ」とも言えず、自分をどんどん見失うのです。
また、こういう余計なサービス精神が、心を開かなくていい相手にも発揮されると、あとあと後悔する羽目になります。(どうやってフェードアウトするかでまた一苦労です)

なぜ私が問題をこじらせたかというと、心を一人にしてやる時間がなかったからだと思っています。
「体面(何の?って感じですが)を保とう」という意識が、あらゆる場面で私を支配していました。物理的に一人でも、意識が常に人目を気にしているようなところがありました。オタク仲間、家族含めプライドの高い人たち、「負けない」人たちに囲まれて生きてきたため、自分もそれに合わせるようになったのでしょう。

重篤な病気ではありませんが、自分が他人の価値観を意識して生き続けるのは辛かったです。
そういえば未だかつて「人に会いたくない」と素直に口に出していったこともないです。「今日はちょっと体調が」と「納得してもらえそうな」理由をチョイスしています。

もっと正直に生きられればいいなと思います。

素晴らしい当事者研究、ありがとうございます!
例によって、本当に蛇足ながらブログ主の感想をば。

まろまろさんにとっては、人に会いたくないのは「心理的理由」がメインのようですが、私も読ませていただいて、「それ、わかる!」と共感してしまう部分が多々ありました。

病気になる前「おっくう」なレベルだったことが、病気になって以降「怖い」と感じるようになったというのは、私自身も思い当たるフシがあります。

あと、「過剰に相手の話を聞いてしまったり、自分から話題を振ったりと頑張った結果、本来の自分よりハイパフォーマンスな人だと思われたりして余計な心労を抱え込んだりすることもしばしば」「余計なサービス精神が、心を開かなくていい相手にも発揮されると、あとあと後悔する羽目に」「どうやってフェードアウトするかでまた一苦労」のあたりは、私自身、太字ゴシック体で強調したいくらい、頷いてしまいました(ので、太字にしてみましたw)。

そんでもって、「心理的理由」がメインであっても、「気分が悪くなったら〜」とか「すごく疲れる」といった「身体・健康上の理由」も付随する、というのは、これまでの当事者研究でも出てきた話ですね。
心理的な問題を抱えている人は、同時に身体的な問題を抱えていることもしばしばある。これ、見落とされがちだけど、結構重要なポイントじゃないでしょうか。

一方で、「コミュ障(自称できる人)が羨ましい」というくだりは、よくわからなかったです……。
「コミュ障」というのはネットスラングであって、リアル生活では使わない言葉だと私は思ってました。ネット上で「コミュ障」を自称する人はわりと見かけますが、リアル生活で「コミュ障」を自称する人には会ったことがないです。
あと、コミュ障は「話せない」だけじゃなく「しゃべりすぎる」という症状も含むものと、私は解釈しています。

私も「沈黙の時間」が苦手で、しーんとなったときは、場を取り繕うために一生懸命話そうとするタイプです。でも、それやると、結構な確率で浮いてしまうんですよね…(泣)
「皆が沈黙していても、その場の居心地は悪くない」という状況、あんまり経験したことがないような……。自分の中では、「沈黙は気まずいもの」という思い込みがありますね。こういう思い込み、あんまりよくないのでしょうけど、なかなか改めるのは難しいです。

それから、まろまろさんが「人に会いたくない」気持ちのときに、そのまま口に出すのではなく、「今日はちょっと体調が」と納得してもらえそうな理由をチョイスして伝える、というのは、まっとうな大人の処世術だと感じました。それって人付き合いする上で大事なことじゃないかと。
私の場合、そういう大人の処世術的な対応が苦手なので、自分を「コミュ障」だと思ってるんですよね。「今日はちょっと体調が」という形で「取り繕う」のが苦手なんです。
だから、本当は人に会いたくない気分であっても、「約束をしたのだから行かなきゃ」と無理して出かけて、結果として疲れ果て、しかもあんまり楽しくない。

実は私もあんまり、自分に正直に生きてはいないですね。
「もっと正直に生きられればいいな」はまったく同感です。

これまでに頂いたコメントを読んだ上での印象ですけど、まろまろさんはかなり人に気を遣われるタイプなのではないでしょうか。で、それって結構大事なことだと思うんですよ。「社交の達人」と呼ばれる人は皆、自分から話題を提供して人を楽しませつつ、相手の話もちゃんと聴ける人、みたいです。
まろまろさんは今、「社交の達人」への道を歩んでおられる真っ最中じゃないかとお見受けします。

