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2011.05.30 Monday 22:52ここしばらく雨が続いたけど、今日は久しぶりに青空を見ました。
「梅雨入り」のニュースに思わず耳を疑った月ノヒカリです。
まだ5月だというのに。
ああ、自分が世の中のスピードについて行けないのは毎度のことだけど、季節までが猛スピードで私を追い越してゆくのね……。
だがしかし、このブログは世の中の動きなど我関せず、飽くまでもマイペースで進めていきます!
で、今回は、震災のことを振り返ってみようと思います。何を今さら、と思われるかもしれないけど。
でもね、「忘却こそが、被災者にとって最大の危機だ」と精神科医の中井久夫氏もおっしゃっていたことだし、今だからこそ、心に留めておきたいこともあるから。
とりあえず今日は、「被災者支援」について。
特に「絆」というキーワードを含む二つの文章を紹介したいと思う。
この二つの文章は、震災から間もない頃に発表されたものだ。
私も発表当初に読んで感銘を受け、そして時間が経った今も、読み返す価値があるものだと感じている。
まずひとつ目は、精神科医・宮地尚子さんのブログから。
■他地域で被災者を受入れるときは”絆”に配慮を (宮地尚子のブログ 3月23日より転載)
宮地尚子さんは、以前このブログでも取り上げた『傷を愛せるか』の著者でもある。
リンク先の記事は、阪神淡路大震災のとき、被災者が仮設住宅や復興住宅に入居する際に、コミュニティーの絆を断ち切られた状態にあったこと、被災者の孤立化が心の回復を妨げたこと、そういった前例に学んで配慮してほしい、という内容だ。
繊細な感受性に彩られたエッセイを書かれる宮地さんらしい、細やかな心遣いだと思う。
一部引用する。「避難」や「疎開」は、非常に重要なのですが、コミュニティの絆を残しておかないと、物理的に安全にはなったとしても、あまりの周囲との「世界」のギャップにショックを受け、孤立感やサバイバーギルトを深めます。
「サバイバーギルト」という言葉、私は今回初めて知ったんだけど、災害を生き延びた人が抱く罪悪感のことらしい。
私はあまりピンとこなかった、と言うか、被災者ではない自分には理解しがたい心境だったんだけど。
3月21日付の朝日新聞に掲載された、経済学者・松原隆一郎氏の寄稿文に、まさに「サバイバーギルト」と思われる体験が書いてあった。阪神大震災で被災した母親が「なぜ、娘が死んだのに私が生き延びているのか」と自分を責め続け、縊死してしまった、というのだ。ちょっとショックだった。
読売新聞のサイトには、「祖母置き逃げた自分呪う」という女子大生の話も載っていた。
「サバイバーギルト」というのは、私には、実感としては「わからない」心境だ。
それに対して、自分が何かできるとも思えない。
ただ、そういう思いを持っている被災者が存在するということ、「震災を生き延びたのだから、あとは復興に向かって進むだけ」という気持ちになれない人も少なくないのだろうな、と心に留めておくこと。
それだけは忘れずに、胸に刻んでおきたい。
次に紹介するのは、3月30日の朝日新聞オピニオン欄に掲載された文章。
筆者の奥田知志さんは、長くホームレス支援に携わってきた人らしい。
すごく深い内容で、私も噛みしめるように読んだ文章だ。
今読んでも示唆に富む内容だと思うので、後半のみですが、以下に引用します。 -
2011.05.26 Thursday 22:01突然ですがラーメンの話をします。
というのも、毎日のように「放射能が……」とか「メルトダウン……」とか、理系オンチには難しすぎるニュースが流れてきたせいで、ブログ主のアタマは沸騰寸前、どうせ沸騰するのならラーメンでも茹でよう、と思いついたのです。
・・・なんて、わけのわからない前置きになってしまいましたが、なぜかここ最近、ラーメンがマイブームなんですよ。
そう、これまで「最も好きな麺類は?」と聞かれれば「蕎麦」などと隠居老人のような答えをしてきたワタクシが、ついに今、ラーメンの魅力に目覚めてしまったのです!
