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2020.09.12 Saturday
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2010.08.30 Monday 23:30どうしてこんなに私は「悩み相談コーナー」が好きなのだろうか?
もしかしたら私は、ウツウツと悩むのが趣味なのかもしれない。
ということをふと思ったのは、先日の朝日新聞be土曜版に掲載されていた「悩みのるつぼ」、車谷長吉さんの回答に、思わず吹き出してしまいながらも感動してしまったからだ。
朝日新聞といえば、過去に中島らもの「明るい悩み相談室」という名連載があって、毎週楽しみにしていたものです。
あと、当ブログでも何度か言及した明川哲也さんも、もう十年以上朝日新聞で悩み相談コーナー(こちらは若い人向け)を担当している。(明川哲也さんのサイトには「夕焼けポスト」という人生相談コーナーがあって、これは新聞とはひと味違った面白さです。)
その他にも、橋本治の『青空人生相談所』は、かつての私にとってバイブル的存在だったし。
宮台真司が90年代後半に『ダ・ヴィンチ』誌に連載していた「世紀末相談」(『自由な新世紀・不自由なあなた』所収)も、すごく好きだった。(宮台の方は、人妻にテレクラ不倫を勧めたり、随分アレな回答だったがw)
人生相談の回答って、回答する人の生き様が、そのまま浮き彫りにされるみたいだ。
名回答は、それ自体がひとつの「作品」になっている。
昔の新聞の人生相談には、回答者が上から目線で、わざわざ言われなくてもわかっているような「常識」を盾に説教するような回答があって、ムカついたこともありましたが。
いま朝日新聞で連載されている「悩みのるつぼ」は、レベルの高い回答が多い。
佐藤尚之さんがブログで、上野千鶴子、車谷長吉、岡田斗司夫各氏の回答を紹介しているので、読んだことない人はリンク先を見てみるといいと思う。
■3つの人生相談 (www.さとなお.com)
この3つの相談、私も新聞掲載時に読んで、なんというか、声も出なくなるほど衝撃を受けた。ノックアウト。
回答者の一人、岡田斗司夫さんは、ご自身のサイトで「メイキングオブ悩みのるつぼ」を一部公開しているので、回答者の思考過程を知りたい方は読んでみると勉強になる。毎回、胃が痛くなるくらい悩みに悩んで回答を作ってらっしゃるようで、本当に頭が下がります。
上野千鶴子さんは、確か前々回の担当で、「母が嫌いな30代主婦」の質問に、小気味よい回答をしてくれていた。朝日新聞という、一応権威あるとされてきたマスメディア上で「母が嫌いでもいいんだ」と答えてくれたこと。これに救われる人は、多くはないかもしれないけど確実に存在すると思う。
■【悩みのるつぼ】質問:母が嫌いです
ついでに、ツイッター上で知ったのだが、毎日新聞8月27日付『論点』で、上野千鶴子は次のように書いていたらしい。「家族崩壊などと嘆く必要はない。昔の家族は子どもを売り飛ばし、妻に殴る蹴るの暴行を加え、姥捨てをしてきたのだ。崩壊したのは『家族幻想』だけだ。幻想をはいで現実を見れば、昔から家族は安全でも安心でもないことがわかる。」
(ツイート主さんのブログ記事はこちら→「上野千鶴子語録の破壊&浸透力」)
http://twitter.com/#!/akaboshi_07/status/22224840265
これまで「家族幻想」に苦しみ続けてきた私は、上野千鶴子氏のこうした発言にずいぶん救われている。「幻想」を「幻想」とわきまえ、過剰に期待しないこと。それがわかっただけでも、かなり風通しが良くなった気がする。
さて、やっと本題の車谷長吉さん。
もうこの人の回答は毎回、車谷節炸裂!!で、私、かなりのファンです。
回答の大部分が、ご自身の体験(というか不幸自慢)に終始していて、全然回答になってないじゃん!という気もするのですが、それでも凄いものは凄い。
過去の回答では、こちらのブログ(「病床軟弱」さん)に紹介されていた「不運な人は、不運なりに生きていけばよいのです」という言葉、胸にジンジン響いた。
不幸自慢って、聞かされる方は気分が悪くなったりするんだけど……車谷長吉さんは、さすが小説家だね。読んでるうちに、すっかり車谷ワールドにはまりこんでしまう。
