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2020.09.12 Saturday
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2010.05.27 Thursday 22:43
一方で、誰にも教えず、鍵のかかった箱にしまって、「自分だけのものにしておきたい」気持ちになることもある。
アルルカン洋菓子店の歌は、私にとって後者だ。
アルルカン洋菓子店―――朝日新聞や転職サイトの悩み相談でお馴染みの明川哲也(もとドリアン助川)さんと、ギターのMITSUさんのユニット。
お二人が道化師(アルルカン)の衣装を着けて、手作りクッキーを配りながら、詩のような歌の世界を繰り広げるという、一風変わったユニットだ。
そもそもこのブログの最初の記事は、明川哲也さんの『敗北からの創作』のレビューから始まったのだった。それがきっかけで、アルルカン洋菓子店のCDを聴いて、ファンになったんですが……CDの感想はあとにしよう。
先日、アルルカン洋菓子店初の名古屋ライブがあって、生で聴く機会があったので、まずその話を。
実は私、クラシック系のコンサートは行ったことあるけど、ライブというものに行ったことなかったんですね。で、ライブってちょっと怖かったんですよ。
というのも以前、某2chクラシック板の口の悪い兄さんが「ライブって新興宗教の集会みたいで、音楽を聴くところじゃないよな」みたいなカキコミしてるの読んだことがあって。
ライブというものが初体験の私は、サバトに供される生け贄の羊のような心境で、おそるおそる出かけたのですが。
実際のところ、何の心配もいりませんでした。
開始10分ですっかり信者になってました(笑) いや、悪い意味でなく。
決して激しい曲ではない。優しくあたたかい詩ばかりで、静かに目を閉じていつまでも聴いていたい歌だ。
でも、それを歌い上げる明川哲也さんの声には、ものすごい力と存在感がある。
熱を帯びた声が、空気と溶け合うにつれて、私もアルルカンの織り成す別世界に引き込まれた。
あと、ギターの音色っていいね! 生で聴くと、すごく優しい音がするんだね!
やっぱり録音ではなく、ライブにこそアウラが宿るんだなあ、と改めて実感しました。
ライブで聴く方が断然いいと思うんですが、東京以外の人にはなかなか機会がないので、普段はCDで聴くしかないのは残念なことだけど。
このファーストアルバム『星屑通りで店開き』には、16曲入ってるんだけど、My Best 3を挙げるなら、「白い雲ひとつふたつ」「上板橋・天使の詩」「ミーコの唄」(猫好きなら泣ける!)かなあ。
同じような毎日でも少しずつ色合いが異なるように、CDも聴く日によって、歌が別の色彩を帯びているようで、好きな歌はその度ごとに変わるのですが。
どの歌も、深い藍色の「哀しみ」に包まれている気がする。
でも、「絶望」を通り越していない「希望」が薄っぺらなように、「哀しみ」に縁取られていない「喜び」も、嘘だと思う。
アルルカン洋菓子店の歌は、すべてLOVE SONGだ。といっても、よくある恋愛を歌ったものではない。
生きるのが下手で、つまずいたり、転んだり、起き上がれなくてうずくまったりしている、あなたや、私への応援歌なんだ。
傷ついて立ち上がれない人を、大きな愛で満たし、時には力強く背中を押してくれる、そういう歌こそ、本当の意味でのLOVE SONGだと私は思う。
ただこの歌、十代の頃聴いていたら、好きになっただろうか?
