2017.01.16 Monday 20:29
ホームレス歌人のいた冬』(三山喬著、文春文庫) という本がある。

2008年末から2009年にかけて、朝日新聞の短歌投稿欄で話題となった「ホームレス歌人」公田耕一氏の実像を追うノンフィクションだ。 この本の中では、公田氏の正体はわからず終いだったが、著者がドヤ街の取材過程で、複数の人から聞かされた言葉というのが、印象的だった。
曰く、「表現できる人は幸せだ」
本から少し引用してみる。

 表現のできる人は幸せだ――。
 公田の足取りを追い始めて以来、何人もの地元関係者が、この同じ言葉を口にした。
 寿という街を知るにつれ、私も少しずつ、そう思うようになった。野宿者やドヤ街の人々にとって、感情の起伏は、それをただ叫ぶだけでは、泣き言や愚痴としか受け取られない。第一、思いをあらわにしたところで、何になるのか……。
 空しさはおそらく、本人にも突き刺さる。しかし、それをもし、表現という形に昇華できれば、話は別である。自分の内面を見つめることが、決してネガティブな行為ではなくなる。
 感情そのものはもろ刃の剣である。自らを奮起させる原動力にもなれば、果てしなく自分を絶望に引きずり込むのもまた、感情にほかならない。しかし、己を守るために感情を押し殺すようになってしまえば、心は砂漠になる。表現、という行為は、その安全弁のようなものではないか。……

   (三山喬『ホームレス歌人のいた冬』p.173)

この一節に、胸を打たれた。
私は過去ずっと、「表現しない、できない人」だった。
私は幸いにも野宿者になることはなかったけど、表に出すことのできない、どうしようもない感情を押し殺し、窒息しそうになっていた。

ブログを書いて、しかもそれを赤の他人に読んでもらいたいなどと考えるのは、もともと文章を書くことが好きな人とか、ディープなオタク趣味の持ち主とか、何か特別に訴えたい主張があるとか、そういった人たちだろう。

私はそうではない。書かずに済むなら、こんな痛々しいブログは書きたくなかった。
私にとってこのブログは、書かざるを得なかったから、やむを得ず書いているものだ。

誰にも話せなかった自殺願望のこと、病気のしんどさ、とりわけ精神病について。
吐き出さなければ、生きていけなかった。そこまで追い詰められて初めて、書くことができた。

自分の身近にサポートしてくれる支援者がいたなら、わざわざネットで表現する必要はなかったと思う。おそらくそちらの方が「恵まれている」のだろう。
でも、「恵まれている」ことは、必ずしも「幸せ」とイコールではないのではなかろうか。

去年、私がこのブログで「当事者研究」をやり始めたのは、身近に当事者研究をやっている場所がなかったからだ(あればわざわざネットでやる必要はなかったと思う)。
やってみて結局、「ちょっとこれはネットでやるのは無理があるな」と気づいて挫折したけど、あのとき参加してくださった皆さんとの間で、とても有意義なやり取りができたと、今も感謝している。

自殺願望についても、病気のしんどさについても、身近にその思いを吐き出せる場があるなら、そっちの方がずっと恵まれていると思う。
私にはそういう場がなかったから、仕方なくブログに吐き出すしかなかった。
そんな吐瀉物のような叫びも、多少不格好でも「表現」すれば、それなりに反応がもらえる。その反応には、嬉しいものもあればそうでないものもあったけど、ごく稀に、思いがけないギフトを受け取ることができた。

表現できることは幸せだ。
何も言えなかった長い時間を経て、多少なりとも表現できている今、しみじみそう実感する。

上手い下手は別として、短歌をつくれることも、私にとってはとても幸せなことだ。
でも実は、この短歌も、ブログで発表しているのは「やむを得ず」という側面がある。

短歌もね、実は、結社とか入ってみようかな、などと考えたりもしたんですよ。
十年、二十年と短歌を続けるつもりなら、どこかの短歌結社に入った方がいいのかもしれない。
ただ私の場合、数年後も生きてるかどうか、生きてても元気でいられるかどうか確信が持てず、長期的な展望も持ちにくい状態で、でも書きたいテーマはあって――それを発表できる場って、ブログやツイッターしか思いつかないんだよね。今のところ。

リアルの歌会とか、めちゃくちゃ参加してみたいんだけどね。
でも、ネットじゃない、リアルの場特有の難しさというのもあるんじゃないかと、私のような人間は考えてしまうのだ。

実は過去に、少しだけ短歌の教室に通ったことがあって、そのときに感じたことだけど。
私が本当に表現したいのが、例えば癌の短歌だったり、統合失調症をテーマにした短歌だったりしても、リアルの場ではそれ、出せないでしょう。そういう短歌を発表したいなら、自分が治らない再発癌の患者であることとか、統合失調症の患者であることを、その場にいる人全員にカミングアウトしなければならないことになる。それはちょっと……どうなんだろう。

病気のカミングアウトを避けて、その場の空気を乱さない、当たり障りのない短歌をつくろうとすると、「自分に嘘をついている」みたいで、嫌なんだよね。
つまり、自分の病歴を隠さずに、自分が本当に表現したい作品を発表できる場、というと、このブログとツイッターしかないんだ。今のところ。

自分が自分のままで「表現」できる場がある。それは、幸せなことなんだと思う。

だから、このエントリのタイトル「ブログを書く人と書かない人、どちらが幸せか?」というのは、無意味な問いだ。
ブログを書くか書かないかは、関係ない。

自分が自分らしく居られる場所がある人は、幸せだ。
そういう場を「ホーム」と呼ぶのだろう。

このブログは、私にとって「ホーム」だ。



ホームレス歌人のいた冬 (文春文庫)      



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2017.03.19 Sunday 20:29
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