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2020.09.12 Saturday
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2012.09.23 Sunday 23:43にわかに秋めいてまいりましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
月ノヒカリは今日も病気です。
正確に言えば、毎日「もう死のうかな」と思うくらいには病気で、でもそれを実行に移さないくらいには元気です。
わが林檎(ウチのPC)のデスクトップには、書きかけの文章やら拍手レスやらが散らばっておるのですが……まだしばらくは更新できそうにないのです。ううう。ゴメンナサイ。
ここんとこ頭痛とか貧血とか、体調もイマイチで、そのせいか考え事をしても、文章を書いてもさっぱりまとまらず、ぐるぐるぐるーと同じところを行ったり来たりまた戻ったりの今日この頃です。
そんで、そういう落ち込んでるときに限って来るんですよ。荒らしコメントが。
このブログの拍手コメントは、完全匿名でも、これまでは真っ当なコメントがほとんどだったのに……。
さしものダメダメ教教祖も凹んだので、くだんの拍手コメントを晒します。
これです↓
・・・ブログ主も病んでる人間ですが、自分が正常だなんて言うつもりもないですが、こういうの見ると「うわあ。。。」ってなります。
過去にこのブログにいただいたコメントの多くは好意的なものだったので、すっかり忘れてたんですけど、やっぱ「腐女子死ね」って言う人いるんですね。(ちなみに「192」というのは、このエントリの番号です。)
こういうコメントって、慣れたら何とも思わなくなるものなのでしょうか?
そもそも「死ね」と言われても「何とも思わなくなる」のは、良いことなのでせうか…?
あんまり慣れたくないなあ。こういう品のない言葉には。
・・・ともあれ、なかなかに心が寒々とする出来事でした。
なんだか冷えてきたので、今夜はもう寝ることにします。
皆様も風邪など召されませぬよう。
次回は拍手レスか、もうちょっとマシなエントリをUPしようと思ってます。(予定)
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2012.09.15 Saturday 23:43
にぎやかな表紙絵に釣られて買ってみた『脳内ポイズンベリー』、こちらもなかなかに面白かった。
表紙に描かれている5人―――右上から時計回りに、ゴスロリ少女、クールな雰囲気の眼鏡イケメン、天然パーマの軽そうな男子、眉間にシワ寄せたお姉さん、白髪メガネの初老の紳士―――驚いたことに、彼らは、この漫画の登場人物ではない。5人は、この漫画の主人公・櫻井いちこの、脳内会議のメンバーなのです!
この作品は、おそらく漫画史上初の「脳内会議実況中継マンガ」。
ストーリー自体は、それほど目を惹くところはない。出だしは駅のホーム。主人公・いちこが、飲み会で一度会ったきりのちょっと気になる男性に、声をかけるべきか、かけないでおくべきか、迷うところから始まる―――のだけど。
そこでいきなり「脳内会議」がはじまっちゃうんですよ。5人の脳内会議メンバーが、多数決をとるシーンが。「声をかけた方がいいと思う人!」「かけない方がいいと思う人!」って。こんな漫画アリ!?
「脳内会議」と言えば、過去の水城せとな作品にも、それに近い場面があった。
BL好きには有名な『窮鼠はチーズの夢を見る』『俎上の鯉は二度跳ねる』シリーズ。主人公・恭一が葛藤するシーンで、恭一の頭の中で「黒恭一」と「白恭一」の二者がせめぎあうのだ。
白恭一「男とデキちゃってもまあいいやとか考えてるのか!?」
黒恭一「こーなっちゃったもんはしょーがないじゃん。楽しもうよー」
という具合。こういう「自分の中で天使と悪魔が争う」というパターンは、わりとよく見かける。
しかしこの『脳内ポイズンベリー』はさらにその上を行く。
なんと、脳内会議のメンバー5人にそれぞれ名前がついていて、役割分担まで決まっているのだ。
上記と同じく、表紙イラスト右上から時計回りに、ハトコ(瞬間の感情)、吉田(議長)、石橋(ポジティブ思考)、池田(ネガティブ思考)、岸(記憶・過去を振り返る思考)、という具合に。
この脳内会議、主人公のいちこは自覚していない。ただ読者だけが、のぞき見ることができる。いちこの発するひと言の背景に、どんな脳内会議が繰り広げられているのか―――読者だけが知っている。
もし他人の「脳内会議」をのぞき見ることができたら―――誤解は減るのだろうか? それとも幻想が壊れて失望するのだろうか?