たぶん意味がわからなかっただろうなあ。
昔から「年を取ったら演歌の良さがわかるようになる」と言われつつ、いまだに演歌の良さはわからない私ですが。
アルルカン洋菓子店の歌を聴くと、わけもなく涙が溢れ出したり、懐かしい情景を思い出したりする。
年を取るのも悪くないかも、と思うのはこういうときです。
☆試聴・ライブ情報はこちらに→アルルカン洋菓子店の公式サイト -
2010.05.25 Tuesday 23:30前々回取り上げた、高橋源一郎氏のTwitterライブ“メイキングオブ『「悪」と戦う』”から、もう一カ所、印象的だった部分を書き留めておきたい。
『ゲド戦記』の作者、アーシュラ・K・ル=グインがある女子大で行った「左ききの卒業式祝辞」というタイトルの祝辞を、全文紹介された回です。この「左ききの〜」は、高橋さんが『「悪」と戦う』を執筆中、何度も読み返した文章であるそうな。
「左きき」とは、まず少数派である女性を意味し、そして潜在的にはあらゆる人々をも意味するのだ、と高橋さんは言います。
以下は第六夜(5月7日)のツイートから、特に感銘を受けた部分を抜き出して引用します。(全文はtoggeterまとめにあります。)
6の4
「知的な伝統とは男性ものなのです。演説は公の言葉、つもり国家あるいは部族の言葉でなされます。そして私たち部族の言葉は男性の言葉です。もちろん女性もその言葉を学びます。私たちは馬鹿じゃありませんからね。その話の内容から、マーガレット・サッチャーとロナルド・レーガン、あるいは」
6の5
「インディラ・ガンジーとソモザ将軍の区別がつく方はどうかその見分け方を教えて下さい。ここは男性の世界です。ですから世界は男性の言葉を話すのです。言葉はすべて権力の言葉です。みなさんもずいぶん頑張りましたね。でも道のりはまだまだ遠いのです。自分の魂を売ったところでゴールに…」
6の6
「…到達することはできません。なぜなら、そこにあるのは彼らの世界であって、みなさんの世界ではないからです。もしかしたら私たちは権力の言葉はもう充分に獲得し、人生の戦いについて議論しているのかもしれません。もしかしたら私たちには弱々しさを表す言葉が必要なのかもしれません」
(中略)
6の10
「成功とは他の人の失敗を意味します。成功とは私たちが夢見つづけてきたアメリカン・ドリームです。わが国の三千万人もの様々な地方の人々の大半は貧困という恐るべき現実を見据えながら生活しているのですから。そう、私はみなさんにご成功を、とは申しません。成功についてお話する気もありません」
6の11
「私は失敗についてお話したいのです。なぜなら、みなさんは人間である以上、失敗に直面することになるからです。みなさんは、失望、不正、裏切り、そして取り返しのつかない損失を体験することでしょう。自分は強いと思っていたのに実は弱いのだと気づくことがあるでしょう。所有することを…」
6の12
「…目指して頑張ったのに、所有されてしまっている自分に気づくでしょう。もうすでに経験ずみのことと思いますが、みなさんは暗闇にたったひとりで怯えている自分を見いだすことでしょう。私がみなさん、私の姉妹や娘たち、兄弟や息子たちすべての人々に望むことは……」
6の13
「…そこ、暗闇で生きていくことができますように、ということなのです。成功という私たちの合理的な文化が、追放の地、居住不可能な異国の地と呼び、否定しているそんな土地で生きていくことを願っています。どのみたち、私たちは異国人ですね。女性は女性であるがゆえに、男性が自ら宣言した…
6の14
「…この社会の規範から除外され、遊離しています。この社会では人間は男(マン)と称し、尊敬すべき唯一の神は男性で、唯一の方向は上昇なのです。そうです。それは彼らの国なのです。私たちは私たち自身の国を探し求めようではありませんか。私はセックスのことを言っているのではありません」
6の15
「私は社会のこと、いわゆる人間の制度化された競争、侵略、暴力、権威、および権力の世界のことをお話しているのです……そして、それに対して、私は、私たち自身のやり方でことを進めたらどうかとお話しているのです……いえ、彼らに『対抗しろ』と言っているのではありません。なぜなら……」
6の16
「…それもやはり男性の規則に従ってプレイすることになるのですから。そうではなくて、私たちとともにいる男性と手を合わせて進むのです。これは私たちのゲームなのです。大学教育を受け、自立した女性がなぜマッチョな男と戦ったり、あるいは彼に仕えたりしなければならないのでしょか?」
6の17
「なぜ彼女は彼のやり方に従って生きなければならないのでしょうか? マッチョな男たちは合理的でも明瞭でも競争的でもない何でもない私たちの流儀を恐れています。ですから、彼はそういったものを軽蔑し、否定するように私たちに教えこんできたのです。私たちの社会の中で女性は人生の……」