きっかけは、去年の冬のことでした。
とあるデパートで、ものすごく美味しいラーメンを食べたんです。
みそラーメンだったんだけどね、スープはコクはあってまろやかで、でもくどくない。
麺はシコシコと弾力性に富み、チャーシューはとろけるように柔らかく、噛むと旨みが溢れてくる。
そんな夢のようなラーメンに出会ってしまった。その味が忘れられないのです。
といっても実のところ、その店の名前も覚えておらず、いま思うと、あれは本当に夢だったのかもしれない。
あれ以来、いろんなところでラーメンを食べたんだけど、あのときほど美味しいラーメンには出会えていない。
ただその後、無性に「ラーメン食べたい」欲がわきあがってくることが多くなった。こうしてPCのキーを叩いている今も。
ラーメンって、夜中に突然食べたくなったりするよね。実際には、夜中に食べることはないけど。
ここで、私のラーメンについてのこだわりを語りますと。
麺は細めの縮れ麺が好きだ。
博多ラーメンはストレート麺、札幌ラーメンは縮れ麺が常道でしょう。
だから、麺の種類だけで言えば、私は札幌ラーメンの方が好みなんだよね。
スープは濃すぎず、くどすぎなければ、塩でもみそでもしょうゆでも何でもOK。
でも、あのとき美味しかった夢のラーメンがみそ味だったから、最近はみそラーメンを選ぶことが多いかなぁ。
トッピングはネギ、チャーシュー、メンマ、半熟煮玉子、海苔、この5点がそろっていれば言うことなし。
ブログ主は生粋の名古屋人なので、「名古屋といえばスガキヤラーメン」も好きです。ここ何年も食べてないけど。
かつては、スガキヤで「ラーメンのあとにクリームぜんざい」という贅沢コースを満喫していたものですが……いま考えるとおそろしい。カロリー的に。
名古屋名物といえば、台湾ラーメンという激辛ラーメンもあるんだけど、あれは二口でダウンしました。辛すぎ。死ぬかと思った。
そんで、お店で食べるラーメンは、店ごとに違う個性があって楽しいけど―――家で作るインスタントラーメンもいいもんだよね。というのは、カップラーメンじゃなくて袋入りインスタントラーメンのことね。
ちょっと前に、拍手コメントで、2ちゃんねる過去スレからの「おいしいラーメンの作り方」を教えてもらったんだけど(前回の拍手レスにあります)……これはマジうまかった!
なので、ここにコピペします。(長くなったので折り畳みます。) -
2011.05.22 Sunday 23:41☆月ノヒカリのダメダメ日記より
先週は、とあるノンフィクションライターのTwitterが炎上するのをずっとヲチしていた。ヲチだけで一週間が過ぎてしまった。
これまで何冊か著書を読んで、信頼できる書き手だと思っていたのだけれども……日を追うごとに、「信頼」が音をたてて壊れていくのを黙って見ているしかなかった。
むなしくなった。
・・・ふと考えてみたら、私には「趣味」というものがないんだよね。
趣味というか、「三度の飯より○○が好き」と言うときの、○○に当てはまるものが思いつかない。
唯一の趣味と言えば、ネットヲチくらいで。
嗚呼、なんと虚しい人生であることよ。
私がもし、お酒が好きだったら、アルコール依存症になっていてもおかしくなかっただろうなあ。幸か不幸か、アルコールを受け付けない体質なので、依存症になりようもないのですが。
あ、ひとつだけ「三度の飯より好きなこと」思いついた。
それは「睡眠」です。
とにかく寝るのが好きなのだ。一日中だって寝ていられるくらい。
これも病気だろうか―――とちょっと気になって調べたら、「まさに自分のことが書いてある!」と目を疑うようなサイトを見つけた。
・・・月ノヒカリはこのままだと近い将来、米国某所に存在するという人類格付け機関によって、「人間不適格」の烙印を押されるのかもしれない。
そんなPC以外に友達のいないブログ主の、唯一の心のオアシス=拍手コメントへのレス、いきま〜す。
またもやすんごく長くなっちゃったので、覚悟して開いてください。 -
2011.05.18 Wednesday 23:57◎前回のあらすじ
・月ノヒカリは自分の文章力のなさに絶望した!