ただ、いつも相手に合わせてばかりだと、自分はしんどいだけで、ぜんぜん楽しくないんですよね。
相手への気遣いは継続しつつ、どうすれば自分も楽しめるか。どうすれば素直な自分を出せるのか。
これ、私にとっても、今後の課題の一つです。


さて、こちらのエントリについても、ご意見やメッセージ等がありましたら、ご自由にコメント欄や拍手コメントでお寄せください。
いただいたコメントは公開する可能性があります。拍手コメントでいただいたご意見は、コメント欄に転記させていただくかもしれません。公開を希望されない場合は、「非公開で」とお書き添えください(拍手コメントの場合は、「レス不要」にチェックを入れてください)。
よろしくお願いしまーす。

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| ●月ノヒカリ● | 当事者研究 | comments(10) | trackbacks(0) |
2017.08.10 Thursday 22:58
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Comment
2016/03/11 11:49 PM posted by: ノラ
また長くなってしまい、すみません。
しかも再び自己分析しちゃってます。

やっと理解できました。
実は、ヒカリさんにオフ会でお会いした時、正直、「え?コミュ障?」と思いました(他の皆様についても同じように感じました)。待ち合わせの時、あまりにも雰囲気がそれらしくなくて、違う団体に声をかけるところでした。実際にお話しても、最後まで、コミュ障的要素を感じませんでした。
タイプが違うんですね。
私は喋りが下手で面白い話ができなくて(ある特定の人々とは尽きることなく話せるのですが)、沈黙を突破すらできないのが、悩みです。
喋りすぎることができるのは、(失礼を承知で)うらやましくなってしまいます。

先日自分のコミュ障解決法を書かせてもらったのですが、この、面白い話ができない原因も、分かっています。映画や本にあまり触れていない、趣味が一般的でない、人生経験の浅さ(一般の人々との方向の違い)、などです。また、本とかを読んでも内容をすぐ忘れてしまっていることも原因です。

そういえば若い頃はお誘い等をどう断ろうか悩んだりしていましたが、家庭生活でいろいろ制約ができ、断らざるをえなくなりました。

私の同僚にはとんでもなくコミュ障の人が結構いますが、困っていたり悩んでいたりする様子は感じられません。みんな困ってないのかなあ。
2016/03/12 11:14 PM posted by: 月ノヒカリ
ノラさん、こんばんは。

>正直、「え?コミュ障?」と思いました(他の皆様についても同じように感じました)。

おお、嬉しいフィードバック、ありがとうございます!
他のオフ会参加者さんも、喜ばれるのではないでしょうか。

でも私も、子どもの頃はものすごく人見知りが激しく、本当に「一言も話せない」こともあったんですよ。先生からの評価もだいたい「おとなしい子」というものでしたし。

で、「これじゃさすがにマズいだろ」と思って、積極的に人と話そうと努力し始めたのが、大学生の頃だったでしょうか。その後、ウケを狙おうとして滑ったり、いろいろと試行錯誤や訓練を積み重ねる過程で、「しゃべりすぎる」という症状が出てきたんですね。
自分だけがしゃべりすぎるのもよくない、ちゃんと人の話を聴くこともできなきゃダメらしい、ということに気づいたのは、わりと最近です(それに気づくまでに、いろいろと失敗もしました)。

以前、こんなエントリを書いたことがありました。
http://newmoon555.jugem.jp/?eid=459
コミュ障を自称される方は、自覚があるからこそ、それぞれ試行錯誤や努力を重ねているのではないのか?
だからこそ、コミュ障を自称する人はむしろ気遣いのできる人が多いのではないか?
というのが私の仮説です。


>私の同僚にはとんでもなくコミュ障の人が結構いますが、困っていたり悩んでいたりする様子は感じられません。

興味深い話です。
悩んでないのなら、改善したいとも思わず、まったく改善されないままなのかもしれませんね。
改善しなくても生きていけるなら、その方が幸せなのかも?(・・・どうだろう?)

