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    <title>身近な一歩が社会を変える♪</title>
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    <description>ダメ人間の ダメ人間による ダメ人間のためのブログ</description>
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    <title>チョコレートの季節</title>
    <description>チョコレートの季節ですね。
というのは別に、バレンタインとは関係ありません。冬はチョコレートが美味しい季節、というだけのことです。

私はアンサイクロペディアのバレンタインデー撲滅活動に賛同しているので、バレンタインにチョコを贈ったりしません。
そして...</description>
<content:encoded><![CDATA[
チョコレートの季節ですね。<br />
というのは別に、バレンタインとは関係ありません。冬はチョコレートが美味しい季節、というだけのことです。<br />
<br />
私は<a href="http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Uncyclopedia:バレンタイン撲滅" target="_blank">アンサイクロペディアのバレンタインデー撲滅</a>活動に賛同しているので、バレンタインにチョコを贈ったりしません。<br />
そして例のごとく思うのですが、非モテの自虐ネタって傑作を生み出しますね。リンク先の記事も爆笑させていただきました。 <br />
<br />
そんなわけで、アンサイクロペディアのバレンタイン撲滅に賛同するわたくしといたしましては、チョコの代わりに健康にいい<strong>もずく</strong>をプレゼントしたいと思います。愛すべきこのブログの読者様に。 <br />
といっても、誰も<strong>もずく</strong>なんてもらっても嬉しくないでしょうから、ブログ主が自分で食べて、贈ったことにします。はい、バレンタイン終了！早っ！ <br />
<br />
……バレンタインはどうでもいいのです。チョコレートの話です。 <br />
チョコ好きとしては、<a href="http://www.peopletree.co.jp/choco/04/index.html" target="_blank">カカオの生産に児童労働</a>が、しかも人身売買で連れたこられた子どもたちが奴隷のように働かされてる、という話を聞くと、苦い気持ちになりますね。 <br />
<br />
というわけで<a href="http://www.peopletree.co.jp/choco/01/index02.html" target="_blank">People Treeのフェアトレードチョコ</a>の登場です。 <br />
フェアトレードについては、<a href="./?eid=17" target="_blank">以前にも書いた</a>ので繰り返さないけど。 <br />
<br />
でもフェアトレード関係なく、People Treeのチョコってね、マジで美味いから！！ <br />
板チョコだけど、普通のチョコとはひと味もふた味も違う。 <br />
カカオだけじゃなく、砂糖が違うからだと思うんだよね。「<a href="http://www.peopletree.co.jp/shopping/food/000141.html" target="_blank">マスコバド糖</a>」っていうフィリピン産の黒糖が使われてるんだけど、この黒糖がね、クセはないけどコクがある。料理に使ってもいい味が出る。 <br />
<br />
チョコの種類はいろいろあるけど、とりあえずビターとミルクとホワイトクリスピーは食っとけ！　ラムもカプチーノもおススメだが。<br />
値段は少々高めだけど、海外有名ブランドのチョコを買うよりもずっと安い。しかもおいしい！（と思う。） <br />
ホントはあんまり教えたくないのよ。だって売り切れたら悲しいから。 <br />
<br />
やっぱりフェアトレードって、「品質がいいから買う」というのが、そうやって広まっていくのが、一番望ましいカタチではないかな、と思います <br />
「<a href="http://www.peopletree.co.jp/fairtrade/index.html" target="_blank">途上国の人のために。貧困の解決のために。</a>」という理念は、正しいと思うし、賛同もします。でも私は、フェアトレード商品だからというだけで、高いモノを買おうとは思わないんですよね。このデフレの時代に。そんな裕福でもないし。「品質がいいから高くても買う」のですね。あくまでも自分の欲望優先です。 <br />
「自分の欲望の向かう先が、みんなの幸せにつながっている」というのが理想的だなあ、と私は常々感じています。 <br />
「つくる人も売る人も買う人も、みんなが幸せになる」のが理想のはずなんですよね。今の市場経済では、まったく逆の方向へ走っている気がするけど。<br />
<br />
システムそのものを変えることは難しいけど、でも「自分もまたシステムを構成している一部である」と気づけば、ほんの少しでもシステムを良い方へ動かす力になれる。実際はそんな単純にはいかないけど、「モノを買う」という日常的な行為の背後にも「世界」があるのだな、と気づかせてくれるのがフェアトレードという運動ではないかと思います。<br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=114" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=114','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=21" style="border:0px;" /></a>　<span style="color:#ff3333">しかしアンサイクロペディアのサイト、やたら重いな</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>その他雑文</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-08T22:01:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
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    <title>人間って不思議。</title>
    <description>久しぶりに「友達と会ってお昼ご飯を一緒に食べる」というイベントがあった。
いや、その人と会うの数年ぶりだし、友達と呼べるどうかも微妙なのだが。
前にも書いたけど、本当に私、友達っていないし、人と話すのが苦手だし、人と会うのが好きではない。だから「友達と...</description>
<content:encoded><![CDATA[
久しぶりに「友達と会ってお昼ご飯を一緒に食べる」というイベントがあった。<br /><br />
いや、その人と会うの数年ぶりだし、友達と呼べるどうかも微妙なのだが。<br />
前にも書いたけど、本当に私、友達っていないし、人と話すのが苦手だし、人と会うのが好きではない。だから「友達と会う」って、普通は何でもないことかもしれないけど、私にとっては、これがかなり疲れるイベントなのです。<br />
まあご飯はおいしかったし、彼女も話し上手で会話に困るということもないし、普通なら「楽しいイベント」になるのかもしれないけど。<br /><br />
なんだろうね。この砂を噛み締めるような空虚な感じ。<br />
ああ、こんなこと考えるのは相手に申し訳ないなあ、と思ってしまうので、感情をシャットアウトした状態にしていた。だからよけいに、自分が人形になってしまったような、空虚な感覚を抱いたのかもしれない。<br />
その上、ある程度時間が過ぎると、私、「電池が切れる」んだよね。途中で疲れて無口になってしまう。けど今はまあ、メールがあるから、後でフォローすればいいかなあ、とかね。<br /><br />
そんで周りを見渡せば、カップルとか友達同士で歩いてる人ばかりだったんだけど。<br />
みんな、なんでそんなに、当たり前のように、人と一緒に過ごせるんだろう？<br />
やっぱり普通は、「人と一緒に過ごす」って楽しいことなのだろうか？<br /><br />
私が人と会ったり話したりするのって、「修行」って感じなんだよね。「人生修行」みたいな。<br />「仕事上の人間関係に耐えるのは当然のこと」と思ってたけど、私は、プライベートでも基本的に、人間関係は「耐えるもの」だった。<br />
数年前までは、「修行」も必要だと思って、必死で耐えてきた。というのは大袈裟かもしれないけど、でも今思えばそんな感じだった。<br />でも、あるとき臨界点を超えてしまって、「修行はもうゴメンだ！」ってなっちゃって。仏陀は苦行をやめて山を降りたけど、私にとっては「人と会わない」ことが、苦行をやめることだった。苦行からは何も得られなかったから。いや、仏陀と並べて語るのは、あまりといえばあまりに不遜な話かもしれませんが。<br />
それでも、こうして友達に会おうという気持ちになっただけ、自分も前よりは元気になったのかなあ、とは思うんですが。
<br /><br />
帰り道、そんなことを考えながら歩いていたら、＜あの感覚＞がきた。<br />
自分が別の星からやってきた異世界人で、まったく知らない星に降りてきてしまった、という感覚。<br />
「自分はこの世界の住人ではない」という、異物感みたいなもの。<br />
周りを歩いている人たちと、自分との距離が、恒星間の距離くらい隔たっている感じ。<br /><br />
ここで「寂しい」と感じるなら、ありふれた「孤独感」と名づけることもできるんだけど。<br />
でも私は、私が思い浮かべた言葉は、「ヘンなの」だったんだよね。「人間ってヘンなの」っていう。<br />
人間って不思議な生き物だなあ。<br />
いや、この場合、「自分」が不思議な生き物なのかな。<br /><br />
その後ふらりと本屋に寄って、本を立ち読みして過ごした時間が、その日一番の「至福のとき」でした。<br />
やっぱり私、ひとりの時間がいちばん幸せなんだなあ。<br /><br />
もうね、自分が人と関わろうとしたら「修行」になっちゃうっていう、それはもうどうしようもないのかな、という諦念の境地でいます。最近は。<br /><br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=115" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=115','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=48" style="border:0px;" /></a>　<span style="color:#3366cc">変な日記だな、これ。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>日記・雑感</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-07T21:41:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
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    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
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    <title>３割でイチロー</title>
    <description>やっぱり書きたいことがうまくまとまらないので、もうすっぱり諦めて、全然違うこと書くことにする。
もう本当にね、ブログ毎日更新してる人とかね、どうしてそんなにスラスラ文章書けるんだろ？　私には真似できないわー。