↓
・文章が上達する魔法を探す旅に出よう
↓
・その前にいま持ってるアイテムをチェック☆ ←今ココ
(*記事のタイトルは誇大広告です。)
というわけで、私がいま使っているツールをここに公開してみます。
文章を書くために必要なアイテムといえば、まず欠かせないのがPC。
今どきそんなの当たり前、かもしれないなあ。そもそも手書きしかなかった時代と、ワープロが登場した後では、文章表現はかなり変化していると思う。
今の私は、PCなしで長い文章は書けない。それどころか、今となっては自分に「紙に文章を書く」能力があるのかすらわからない。
とまあ、それだけ自分がPCに依存しているからこそ思うのですが、使用している「日本語入力システム」って、結構大きい存在なんじゃないか、それによって表現力がかなり左右されるんじゃないか、という仮説を立ててみたのです。
というわけで、文章力向上のために私が使っているツール、ひとつめはATOK。
一応念のため説明すると、ATOKというのは、ジャストシステム(「一太郎」を作った会社)による日本語入力システム。
私はこれまでずっと、Macに標準装備されている「ことえり」を使っていた。(窓使いの皆様なら、普通はMicrosoft IMEを使っているのでしょう。)
でも、ことえり使ってると、イラッとすることがよくあるんですよ。
一発で変換してくれない、どころか変換候補すら出てくれなくて、こいつバカなんじゃないか、と呪ったことが何度もある。
ATOKの存在は、ずっと気にはなっていたんだ。
たくさん文章を書く人には、評判がいいみたいだし。
作家・ライターになりたい人はPCにATOKを入れるものだ、という話も、何かの本で読んだことあったし。
でもお金を払ってまでシステムを入れるのもね、ことえりも昔に比べたらずいぶん賢くなったし。などと躊躇していたんですが。
つい先日、ATOKのサイトを見て、30日間無料お試しダウンロードができる、ということを知ったんです。
で、早速ダウンロードして使ってみました。
う〜ん、確かにATOKだと、比較的ストレスなく変換できるような気がする。「気がする」だけかもしれないけど。
「自動変換」「推測変換」「連想変換」などという便利な機能もある。
ただね、有償版を買ってまで使うか?となると考えちゃうんだよなー。
顔文字もいくつか出てくるんだけど、ちょっと微妙なのばかりだし。
(例:(^_^;) (゜_゜;) _(_^_)_ ヘ(^o^)/ ←こんな感じ。)
まあまずは、30日間試して、様子を見てみることにしようっと。
さて、ふたつめのツール。
それは類語辞典。
表現力がない、というのは語彙が少ない=ボキャブラリーが貧困、ということと直結していると思う。
私がブログに本の感想を書くとき、本気で感動した本については、魂を込めて、全エネルギーを注ぎ込んで紹介したいと思ってるんだけど―――どうすれば読んでくれる人に伝わるものやら、いつも悩んでいるんだよね。
だいたい本の感想を書くのに、「面白い」とか「感動した」という言葉しか出てこないのは、いかがなものか。
というわけでこの類語辞典、語句の言い換えとか、別の表現を探したいときにたいへん便利なシロモノです。
でも、紙の辞典を買うのはもったいない(あと面倒くさい)ので、私はネット上の辞書サービスを使っている。ここ(Weblio類語辞典)です。
これはかーなーり重宝している。これがなきゃブログなんて書けません、っていうくらい。
さて3つめのツール。それは『てにをは辞典』。
これはかなりユニークな辞書。
普通の辞書のように、言葉の意味が載っているわけではない。
ある言葉と「てにをは」を介して結びつく言葉=結合語を集めた辞書なのだ。
出版元のサイトにページサンプルがあるから、リンク先を見てもらうと話が早いかも。
ひとつ例を挙げてみる。
この辞典で「文章」という言葉を引くと―――。
「文章 が 生きる。滑る。引き締まる。ふっくらとしてくる。etc.」
「文章 を 味わう。改竄する。すくい取る。添える。たどる。練る。etc.」
「文章 に あらわす。描く。こくがある。再現する。彫琢がある。綴る。etc.」
・・・といった「文章」という名詞に結びつく動詞がたくさん並んでいるんだ。
その他にも、「文章」にかかる言葉として、
「青くさい、味わい深い、粗削りな、生き生きとした、散漫な、淡々とした、陳腐な……etc.」といった修飾語が並んでいる。
実際はもっとたくさん載ってるんだけど、「文章」に繋がる言葉ってこんなにもたくさんあったんだなあ、と目を見開かされた。
これ、使いこなせば、おそらく表現力がUPするに違いない。使いこなせれば、の話であるが。
ひとつ難点を挙げると、横文字や新語は載っていないのが残念なところ。(例えば、「クオリティ」という言葉は載っていない。)
ただこの『てにをは辞典』、帯のコピーに「ことばの野原を散歩してみませんか?」とあるとおり、読んでるだけでもなかなか楽しい。
というのも、近現代の小説・評論などから採集したデータを元に編纂されているので、「辞書としての正しさ」よりも「独創性」の方をより感じさせるのだ。
巻末の参考文献を見ると、芥川龍之介、内田百蠅箸い辰晋電掬文豪から、宮部みゆき、内田春菊etc.の小説まで、幅広い分野の作品名が連ねてある。
これは眺めているだけでも楽しい辞書なので、買って損はなかった、と思う。表現力がUPした、という実感は湧かないけど。
―――というわけで、とりあえず私が使っている3つのツールをここに晒してみました。
上に挙げた3つの他に、「これを使えば文章力がUPする魔法のツール」……とまでは行かなくても、「もしかしたら表現を磨くのに役に立つかも?」というツールを知っている人は、ぜひブログ主に教えてくださいな。
↑とまあ、この一文を言いたいがために、2回にわたってダラダラとしょーもないことを書いてしまった……やっぱ薫=梓DNAだな、このグダグダ文は。
嗚呼、文章の達人への道のりは遠い……。
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2011.05.15 Sunday 17:51【悩み】もう2年近くブログを書いているのですが、いっこうに文章が上達しません。いったいどうすればよいのでしょうか?