6の18
「…あらゆる側面を生きてきました。そして、それゆえに軽蔑されてきました。人生のあらゆる側面には無力、弱さ、病気、非合理で取り返しのつかないもの、曖昧で受動的で、抑えがきかず、動物的で、不浄なものすべて……影の谷間、深み、人生の深さも含まれています。そうしたもの一切に……」
(中略)
6の20
「それが私たちの国なのです。私たちの国の夜の部分です。もし昼間の部分、高い山脈や明るい緑の大草原があるとしたら、私たちは開拓者がそれを語る物語しか知らず、そこにはまだ到着していません。マッチョな男たちの真似をしたところで、そこに行くことはできません。私たちは自らのやり方で…
6の21
「…前進し、そこで生活し、私たち自身の国の闇夜を生き抜くことによってのみ、そこに到達するのです。そこで私がみなさんに望むのは、女性であることを恥じたり、精神病室の社会機構の囚われの身であることに甘んじる囚人としてではなく、土着の人間としてそこに生きることです……」
(中略)
6の24
「…犠牲者になるなどないよう望みますが、他の人々に対して権力を振るうこともありませんように。そして、みなさんが失敗したり、敗北したり、悲嘆にくれたり、暗がりに包まれたりしたとき、暗闇こそあなたの国、あなたが生活し、攻撃したり勝利を収めるべき戦争のないところ、しかし未来が
6の25
「…存在するところなのだということを思い出してほしいのです。私たちのルーツは暗闇の中にあります。大地が私たちの国なのです。どうして私たちは祝福を求めて天を仰いだりしたのでしょう……周囲や足下を見るのではなく。私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。ぐるぐる旋回する
6の26
「…スパイの目や兵器でいっぱいの空にではなく、私たちが見下ろしてきた地面の中にあるのです。上からではなく下から。目をくらませる明かりの中ではななく栄養物を与えてくれる闇の中で、人間は人間の魂を育むのです」……以上です。
(高橋源一郎氏のTwitterより。太字は引用者による)
この文章、実は読んで泣いてしまったんです、私。
いやもう夜中に泣ける泣ける。
これは「じっくり味わう」べき文章だと思うし、私がごちゃごちゃ書くのは余計なことかもしれませんが。
それでもこの文章は、Twitterのタイムラインに流されておしまいではなく、何度も繰り返し読み返したい言葉なので、以下蛇足ですが、思ったことをつらつらと書きます。 -
2010.05.22 Saturday 22:43
プログラマで、アルファブロガーで、会社を経営したりしているマッチョな人。
今話題になってる「ベーシックインカム」導入を提案する本です。
ベーシックインカムとは、政府が無条件に、個人に現金を給付する制度。
この本で小飼弾氏は、金額は月5万円、財源は相続税100%を提案する。
ベーシックインカムについては、私もそれほど詳しいわけではないのですが、この本はわかりやすい入門編ではある、かな?
特に冒頭にでてくる言葉、
「社会は人のためにあるのであり、人が社会のためにあるのではない。」
これには心底、「その通り!」と膝を叩いた。
しかしその後に続く言葉に、皆さんは同意できるだろうか?
小飼弾氏は、私たちが当たり前に信じている倫理「働かざるもの、食うべからず」を否定するのだ。この倫理こそが、我々を不幸にしているのだ、と。
ダンコーガイは、「人間はそもそも働いたことがない。自然から収奪しているだけ」という。一理あるものの、誰もが納得できる理屈かどうかわからない。(実際、この本で語られる「理屈」って、ちょっと論理が飛躍しすぎてて、私には納得しがたい部分が多々あった。)
私自身、これまでずっと「働かざるもの、食うべからず」という倫理観にとらわれていた。
ただ、自分が大学卒業後、社会に出て多少は働いたり、病気になったり、そういう経験をしてきた今は、この倫理を疑うようになった。
いわゆる第一次産業なら、「働く」ことと「食う」ことの間には、密接な繋がりがある。例えば、農業をやる人が、「食べるための野菜をつくる」という仕事をすること。これはわかりやすい。
ただ、今ある「仕事」って、「食う」こととはあまり関係ない気がする。
はっきり言えば、私がやってきた仕事って、「社会の役に立ってる」という感覚はまるでなくて、なくても全く構わない仕事、「いらない仕事」ばかりだった。「仕事」の充実感や達成感なんて、まるで縁がなかったし。
その上、病気になって「働けない」ときには、「働かざるもの、食うべからず」という倫理観ゆえに、余計に苦しまなければならなかった。「働いていない自分は、生きていてはいけないのではないか」という苦痛。
