2020.09.12 Saturday

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2012.05.27 Sunday 23:15
え〜と、本当は本の感想をUPしたかったのですが、まださっぱりできていないので、とりとめのない話を書いてお茶を濁そうと思います。

もう一週間前の話ですが、例の金環日食、無事見ることができました。
直前まで曇ってたのに、不思議とその時間になると晴れて、太陽の光が、新月の背後で徐々にリング状になっていくのをじっくり見ることができました。
とりあえず、アマゾンで買ったちょっとお値段高めの日食グラスが、無駄にならなくてよかったなあ、というのが正直なところで。

各地の動物園では、日食時の動物の異常行動にも注目していたようですが……まあ何といっても、人間がいちばん奇異な行動を取っていたと思います。
朝っぱらから、皆して外に出て、変なメガネを目の前に掲げて、太陽を見つめていたのですから。

「人は太陽と死を直視することができない」―――ラ・ ロシュフーコー
・・・太陽を直視してしまった私たちは、次は何を直視することになるのでしょうか?

え〜と、ワケのわからない結論になったので、日食の話はここで終わり。
ここからはちょっと与太話などを。

以前、このブログで「私は批判するのが苦手だ」と書いたことがある。(これとか。)
批判するのって、実は怖いことだと思う。
というのも、これは前々から感じていたことなんだけど、誰か(あるいは何らかの言説)を批判する人を、よくよく観察すると、気づくことがあるんですよ。
その批判は、まさに批判している本人に、そのまま当てはまるんじゃないかって。

例えば、過去記事に載せた内田樹「呪いの時代に」、この中で内田樹は「呪いの言葉」を批判しているんだけど……これ内田樹自身が、ロスジェネに対して「呪いの言葉」を吐き出しているようにも見える。

「ブーメラン」という言葉があるけど、他者に投げかけた言葉は、ときにそのまま自分に戻ってきて、自分に対する批判になってしまうことがある。
そしてそのことに、自分では気づきにくい。
だから、それを指摘してくれる人がもし身近にいるのなら、大切にした方がいい。(めったにそんな人には出会えないんだけど。)

なぜ批判したい相手と、批判する当人が「似て」しまうんだろう?―――と考えてみるに、二つ理由が思い当たる。
一つは、もともとその人を理解しているから、自分の中に持っているものだから「批判」し得るのじゃないか?ということ。
もう一つは、誰かを批判しているうちに、自分の言動も、その相手に似てきてしまうんじゃないか?ということ。
つまり、「最大の理解者は、最大の批判者になり得る」という話で、逆に言えば、「適切な批判者は、良き理解者となり得るのではないか?」という話でもある。


一方、これとは逆のパターンもあって。
すごく立派な、高潔な主張をする人がいる。でもそれを本人が実践できているのか?というと、たいていできていない。
「言ってることとやってることがぜんぜん違うじゃん!」なんてこと、往々にして存在する。
このブログでも、たまにブログ主が何を血迷ったか、理想主義的なことをエラそーに書いたりするけど、まああれは、本人はぜんぜん実践できていないからね。例えば、これとかこれとかね。
読む人はあれ、真に受けない方がいいと思うんだよね。
自分が実践できていないからこそ、「理想」を語りたくなるのであって。

まあ現実の月ノヒカリは、ションボリな感じですよね。
普段から月ノヒカリはダメダメだ〜と公言しているのですが、実際のところそうだからね。「実物を知ったらぜんぜんダメじゃなかった!ガッカリした!」ということは絶対にあり得ないから、その辺は安心していいと思うのね。

世の中には、酒とかドラッグとかギャンブルとか、人生を狂わせるものがたくさんあるよね。それは皆知ってるよね。
でも、現実には、「崇高な理想」というのも、人生を狂わせる危険性があるということ、知っておいた方がいいよね。その代表的な存在がオウム真理教ね。「人類を救う」なんて高邁な理想を謳う団体なんかは、気をつけた方がいいよね。

だからこのブログでは、ダメダメ教を布教してるんだよね。
ダメダメ教は、自己啓発の真逆を行く道、まあ何の役にも立たないからね。
「ダメダメ教に入信して救われました!」と目をキラキラさせる信者なんて一人もいないけど、その代わり被害者もいないんだよね。今のところ。

「役に立たない」のがいちばんいいのかもしれないですよ。
・・・というあたりで、今回のとりとめのない話はおしまい。

今回の文体はちょっぴり「ウォール伝」を意識してみました。

| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(4) | trackbacks(0) |
2012.05.20 Sunday 22:58
また一週間も間があいてしまいました。
決してブログ主がリア充になったわけでもないのに……なぜかしら?