閑話休題。 
私は格言とか箴言の類いが好...</description>
<content:encoded><![CDATA[
やっぱり書きたいことがうまくまとまらないので、もうすっぱり諦めて、全然違うこと書くことにする。<br />
もう本当にね、ブログ毎日更新してる人とかね、どうしてそんなにスラスラ文章書けるんだろ？　私には真似できないわー。<br />
<br />
閑話休題。 <br />
私は格言とか箴言の類いが好きだ。<br />
例えば、<br />
<span style="color:#000099">「人は太陽と死を直視することができない」　―――ラ・ロシュフコー </span><br />
というような言葉ですね。 <br />
こういうのって、性格がねじくれた人ほど、面白い言葉を残している気がします。 <br />
<br />
<span style="color:#000099">「テレビはとても勉強になる。誰かがテレビのスイッチを入れるたび、私は別室に行って、ためになる本を読むことにしている。」 <br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　―――グルーチョ・マルクス </span><br />
これは極端な例だけど、いわゆる名言から、ヒントをもらったり、励まされたりすること、たまにあります。<br /> 
<br />
でもやっぱり一番いいのは、自分で格言をつくっちゃうことだと思うんですね。 <br />
というわけで、私がふだん自分に言い聞かせている言葉がこれ。 <br />
「３割でイチロー」<br />
どういう意味かと言いますと、よく「完璧を求めてはいけない。８０点で満足しなさい。」みたいな言葉、聞きませんか？ <br />
でもこの８０点って、ハードル高すぎるんですよ。ブログ主のようなダメ人間には。 <br />
「全方位素人外交・人生６０点主義」と言ったのは竹熊健太郎さんだったか、それも面白い一つの生き方ではあると思うんですが、６０点でも無理があるんですね。私にとっては。 <br />
で、「３割でイチロー」なわけです。 <br />
イチローは、打率３割の一流選手なわけですが、３割打者というのは、「１０回のうちの６回以上は失敗している」ということなんですね。とご本人がTVでおっしゃってました。 <br />
そんなわけで、私は思うんです。 <br />
世界的な名選手であるイチローでも３割なんだ。それなら自分は１割でも十分じゃん！って。<br /> 
<br />
自分は変なところで完璧主義だったりします。完璧主義者って、「完璧」を目指してしまうために、かえって身動きとれなくなる、という面があって、それは現実的にも、精神衛生上も、あまりいい結果をもたらさない。要は「失敗してもいい」「うまくいかなくても落ち込まない」っていう、それだけの話なんですけどね。 <br />
１割でも進めば十分！　３割なら殿堂入り！ <br />
<br />
とはいうものの、これって結局、「何をもって100点とするか」というのが問題だったりするんですけど。 <br />
数値化できるもの、例えばテストの点数とかお金とかブログのアクセス数（笑）とか、そういうのを目標にすれば、「成果」もわかりやすいんだけどね。 <br />
しかし結局のところ、自分が真に求めているのは、「数値化できない部分」なんだよなー。と気づいてしまうと、かえって苦悩が深まったりもしますね。 <br />
「成果主義」とかいうものに、イマイチついていけない、トロいダメ人間の言い訳に聞こえるかもしれませんが、実際その通りなんですが、でもやっぱりね。 <br />
何か自分が、世の中の波についていけないなーと感じるのは、どうしようもないです。 <br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=113" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=113','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=13" style="border:0px;" /></a>
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    <dc:subject>日記・雑感</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-04T23:45:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
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    <title>久世光彦さんの「ある種族」</title>
    <description>あー書きたいことがまとまらないので、久しぶりに「オタク」カテゴリの更新。
  
私が十代の頃愛読していた、「JUNE」という雑誌がありまして。
そこで活躍していた榊原姿保美さんの作品で、『雪うさぎ』という小説があるんです。この作品自体は、私は特に好きではない...</description>
<content:encoded><![CDATA[
あー書きたいことがまとまらないので、久しぶりに「オタク」カテゴリの更新。<br />
  <br />
私が十代の頃愛読していた、「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/JUNE" target="_blank">JUNE</a>」という雑誌がありまして。<br />
そこで活躍していた榊原姿保美さんの作品で、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4766914120/moon555-22/ref=nosim/" target="_blank">雪うさぎ</a>』という小説があるんです。この作品自体は、私は特に好きではないのですが、ケイブンシャ文庫版だったかな、その巻末のね、解説を、な、なんと！久世光彦先生がお書きになっているのですよ。 <br />
「ある種族」と題されたその解説が、私が以前<a href="./?eid=69" target="_blank">勝手につくった「オタクの定義」</a>にぴったりの表現で、しかもあまりにも美しい文章なので、ここに最初の方だけ引用しておきます。<br />
<blockquote>
　私は、ほんの少しだけわかっているつもりだ。この世には、&lt;&lt;幻想&gt;&gt;という、苦みの中に微量の甘味の混じった食物を主食に、&lt;&lt;生活&gt;&gt;とか&lt;&lt;人間関係&gt;&gt;とかいう副食物は、栄養のバランスのため最低限だけ摂取している種族が、たとえばひんやりした地下室や、空気の希薄な屋根裏部屋なんかに、常人よりもいくらか早い呼吸をしながら棲んでいることを―――。たまたま、その種族が街中を急ぎ足で行くのを見かけたりすると、人はこんな風に思ったりする。―――まるで穏やかな目をした草食動物のようだ。でも、どうしてあんなに伏し目がちなんだろう―――。別の人は、もうすっかり亡びてしまったと思っていたのに、青い血が体内に流れていると言われるチェロキー・インディアンが、まだこんなところに残っていたのかと、びっくりして夕闇の中へ消えていくその後ろ姿を見送るかもしれない。私もそんな種族の何人かを知らないではない。けれど彼らは、私が午後のお茶を飲んでいると、いつだって予告もなしに私の前に現れ、話がちょっと途切れたと思ったら、もう私の視界から消えてしまっている。 <br />
　　　　　久世光彦「解説―――ある種族」（榊原姿保美『雪うさぎ』より）</blockquote> <br />
これ読んで私、感激しました。<br />
ひきこもりオタクをこんなに美しく形容してくれてありがとう！みたいな。<br />
でも、でもですよ。実際のひきこもりオタクは、こんなに透明に美しい人種ではないはずだ。<br />
私は断言する。<br />
この種族の90％は、間違いなく<strong>汚部屋の住人</strong>です。<br />
あとの10％は、気味が悪いくらいに整理整頓された部屋に住んでいるのではなかろうか。<br />
ブログ主はどっちかって？　ご想像にお任せします。<br />
<br />
ところで、「チェロキー・インディアン」って初めて聞いたので、まあアメリカ先住民ってことはわかりますけど、これがちょこっと調べてみたら、悲しい歴史がありました。<br />
チェロキー族は、金（ゴールドラッシュですね）に目がくらんだ白人に迫害されて、住み慣れた故郷から追い出され、過酷な旅の途中で数千人が死亡したという、悲劇の種族だったのだ。詳しくは<a href="http://sitting.hp.infoseek.co.jp/Cherokee2.htm" target="_blank">こちら</a>を参照。ああああああ。<br />
<br />
まるで我が運命を見るようで、涙が止まりませんよ。<br />
やっぱりどうしたって、オタクは迫害されて滅亡する運命なのだ。<br />
でも、それでいい。<br />
私、オタクに対して美意識があるのね。変な美意識だけど。<br />
社会に適応しているオタクなんて、オタクじゃねえ！！<br />
あと、群れるオタクも好きになれない。<br />
オタクは孤高の存在たるべし。<br />
主食は妄想であるべし。<br />
リア充は氏ね。<br />
ああ、せっかくの久世光彦様の美しい文章を、薄汚れた叫びで穢してしまって、ごめんなさいです……。<br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=112" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=112','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=26" style="border:0px;" onmouseover="this.src='http://img.webclap.com/webclap/button/on.php?img=26'" onmouseout="this.src='http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=26'" /></a>
<span style="color:#cc0000">……末期だな。</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>オタク</dc:subject>
    <dc:date>2010-02-01T23:29:41+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
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    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
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    <title>web拍手にレス10</title>
    <description>久しぶりに満月を見た気がする。本当は明日が満月なんだけど。
月の光は銀色に澄んでいて、いつまでも眺めていたかったのに、あっという間に雲が覆い隠してしまった。
書きたいことはあるんだけど、うまくまとまらない。
言いたいことはあるんだけど、言葉が出てこない...</description>
<content:encoded><![CDATA[
久しぶりに満月を見た気がする。本当は明日が満月なんだけど。<br />
月の光は銀色に澄んでいて、いつまでも眺めていたかったのに、あっという間に雲が覆い隠してしまった。<br /><br />
書きたいことはあるんだけど、うまくまとまらない。<br />
言いたいことはあるんだけど、言葉が出てこない。<br />
アタマの中がもつれて絡まった毛糸玉みたいになってて、解きほぐせない。<br />
……相変わらず私、文章書くの遅いし、下手だなあと、へこんだりいじけたり、クヨクヨした感じで過ごしています。<br />
<br />
さて困ったときの拍手レス。<br />
拍手コメントくださった皆様に、感謝を込めてレスしちゃいます。<br />
↓からどうぞ〜。<p><a href="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=111">続きを読む &gt;&gt;</a></p>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>web拍手レス</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-29T23:12:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
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  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=110">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=110</link>
    <title>NHKクローズアップ現代「“助けて”と言えない〜共鳴する３０代〜」</title>
    <description>もう一週間前のことだけど、珍しくテレビを見ていて気になったことを、今さらだけど書いておきます。（しかしいつものことだが、本っ当にブログに取り上げるのが遅すぎる、と反省。）