先入観や誤解に満ちた他人とのコミュニケーションは、めんどくさくて、やっかいで、難しい。でもそれがまた面白いんだよね―――と水城せとなは感じさせてくれる。
2巻の著者あとがきには、「脳内会議そのものがアイデンティティなのだと思う」という、ちょっと興味深い人間観が書かれていた。そして「脳内会議がなければ、人はただ物を見て聞いてペロッと答えを即出すだけの、単純な機械になってしまう」とも。
「脳内会議」って、きっと多くの人がひそかにやってることだろうけど……ちゃんと「自覚」して脳内会議をする人は、少ないかもしれない。まして、それを漫画化しちゃう、可視化しちゃうというのは、なかなかに画期的だと思う。
これが30年前なら、「脳内会議実況マンガ」なんて受け入れられなかったのではないだろうか。あるいは、病的なレッテル(多重人格みたいな)を貼られていたかもしれない。
でも今なら、「〈自分〉というものが、複数のキャラによる脳内会議で成り立っている」という感覚は、多くの人に受け入れられるはずだ。
ポジティブ思考とネガティブ思考では、「どちらが本当の自分か?」と考えても、答えは出ない。瞬間的な感情や動物的な反応、思い出したくない過去、そういったものすべてひっくるめて〈自分〉だという感覚は、今ではむしろ「健全」だとすら思う。
それでもこの漫画は、少年誌や青年誌からは出てこなかっただろう。モノローグや内面描写の多い少女漫画の伝統があればこそ、世に出た作品ではないだろうか。(この漫画の「脳内会議」は、主人公の心理描写の代替物に見える。)
蛇足ながらもう一点、この漫画の魅力を。
出てくる食べ物が、すっごくおいしそうなのだ。
『失恋ショコラティエ』もまた、読むと無性にチョコレートが食べたくなっちゃう漫画なんだけど、『脳内ポイズンベリー』の食事シーンもポイント高い!
とりわけ一巻に出てきた「タンドリーチキン」。
いつも紛糾する脳内会議のメンバーも、「タンドリーチキンが食べたい」というところでは全会一致(!)。欲望に対しては正直なのね……。いちこもまた、幸せそうな表情で食べるんだよねーこれが。
「食べ物をおいしそうに描くのが上手な漫画家」と言えば、第一によしながふみを思い浮かべるんだけど……水城せとなもなかなか。
あと、出てくる小物もさりげなく可愛い。小龍包のストラップ(いちこの手作り)とか、カップケーキのピアスやペンダントなんか、実際に売ってたら欲しくなるだろうなー。
自分はあまり、この手の恋愛モノには共感できないので、ストーリー展開について語れないのは残念ですが……。
主人公の「脳内会議」を可視化する、という設定には―――こういう漫画が出てくることの時代背景も含めて―――そそられます。面白いです。
←こちらは2巻
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2012.09.09 Sunday 20:55先日のエントリで、「毎日ヨガをやってるせいか、最近からだの調子がいい」と書いたら―――その翌日に、熱を出してしまいましたorz
いったい何の祟りでせうか?
このブログにはあまのじゃくな神様が憑いていて、「書いたことと逆の現象が起こる」という呪いでもかけられているのかしら?