でも、よくよく考えたら、働けないくらいで、そんなに苦しむ必要ってあるのだろうか?という疑問がフツフツと沸き起こってきて。
だから、私はダンコーガイみたいなマッチョではないけど、彼の主張の大枠の部分には、かなり同感する。その上で、納得できない部分も多々ある。
全部は書けないけど、部分的に取り上げてみる。 -
2010.05.18 Tuesday 19:05以前ちょっと紹介したけど、高橋源一郎さんのTwitterライブ“メイキングオブ『「悪」と戦う』”、すっごく面白かった!
今月初めから、高橋さんの新刊小説『「悪」と戦う』の発売日(14日)まで、毎晩24時から著者自身が即興でツイートするという、珍しくも新しい試みだったと思う。
ツイッターで私たちが自由につぶやいてる状況を、高橋さんは「ツイッター上には無数の路上演奏家がいる」と表現する。「それなら自分は路上演奏家として最上ものをやりたい」と、語る言葉に嘘はなかった。
毎晩ツイートを読みながら、目から鱗がポロポロ落ちたり、考えさせられたりで、もう目が離せなかったですよ。
プロの作家ってやっぱりすごい。
ツイートする言葉そのものにチカラがある。
文字情報なのに、まるで音楽を聴いているかのように、胸に響いてくる。
ツイッターやってない人、リアルタイムで追いかけてなかった人に、この興奮が伝わるかわからないのですが。
その中でも覚えておきたい、何度でも読み返したい部分を、書き留めておくことにします。
以下は第3夜(5月4日)のツイート「メイキング3の19〜26」の引用です。
原文はTogetterにまとめがあるので、そちらを参照してください。
高橋さんの当時2歳の息子さん(しんちゃん)が、急性脳炎になり、重篤な後遺症が残る可能性が高いと医師に言われたことから、「弱者」について考え始めた、という話の流れを踏まえて、以下どうぞ〜。
メイキング3の19
「弱者」は「守るべきもの」だと社会は言います。でもその「守る」は「排除する」という意味です。「弱者」とは「ふつうではない人々」のことです。しんちゃんがなるかもしれなかった「障害者」、「老人」、「病人」、もしかしたら「在日外国人」や「女・子ども」もそうかもしれない
メイキング3の20
「弱者」とは「ふつうの人々」つまり大多数(と思われている)「強者」にとって、異質なものです。それは、要するに「他者」なのです。だから、社会は「他者」である「弱者」を排除しようとする。老人や病人は、家庭から病院へ連れ出し、障害者は逆に家庭に閉じ込めるのです……。
メイング3の21
それは、「弱者」を「強者」の目に入らないにするためです。けれど、「強者」だけの世界はもろい。均質な世界こそもっとも脆弱なのです。この世界が生き延びてゆくためには、そのすぐ傍に「弱者」を必要としているのかもしれません。三人を介護した佐々木さんはこう言っています……
メイキンク3の22
……「介護とは要するにその人の傍にいること。ただそれだけ」と。ぼくたちは、生きる力をもらうためにこそ「弱者」の側に立つべきなのかもしれません。そしてさらに、ぼくはこう考えたので。「では、いちばん弱い者とは誰だろう」と。もっとも弱い者、それは「個」なのです。
メイキンク3の23
自分では「強者」であると、思い込んでいるすべての「個」は、やがて、老い、死に近づき、社会から排除され始めて、突然「強者」であることが幻であったと知る。そして、自分が「弱者」として分類されたことに愕然とするのです。だが、最初からそうだったのではないでしょうか。
メイキング3の24
ほんとうには誰のことも理解できず、ほんとうには誰からも理解されない。そのようなものとして「個」は存在しています。本質的な意味で「弱者」である「個」は、そのことを知らされないまま放置されるのです……。世界でもっとも弱い者として。
メイキンク3の25
小説とは、そんな「個」に、最初から最後まで寄り添うことを運命づけられた芸術だと、ぼくは思っています。小説は、なにも語る必要はありません。死ぬべく運命づけられた、孤独な、「個」の側に、無言で、けれども断固として立つのです……
メイキング3の26
……そのような孤独な「個」の共同体がありうることを唯一のメッセージとして。死すべき者の側に立つことを最大の喜びとして。(後略)
(高橋源一郎氏のTwitterより。太字は引用者による)