そんで今回の回答ですが、あまりにも面白かったのでここに書き写そうかと思ったけど……やめた。70代の女性からの「80近い夫の浮気癖」についての相談で、あんまり自分とは関係ないなあと思ったので。
ただ、車谷先生、多くの男、女は長生きしたいのです。私の知る限り、一日も早く死にたいと言うているのは、私一人です。
と書いてらっしゃいますが(いつもの車谷節です)、私も一日も早く死にたい派ですよw 死ぬのが楽しみでしかたありません。
少数派かもしれないけど、そういう人はいると思う。
過去には、コラムニストの山本夏彦さんが、「死ぬの大好き」という名文句を残している。 確か、著書『死ぬの大好き』に載ってたコラムだけど、「この世は生きるに値しない」とかね、ひそかに思ってたけど口には出せないことをズバッと言ってくれて、痛快だった。
ところがその山本夏彦先生、Wikiによると87歳までご存命だったらしい。
もしかして、「死ぬの大好き」とか言ってる人って、案外長生きするのかもしれないなあ。私だって18歳で死ぬつもりだったのに、3X歳まで生きてるし。
・・・何の話だっけ?
えーと、「悩みのるつぼ」でしたね。
常識的な人間があまり口に出して言えないことを、ズバッと言ってくれる人って、貴重な存在だと思うんです。
だから私は、ちょっと過激な「悩みのるつぼ」の回答、断固支持!です。
私たちを縛って不幸にしている、古い「常識」の檻から、解き放たれることを願って。
まとまらないけど、終わる。 -
2010.08.25 Wednesday 23:30この詩に初めて出会ったのは、もう5、6年も前のことだけど。
私がまだ癌の治療中だったときに、同病の患者さんが教えてくださったのが最初だったと思う。
当時私は、病気のショックから立ち直れずにいて、自分が立ち直れないことで余計に苦しんでいたりしたんだけど、だからこそこの詩にものすごく心を揺さぶられた。
もしかしたら今、ここを見ている人の中にも「悩める人々」がいるのかもしれないので、その詩をここに書き写しておきます。
A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
『悩める人々への銘』
I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...
大きなことを成し遂げる為に 強さを与えて欲しいと 神に求めたのに
謙遜を学ぶように 弱さを授かった
I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...
偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...
世の人々の賞賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...
人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために 人生を賜った
I got nothing that I asked for - but everything
I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed !
求めたものは一つとして 与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ
AUTHOR UNKNOWN
(作者不詳)
この無名の詩は、南北戦争に従軍した南軍の兵士がつくったと言われている。
現在、ニューヨーク大学付属ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに掲げられているらしい。
名前も知らない人の詩が、百年以上のときを経て、海を越えた遠い日本に伝わり、私に救いを与えてくれた。きっと、誰が書いたとか、表現のオリジナリティーとか、そういう「芸術性」とは関係なく、この詩の言葉自体に大きな力が宿っているのだろう。
「弱さ」「病気」「貧困」「失敗」という、通常はマイナスの体験として忌避される物事を、「祝福」として受けとめる視点。そこに新鮮な驚きを感じるとともに、ずっと否定し続けてきた自分自身を肯定してもらえたような喜びを感じた。
―――と言ってみたものの、その数年後にこの詩を読み返したら、初めて出会ったときの感動は薄れ、むしろ不思議さが残った。
なぜ作者は、この悲惨な状況を「祝福」と思えたのだろう?