とても参考になるコメントありがとうございました。それではまた。
2016/03/13 4:01 PM posted by: 雪月
こんにちは。
まろまろさんの
>余計なサービス精神が、心を開かなくていい相手にも発揮されると、あとあと後悔する羽目になります。(どうやってフェードアウトするかでまた一苦労です)
という言葉に私も太字で共感です!
高校生のときにまさしく余計なサービス精神で失敗。
そのときはわりと無意識だったのですが後々問題になりました。
それからというもの人付き合いは嫌だなぁという思いを抱えてしまい、今でもそのときのことがトラウマになってます。
数少ない友達とも、正直に、素直に、話せているかどうか微妙です。

>ノラさん
私も皆さんにお会いしたとき、似たような感覚でしたよ。
 タイプが違う。
たぶんそうです。細かく探っていけばもっといろんなタイプの人がいると思います。私はオフ会のとき、かなり緊張がMAXでした。お土産を持参したのはじつは、場が和まなかったときの保険?でした(笑)

2016/03/14 8:09 PM posted by: 月ノヒカリ
雪月さん、こんばんは。

雪月さんも過去にいろいろと失敗経験があるのですね。
私もいまだに「余計なサービス精神」を発揮して、あとで後悔することがあります。でもこれは本当に、相手によるというか、親切にしたら親切を返してもらえて、スムーズにいく場合もあるので、難しいところです。ある程度付き合いを深めないと、見えてこない面もありますし。

それから、「正直に、素直に話す」というのは、誰にとっても、幾つになっても、難しいテーマなのかもしれませんね〜。

雪月さん、オフ会のとき、緊張されていたのですね。でも全然そんなふうには見えませんでしたよー。「コミュ障」にも見えませんでしたし。
まあでも確かに、初めて行く場所で、初対面の人ばかりと会うのは、緊張して当たり前かも。
本当に、遠路はるばる来てくださってありがとうございました。オフ会に来てくださった皆さんは、ちゃんと人に気を遣われる方ばかりで、安心して過ごせましたね。

コメントありがとうございました、それではまた。
2016/03/16 8:03 PM posted by: まろまろ
こんにちは、丁寧な紹介ありがとうございました。
改めて読み返すと、自分でも気づかないところが色々発見できました。

「『コミュ障』が羨ましい」というくだり、ネットスラングを使ってしまったこともあってわかりにくかったですね。すみません。

私が想定していたのは「自分は話すのが下手」「人が苦手」ということに開き直れる、かつそれを口に出せるタイプです。知人でいたのですが、その人は「人見知り」を自称していました。
マイペースを貫き通し、良いと思える本や音楽だけ聴き、嫌な人間関係は避け、面倒なサービスはしない、という生き方は「自分に正直」でいいなぁ…と思ったのですね。

実際、余計なサービスで「他人のゴミを拾う」タイプの私より、幅は狭くても納得のいく生き方をしていると思いました。 ただ、その「他人と違う」部分に酔っている様子(こういう時は「しゃべりすぎるコミュ障」でした)は見ていてー…えー、全然羨ましくなかったし(笑)「話すのが下手」なのは事実だったので他人の不興を買うのは本人も辛かったと思います。

コメント欄でヒカリさんが「コミュ障を自称される方は、自覚があるからこそ、それぞれ試行錯誤や努力を重ねているのではないのか」と言われておりますが、知人の場合、リンク先の記事にある「自己卑下を繰り返したり、過剰に自己防衛的になったりして、それはそれでウザくなりそう」なタイプだったように思います。
これは愚痴ですが、表向き「うまくやっているように見える」からと、いちおう友人であった自分にも弱音を吐かせてくれない、相手を褒めて自分を下げれば何とかなると言った投げやりな、フェア感のないコミュニケーションもキツかったですw(そんなこんなで今は縁がないのですが)


なんでしょうかね…問題意識は感じてもそれがどこに向かうかというのはやはり人それぞれというか…。

元来、内向的な人が「向いていない」コミュニケーションにどこまで努力すべきか、実はしなくていいのではないか、私は最近そう思っていて、むしろ「社交の達人」からは降りようとしています。