  NHKクローズアップ現代　2010年1月21日 
  「“助けて”と言えない〜共鳴する３０...</description>
<content:encoded><![CDATA[
もう一週間前のことだけど、珍しくテレビを見ていて気になったことを、今さらだけど書いておきます。（しかしいつものことだが、本っ当にブログに取り上げるのが遅すぎる、と反省。）
<blockquote>
  <a href="http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2010/1001-4.html#thu" target="_blank">NHKクローズアップ現代　2010年1月21日</a> <br />
  「“助けて”と言えない〜共鳴する３０代〜」 <br />
「助けて」。この言葉が言えず、孤独死した30代の男性を去年１０月にクローズアップ現代で取材し、放送した。番組では、生活に困窮し、命に危険を及ぼしかねない状況になっても助けを求めない３０代の姿を取材。彼らは、こうした状況になったのは、自己責任だと自らを責め、「助けて」の言葉を拒み続けていた。この放送直後、インターネット上のブログでは書き込みが急増。わずか３日で２０００件を超えた。その多くが３０代で、驚くことに孤独死は他人事ではないと共感するものがほとんどだ。なかでも３０代の女性に、共鳴する声が瞬く間に広がった。一体、いま３０代に何が起きているのか？番組では、ブログの声から、静かに広がる「助け」を求められない３０代の実像を継続取材した。</blockquote>
  <p>番組の内容については、<a href="http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10439961956.html" target="_blank">「すくらむ」のブログ</a>に詳しいです。<br />
    1月21日の放送は、<a href="http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2009/0910-2.html#wed" target="_blank">昨年10月7日放送</a>のNHKクローズアップ現代「“助けて”と言えない〜いま30代に何が〜」の続編らしいです。<br />
    10月７日の番組の書き起こしが<a href="http://d.hatena.ne.jp/Imamura/20091008/help" target="_blank">こちらのブログ</a>にあります。 <br />
  一部抜粋。</p>
  <blockquote>
  <strong>入江さん：</strong>全部において何が悪いといったら「自分が悪い」しかないんですよね、結局言っている言葉は。何が悪い？うん、自分が悪い。これ以外の言葉はないと思います。</blockquote>
  1月21日の放送は、この「自分を責める」というのに「他人事ではない」と共感した30代からの声を紹介したものだった。 <br /> <br />
  これ、私も思い当たるんだよね。「自分を責める」っていうの、私もやってました。<a href="./?eid=65" target="_blank">以前も書いた</a>けど。 <br />
  そんで十年くらい続けた結果、「自分を責めてもいいことは一つもない」とわかった。もっと早く気づけよ、って感じですが。自分を責めるのは、まったくもってエネルギーの無駄遣いです。<br />
  「自分を責める教」というカルト宗教に洗脳されているようなもので、脱会すればそれだけでかなりものすごく楽になるという、気づいてみれば変な話でした。自分で自分を縛っていたのですね。 <br />
  <br />
  湯浅誠さんの言うように、「<strong>自己責任論が弱者の中で内面化されている</strong>」状態が、まず問題なんだ。<br />
  何よりも、「自分を責める」こと自体、ネットでもよく見かける安易な自己責任論に加担することになる。<br />
  <br />
  「自己責任」という言葉が流行りだしたのって、ここ十年くらいのことだと思う。<br />
  （話はそれるけど、<a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%AB%B8%CA%C0%D5%C7%A4" target="_blank">はてなの「自己責任」の説明</a>、笑いました。はてな匿名ダイアリーの番組への感想は、<a href="http://anond.hatelabo.jp/20091009001911" target="_blank">ここ</a>と<a href="http://anond.hatelabo.jp/20100123182013" target="_blank">ここ</a>にあって、これも共感できる内容でした。） <br />
  <br />
  責任というのは、「自分の発言・行動に責任を持つこと」、さらに言えば、「自分の人生に責任を持つこと」、その覚悟をすることでなければならない。<br />
  「自分の人生に責任を持つ」ことを自分に課していれば、必要ならば人に助けを求めることもできるはず。社会に矛盾を感じることがあれば、「それはおかしい」と主張することもできるはず。<br />
  「助け合い」とか「相互扶助」というものが消え去った世界で、「自己責任」という言葉だけ一人歩きしたらどうなるか？　悲惨である。その悲惨な状況が、現在だ。<br />
  <br />
  不思議なのは、誰も「社会が悪い」とは言わないこと（もちろん例外もあるんですが、少ない）。「社会が悪い」と言うのを禁じられているような感覚がある。なぜだ？<br />
  30代と言えば、氷河期を経験した世代で、<a href="http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080228/1204203051" target="_blank">こちらのブログ</a>にあるように、「氷河期は人災」という見方もできるのに。<br /><br />
  「個人」に責任がないとは言わない。しかし、人生には「不運」としか言いようがない出来事も確かに存在するし、「自分の力ではどうしようもできない」事態も起こりうるのに。<br />
  これは30代だけの問題ではないはずだ。<br />
  「自己責任」という言葉は、困っている人を助けようとしない人や社会にとって、便利な道具になってしまった。<br />
  <br />
  「社会の責任を問う」ということは、<strong>自分の置かれた状況を「社会のせいにする」のとは違う</strong>。<br />
  「個人」の主張が、<strong>建設的に</strong>「社会」の方へ向かうとき、それは「<strong>具体的な提案</strong>」の形を取るはずなのだ。<br />
  <br />
  <strong>「こういうことで困ったから、こんな仕組みがあればいい」という提案。</strong><br />
  <strong>「自分はこういうことで苦しんできたから、これからの社会はこうあってほしい」という要望。</strong><br />
  <br />
  「希望がない」とか言うな。この社会に希望なんかない。あるわけがない。<br />
  だからこそ、「希望」は自分自身が語らなければいけないのですよ。<br />
  <br />
  それならやっぱり、「自分一人で何とかする」のではなく、「皆で一緒に知恵を出し合って、乗り越えていく」方が、ずっとずっと良い方へ向かうと思うのです。<br />
  「困っているときに、お互いに助け合える仕組み」をつくること。これは急務です。<br />
  <br />
  今の社会構造は、簡単には変わらない。でも、今すぐできることがある。<br />
  「自分を責める」のを止めることだ。<br />
  <br />
  私も
  同じ30代として、言いたい。<br />
  <strong> 自分を責めるよりも、建設的な提案を！ </strong><br /><br />
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]]></content:encoded>
    <dc:subject>社会</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-27T23:29:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=109">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=109</link>
    <title>泉谷閑示　『「普通がいい」という病』（５）</title>
    <description>『「普通がいい」という病』では他にも、「愛と欲望」「絶望と執着」「主観と客観」等について、著者独特の―――しかし地下水脈ではしっかりと、古い賢人たちの教えと繋がっている―――解釈に、目を開かされた。 
以下、覚え書きとして。 