それはきっと「神」とか「信仰」の世界に属するもので、論理ではなく、詩の言葉でしか語り得ないものだろうけど。
だから、これ以上ごちゃごちゃ書くのはやめて、この詩の言葉を静かに噛みしめ味わいつつ、今夜は目を閉じようと思う。
おやすみなさい。
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2010.08.21 Saturday 23:52夏の甲子園、優勝校が決まったみたいですね。
えっと私は、野球にはたいして関心がないのですが(『おお振り』は除く)。
旧聞に属する話になりますが、7月20日の朝日新聞オピニオン欄に、元巨人投手・桑田真澄氏の「野球を好きになる七つの道」という談話が掲載されていた。
桑田氏は現役引退後、早稲田大学大学院で「これからの時代にふさわしい野球道」についての論文を書き、最優秀論文賞受賞を受賞したという。
この朝日の記事は、その論文を下敷きにポイントを七つにまとめたものらしい。
この記事、野球好きでなくても、考えさせられる話でしたよ。
高橋源一郎さんがツイッターでつぶやいていたのだけど、これ「野球」を「小説」に変えても結構通用するそうだ。
ということは、野球だけではなく、教育全般とか仕事とか、さらには人生にまで視野を広げても通用する部分があるのではなかろうか。だって「野球道」というのだから。「道」だからね。
アサヒ・コムにこの記事が載ってたので、リンク貼っておきます。野球好きでなくても、アンチ巨人の方でも、一読の価値ありです。
一、練習時間を減らそう
二、ダッシュは全力10本
三、どんどんミスしよう
四、勝利ばかり追わない
五、勉強や遊びを大切に
六、米国を手本にしない
七、その大声、無駄では?
私は二番目と三番目が、とりわけ印象に残った。
というわけで、三番目の「どんどんミスしよう」をここに引用してみる。
野球はミスをするスポーツです。イチロー選手だって打席に立った半分以上はアウトになる。どうしても起きてしまう自分のミスをチームメートに救ってもらったり、逆にチームメートのミスを自分がカバーしたりする。こうした助け合いの気持ちがチームプレーだし、野球というスポーツの魅力です。ミスをなくそうとムダな努力をするよりも、ミスから学ぶことのできる選手の方が、成長が早い。
それなのに、ミスをした選手を怒鳴りつけたり、罰練習をさせたりするのは野球というスポーツがわかっていない証拠です。ミスをすると、どうして失敗したのか考えるチャンスになります。次にミスを減らすための練習に熱が入ります。
ここでは絶対に三振したくないと思うと、体はこわばり、ボールを迎えに行ってフォームが崩れてしまいます。そういう時は「タイミングだけ合わせて、空振りしてやろう」と考えましょう。投手が振りかぶってきました、さあ、ゆっくり体重移動、思い切って空振り! あれ、ヒットになってしまいました。
桑田真澄「野球を好きになる七つの道」より
私も以前、このブログで「3割でイチロー」という格言をつくったことがあったのですが。
人間誰でも、失敗から学ぶことって多いと思うんだ。
特に自分の失敗経験は、どんな書物を読むよりも大きな意義があったりする。成功から学ぶことよりも、失敗から学べるものの方が大きいと私は思っている。
他人の成功体験を聞いてマネしても、同じように成功する人は稀だ。
「成功」というのは、独自の道を切り開いて、その人固有のやり方で歩んでいって、初めて到達できるものだから。自分の数少ない成功体験から考えてもね、そう感じるんだ。
新しいことをやろうと思ったら、失敗するのが普通なんだよ。
で、失敗したとき、自分や周囲がどういう態度を取るか?ってこと。これすごく大事なことだ。最近つくづくそう思う。
「失敗してもOK!」って言ってもらえる環境にいたら、安心してのびのびと行動できる、ということを実感する体験があったので。
ただ、自分も含めてなんだけど、今の日本って、すごく失敗を怖がる・失敗を許さない風潮があるんじゃないか?
しかも一度失敗したら、二度とチャンスは与えられない、敗者復活のないシステムになってるんじゃないか?