その場限りでウソを重ねるのは道徳的にイヤになってきていますし、大切な人からは誤解を受けますし、やはり、楽しくない…自分が可哀相になってきたのです。
「今日は人に会いたくない」と正直にいえば、「何コイツ」と思うような人は離れていきます。
逆に心配してくれる人は、良い友人として残ってくれています。これもサジ加減なんで難しいですが、自分は「体調がちょっと」を繰り返した挙句信用を失ったことがあるので(たぶん普段は元気なときしか見てないから仮病に見えたのでしょう)、「正直」は大事だなと。

打ち負けても構わない、そう思って投げる「直球」がやっぱり最強なんじゃないかと思います。(だから、おお振り的に言うと、そんな武器を持ちつつ「阿部くんがいれば」と考えちゃう初期三橋に滂沱するわけでw)


…長くなってしまって申し訳ありません。しかも話ズレてますし。でも、もうちょっとだけ続きます。
2016/03/16 8:12 PM posted by: まろまろ
続きです…

実はこの知人を思い出したのはヒカリさんのブログを読みはじめてから二回目で、一回目は「【悩み】普通の人が当たり前にできることでも、自分にはできないということを、どう伝えればいいのか?」のエントリを読んだときでした。

「自分には出来ない」と繰り返してコミュニケーションを拒否していた知人のことに腹を立てていたのですが、このとき「分かり合えない」ということも納得しなければいけないなとスッと胸落ちできた気がします。

知人は小さいころから長く原因不明の体調不良に悩まされており、ここぞという時に倒れてしまうことの繰り返しでした。そういう身体的な苦痛、限界感、それを「分かってもらえない」こと、そこから来る諦念。誰とも共有できない孤独な時間だからこそ本人だけの真実。
それゆえに彼女は彼女になったのだろうし、そこに分け知り顔で入ることはできないと思いました。

私は彼女に比べると、身体的に倒れない分、精神にきていたのですが…、身をもって「出来ない」ことを自覚することと、頭で「出来ない」と思うことにはだいぶ違いがあると今は思っています。

ネットでは会話できても「人に会いたくない」という気持ちが芽生えること、かなり「病気に知識がある」人が相手でも、なかなか「理解してもらえた」気持ちになれないこと…。
身体的な経験が「心」の形成にものすごい影響を与えていて、そこに深い溝があるのではないかと。
追体験にも限界がありますし。

とはいえ、病気になって「分かってもらえない」ことや「出来ない」ことを持て余していた中で、ヒカリさんのブログは、非常に私の回復への助けにとてもなっています。

開かれたブログという場所に甘えて、長文で大変申し訳ありませんが…。負担のない範囲でご覧いただければと思います。

ありがとうございました。
2016/03/16 9:02 PM posted by: まろまろ
あと一個だけ(スミマセン!)

むかしカウンセラーの勉強をしたときに習ったのですが、
会話中、1分間の沈黙に耐えられる人間はそうそういないそうです。

カウンセラーが、深く自分の中に入って沈思黙考しているクライアントに、自らの不安で声をかけて
セッションを台無しにする、ということもよくあるそうで、それを防ぐ練習もありました。

沈黙を嫌うのは人間みなそうみたいです。

良い沈黙があるとしたら、お茶の世界でいう一座建立みたいなものでしょうか。
それって、すごく難しいのだと思います(^^;)
2016/03/20 10:38 PM posted by: 月ノヒカリ
まろまろさん、こんばんは。
坐骨神経痛でしばらくPCから離れていたので、レスが遅くなって申し訳ありません。

>その人は「人見知り」を自称していました

なるほど。それを聞いてちょっと思い出したことがあります。
もう何年も前のことですが、とある病気の方が集まるオフ会に参加したことがあったんです。
参加者の方は、ネット上では「私は人見知りするタチなので、緊張します」と書いてらした方が多かったのですが……実際にその場に行くと、とても大きな声で賑やかにおしゃべりする人ばかりでした。
それ以来、私は「人見知りを自称する人は、おとなしくて物静かなタイプだろう」という思い込みを改めたんですね。

「コミュ障」と「人見知り」。
似ているようで、ニュアンスが違う言葉なのかもしれませんね。今の私は、自分を「コミュ障」だと思っているけれども、「人見知り」はあまりしない、という認識です。