・・・というのは冗談で、やっぱり原因はあれだ、いきなり運動を始めたのがよくなかったのでしょう。
運動はからだによくないのです。
なあんて書くと、検索からやってきたよい子の一見さんが真に受けるかもしれないので、正確を期して付け加えます。「ダメダメ星人にとっては」と。
地球で一般的に「よいもの」とされていても、ダメダメ星人の身体には毒になったりもするのです。
思い起こしてみると、過去にも何度かあったんですよ。
一念発起して筋トレなんかを始めたら、その一週間後くらいに、風邪をひいて寝込むというの。
いったん習慣を中断しちゃったら、なけなしの「やる気」もそこで雲散霧消。次に運動を再開するのは、およそ三年後です。ガックリ。
不思議なことに、自分はここ数年、そういうトホホなサイクルを繰り返してきました。もう判で押したように、幾度も同じ運命を辿ってきました。
これはもう、前世からの因果律に支配された逃れられない宿命なのかもしれません。
ついでに教えてあげるね。
運動すると痩せるというのも嘘です。
運動したあとは、ご飯がおいしく食べられるから、体重は減らないのです。自分で実証済みです。
だからダイエットしたい人も、決して運動なんて始めてはいけません。運動なんてしなくても、食欲の秋、栗やさつま芋や柿や秋刀魚が食卓にやってくる季節ですから、ご飯はおいしいに決まってます。おとなしく食べて太りましょう。
今回のことはきっと、月ノヒカリが珍しくやる気を出したので、ダメ神様の怒りを買ったのでしょう。
これからはもう金輪際やる気なんて出さずに、グータラ月見団子でも食べながら、「寝ながらできるダイエット」の開発に励もうと思います。
それこそが、ダメダメ教の教義に則った、心正しきダメダメ星人の生き様だと言えましょう。
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2012.09.05 Wednesday 23:51ここ数日、何となくいつもよりからだの調子がいい。
理由はきっとあれだ、先週の活字ダイエットの間、毎日ヨガをやるようにしてたんだけど、それがよかったのかもしれない。
先週以来、ずっとサボりがちだったヨガを今もちょこちょこと続けてるせいか、だるさが減った感じ。
そんで、からだの調子がいいと、気分の落ち込みとか、悩むことも少なくなる、みたい。
そうなると、ブログ記事がなかなかUPできなくなるんですよ。なぜか。
(実は今も書きかけの文章があるんだけど、イマイチまとまらなくて、放置している状態。)
つくづく思うに、ネットって「余分なもの」なんですね。
ブログとかTwitterとかFacebookとか、ネットでつながったり、自己表現しようなんてのは、人間にとって「不自然な状態」ではないかと。
毎日を元気に過ごせるのなら、きっとネットなんて必要ないんだろうな。
ただ、珍しくからだの調子がいいとは言え、「元気いっぱい」というわけでもない。かといってネガティブな気分でもなく、平常心というか、「フラット」な感覚。これ、ヨガ的には理想の状態なのかもしれない。
こんなときは、「体の具合のいいときだけ働けるような仕事はないかしら」などと考えたりするのですが―――そんな都合のいい仕事はついぞ見つからず、私は今日も無職です。
いつもだるいのがデフォの自分には、からだの調子も悪くなく、気分も落ち込んでないという異例の事態に、どう対処すればいいのか戸惑ってるんだよね。
まあこれは、どう考えてもゼイタクな悩みです(対自分比)。
単に喜べばいいのです。
しかもあと半月もすれば、またグッタリ具合が悪くなるに決まってるので、心配することもないのですが。(つまり早い話、生理になると寝込むんです。)
でも今現在、気分の落ち込みがないかわりに、「欲もなくなった」って感じなんだよね。これはこれで、またもや「廃人」に一歩近づいてるんじゃないかなどと、不安になったりもするのですが。
う〜ん、「欲がない」って果たしていいことなんでしょうか?
「欲」こそ、人間を動かす原動力なんじゃないでしょうか?