まああれだ、堂々ロールは相変わらずウマいです。
そのせいか体重が増えたので、ちょっぴり筋トレなどをやってみたのですが……付け焼き刃の筋トレでは、さっぱりダイエットになりませぬな。

それでもアイスはやめられません。
今日も行きつけのスーパーで、堂々ロールを買ってきてしまいました。

そんなこんなの今日この頃、いつもの拍手レスです。どうぞ〜。
| ●月ノヒカリ● | web拍手レス | comments(0) | trackbacks(0) |
2012.05.13 Sunday 22:38
最近ロクに更新できてなくてすみません。
本当はたまった拍手レスを書こうかと思ったのですが、その前に―――拍手レス番外編ふたたび、です。

先月のエントリ「ちょっとだけ拍手レス[番外編]」、多くの反響をいただきました。
あの記事で取り上げさせていただいた桜餅の葉っぱさん(というHNに決まったようです)からの拍手コメントに、共感する方が結構いらっしゃったんですね。
なので、あのエントリに関連するコメントのみ、こちらでまとめて公開レスさせていただくことにしました。
元記事を読み返しつつ、以下をどうぞ〜。
| ●月ノヒカリ● | web拍手レス | comments(2) | trackbacks(0) |
2012.05.08 Tuesday 22:31
どうしてもやめられないもの。
私は、お酒にもタバコにも縁がない生活をしているので、「わかっちゃいるけどやめられない」ものってあんまりないのですが……チョコとアイスは、やめられないです。定期的に摂取しないと、禁断症状が出ます。

そんなわけで今回は、私がいまハマっているアイスをこっそり教えちゃいます。
アイスクリーム
左側がグリコの「堂々ロール」。
クリームたっぷりのロールケーキといえば「堂島ロール」が有名だけど……私はあれ食べたことないからわかんないや。
この「堂々ロール」は、ロールケーキ生地の真ん中に、白いバニラとほんのり黄色のカスタード、2種類のアイスがたっぷり入っている。
濃厚な味でクリームいっぱい。(お値段のわりには)贅沢な味のアイス。
お上品なお嬢様なら、きっとお皿に載っけてスプーンで食べるのだろうけど……ダメダメ星人の月ノヒカリは、ガシッと手づかみでバクッとかじりついてます。
手づかみで食べる方がウマいです。たぶん。

右が森永の「MOW(モウ) ストロベリーチーズ味」。
MOWについては、以前にクリーミーチーズ味とキャラメル味がおいしかった―――と過去にこのブログにも書いたけど、やっぱりMOWにハズレなし。
イチゴ味が濃い!!チーズ味が爽やか!!

ああ、やっぱりアイスはやめられない。
わずか百円で幸せになれるんだもの。

そう言えば、アイスの他にももう一つ、「やめられないもの」がありました。
ずばり「ネット」です。
ネットって時間ドロボウだよね。 たまにはネットをやめて、のんびり・・・のんびり・・・アイスでも食べて過ごしたいなあ。なんつって。



| ●月ノヒカリ● | B級グルメ | comments(2) | trackbacks(0) |
2012.05.05 Saturday 22:49
岩波ブックレットの一冊。
著者は、不登校の経験があり、今は大学の教員として働いている女性だ。

この本の内容は、前々回のエントリとちょっと関係してるんだけど……「自己責任か、社会の責任か」という問題に、新しい視点を示してくれた。この視点は、不登校・ひきこもり・ニートといった問題について考えたいときに有益だと思う。

「コミュニケーション能力がない」ということ、私も何度かこのブログに書いてきた。
でもよくよく考えたら、これはおかしな話だ。
「コミュニケーション能力」なんて測定不可能で曖昧なもの、相手や場所によって変わるはずのものなのに。それを「個人の能力」とするのは適切なのか?
著者はそれを、個人と社会のあいだに生じる「関係性」の問題として捉え直し、不登校やひきこもりの問題を「関係的な生きづらさ」として考える視点を提示している。

例えば、「働きたくても仕事がない」(失業)とか、「働いても生活が成り立たない」(ワーキングプア)という悩みなら、労働市場の問題として取り上げることができる。

一方で、「働くことに踏み出せない」「働き始めてもつらくなって辞めてしまう」という悩みは、「甘えだ」と言われ「自己責任」と見なされることが多い。
しかしその内実は、本人にとっては「ぎりぎりまで頑張ってもどうにもならない」という圧倒的な経験であることが少なくない(P.10)―――この話、当事者になった経験のある人なら、身につまされるのではなかろうか?

この問題、「わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない」という結論になりやすいけど……著者はそこから一歩踏み込んでくれた。
なぜ「働いて自活している人」には、「ひきこもっている人」の語りが理解されないのか?
著者が考案した「生きづらさ」を理解するための6つの枠組み、目から鱗だったので、ここに書き写しておく。

まず、「生きづらさ」を以下の2つに分ける。
(1)学校や仕事などキャリアに関わるもの
(2)「病」「障がい」「老い」「性」など特殊化された個体性に関わるもの

そしてその上で、それぞれの「生きづらさ」をABCの三つの立場から考察する。
A「市場」を重視する立場
B「社会」を重視する立場
C「当事者」を重視する立場

すると全部で6つのバリエーションができる。それぞれについて簡単に説明する。

■(1)のA:「選んだ以上は自分の責任」(自己責任論的立場)
「生きづらさ」を「市場」重視の立場から理解すると、仕事をしない/できない若者については「甘えている」と見なされ、自己責任とされる。