■愛と欲望 
「愛」と「欲望」を...</description>
<content:encoded><![CDATA[
『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498622/moon555-22/ref=nosim/" target="_blank">「普通がいい」という病</a>』では他にも、「愛と欲望」「絶望と執着」「主観と客観」等について、著者独特の―――しかし地下水脈ではしっかりと、古い賢人たちの教えと繋がっている―――解釈に、目を開かされた。 <br />
以下、覚え書きとして。<br /> 
<br />
<strong>■愛と欲望 </strong><br />
「愛」と「欲望」を区別するのは難しい。 <br />
とりわけ、親子関係によく見られる「あなたのためよ」という、善意による「愛」には反発しづらい。 <br />
「良かれと思って」という善意の陰には、往々にして「感謝されたい」という欲望が隠されていることを、自覚しなければならない。 <br />
では「欲望」ではなく、「愛」から行動するには、どうすればいいのか？
<blockquote>
　ですから、「愛」のために私たちに出来る第一歩は、逆説的ですが、まず自分をきちんと満たしてやることなのです。ところが面白いことに、人間は自分を満たしても、必ずいくらかは余るように出来ている。この余った物を使ったときには「愛」の行為になる。 <br />
　　　泉谷閑示『「普通がいい」という病』P.153</blockquote>
著者は、空海の教えを引用して、欲望を滅却するのではなく、逆に<strong>欲望を大きく育てることによって、「愛」が生まれてくる</strong>、と説く。（しかし、「愛」からの行為が、相手に喜ばれるかどうかは別、というのが難しいところですね。） <br />
<br />
<br />
<strong>■絶望と執着 </strong><br />
人が「絶望」を口にするとき、本当には絶望していない。それは、「期待しているのに得られない」という「執着」の苦しみに過ぎない。 <br />
自分の中に残っている期待をきちんと捨て、「執着」から去ったとき―――つまり<strong>真に絶望したとき、人は「自由」になる</strong>。 <br />
<br />
<br />
<strong>■十牛図―――無限に続く螺旋階段のイメージ </strong><br />
この本で「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/十牛図" target="_blank">十牛図</a>」に出会えたことは、私にとってすごく大きな収穫だった。禅の世界に、こんなにも豊かで味わい深い教えがあった、ということを初めて知った。<br />
十牛図の解説は<a href="http://www.katch.ne.jp/~hkenji/new_page_46.htm" target="_blank">こちら</a>でお手軽に。 <br />
十牛図の素晴らしいところは、絵で表されているので、見る者が自由に感じ、解釈できるということだ。 <br />
<br />
私は、「人間が永遠に成長し続ける存在である」という考え方に疑問を抱いてきた。自分自身を省みても、「変化」はしていても「成長している」とは思えないから。 <br />
と同時に、ちょっと話は大きくなるけれども、「人間の社会や歴史が進化し続けている」という考え方にも疑問を感じていた。福田恆存の影響もあるかもしれないけど、自分が大学で歴史学を学んだ者として、そう思ってきた。 <br />
<br />
でも十牛図を知って、私は「成長」「進化」という言葉に、別のイメージを持つようになった。<br />
私たちは、人間の成長のプロセスといえば、「直線的に階段を上っていく」ようなイメージを抱きがちだ。（著者は「成長」という言葉ではなく、「人間の変化成熟のプロセス」という言葉を使っている。）<br />
それに対して泉谷氏は、人間の変化成熟のプロセスを「<strong>螺旋階段を上っていく</strong>」イメージで表している。この本の最後に置かれている「十牛図」がまさにそれだ。<br />
<br />
私は十牛図のホンモノを見たことがないのでよく知らないのですが、泉谷氏がこの本で、十個の図を円形に配置しているのは、著者独自の発想ではないかと思う。<br />
著者は、この図の「牛」を「本当の自分」として解釈している。<br />
若者が「牛」を探し、見つけ、飼いならす。そこまでは普通に想像できる。<br />
しかし第七図から第九図で描かれるのは、「論理」とか「理性」では語れない、深く豊かな世界だ。「牛」を忘れ、すべてが「空」になり、「あるがまま」になる。<br />
そして第十図で、日常世界に戻ってくる。でもそのとき若者は、布袋さまのような<strong>別の姿</strong>の老人になっている。<br />
<br />
さらにこの図は、円形に配置することで、第十図から第一図に再びつながっている。第十図の老人に出会った若者が、第一図で「牛」を探して旅立つ若者なのだ。その若者はまた、別のストーリーをつくるのだろう。<br />
<br />
もし人間に、あるいは社会に「進化」というものがあるとすれば、それは直線的な階段を上るものではなく、<strong>無限の螺旋階段を登る</strong>ようなイメージで捉えてみたらどうだろうか？<br />
「歴史」を平面モデルではなく、立体的な螺旋状のモデルに置き換えてみたら？<br />
螺旋階段のイメージで解釈し直せば、自分の人生も、あるいは人類の歴史というのも、別の姿が現れてくるのではないか。<br />
ということを考えました。<br />
<br />
というわけで『「普通がいい」という病』、行き詰まったとき、解決のヒントを示してくれる、奥深い言葉たちに出会える本です。<br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=109" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=109','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=33" style="border:0px;" /></a>　<span style="color:#00cccc">これでおしまい</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>読書感想</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-24T22:58:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=108">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=108</link>
    <title>泉谷閑示　『「普通がいい」という病』（４）</title>
    <description>前回の続き。 
「マジョリティの歩く大通り」というものは、かつては存在したし、それなりに機能していたと思う。 
でも、今でも「大通り」は存在するのだろうか？ 
今でも世の中の大部分は「会社」を中心に動いている、という意味では、「大通り」はあるように見える...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="./?eid=107" target="_blank">前回</a>の続き。 <br />
「マジョリティの歩く大通り」というものは、かつては存在したし、それなりに機能していたと思う。 <br />
でも、今でも「大通り」は存在するのだろうか？ <br /><br />
今でも世の中の大部分は「会社」を中心に動いている、という意味では、「大通り」はあるように見える。たとえ幻想でも、それに乗っかった方が、楽には違いない。 <br /><br />
だってマイノリティの小径は、「死」と隣り合わせの、道なき道なのだから。 <br />
誰かが行く先を決めてくれるわけでもなく、自分の行く道が正しいのか、間違っているのかもわからず、この先どうなるかも見えない。そんな場所で、私の指針となり得るのは、「自分が死すべき運命にある」ことに正面から向き合うことだけだった。 <br />
<br />
「死」について語ることを、忌むべきこととして、退ける人が多いのも事実なのでしょう。でも私は、「自殺」も含めて、自分の「死」について、常に考えざるを得ない。<br />
長く自殺願望を持って生きた人間として、また、癌やその他いくつかの病を経験した者として、私には「死」は避けて通れないテーマだった。<br />
「<strong>メメント・モリ</strong>」（ラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」）は、私が本当の意味で生きるために、常に自分自身に問いかけていることだ。<br />
<br />
大勢で徒党を組んで歩いても、究極的には、人はひとりだ。<br />
著者は、「生きていることの意味が分からない」という訴えが、若い人の間に増えているという。この問いは、私にもわからなくもない。<br />
「生きることの意味」を問われて、きちんと答えられる人は、どれほどいるのだろうか。「これが答えです」というお手軽な回答など存在しないし、あっても誰も信用しないだろう。<br />
泉谷氏は、精神科医として、また一人の人間として、この問いを真摯に受け止め、答えている。それについては、ここには書かない。<br />
私個人が考えてきたことを、書いておこうと思う。<br />
<br />
究極的には、生きることには、人生には、「意味」なんて存在しないと私は思う。<br />
ただ、自分が今生きていることと、この後必ず、自分は死ぬということ。<br />
これは、動かしようのない現実だ。<br />
死の前に、悔いのない人生だったと思いたい。<br />
死ぬときに、後悔するような生き方はしたくない。<br />
もし私に「人生観」というものがあるとしたら、それに尽きると思う。<br />
<br />
泉谷氏もまた、この本で「メメント・モリ」について語っている。<br />
例えばカーレーサーとかスカイダイビング、あるいはリストカットといった自傷行為もまた、著者によれば「メメント・モリ」の儀式なのだという。<br />
今の社会では、「死」があまりにも日常から遠く離れたものになってしまった。もしかしたら、そのこと自体に問題があったではないか？<br />
<br />
戦争というのもまた、メメント・モリを行なっているのだと著者は言う。
<blockquote>　 戦争が終わる度に「こんな悲惨なことは今後絶対に止めよう」と必ずみんなが思います。しかし、それでもなぜこれほど戦争の歴史は繰り返されるのか。それは戦場というメメント・モリの場で、人々が生き生きとするという、見落とされた側面がある。死が隣にあるからこそ、自動的に生が輝いてしまう。<br />
　戦争をしかける国では、ほとんどの人が大通りを歩いているものです。そして、ぬるま湯のような生きている実感が乏しい状態の中で、どこかから正義という名の大義名分が登場して、「あの国に侵略されないために、先手を打ってこちらから攻めましょう」というようなことが言われ始める。すると戦争は反対だと考えていたはずの人たちまでもが、自分の奥底で疼きだす何かに突き動かされて「平和のためだ。戦争をなくすための戦争だ」というスローガンに乗っかってしまうことも起こってくる。それが戦争なのだろうと思います。<br />
　 　 『「普通がいい」という病』P.221</blockquote>
精神科医らしい解釈だけど、人間の一面を突いていると思う。<br />
その上で「平和の実現」についても、著者独特の、一風変わった意見が述べられている。
<blockquote>
　ですから、本当の平和とはどうしたら実現するのかと考えてみると、みんなが一人一人の小径を歩くマイノリティになることしかないのではないか。小径では、一人一人が生きること自体がメメント・モリになっているわけで、そうなれば国民の大多数が一つのイデオロギーやムードに支配され流されることは起こらない。それぞれ、自分が生きているということ自体、明日死ぬかもしれないという自覚と緊迫感があるわけですから、誰もわざわざ戦争をしようとは思わなくなることでしょう。<br />
 　　　　　　　同書　P.221</blockquote><br />
人間は、生まれたときから、「死」を内包した存在だ。<br />
「死を想う」ことは、よりよく「今を生きる」ことにつながる。<br />
私が「自殺」について語るのも、<a href="./?eid=55" target="_blank">スティーブ・ジョブズのスピーチ</a>ではないけど、自分がいつも「死」を念頭において、自分がそう遠くない未来に死すべき運命を負った人間として、生きているからだ。<br />
そういう生き方は、そんなに悪くない。「自分が本当にやりたいこと」の優先順位が、見えてくるから。<br />
<br />
歌人・斎藤史の代表作に、次のような歌がある。<br />
「死の側より照明（てら）せばことにかがやきてひたくれないゐの生ならずやも」<br />
<br />
「死」を意識せずに生きていける人は、きっと恵まれた環境にいるのでしょう。それが「幸せ」なのかどうかはわからないけど。<br />
私はこの十数年、本当に病気ばっかりでしたが、そのおかげで「退屈」とは無縁の人生でした。<br />
死の側から見れば、どんな生もすべて皆、紅く輝くものだということ。<br />