そんな気がしてならない。
こんな記事もある。
■「失敗の評価」に見る文明の差 (日経ビジネスオンライン)
この記事によると、米国シリコンバレーでは、失敗した経験を、次の企業の採用担当者やベンチャーキャピタルなどが、1つのキャリアとして評価するという。興味深い話だ。
日本では、あまり聞かないよね。「失敗をキャリアとして評価する」なんて。
できれば日本でも、失敗を必要以上に責めたり、マイナスとして減点したりするより、「いい失敗を評価」して、「失敗から学ぶ」方向に進んだ方が、どれだけ風通しが良くなるだろうと私は思う。
そうは言っても、日本の状況はすぐには変わらないよね。
だからまず、自分から変わりたい。
「失敗は当たり前。」「失敗は財産。」「失敗してもOK!」
失敗しても、うまくいかなくても、誰も認めてくれなくても、自分だけは、自分を笑って許せるように。
自分はこれまで生きてきて、何かが上達したか?というと、とりたてて何も誇れるものはないんだけど、「自分を笑って許せる」のだけは、ちょっとだけ上手になったかなあ、と思う。
私は「失敗しても大丈夫」、と言える人間になりたいし、そういう環境をつくっていけたらいいな、と思います。
そもそも人間の存在そのものが、神様のつくった偉大な失敗作品だ、という気もするんだけどね。
まあともかく、失敗ばっかりのダメダメ人間として、ここに叫ばせてもらいます。
失敗に光あれ!
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2010.08.18 Wednesday 23:11世間的には、つい先日までお盆休みだったみたいですが、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。
お盆休みとか、ゴールデンウィークとか、長期休暇の時期に人に会うと、必ずと言っていいほど「どこかお出かけになるんですか?」みたいな質問されるんです。
まあ自分はセカイ系ヒキコモリで、毎日が「間もなく人類滅亡・地球最後の一日」みたいな心境で暮らしているので、そもそもお盆とかGWとかたいして関係ないのですが。
それにしても「どっか出かけるんですか?」みたいな質問をされる度に、微妙な気持ちになる。
どっか行かなきゃいけないんですかね?
だいたいお盆なんてどこも混んでるしさ。
ウチでのんびり、がいちばん楽しいじゃん。
こんなふうに考えてしまうあたり、ああ自分は真性ヒキコモリ属なんだな、としみじみ思い巡らす夏の夜でありました。
さてさて、月に一度の拍手レス、いきまーす。↓からどうぞ。 -
2010.08.15 Sunday 23:24街中でいちばん好きな場所、お気に入りの場所って何処ですか?
私は、かつては本屋さんだったんだけどね。今はネットで手軽に本が買えたりするから、昔のようなワクワク感はなくなったな。
そんな私が今、「ここに住みたい」と思うくらい好きな場所―――それはデパ地下です。
デパ地下は魔境だと思う。
そこに一度足を踏み入れたら、何も買わずに通り過ぎるのは拷問に等しい。
デパートなんてね、売ってるのは高いものばかりだし、あまり用がない場所なんだけど、食べ物売り場だけは別なんだよね。
「いやしい系」を自認する動物(=月ノヒカリ)にとって、デパ地下は夢のような場所だ。まさに桃源郷。
焼きたてパンの香り。
宝石みたいにキラキラ輝くフルーツ、フルーツ、フルーツ・・・。
トマトの赤、レタスの緑、カボチャの黄色etc.鮮やかな色彩のサラダ。
クリームたっぷり、しっとりふわふわのケーキ、ケーキ、ケーキ・・・。
もし天国というものがこの世に実在するとしたら、それはきっとデパ地下のことだろう。
こんなに高級そうで美味しそうなものが一堂に会する場所・デパ地下。
ディズニーランドよりも、ショッピングモールよりも、富士サファリパークよりも、私はデパ地下を愛しているのです。
ショーケースの中を、一日中覗いていても飽きないくらい。(けど本当に一日中見てるとしたらかなりヤヴァイ人だし、もしかしたら通報されたりするのだろうか?)
いやしかしマジで、デパ地下は、日本が世界に誇る一大テーマパークではないかと思うんですよ。
だってこの間、中国人観光客っぽい団体が、デパ地下を観光してるの見かけたし(添乗員らしき人が旗を持って先頭を歩いていたんですよ)。あれはちょっと新鮮な光景だったな。
で、つい先日のことですが、サラダとかお惣菜を売ってる某店のショーケースをジロジロ見つつ、「これ美味しそうかも」と思ったのをね、メモしておいたんだよね。そんで、ネット上のレシピサイト等も参考にしながら、家でマネして作ってみました。
以下に、覚え書きとして、レシピを書いておく。 - ←新しい記事 1/2 pages 古い記事→