■(2)のA:「弱者は負けてもしょうがない」(優生学的立場)
病者や障碍者、老人、女性など、特殊化された個体性に固有の「生きづらさ」を、「市場」重視の立場から理解すると―――弱い個人を「普遍的な個人」に近づけるように「支援」するという立場になる。いわゆる「自立支援」である。
しかし「自立支援」を言えば聞こえはいいが、それは「社会的な救済」を否定し、「弱い個体は淘汰されよ」とする優生学的立場に他ならない。

(1)のB:「選ぶように追い込む社会の責任」(社会要因論的立場)
個人が安定した仕事を得られないなどの問題の原因を、産業構造や雇用状況の変化といった「社会的なもの」に求め、自己責任論を批判する立場。

(2)のB:「弱さは社会で負担しよう」(社会保障的立場)
病者や障碍者、老人、女性などの抱える困難について、社会が責任を負うべきという「社会保障」を重視する立場。具体的には、所得の再分配によって福祉サービスや医療等を提供する。

(2)のC:「自分の弱さを受け入れよう」(無力さの承認の立場
特殊化された個体性に固有の「生きづらさ」を、「当事者」重視の立場から理解する枠組。具体例として、アルコール依存症者の自助グループや、精神障碍者のグループホーム「浦河べてるの家」が挙げられている。

ここまで5つの立場について説明してきたけど、もうひとつ「理論的にはあり得るはずなのに、現実には存在しにくい」枠組がある。
それが(1)のC「自分で選んだ、でも社会に追い込まれた」という立場だ。ひきこもりの生きづらさは、これに当てはまる。

  A 「市場」 B 「社会」 C 「当事者」
(1)“キャリア” 自己責任論的立場
「選んだ以上は自分の責任」
社会要因論的立場
「選ぶように追い込む社会の責任」
存在しにくい立場
「選んだ、でも追い込まれた」
(2)“弱さ” 優生学的立場
「弱者は負けてもしょうがない」
社会保障的立場
「弱さは社会で負担しよう」
無力さの承認の立場
「自分の弱さを受け入れよう」

これ、私にとって、実感としてよくわかる。
私には「病い」という固有の生きづらさがあるけど、自分がひきこもり状態にあるのは、それだけが原因じゃないわけで。
人と関わるのが苦手だったり、集団の中でうまくやっていけなかったりといった、自分本来の性格と切り離せない問題なんだと思う。
確かに私が人と関わりたがらないのは、「自分で選んだ」という側面もあるけれども、決して好きでこうなったわけではない、「追い込まれた」という側面もある。

こういう話は、「自己責任論」でも「社会要因論」でも理解されづらい。
著者の端的な説明―――私たちが不登校・ひきこもりを理解できないのは、「貧困」でもなく、「病気」でもなく、「個人の意志」でもないからなのです(P.40)―――という言葉、思わず噛み締めてしまった。

確かにこの立場は、「明らかな貧困」や「重い病気や障碍」に比べたら、「なまぬるい、ぜいたくな話」と思われるかもしれない。
しかし「どっちつかずの曖昧さ」というのにも、また独特の苦しみがあるということは、以前書評した本『障害・病いと「ふつう」のはざまで 〜軽度障害者どっちつかずのジレンマを語る』でも語られていた。
私たちの語りが「どうすれば伝わるのだろうか?」と考えるときに、この枠組は心に留めておくと良いのではないだろうか。

あともう一つ、著者は大事な問題提起をしてくれた。
ひきこもりの人と、働いて自活をしている人との間にある、ディスコミュニケーションについてなんだけど……。
端的に言うと、「生きづらさ」というのは、「働いて自活している人」の問題でもあるのだ、ということだ。
過酷な市場競争は「働いて自活している人」をも巻き込み、「フリーターは燃え尽きた正社員の明日」でもある。
疲れの取れない身体を引き摺るようにして仕事を続けている人達には、「もしかしたら自責の念に耐えながら布団の中で丸まっているかもしれない」ひきこもりの苦しみを、想像する余裕がない。
それにしても、体調や精神のバランスを崩しながら働き続けることが「適応」と呼ばれるのなら、「適応」が望ましいことだと本当にいえるでしょうか(P.45)―――という著者の言葉、かつてそういう状態にあった私にとって、心底共鳴できるものだった。

今ひきこもっている人もそうでない人も、この本から得るものは多いのではないだろうか。
「ひきこもっている自分だけの責任」として一人で解決を考えるのではなく、問題を周囲の人と共有し、その人を含む「場」の全員が問題解決を担う―――というのが、著者の主張する「関係性のレベルで問題を捉えなおす」方法の焦点である。

わずか63ページの薄いブックレットだけど、中身はすごく濃いので、興味のある方はぜひご一読を。

最後に。
この本は、いつも愛読しているブログ「グレーゾーン学とアブノーマライゼーション論」から、「グレーゾーンへ(36) ニート概念の支援外的批判」のエントリで紹介されて知った本です。こちらも参考に。




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