そういえば、リアル生活でも過去に一人だけ、話の流れで「自分はコミュ障だ」という人と会ったことがありました。その人は、かなり人に気を遣われるタイプの方でしたね。


>問題意識は感じてもそれがどこに向かうかというのはやはり人それぞれ

はい、これまでにいただいたコメントや当事者研究を読んで、私もそれは感じました。何に悩んでいるか、どこにこだわっているかは、人によって違うみたいで。


>元来、内向的な人が「向いていない」コミュニケーションにどこまで努力すべきか、実はしなくていいのではないか、私は最近そう思っていて、むしろ「社交の達人」からは降りようとしています。

「向いてない人がそんなに努力する必要があるのか」というの、私も同感です。
ただ、「降りる」ことができるのも、これまである程度いろいろ試行錯誤されてきたからだと思うんですよね。「この辺りが自分の落ち着きどころだろう」という地点を見出されたからこそ、「降りる」ことができるのではないでしょうか。
私はまだ、自分の落ち着きどころがわかっていないので、もうしばらくは足掻き続けるのだろうなあと。


>打ち負けても構わない、そう思って投げる「直球」がやっぱり最強なんじゃないか

なるほど、そうかもしれません。
ただこれも、「変化球も投げられる人の直球」と、「直球しか投げられない人の直球」とでは、違うと思うんですよね…。私の考える「社交の達人」は、前者なんですね。私から見たら、まろまろさんは前者のタイプに見えるので、ちょっと羨ましいです。

まろまろさんも、ご自身の書かれた内容を改めて読み返して、いろいろと発見があったとのこと、私も嬉しいです。
当初は「ブログで当事者研究なんて、うまくいくかな?」という心配もしたのですが、多少なりとも意義があったようで、やってよかったなあと思いました。

ネット上で「コミュ障」を自称するメリットがあるとすれば、この手のコミュニケーションについての話を、思う存分、しかも深いレベルまで、語り合うことができることじゃないかなぁと。

まろまろさんのコメントからは、私自身いろいろと学ぶことがありました。
当事者研究に参加してくださって、本当にありがとうございました。また何かありましたら、教えてくださいませ♪
2016/03/21 4:06 PM posted by: ノラ
全然話が逸れてしまいすみません。

ヒカリさんの最後のコメントの中で、
「ネット上では人見知りだと書いていても実際には賑やかにおしゃべりする人」
について書かれていました。なかなか不思議です。
共通点の無い人々とはあまり喋れないけれど、共通点のある人々が集うオフ会だったら、人見知りせずたくさん喋れる。。。ということなのかもしれませんね。
または、実は自己分析できていなくて、自分では人見知りだと思っているけれど実はそうではないとか・・・

私自身は、オフ会の時に気付かれたかもしれませんが、人見知りはそれほどひどくなくて、自分の話の内容がつまらなくて(時々、相手の話がつまらなくて)人とのコミュニケーションが苦痛だと思うタイプです。・・・という自己分析は当たっていると思ってはいます。
2016/03/22 11:43 PM posted by: 月ノヒカリ
ノラさん、こんばんは。

>共通点のある人々が集うオフ会だったら、人見知りせずたくさん喋れる

その可能性はあると思います。あと、そのオフ会は飲み会だったので、単純にお酒が入って饒舌になった、という可能性もありますね。


>自分では人見知りだと思っているけれど実はそうではない

これは私自身、子ども時代は本当に人見知りするタイプで、成長するに従って少しずつ克服していきましたが、それでも子どもの頃の記憶は強烈に残っているものです。
なので、「今は克服できているけれども、かつては本当に人見知りするタイプだった」という可能性もあると思います。

ノラさんが当ブログオフ会の参加者さんを「コミュ障には見えなかった」と思われたことと、根は同じなのかもしれませんね。
「自分が認識している自分」と「他人から見た自分」とでは、ギャップがあるんじゃないかと。
このブログでやってる当事者研究の意義の一つは、そのギャップを可視化することにあったのかもしれない、とふと思いました。

「話がつまらない」というのは、話し手の話術の巧拙や、あるいは自分の興味・感心のある分野の話であるかどうか、ということとも関係しますから、「人見知り」とはちょっと違うかも。

コメントありがとうございました、それではまた。
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