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2009.10.21 Wednesday 22:30
私が最初に衝撃を受けた、少年同士の恋愛を描いた作品は、竹宮惠子の『風と木の詩』です。中学生のときでした。

もうこの作品との出会いは、本当にすごいショックでした。
少年同士のSEXシーンが描かれた少女漫画作品を読んだのは、これが初めてだった、というのもあります。
ただ、実はそれ以前にも私は、某有名少年漫画のやおい同人誌を、友達が貸してくれたりして、読んだことがあったんです。当時の私には、やおい同人誌の存在意味がわかりませんでした。「こんなの読んで何が楽しいの?」って感じで。
『風と木の詩』に出会わなければ、ずっと「やおい」に偏見持ってたかもしれません。

で、すみません。白状しますが、今現在『風と木の詩』は手もとにありません。
あの作品、読み始めると、
全巻イッキ読み→ズゴーンと落ち込む
となるのは目に見えているので、ほとんど再読してないんです。
以前持ってたのは手放してしまって、また読みたいとき買えばいいやと思ってましたが、結局買ってません。
だから、以下の文章は記憶に頼って書いてます。
続きは↓からどうぞ。
この作品を読んで、当時の私は、「ここには<本物の愛>が描かれている」と強く感じました。
というのは、セルジュとジルベールという、二人の少年の関係のことです。
『風と木の詩』は、オーギュとジルベールという、もう一つの関係も軸になりますが、ここで語るのはセルジュとジルベールの関係についてのみです。

ジルベールという少年は、生育過程で虐待(と呼んでいいか微妙だが)されてきたせいで、性的に奔放、というかニンフォマニアなんでしょう。複数の男と関係を持つ少年として、描かれています。
でもセルジュは違う。セルジュは、ごく真面目な優等生です。そして、ここが肝心なのですが、セルジュは同性愛者ではない。異性愛者です。
そのセルジュが、ジルベールを愛するようになり、お互いに気持ちが通い合って性的な関係を持つのです。

最近のBL作品はちょっと様子が違ってきているのかもしれませんが、JUNE作品に共通する特徴として、男同士のカップルの、少なくとも片方は異性愛者だ、という特徴があります。同性愛者の恋愛を描いてるわけではないんです。
当然そこには「葛藤」があります。「なぜ男である自分が、男性を好きになってしまったのか?」という。
これはすでに、中島梓も書いてることなので、繰り返しになりますが、私なりに別の表現で書いてみたいと思います。

恋愛には、「障碍」がつきものです。(ブログ主は「障害」を「障碍」と表記します。)
この「障碍」っていうのは、従来の少女漫画(あるいは恋愛作品)では、例えば「距離」とか「身分の差」とか「年齢の差」等で表現されました。
「愛し合う二人が離ればなれになる」とか、「身分違いの恋をしてしまった」とか。よくあるパターンです。

でも、『風と木の詩』を初めとするJUNE作品は、その「障碍」が「性別」にあるんです。

つまり、こういうことです。
もし「本物の愛」があるとすれば、それは、身分とか、学歴とか、家柄とか、財産とか、さらにいえば外見とか、年齢とかを越えたところにある。
これだけなら、「何を青臭いことを」と鼻で笑われるかもしれませんが、ある程度の同意を得られるのではないでしょうか。

でも、JUNE作品においては、「本物の愛」は「性別」をも越えたところにある、というのです。
ええぇぇぇぇぇえええええ〜〜〜〜〜っ!!

リアルに考えてみてください。
私だって、同性に好意を持つことはあります。
でもその人のことを好きだからといって、同性とSEXしたいと思うでしょうか?
思いませんよね、普通。
「やおい」が、「JUNE」が、ファンタジーである所以です。

「『本当に一人の人を愛する』というのは、その人のすべてを受け入れることだ。」
これも「何を青臭いことを」と笑われるかもしれませんが、まあよくある言説です。
でも、バイセクシャルの人は別として、普通の異性愛者の方に聞いてみたい。
もしあなたが、本当に人を愛して、その相手が同性だったとしても、受け入れることができますか?
その人とSEXすることができますか?
できない、というか普通考えもしないでしょう。そんなこと。
でも私は、『風と木の詩』を読んだ中学生の時に、そう思い込んでしまったのです。

「本物の愛」は、容姿とか家柄とか財産とかだけでなく「性別」をも越えたところにある
これが、私が「現実の恋愛」に興味を持てなかった理由です。
中学生の時点で、「愛」についてここまで高い理想を持ってしまったら、現実の恋愛なんてできるわけがありません。
今に至るまで、私の考えているような「愛」は、現実世界ではまったくお目にかかったことがありません。
たぶんそんなもの、現実には存在しないんです。
唯一、二次元(というか別次元)の世界にのみ、ごくわずかに存在するんです。

一応念のため断っておきますが、これは、中学生の頃の私が考えてたことです。
今現在の私には、「愛」について別の考えがあります。
「本物の愛」なんて恥ずかしい言葉、今の私は絶対に使いません。