「死」を内包する人間として、それを忘れずにいれば、どんな人生あっても、たとえ他者から見て「恵まれない」境遇であっても、自分の生を自分自身の力で輝かせることは可能だということ。<br />
そのためには、それぞれが、自分一人の道を切り開くこと。自覚を持って、自分一人の小径を進んでいくこと。それしかないのだと思う。<br />
<br />
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]]></content:encoded>
    <dc:subject>読書感想</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-23T22:59:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=107">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=107</link>
    <title>泉谷閑示　『「普通がいい」という病』（３）</title>
    <description>泉谷閑示の『「普通がいい」という病』
  について、続き。
  「普通がいい」という人（私も含めて）には、「普通はいいことだ」「普通は幸せなことだ」という価値観が背後にある。
この場合の「普通」という言葉は、「多数派」とか「社会に適応している」ということと...</description>
<content:encoded><![CDATA[
泉谷閑示の『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498622/moon555-22/ref=nosim/" target="_blank">「普通がいい」という病</a>』
  について、続き。<br />
  「普通がいい」という人（私も含めて）には、「普通はいいことだ」「普通は幸せなことだ」という価値観が背後にある。<br />
この場合の「普通」という言葉は、「多数派」とか「社会に適応している」ということと、密接に関係している。<br />「社会に適応」というときの「社会」とは、往々にして「会社」とイコールだったりするのだけど。<br />
<br />
社会への「適応／不適応」の問題は、「マジョリティ／マイノリティ」の問題と言い換えることができる。<br />
著者は、大通りを歩く人たちをマジョリティ、大通りから外れた小径を歩く人をマイノリティ、と呼んでいる。<br />
<br />
マジョリティの大通りを歩くことの最大のメリットは、安心感だ。「みんなと同じ道を歩く」のは、そのことに疑問を感じなければ、とても楽な道だ。自分でいちいち行き先を考えたり、悩んだりしなくても済むから。<br />
<br />
しかしマイノリティの小径を歩くのは「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」（高村光太郎）という、まさに道なき道を進む、ある意味キツイ生き方だ。<br />
最初から自分でマイノリティの小径を進む、と決めて進んできた人は、まだいい。<br />
でも、大通りを歩いているつもりが、いつのまにか小径に迷い込んでしまった、というタイプの人が著者のもとに訪れることになるという。<br />
<br />
私も、大通りを歩いているつもりが、いつのまにか小径に外れてしまった人間です。<br />
大通りを歩くことは、私には過酷すぎた。だから、しかたなく小径を歩くことになったのですが。私のような、とりたてて特技もない半病人が（だからこそか？）、道なき道を歩かなければならないなんて、大変な時代になったもんだ、と思う。<br /><br />
それでも私は、「大通りを歩く方が正しい」と、ずっと心のどこかでそう思ってた。<br />
しかし泉谷氏は、「大通りに戻ることが解決ではない」という。
<blockquote>
　マジョリティの大通りは、不自然で窮屈な道です。人間はそれぞれユニークな存在なのですから、本来一万人いたら一万通りの道なき道があるはずです。にもかかわらず、大勢の人が通る大通りというものがあること自体、とても不自然なことです。<br />
　大通りを歩くということは、いろんなことを諦めたり、感じないように麻痺していたり、すなわち去勢された状態で歩いているということです。そうでもなければ、苦痛で歩けたものではありません。<br />
　　　『「普通がいい」という病』P.212</blockquote><br />
「大通り」というのは、「一億総中流」と言われた時代には、確かに存在したと思う。「サラリーマン」とか「ＯＬ」とか「マイホーム」とか「幸せ家族」とか、そういう言葉にまつわりつくもの。<br />
でもそれは、幻想ではなかったか？<br />
<br />
マイノリティの小径を歩くのは、地図もなく、前例もなく、お手本となる人もいない。常に危険と隣り合わせの険しい道だ。<br />
「明日どうなるかわからない」という、危機感と背中合わせの道。<br />
しかし、本来の人生って、そういうものではないのか？<br />
<br />
今日と同じ明日が永遠に続くなんて、そんなことあるはずがないのに。<br />
大通りが「安全」だなんて、幻想に過ぎない。<br />
少なくとも私には、大通りは生きづらい、というよりもそこではとても生きていけないような苦しい場所だった。<br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=107" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=107','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=33" style="border:0px;" /></a>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>読書感想</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-22T22:36:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=106">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=106</link>
    <title>泉谷閑示　『「普通がいい」という病』（２）</title>
    <description>前回の続き。
  著者はこの本の中で、世間一般で「常識」とされている価値観を、徹底的に洗い直す作業を始める。
  『「普通がいい」という病』というタイトル通り、著者はまず、「普通」という言葉を批判する。
  著者が精神科医として出会ったクライアントには、「普...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<a href="./?eid=105" target="_blank">前回</a>の続き。<br />
  著者はこの本の中で、世間一般で「常識」とされている価値観を、徹底的に洗い直す作業を始める。<br />
  『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498622/moon555-22/ref=nosim/" target="_blank">「普通がいい」という病</a>』というタイトル通り、著者はまず、「普通」という言葉を批判する。<br />
  著者が精神科医として出会ったクライアントには、「普通になりたい」と言う人がとても多いという。<br />
  <br />
  私も、ずっと普通の人が羨ましいと思ってました<br />
  私にとって、「普通の人」ってどういう人かと考えると……「健康な人」のことだな。「健康」なら、それだけで幸せだし、喜んでいいことだと思うんですが、「失って初めて価値がわかる」ものなんでしょうね。健康って。<br />
  <br />
  しかし著者は、幸せというものには「普通」はない、「普通」ではないのが幸せの本質だ、という。<br />
  それは、そうかもしれない。<br />
  私が「健康であるならそれだけで幸せだ」と思うのは、自分が病気を体験したからであって、病気を体験しなければ、そんなこと考えもしなかったでしょう。<br />
  <br />
  私が「健康」というのは、身体的な病気も含めてのことだけど、この本で扱っているのは心の問題なので、ここでは精神的な病気についてのみ語ることにする。<br />
  著者は、「病気が治る」ということについて、ちょっと面白い、独特の見解を述べる。<br />
  患者は、「治ったら悩みもなくなって、楽になるはず」と考えがちだ。<br />
  しかし実際は、「<strong>あるべき悩みを悩むようになる</strong>」ことこそが「治る」ということだ、と著者は言う。<br />
  <br />
  これは、目から鱗でした。<br />
  確かに、病気が「治る」ということは、「元通りになる」ということではない。実際には、人間は日々変化しているものなのだから、「元通り＝以前と変わらない自分」になる、ということはあり得ない。<br />
  <br />
  「病的な安定」から「<strong>健康な不安定</strong>」の方にもっていく作業をすること。「安心して悩める」状態になること。<br />
  それが治療である、と泉谷氏は述べている。<br />
  <br />
  で、実際のところ、こういう援助をしてくれる精神科医には、私はお目にかかったことがありません。著者の<a href="http://www.izumiya.asia/index.html" target="_blank">泉谷氏のクリニック</a>だって、自費診療で、経済的に裕福な人しか行けないような所です。<br /><br />
  現実の精神医療の場では、患者に対して、対症療法としての「投薬」しか行なわれていないのが現状です。<br />
  本当に「治る」ために必要な部分は、患者自身が自助努力するしかない。<br />
  いや、私自身は、自分が癌も含めて数種類の病気を体験してみて、「病気を治すのは医師ではない。自分自身だ」という考えを持っているので、それはそれでいいのです。<br />
  もちろん外科手術などは、専門医の技術が必要だし、投薬も必要でしょう。<br />
  <br />
  でも、精神疾患の場合は、その人の置かれた環境や、成育過程や、ものの考え方が、病気の原因と密接に関わっていることが多いわけで。<br />
  その複雑な状況をすべて「ないこと」にして、「病名」をつけて、「投薬」を行なうのみの精神医療に、どれほどの価値があるのか？<br />
  もっと深いレベルのアプローチが、本来は必要ではないのか？<br />
  「<a href="http://page.freett.com/710mami/utu3.htm" target="_blank">認知療法</a>」なんかは、海外でも治療実績が認められているらしいですが、日本でこれを取り入れている医療機関はほとんど存在せず、患者が本などを読んで自力で実践しているのが現状です。<br />
  <br />
  私個人について言うなら、自分がここまで立ち直ることができたのは、ここ数年ヨガを続けてきたことが大きいと思う。この本で著者が繰り返し主張している「頭ではなく、身体の訴えを聞くこと」は、ヨガの教えとも一致する。<br />
  <br />
  精神科医に、精神疾患は治せません。<br />
  いや、薬で治る人もいるのかもしれないけど、本当の意味で「治る」としたら、それは薬の力ではないはずだ。<br />
  <br />
  「心」や「不適応」の問題を、精神科医に「丸投げ」し、社会に適応できない・していない人を「病気」として扱い、薬を与えて「治した」ことにしている。それが今の精神医療であり、今の社会の現実です。<br />
  <br />
  これは、私自身が、精神科にもう何年も通院してきた患者として実感してきたことです。<br />
  『「普通がいい」という病』については、もう少し書きます。<br />
  <br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=106" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=106','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=34" style="border:0px;" /></a> <span style="color:#3399cc">コメントも送れます</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>読書感想</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-21T22:05:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=105">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=105</link>
    <title>泉谷閑示　『「普通がいい」という病』（１）</title>
    <description>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
				「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)
			
