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2020.09.12 Saturday
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2009.12.30 Wednesday 21:19暮れも押し迫った今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
大掃除もロクにせず、相も変わらずダメっぷりを更新しつつある月ノヒカリです。
今までブログを読んでくださった皆様に、改めてごあいさつ。
2009年が始まったとき、私はよもや自分がブログを始めることになろうとは、まったく想像だにしていませんでした。
ブログなんて面倒なもの、自分には縁がないものだとばかり思い込んでました。
それがひょんなことで、ブログを書き始めた結果、月ノヒカリはどうなったか?
ダメ人間がさらにダメになり、
もともと壊れかけていた人格がさらに破壊され、
「人間失格」どころか「生き物失格」の烙印を押されました。
というのは反面の真実です。
ブログを始めたおかげで、
普通に生活してたら絶対に知り合えなかったような人とコンタクトをとることができ、
いろいろな人から励ましの言葉をいただき、
今まで知らなかった世界に足を踏み入れ、
自分の世界が広がった気がします。
2009年が始まったときと、終わる今とでは、自分は確実に違う地点にいるな、と感じます。
それもこれもブログを読んで、コメントとか拍手とかしてくださった皆様のおかげです。
このブログを読んでくださった皆様に改めて、心からの感謝を。
2010年は、満月とともに始まります。
明日の夜、天気がよければ、夜空を見上げて、まんまるお月様をじっと見つめてみてください。
月の上で、寝ころがって、のんきにお餅なんか食ってる動物が見えるでしょう。
それが月ノヒカリです。
2010年も皆様とご一緒にいられますように。
よいお年を☆ -
2009.12.28 Monday 22:56福田恆存の「一匹と九十九匹と」をもとに、再び、私が以前書いた「自殺」についての発言を考え直してみる。「文学」と「政治」、あるいは「個人」と「社会」という、この二つの相反する概念を、矛盾したまま、受け入れるために。
っていうか、このカテゴリが混乱したまま中断してしまったので、後始末です。
私は、「人生の最後を自殺で終える」という選択肢は「あり」だと、「個人的に」考えている。おそらく、どんなに「善き政治」が行なわれても、自殺者がゼロになることはないでしょう。その意味で、確かに自殺は「個人」の問題だ。
ただ、私は今の、自殺者がこんなにも多い日本の社会を、「酷い社会」だと思っている。社会の側にも問題があるし、それは変えていけるはず、という思いを込めて、自分を自殺志願者であると規定したうえで、私は発言したかった。
「自殺」は、個人の問題でもあるし、社会の問題でもある。
どちらか一方に責任を押し付けるべきではない、と私は考えます。
自殺者が多い今の日本を、「ひどい社会」だと思っている人って、多くはないのかもしれない。けど、確実に存在する。
社会学者の宮台真司も、ブログ内(「小さな国家と大きな社会」へ---「底辺同士のつぶし合い」から「連帯」へ---)で以下のように書いている。
【激烈にヒドイ社会になった日本】
私は、「政治」に自殺対策なんて期待していません。政治がするべきは自殺対策ではなくて、「生きていく対策」でしょう。
■日本はヒドイ社会である。自殺率は英国の3倍、米国の2倍、西側先進国でダントツの第1位。単に経済の沈下が理由とは言えない。個人当たりGDPは2000年代初頭段階で2位か3位なのに、自殺率は既に先進国で突出した第1位だった。
「死」に関わる問題って、本来は「宗教」の役割のはずなんだけど……そういう意味で、頼りになる「宗教」なんてまったく存在しなかった。少なくとも私の周りには。
その代わりに、私には阿片としての文学=サブカルがあった。
でも今や、サブカルすら私を救ってくれない。
だから仕方なく、私のような自己主張の苦手な人間が、こうやって細々とブログを書いて、「一匹の羊」として、自己主張をしているわけですが。
宮台がここで言っていることは、かなり重要な示唆を含んでいると思う。
■本文では、こうした課題を「小さな国家と大きな社会」と表現している。大きな社会とは包摂的な相互扶助のある社会のこと。誰でもあずかれる助け合いということだ。小泉・竹中的な「小さな国家と小さな社会」では国民は不幸になるしかない。
宮台真司は、著書『日本の難点』等で、「社会的包摂」というキーワードを用いている。「社会的包摂」というのは、D・H・ロレンスの『黙示録論』末尾にある「人類、国民、家族との生きた有機的な結合」に近い概念―――だったらいいな、と思います。
宮台がこの記事の末尾で語っているように、「底辺同士のつぶし合い」=弱者が弱者を叩く、みたいなことをやってる場合ではないでしょう、今は。
そういう足の引っ張り合いをしている限り、2ちゃんねるレベルで終わってしまう。
宮台のいう「包摂的な相互扶助のある社会」というのは、具体的にはどんなものなのか?