中学生の頃の自分を思い出すと、本当に馬鹿だなあ、って思います。自分でも「いい加減にしろよその思い込み」と言いたくなりますね。

でもこんなふうに「愛」について激しい思い込みをしている女子中学生って、可愛らしいと思いませんこと? 思いませんよねぇ。なかなかに生きづらい世の中です。

*ラスト二行の元ネタは野ばらちゃんです☆
| ●月ノヒカリ● | 801・BL・JUNE | comments(6) | trackbacks(0) |
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Comment
2009/10/23 11:20 AM posted by: 月野
『風と木の詩』を読んだのは、私は大人になってからでした。
(しかも途中までだし。)
だから全く感銘は受けなかったのですが、「障碍なければ、恋愛はあり得ない。」とでも言い換えられるような「性別をも超えた本物の愛」というのは、面白い読みとり方ですね。

ですが、確かにこれは現実社会ではあり得ないかも・・・。
2009/10/23 9:18 PM posted by: 月ノヒカリ
月野さん、再びこんばんは。

>「性別をも超えた本物の愛」というのは、面白い読みとり方
やっぱり、普通はそう思いますよね〜。
私の場合、中学生という多感な(?)時期に出会ってしまったばっかりに、
激しい思い込みをしてしまったのでしょう。ああ恥ずかしい。

私が『風と木の詩』に読み取った「愛」は、世間一般でいう「恋愛」とは異なるものなんでしょうね。
コメントありがとうございました。それではまた!
2014/12/03 3:15 PM posted by: ささのは
今は、医学会で同性愛が病気でないと認められ、性同一性障害という考えが普及しています。今ならジルベールは、性同一性障害で、体が男性で、心が女性とみなされるでしょう。あの漫画が出版された時代は、今とは違っていたのです。
2014/12/03 10:23 PM posted by: 月ノヒカリ
ささのはさん、はじめまして。

>今ならジルベールは、性同一性障害で、体が男性で、心が女性とみなされる

私は今この漫画を手元に持っておらず、性同一障碍についての知識も乏しいので、今一つピンと来ない面もあるのですが……。
ただ、私が『風と木の詩』を読んだのは80年代後半でしたが、「同性愛は病気」という認識はしていなかったように思います。

ご意見くださってありがとうございました。
2014/12/15 1:58 PM posted by: 山田◎σ
私がJUNEものを読むことができるのは、葛藤のある本物の愛というファンタジーを扱っているからなのかもしれませんね。
いわゆる剣と魔法物のファンタジーでの本物愛が好きですからね。だから、梓さんやお弟子さんの小説にも抵抗なく入り込めました。
大人になるということは、政治の必要性が善しもあしくもわかってくるということで、政治家は汚いと思うけど、純粋(きれい)な人は政治家にはなれない。きれいな人に政治をしてほしいという矛盾を抱えている。現実世界の矛盾をなんらかの形で実現してくれるファンタジーがやっぱり好き。


私が梓さん(JUNE系)と接するようになるのは90年代後半ですが、やっぱ80年代の影響っていうのは自然に受けているのだろうな。風木は読んでなくても竹宮さんは読んでいたし。花ゆめを買っていたりしているわけだし。

12月のコメ見ながら、いろいろ思っていたら、コメントが変に錯綜した感じがするなぁ。(^^;

錯綜ついでに。

短歌は自分では書けないので。
引用などしてみる。80年代の本文からでなく、
あとがきの90年代から。

    ほろび
彼方より滅亡の鐘の音もなし
  たれか書くべきわが鎮魂歌
           レクイエム

短歌集
 花陽炎春の巻 栗本薫
あとがきより一首


ちょうどJUNEものを読んでいた90年代後半、梓さんの身辺では不幸がいろいろあったんだけど、まさか今(2010年代)になって、別の思いでこの一首を見るようになるとは思っていなかったなぁ。

2014/12/16 12:39 AM posted by: 月ノヒカリ
山田◎σさん、こんばんは〜。
古い記事にコメント、ありがとうございます!

「本物の愛とは何か」を定義するのは難しいと思いますが、でも「葛藤」がないところでは「愛」も鍛えられないのではないか?ということは感じます……。

>政治家は汚いと思うけど、純粋(きれい)な人は政治家にはなれない

本当にそうですよね。
現実に「政治」に関わっていこうとしたら、どこかで妥協しなきゃならなくなるから、理想ばっかり語るわけにはいかないのでしょうね。かといって、強い「キャッチフレーズ」だけで動く政治というのも危ういものだな、と思いますが。

理想を託すものがファンタジーの世界にしか存在しないというのは、哀しいことなのか?
はたまた「きれいなファンタジー」を読みつつ、「汚い現実」に手を染めるのが大人の流儀というものなのか?
世間からずれまくってる自分は、そんなことを考えてしまいます。


栗本薫さんの短歌、教えてくださって嬉しいです(私はその本持ってないので…)。
確か別名義で詩も書いてらっしゃったような。
内容はほぼ忘れてしまいましたが、『滅びの風』という小説もかつて読んだ記憶があります。

あの当時は「予感」に過ぎなかったものが、今ではひしひしと「実感」を伴うものに近づいてるなぁと、改めて感じます……。

コメントありがとうございました。それではまた。
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