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								評価： 
								
								泉谷 閑示
				...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498622/moon555-22/ref=nosim" target="_blank" title="「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/31M2JS7Q0ML._SL160_.jpg" width="98" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
	</td>
	<td valign="top" style="padding-left:10px;">
	
		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061498622/moon555-22/ref=nosim" target="_blank">「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4061498622/" target="_blank">この商品の他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								<span class="review_info_title">評価：</span> <span class="review_desc"><img src="http://imaging.jugem.jp/admin/img/review/stars_50.gif" /></span><br />
								
								<span class="review_desc">泉谷 閑示</span><br />
								
								<span class="review_desc">講談社</span><br />
								
				
								<span class="review_desc">
					￥ 777
				</span><br />
				
								<span class="review_desc">(2006-10-21)</span><br />
				
								
								<span class="review_desc">コメント：「あるべき悩みを悩む」ために</span><br />
								
			</div>
			<!-- //review_info -->
			
			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
			<!-- //review_detail -->
			
		</div>
		<!-- //review_info_area -->


	</td>
</tr>
</table>
<br />
</div>自分がメンヘラで精神科に通院を続けているということは、以前にも書いた。<br />これまでに私は、精神科医が書いた本を何冊か読んできたけど、中でも特に深く心に刻まれた本がこれ。<br />
改めて確認することじゃないかもしれないけど、私は別に、本の紹介とか書評をやりたいのではない。そういうのはプロがやればいい。<br />
私は、自分が読んだ本から何を得たか、ということを書いておきたいのだ。<br /><br />
泉谷閑示の『「普通がいい」という病』は、私の心の中の、かなり深い層に問いかけるものだった。<br />
この本がまず「普通でない」のは、精神科医が書いた本としては例外的に、精神医学への批判から始まっているということだ。<br />
現在、医療者は「病気」の名の下に治療を行なっているけれども、「健康／病気」「正常／異常」の境界は、本来はっきり線引きできるものではなく、両者は連続して繋がっているものだ、と著者は言う。<br />
<br />
「正常／異常」の区別をつけ、「異常」を精神科の治療の対象としたのは、近代以降の話である、ということがミシェル・フーコーの『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4105067028/moon555-22/ref=nosim/" target="_blank">狂気の歴史</a>』（1961年）を引用して語られている。孫引きになるけど、私にとって印象深い言葉だったので、書き記しておく。
<blockquote>
　精神病をつくりだしている澄みきった世界では、もはや現代人は狂人と交流してはいない。すなわち、一方には理性の人が存在し、狂気にむかって医師を派遣し、病気という抽象的な普遍性をとおしてしか関係を認めない。他方には狂気の人が存在し、やはり同じく抽象的な理性、つまり秩序・身体的で精神的な拘束・集団による無名の圧力・順応性の要求たる理性を介してしか理性の人と交流を持たない。両者のあいだには共通な言語は存在しない、むしろもはや存在しないのである。十八世紀末に狂気が精神病として制定されてしまうと、両者の対話の途絶は確定事実にされ、区別は既成事実になり、狂気と理性の交換が営まれていたところの、一定の統辞法を欠く、つぶやき気味のあの不完全な言葉のすべてが忘却の淵にしずめられた。狂気についての理性の側の独白（モノローグ）にほかならぬ精神医学の言語は、その基礎には上述の沈黙しかもちえなかった。<br />
　　　ミシェル・フーコー『狂気の歴史』田村俶訳 P.8</blockquote>
<br />
フーコーのこの文章を、「実感として」理解できる人間は、どれほど存在するだろうか。私は、「狂気」の側にいる人間として、フーコーの言葉に深く頷いてしまう。<br />
といっても実は私、フーコーの『狂気の歴史』を読もうと思ったのですが、分厚くて面倒くさい本だったので挫折しました。<a href="http://blog.livedoor.jp/shoji_arisawa/archives/50813957.html" target="_blank">ここ</a>や<a href="http://digitalword.seesaa.net/article/112681699.html" target="_blank">ここ</a>や<a href="http://cruel.org/other/foucault.html" target="_blank">ここ</a>を読んで、わかったことにしておこうっと。 <br />
<br />
泉谷閑示氏は、フーコーの前記の言葉を受けて、精神疾患をめぐる現況を、以下の図のように示し、こう語る。<br /><img src="http://newmoon555.img.jugem.jp/20100120_1329880.gif" width="211" height="155" alt="" class="pict" />
<blockquote>
「狂気についての理性の側の独白（モノローグ）にほかならぬ精神医学の言語」とありますが、これはつまり、「自分は左側に足を置いていると思っていて、右側を単に病気とか狂気とか見るような精神医学は、独り言のように無意味なことばかり言っている」と言っているわけです。なかなか手厳しい言葉ですが、本当にそうだなと私も思います。<br />
　　　　　泉谷閑示『普通がいいという病』P.17</blockquote>
私も精神科に通院している患者として、同じことを痛切に感じていた。精神医学というものは精神科医のためのものであって、患者のためのものではない、ということ。<br />
<br />
現代社会（および西洋医学）は、理性（＝近代的な合理主義）では量れない世界がある、ということを認めようとしない。あらゆるものを数値で把握しようとする、ある意味で融通の利かない、貧しい世界だ。 <br />
それでももし、私の言葉が少しでも人に通じるのだとしたら、私にも理性が残されている、ということでしょう。<br />
<br />
正常と異常の境界線上にあるような視点や言葉が、今の時代ではほとんど失われてしまった、と泉谷氏はいう。<br />
泉谷氏は、「正常」と「異常」両方の世界を往ったり来たりしながら、「異常」の世界の言葉を「正常」の世界へ伝えようとする人を「詩人」と呼んでいる。<br />
<br />
実際、この本には、詩や小説、哲学、宗教の言葉が、たくさん引用されている。<br />
ここでは、中原中也の詩「脱毛の秋」から「今病的であるものこそは、現実を知っているように私には思える」という言葉を取り上げている。これは、世間一般の常識から逸脱した「病的な」人たちの方が、鋭く本質を見抜いているのではないか、という中也の痛烈な告発だという。<br />
<br />
しかし、「異常」の側にすっかり行ってしまったら、豊かなものをこちら側に運んでくることができなくなってしまう。正常の側に戻ってくるだけの「したたかさ」や「しぶとさ」が必要だ、と著者は言う。<br />
確かに異常の世界に行ったきりになってしまっては困るわけで、戻ってくるためには「生き汚さ」「図々しさ」みたいなものが必要なのでしょう。 <br />
私も、こういう発言ができるくらいの「図太さ」は持ち合わせていたみたいです。そういう「図々しさ」みたいなものを持っていたからこそ、これまで何度か病に倒れながらも、ここまで生き延びることができたのでしょう。<br />
<br />
それにしても、フーコーのいう「精神病をつくりだしている澄みきった世界」＝現代社会は、それほどまでに「正しい」ものなのか？<br />
ということで次回に続きます。<br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=105" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=105','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=10" style="border:0px;" onmouseover="this.src='http://img.webclap.com/webclap/button/on.php?img=10'" onmouseout="this.src='http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=10'" /></a>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>読書感想</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-20T20:28:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=104">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=104</link>
    <title>web拍手にレス９</title>
    <description>コメントクレクレと叫んだら、コメントがもらえた。 
なんだあ〜、皆いるんじゃん。いるならいるって、声かけてよ！ 
というわけで、いただいた拍手コメントにレスしちゃいます。 
↓からどうぞ。</description>
<content:encoded><![CDATA[
コメントクレクレと叫んだら、コメントがもらえた。 <br />
なんだあ〜、皆いるんじゃん。いるならいるって、声かけてよ！ <br />
というわけで、いただいた拍手コメントにレスしちゃいます。 <br />
↓からどうぞ。<p><a href="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=104">続きを読む &gt;&gt;</a></p>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>web拍手レス</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-16T22:43:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=103">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=103</link>
    <title>衝撃の事実</title>
    <description>ここしばらく、アクセス解析なるものを試してみた。
アクセス解析といっても、このブログに来てくださる方が、どこのサイト経由でたどり着いたかがわかる、というだけのものですが。
その結果明らかになった、衝撃の事実。