そこに私が参加することは可能なのか?
可能だとしたら、どうやって?
すぐに結論が出る問題ではないでしょう。
ただ、こういう意識を持っている人間がひとり、ここにいる。ということを伝えたくて、こうやって「手紙」を書いて、ひっそりと飛ばしてるんですけどね。
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2009.12.26 Saturday 23:17前回は12/14までの拍手レスでしたが、その続きです。
12/20以降に拍手コメントくださった方に、レス……するつもりだったんですが、今日PCの電源つけて、自分のブログのコメント欄見て、目が点になりました(・o・)
ブログ、乗っ取り!?
いや、確かにブログ主はコメントを求めてますし、気軽にコメントしていただきたいのですが、やはり限度というものがありまして……。
基本的に「いただいたコメントには全てレスする」方針でやってきたのですが、自分の処理能力を超えるコメントをいただいても、レスできないわけで。
過去の記事についてコメントいただけるのもありがたいのですが、やっぱり、「いろんな人」からコメントいただける方が嬉しいし、実りのあるブログになると思うので。
拍手コメントにしても、どの記事に対するコメントなのか、ブログ主にはわからないシステムなので、「意味不明のひと言」だと困っちゃうんですよね〜。
で、すみません。
本日以降いただいたコメントに関しては、「必要がある」と当方が判断したものにだけ、レスさせていただくことにします。
12/20以降の拍手レス、↓からどうぞ〜。 -
2009.12.25 Friday 22:26約2ヵ月ぶりの拍手レスです。の前にちょっとお知らせ。
先週くらいから、ブログ記事の下に、鬱陶しい広告が入るようになったのですが……あれは私のせいではありません。すべてJUGEMが仕組んだことです。JUGEMユーザーは皆、「邪魔くさいなーもう」と思ってることでしょう。ええ、私も迷惑してます。
皆様もどうか広告は華麗にスルーしてくださいませ。
えーと、ブログ再開して、拍手やコメントいただいて、自分が思ってたよりもたくさんの方が読んでくださったのだなあ、と改めて気づいた次第で。泣きたいくらいに嬉しかったです。本当に。
コメントくださった皆様に、感謝の気持ちを込めて、拍手レス……をするのですが、思ったよりも長くなったので、2回に分けます。
今回は、12/14までにいただいた拍手コメントへのレスです。
↓からどうぞ。(お名前は略させていただきました。) -
2009.12.23 Wednesday 21:00いつからだろう?
恋人のいない人は、ひとりぼっちのクリスマスを寂しがらなければならない、みたいな風潮になったのは。
なんですかね、独り者はクリスマスを楽しんではいけないのでしょうか?
個人的には、こういう動画は嫌いじゃないんですが。
非モテの自虐ネタって、たまに傑作を生み出しますね。
でも、クリスマスをひとりで楽しんではいけませんか?
街路樹にイルミネーションが灯り、店先にクリスマスツリーが飾られ、街中でクリスマスソングが聞こえてくると、私はわくわくします。
何歳になっても、私はクリスマスが好き!
だいたいさあ、自分に変な言い訳しないで、思う存分ケーキを食べられるのって、誕生日とクリスマスくらいじゃない?
え? 貴方は毎日ケーキ食べられるんですか? このブルジョワめ!
じゃなくて。
私が敬愛する24年組の漫画家・大島弓子先生の作品で、飼い猫のサバとの生活を描いたエッセイ漫画があるんですが。
描かれているのは、自宅と近所の公園あたりの、季節の移り変わりとか、ごくありふれた日常生活なのですが。
これが面白いのよー。
なんてことのない日常を、あんなにも豊かに描いた作品を、私は他に知らない。
歌人の枡野浩一さんの言葉で、
「面白いことをありのままに伝えればいいというものではない。つまらないことを面白く表現することのできる人が、表現者なのだ。」
というのを読んだとき、目から鱗がポロポロ落ちたものですが。
大島弓子先生は、そういう意味で、ホンモノの表現者だと思います。
その「サバ」シリーズの中で、大島センセイは「一年のうちでクリスマスが一番好き」とおっしゃっているのです。
というわけで、大島弓子様をネ申とあがめ奉る(誇張アリ)わたくしは、ひとりでも堂々とクリスマスを楽しむことをここに宣言します。
明日が楽しみ〜♪
ここ読んでくれているあなたにも、メリークリスマス★ - ←新しい記事 1/4 pages 古い記事→