文章がうまくなるための王道というのは、「たくさん読んで、たくさん書く」ことだと思う。
で、私はメンヘラ・トロい・ナマケモノと3拍子そろったダメ人間なので、読む方も書く方も、まあボチボチというペースでしか実践していないのですが……なぜ自分は、どうして、こうも、文章がヘタで、しかもちっとも上達しないのであろうか?
2年近くブログを書いていれば、もうちょっとこう、グレードアップしてもよさそうなものなのだが、さっぱりである。
記事をUPしたあと読み返すと、あまりの表現力の貧しさに、死にたくなる日もある。うっかり過去記事を見ちゃった日には、ブログそのものを消し去りたい衝動に駆られることもあったりして。
まあそんなわけで、せめて過去ログを見ても死にたくならないくらいの文章を書ければいいなー、という野望実現への険しい道のりが、今回のテーマです。(相変わらずちっぽけな野望であることよ……。)
「文章が上達したい」と思うからには、自分の中に、「目指すべき」「理想の」表現というものが存在するはずである。
それは何だろう?と考えると―――栗本薫=中島梓の文章なんだな。私にとって理想の表現というのは。
いや、世の中には、もっと美しく整った文章をお書きになる方が、大勢いらっしゃると思うのですが。
だがしかし、「三つ子の魂百まで」ならぬ「中二の魂百まで」という感じで、十代のころ薫=梓の信者だった痛い過去は、私の身体に染みついて消えないのです。
というわけで、私にとって最高の文章表現というのは、全盛期の栗本薫=中島梓のものなんだ。
以前、『小説道場』のところでも取り上げたけど、別の本で梓が文章論を語っているところがあったので、それをちょこっと引用してみる。……私にとってつねに一番重大なのは、そのとき私の目に映じているイメージを、もっとも確実に、夾雑物なしで、読者の脳に送りこみ、共有したい、ということにほかならぬ。
それゆえ、私は「文章にこだわらない」とか、ひどいときはもののわからぬやつに「文章がヘタ」だとか「悪文」といわれたりするのであるが、実はとんでもない話であって、まあ悪文の方は必ずしも否定しないが、実は私は自分ほど「文章」にうるさい作家は少ない、と思っている。ただ私はちまちまとした芸術としての文章表現でなく、「最も的確で、最も空気のよう」な文でありたい。私にとって重大なのはつねに伝えたいイメージそれ自体であるから、そうすることでもっともよくイメージが伝わると思えば私はあえて「悪文」をも書く。いや、それがもっとも的確な手法だと思えばたぶん、まったくつじつまのあわぬ文章や、意味をなさぬ文も書くはずである。
中島梓『わが心のフラッシュマン』(ちくま文庫、P.50〜51)
ああ、当時の私は、これ読んで素直に「薫スゲー」って、感心してたんですよ。
でも今この本読むとね、この続きで梓は「私は文を推敲しない。いまもちっともしておらぬ。」なんてキッパリ言い切っていて。
「いや、やっぱり推敲はしようよ、だからアンタの文章はグダグダなんだよ」などと突っ込みたくなったんだけど。
自分はまずもって、お手本にする人を間違えている気もしますが……それはもう今さら言ってもしょうがないです。(ただ、「美しいレトリック」よりも「イメージそのもの」を重視する薫=梓の姿勢は、今の私にも得心がゆくものだ。)
あれ、話が本題に入らないうちにずいぶん長くなっちゃった。
本題に入ります。
ネット上でも文章がうまい人はたくさんいて、しかも毎日のようにブログを更新している人まで存在する。それも結構なクオリティの高さで。
だから、もしかしたらこの世界には、私は知らないけど一部の人たちは知っている、「文章がみるみる上達する魔法のアイテム」みたいなものが存在するのではなかろうか?
そんな疑惑がフツフツと湧き上がってきたのである。
でも、そんな魔法のアイテムなんて、どこを探せば見つかるのだろう。
メル友のいない私に、毎日のように送られてくるのは宣伝メールだけなんだけど、それらのメールは「5分でニートから脱出!」とか「24時間戦える精力剤」とか「7分でアスペルガー改善」(←無茶いうなよ)とかそんなんばっかりで、「3分で文章の達人になれる」みたいなメールは見たことがないのですが。
それでも私は、この世界のどこかに、文章力に磨きをかける魔術が存在して、秘密結社あるいは一子相伝で、ひそかに伝授されているのではないか、という夢想を捨てきれないのです。
そしてそんな魔術があるのなら、ぜひ私も知りたいのです。
端的に言っちゃうと、文章表現をちょっとでもマシにするためのツールってあるのかな、あるんなら教えてほしいな、ということなんですが。
その前に、まず自分が今使っているツールをここに公開することにします。
長くなったので以下次号!
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