このブログにブックマーク（お気に入り）か...</description>
<content:encoded><![CDATA[
ここしばらく、アクセス解析なるものを試してみた。<br />
アクセス解析といっても、このブログに来てくださる方が、どこのサイト経由でたどり着いたかがわかる、というだけのものですが。<br />
その結果明らかになった、衝撃の事実。<br />
<br />
このブログにブックマーク（お気に入り）から来てくれる人が、予想外に少なかった、ということ。<br />
いや、もともとアクセス数の少ないブログなんですが。それはわかっていたのですが。<br />
ほとんどの人は、一度見たきりでハイサヨナラなのである。<br />
記事に毎回毎回、拍手ボタンを付けて、拍手を強要しているのに、一日数人から拍手もらえればいい方なんですが……その数人が読者のすべてだったのである。<br />
<br />
嗚呼なんという―――知りたくなかったわ。こんな事実。グスン。<br />
道理でコメントが少ないはずである。<br />
こんなにも毎回、しつこく、くどいほど、コメントクレクレと叫んでいるのに。<br />
<br />
もしかしたら「コメントに全レス」の方針が間違っているのだろうか？<br />
<strong>コメントにレスされたくない方は、「レス不要」とお書き添えの上、拍手コメントで送ってください。</strong>そしたら、いただいたコメントは、ブログ主ひとりの胸にそっと仕舞っておきますので。<br />
<br />
あと、ブログ主は「面白い」と言ってもらえるとたいそう喜びますが、<strong>批判・ツッコミも大歓迎</strong>です♪<br />
月ノヒカリはドＭなので、叩かれるとシビレるのです。<br />
ぶって！叩いて！もっと！ああっ！！<br />
……ブログ主がこれ以上壊れる前に、誰か本気で止めてください。<br />
<br />
というわけで、当ブログを読んでくださった皆様、コメントはお気軽に。<br />
コメント欄でも拍手コメントでもガンガン送ってください。<br />
という恒例の催促でした。<br />
<br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=103" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=103','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=17" style="border:0px;" /></a>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>日記・雑感</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-13T22:58:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=102">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=102</link>
    <title>社会政策としての「エル・システマ」から学べること</title>
    <description>「エル・システマ」について、前回の続きです。
  
ベネズエラのエル・システマから、日本も学ぶべきものがあるのではないか、と私は考えました。音楽教育としてではなく、社会政策としてのエル・システマに、何かヒントが見つかるのではないか、と。

ベネズエラほど...</description>
<content:encoded><![CDATA[
「エル・システマ」について、<a href="./?eid=101" target="_blank">前回</a>の続きです。<br />
  <br />
ベネズエラのエル・システマから、日本も学ぶべきものがあるのではないか、と私は考えました。音楽教育としてではなく、<strong>社会政策</strong>としてのエル・システマに、何かヒントが見つかるのではないか、と。<br />
<br />
ベネズエラほどの貧困問題はないにせよ、現代日本もまた、貧困・格差の問題は、他人事ではないからです。<br />
現在私たちが抱える貧困は、「経済的な貧困」だけではない。<br />
より厄介なのは、「自分が帰属できる組織がない」「頼れる人・団体がない」「人との結びつきがない」という、人間同士がバラバラになってしまったという貧しさだ。<br />
<br />
「エル・システマ」には、教育政策、文化政策、社会政策という３つの側面があるが、現在のところ、どの側面から見ても成果を出しているようだ。その秘訣は何なのか？<br />
<br />
「エル・システマ」は、ホセ・アントニオ・アブレウ（音楽家であり経済学博士でもある）という、ひとりの人物の熱意によって始められた。（<a href="http://www.nicovideo.jp/watch/sm3067028" target="_blank">ニコ動</a>にちょっとだけ動画があります。）<br />
1975年、アブレウがベネズエラ人のための国立ユース・オーケストラ・プロジェクトを立ち上げたとき、集まったのはたった８人だったという。それが三十年後、世界的に認められる水準・規模になった。<br />
<br />
著者によれば、日本の文化政策とエル・システマを比べた場合、<strong>目的の明確さ</strong>に差があるという。エル・システマは、「ベネズエラ人自身による、国際的に通用するオーケストラをつくる」という<strong>明確な目的のもとに</strong>活動している。そのためには、<strong>長期的な活動</strong>が必要で、一回や二回のお祭り騒ぎで終わらない<strong>戦略</strong>が必要だった。（山田真一『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905706335/moon555-22/ref=nosim/" target="_blank">エル・システマ</a>』P.333） <br />
<br />
以下の内容は、日本で社会政策あるいは活動をする上でも、示唆に富むものではないか。 <br />
(注：FESNOJIVとは、エル・システマの母体となる国立財団のことです。)
<blockquote>
しかし、FESNOJIVの活動と、チャベス政権とが一致しているのは、複雑な政党間交渉の末に確保される少額の予算や、怠惰な官僚システムによる長い補助金審査を待っていたのでは、市民が求める実効性ある政策がなかなか進められないと考えていることだ。本当に「目的」を遂行するためには、世間向けの題目として中途半端に出される補助金をあてにするのではなく、<strong>既存官僚組織とは別の、市民を巻き込んだ自主的な組織が必要になる</strong>ことをFESNOJIVが証明している。 <br />
　　　　山田真一『エル・システマ』P.332（太字は引用者による）</blockquote><br />
著者はここで、ネグリ＝ハートの<a href="http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%DE%A5%EB%A5%C1%A5%C1%A5%E5%A1%BC%A5%C9" target="_blank">マルチチュード</a>を引き合いに出している。<br />
<br />
さらにもうひとつ重要な指摘がある。<br />
エル・システマの活動は、公的資金をもとに運営されている。そのときどきの政権や首長から資金を引き出すためには、青少年オーケストラの<strong>活動をアピールし続ける必要があった</strong>、というのだ。シモン・ボリバル・ユース・オーケストラが海外ツアーを行うのは、海外で認知されるためだけではなく、ツアーをしたという実績がベネズエラ国内で評価されるからなのだ。<br />
先日我が国で行なわれた事業仕分けのように、事業の必要性をアピールできない官僚答弁ではダメなのである。「実績」を示さなければならないのだ。<br />
<br />
ひとつ言えるのは、官僚組織の中からは、「エル・システマ」のような活動は絶対に出てこないということだ。本当に必要な社会政策は、私たち自身が発案し、実行に移さなければならない。<br />
<br />
とりあえず、ロスジェネとして言いたいのは、「<a href="./?eid=85" target="_blank">生きさせろ！</a>」と叫ぶのは良い。でも、国にただ「金よこせ」としか言えない、発想の貧しさからは卒業したいものです。まずアイデアを出して、それを実行に移すために「金よこせ」と言えるようになりたいものです。結論ぶっ飛び過ぎですか？<br />
<br />
でも、結局はそういうことなんですよ。<br />
国に期待するのではなく、自分たちがアイデアを出し、実行に移していけるのか？<br />
本当の意味で「格差」の問題を解決しようと思うなら、私たちが自力でアイデアを出し、行動しなければならない。「何をすべきか」の正解は、今現在の私にもわからない。それぞれが自分で考えるしかないのでしょう。<br />
<br />
ということを考えていたのですが、先日、<a href="http://blog.tatsuru.com/2010/01/08_1532.php" target="_blank">内田樹氏のブログ記事</a>にそれに近いことが書いてありました。末尾の部分を引用します。
<blockquote>
率直に言うが、日本社会はすでに「前代未聞・空前絶後」の社会状況に入っている。人口の不可逆的な減少、それによる経済活動そのものの縮小ということを経験したことのあるものは先進国には存在しない。ということは「こういうときはどうすればいいか、私は知っている」と言うやつがいたら（経済学者でも国際政治学者でも）そいつは「嘘つき」だということである。<br />
日本社会はいま急速に流動性を失って階層化が進行している。上層の一部に権力も財貨も情報も文化資本も集中する一方で、巨大な「下層」が形成されつつある。その階層差を形成しているのは端的には危機感の差である。「いま、私たちはどうふるまっていいかわからない状況に入りつつあり、正解は誰も知らないし、誰も教えてくれない」ということを切実に受け止め、それゆえ自分の判断力と感覚を信じて生きる人間たちは生き残り、「どうすればいいんでしょう？」とぼんやり口を開けて、「正解」を教えてくれる人の到来を待ち望んでいる「受け身」の人たちは下層に吹き寄せられる。残酷なようだが、そういうことである。<br />
　　　　　　　　内田樹の研究室（2010年1月8日）より
</blockquote><br />
<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=102" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=102','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=33" style="border:0px;" /></a>
<span style="color:#ff9900">ご意見・ご感想など遠慮なくどうぞ♪</span>
]]></content:encoded>
    <dc:subject>社会</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-10T23:44:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
  </item>