ここの部分のツイート、何かとんでもなく私の心に訴えてくるものあった。だからこのブログにも残しておきたかった。
私が感銘を受けた部分は、二カ所あって、その二つは繋がっているんだけど、それでいてそれぞれが正反対の方向を目指しているような、ちょっと複雑な感じ。
うまく説明できるかわからないけど、以下に書いてみる。 -
2010.05.13 Thursday 22:21全国のB級グルメスキーの皆様、お元気ですか?
「癒し系」改め「いやしい系」だめっこどうぶつ月ノヒカリです。
今日も病気だメシがうまい。
いや、このブログを読んでくれてる皆が、B級グルメスキーだってことはわかったんだけどさ、そんなにネタがあるわけでなし。
だから今回は、ご飯に合う簡単レシピを紹介することにしよう。
ただ、一応念のため断っておくと、月ノヒカリは♀として、というより人としてダメダメなため、「あたし料理が得意なの☆」なんてこと、一切、まったく、絶対にあり得ません。
そんなわけで以下に紹介するレシピは、超簡単、誰でもつくれるものです。
まずは、ずっと昔に雑誌で知った「ツナひき」。材料:ツナ缶、同量のひき肉、塩、コショウ
ふりかけのようにご飯にかけて食べます。ふりかけみたいに、パラパラになるまで根気よく炒りつづけるのがポイント。
(1) フライパンを熱し、ツナ缶の油を入れてひき肉を炒める。
(2) ひき肉の色が変わったら、ツナを投入。
(3) パラパラになるまで炒り続ける。
(4) 塩、コショウで味付けして完成。
これ、「ツナ」と「ひき肉」だから「ツナひき」と命名されたのでしょう。
以前は、ひき肉がハンパに余ったときに作ってたんだけどね。今ではわざわざひき肉買ってきてつくってます。朝食の友にどうぞ〜。
さてお次は、明川哲也さんの『なやむ前のどんぶり君』という本に載ってた「さきいかバター丼」。材料:さきいか、バター、七味唐辛子
これは、食べてびっくりでした。
(1) フライパンにバターを入れて溶かし、さきいかを投入。
(2) さきいかが色づくまで炒めたら、七味唐辛子を振りかける。
(3) ご飯にのせて完成。
さきいかをバターで炒めただけのモノに、こんなに感動するなんて……まさに革命。
噛み締めるたび、さきいかの旨みとバターの香りがジュワーッと口中に広がって、クセになる味わいです♪
『なやむ前のどんぶり君』には、他にもどんぶり料理のレシピが載ってるんだけど、「海苔丼」なんか簡単でお気に入り。
それにしても、新しい料理を思いつく人って、スゴイなあと感心します。
私はいっつも、本に書いてあるレシピ通りにつくるだけだから。
私だってレシピを自分なりにアレンジするくらいはある。
そしてほとんどの場合、失敗する。
失敗した料理を食べるのって、なんとも物悲しい気分になりませんか?
「食べられないわけじゃない」と自分にいい聞かせながら飲み込むあたりが。
新しいレシピをガンガン創り出す人も、失敗することがあるのでしょうか?
フツーに考えて、失敗しないはずがないと思うのだが。
そういえば中島梓も、サイトでよく創作料理の話を書いてたものですが。
神楽坂倶楽部には「とんでもぐるめ」というレシピコーナーもあったし。
その割には、梓が「今日は料理失敗しちゃった」なんていう話、一度も読んだことないんだけど―――梓は失敗料理を作ったことないのか?
神レベルの料理の腕前だったのか?
それとも「食べられるものは失敗ではない」という、超アバウトでおめでたい性格の持ち主だったのか?
……たぶん、いちばん最後のであろう。
失敗料理を涙ぐみながら食べたことのない人に、人生の真の味わいはわかるまい。
というわけで、やっぱりつくるよりも食べる方が好き!な月ノヒカリは、毎日鉄板ナポリタンをつくってくれる優しい飼い主を募集中なのです。
だめっこどうぶつはいりませんか〜? - ←新しい記事 1/2 pages 古い記事→