  <item rdf:about="http://newmoon555.jugem.jp/?eid=101">
    <link>http://newmoon555.jugem.jp/?eid=101</link>
    <title>ベネズエラの音楽教育「エル・システマ」</title>
    <description>
	
	
	
	
		
											
									
		
	
	
	
		
	
						
				エル・システマ―音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策
			
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								評価： 
								
								山田 真一
								
			...</description>
<content:encoded><![CDATA[
<div class="jugem_review">
	<table border="0" cellspacing="0" cellpadding="0">
	<tr>
	<td valign="top">
	
		<div class="review_img">
											<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905706335/moon555-22/ref=nosim" target="_blank" title="エル・システマ―音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51uYj%2Bk6OPL._SL160_.jpg" width="111" height="160" border="0" /></a>
									</div>
		
	</td>
	<td valign="top" style="padding-left:10px;">
	
		<div class="review_info">
	
						<div class="review_item_title">
				<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4905706335/moon555-22/ref=nosim" target="_blank">エル・システマ―音楽で貧困を救う南米ベネズエラの社会政策</a>
			</div>
						<div class="link_monocolle" style="font-size:10px;"><img src="http://imaging.jugem.jp/manage/img/icn_morereview.gif" /><a href="http://jugem.jp/mono/amazon/4905706335/" target="_blank">この商品の他のレビューをみる&raquo;</a></div>
		
			<div class="review_info">
			
								<span class="review_info_title">評価：</span> <span class="review_desc"><img src="http://imaging.jugem.jp/admin/img/review/stars_40.gif" /></span><br />
								
								<span class="review_desc">山田 真一</span><br />
								
								<span class="review_desc">教育評論社</span><br />
								
				
								<span class="review_desc">
					￥ 2,310
				</span><br />
				
								<span class="review_desc">(2008-12)</span><br />
				
								
								
			</div>
			<!-- //review_info -->
			
			<div class="review_detail" style="padding-top:10px;">

				
				
				
			</div>
			<!-- //review_detail -->
			
		</div>
		<!-- //review_info_area -->


	</td>
</tr>
</table>
<br />
</div><a href="./?eid=100" target="_blank">前回</a>の続き。<br />
まずは、ドゥダメル＆SBYO来日に合わせて発売されたと思われる、山田真一著『エル・システマ』から得た知識を。<br />
<br />
現在ベネズエラ全土で、幼児から30歳近い若者まで、20万人以上の青少年が、<strong>無料</strong>で音楽を学び、オーケストラ活動に参加しているという。ベネズエラの人口が2700万というから、これは物凄い数だ。この音楽教育システムを、通称<strong>エル・システマ（</strong>英語でザ・システム）と呼んでいる。<br />
<br />
ベネズエラ全土の青少年オーケストラのうち、トップクラスの選抜メンバーが、前回の記事で取り上げた、ドゥダメル＆シモン・ボリバル・ユース・オーケストラなのだ。<br />
<br />
エル・システマの運営主体は国立財団であり、税金で運営されている。つまり、ベネズエラでは国をあげて青少年の音楽教育を展開しているのだ。なぜか？<br />
<br />
近年チャベス大統領の言動が注目を集めているベネズエラは、世界有数の産油国で、数字上では南米の中では豊かな国だ。しかし実態は、貧富の差が激しく、<strong>国民の半数が貧困層</strong>で、紛争国かと思われるほど犯罪が多発している。<br />
<br />
エル・システマは、単なる音楽教育システムではない。<br />
子どもたちをオーケストラ活動に参加させることによって、麻薬や犯罪に走ることを防ぎ、音楽技術を身につけさせることで、将来の仕事に道を開く、という<strong>社会活動として展開されている</strong>側面がある。<br />
<br />
実際に、ストリート・チルドレンや貧困家庭の子どもが、楽器に出会い、オーケストラ教室に参加することで、大きく人生を変えていったエピソードが、いくつも同書の中に登場する。<br />
ストリートで麻薬売買などの犯罪を繰り返したレグネー・アコスタという少年は、クラリネットに出会ったことで生活が一変し、犯罪から抜け出したという。彼にとっては、楽器を演奏することが、初めての「幸福な時間」になったのだ。<br />
<br />
エル・システマは、<strong>音楽活動が貧困層の犯罪防止対策になり得る</strong>ということを証明した、画期的なシステムだ。<br />
ストリート・チルドレンや貧困家庭の子どもたちにとって、エル・システマは、単なる音楽演奏の場ではない。そういう次元では捉えきれない、もっと大きな価値をもつものだ。<br />
<br />
以前<a href="./?eid=58" target="_blank">バレンボイムとウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団について書いた</a>ときにも感じたのだが、「オーケストラで演奏する」ことは、「他者との協調」を学ぶのに有効な場であるらしい。音楽は技術だけで演奏するものではない。同じ音楽をともに演奏することによって、心を一つにできる。<br />
<br />
欧米のマスコミでも、「音楽が子どもたちを救う」という趣旨でベネズエラの音楽教育システムが紹介され、評価されているという。<br />
音楽的なレベルについても、指揮者のドゥダメルだけでなく、わずか17歳でコントラバス奏者としてベルリン・フィルに入団したエディクソン・ルイースという若者もいる。<br />
シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの演奏レベルも、高い評価を得ている（<a href="http://www.universal-music.co.jp/classics/artist/gustavo_dudamel/gustavo_dudamel.html#disco" target="_blank">ドゥダメルのサイト</a>で試聴できます）。<br />
<br />
その他、日本人として興味深かったのは、エル・システマの音楽教育には、日本の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/スズキ・メソード" target="_blank">スズキ・メソード</a>の教授法が取り入れているというエピソード。その背景には、小林武史という一人の日本人ヴァイオリニストが、ベネズエラでインディヘナの子どもたちにスズキ・メソードでヴァイオリンを教える、という奮闘があった。<br />
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というのが、「エル・システマ」の概要で、まあここまではちょっと検索すれば出てきます。<br />
ブログ主としては、こういう社会政策を、日本でやったらどうなのかな？という思いがあるわけですが。「エル・システマ」から学べるものがあるのではないかと。<br />
それについて<a href="./?eid=102">次回</a>書きます。<br />
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<a href="http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=101" target="_blank" onclick="window.open('http://clap.webclap.com/clap.php?id=moon555&page_id=101','webclap','toolbar=no,location=no,directories=no,status=no,scrollbars=yes,resizable=yes');return false;"><img src="http://img.webclap.com/webclap/button/off.php?img=36" style="border:0px;" /></a>
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    <dc:subject>社会</dc:subject>
    <dc:date>2010-01-09T23:32:00+09:00</dc:date>
    <dc:creator>●月ノヒカリ●</dc:creator>
    <dc:publisher>JUGEM</dc:publisher>
    <dc:rights>●月ノヒカリ●</dc:rights>
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