まあ自分の場合、「欲がない」とか言いつつも、待ち望んだ『少女ファイト』の新刊(9巻)をやっと入手して、読んだりしてますからね。「新刊読みたい欲」はまだあるみたいです。
ところで、『少女ファイト』9巻には、特装版と通常版があって、特装版にはミニサイズのスポーツバッグが付いていて、ちょっぴり欲しかったんだけど……どう考えても使い道が思い浮かばなかったので、通常版を買いました。
そんで9巻を読みました。やっぱ面白いわー。(過去の感想はこちらに。)
ただ、ちょっと複雑な気分にもなりました。
9巻には皮肉にも、笛子監督が女子バレー部員に「必要のないものは処分しろ」と、部室大掃除を命じるシーンがあって……なんかこう、自分的にグサッとくるセリフが多かったんですけど。
「片付いてないということが どれだけ時間を浪費するか わからんのか」
「不要品を並べておくと 導線を確保できず 体力が削がれ 情報量の多さに精神も疲弊する」(by 笛子)
・・・いやもう、本っ当にその通りなんですけど。
月ノヒカリの棲み処は、綺麗な部屋ではもちろんないけれども、「汚部屋」というほどではなく(と思いたい)、「雑然と片付いている」というか、「どこに何があるかだいたい把握してるだけマシ」と思ってたんですが……。
言われてみると、「あの本どこにやったっけ?」とか「あのTシャツどこに仕舞ったっけ?」などと探しまわって、時間を費やすこともしばしば。
確かにこれは時間のロスですね。一瞬、「私も部屋の大掃除を始めようか」なんて衝動に駆られたんですけど……気が遠くなりそうなので、やめました。
整然と片付いた美しい部屋―――そんな部屋には、生まれてこの方住んだことがないですから。
話が逸れまくったけど、つまり何が言いたかったかっていうと、「特装版についてる付録って、自分にとって本当に必要なものなんだろうか?」という疑問を持ってしまったわけです。
漫画を買わない人には縁のない話かもしれないけど、最近は多いんです。「通常版」の他に、付録つきでお値段高めの「特装版」が出るのって。
私も、『少女ファイト』の特装版は何度か買いました。(7巻特装版のレビューはこちら。)
過去に買った『少女ファイト』特装版の付録というのは、登場人物が書いた(という設定の)落書きノートだったり、登場人物が書いた(という設定の)漫画の応募原稿だったりして、それはそれで、それなりに楽しませてもらったんだけど……どれも一回読んでそれっきり。
この手の「付録つき特装版」の他にも、「アニメDVDに一話だけ新作が収録されている」とか、BL本によくあった「応募者全員プレゼント小冊子」とか、プレミアムを付けて収益を上げようという販売戦略(?)、近年のオタク業界では、当たり前になってるんですけど。
私はそれに、あまりいい感情を持ってない。
きっかけはやっぱあれかな。
数年前、『図書館戦争』シリーズにものすごくハマってた時期があったんだよね。ハードカバーの単行本を全部揃えたくらい。
そんでちょうどその頃、『図書館戦争』はアニメ化された。私は、アニメにはそれほど思い入れがなかったんだけど。 でも、アニメDVDが発売されるとき、毎回「書き下ろし新作短編」がDVDの付録になってて、それはものすごく読みたかった。けど、短編小説ひとつのために一巻数千円のDVD を買うなんてできなくて、泣く泣くあきらめた。
そんでもって昨年、『図書館戦争』シリーズは文庫化された。
件の短編小説は、文庫一冊につき一話ずつ(!)収録された。(「短編小説だけで一冊にまとめる」という、単行本所有者向けの思いやりは、出版社にはないらしい。)
文庫は一巻だけ買って、件の短編小説を読んでみたんだけど……読んでもあまり感動はなかった。そのときはもう、自分の『図書館戦争』熱は冷めてしまっていたんだよね。やっぱり、いちばんハマってるときに読みたかったなぁ。
ずいぶんクドクドと説明してしまったけど―――つまりは疲れちゃったんだよね。
「モノの置き場がない」ウサギ小屋に住んでるのに、出版社・メーカー側の「なるべくたくさん買わせよう」商法に疲れてしまった。「欲望を煽られる」のに疲れてしまった。
そうなるともう、BLから、ラノベから、アニメから、作品そのものから、気持ちが離れてしまう―――ことになりかねない。
これはもう、単にビンボー人の愚痴かもしれないけど。お金持ってて、モノの置き場に困らないような広い家に住んでいる人には、どうでもいい話かもしれないけど。
『図書館戦争』は大好きなシリーズだし、いい作品だと思うからこそ、できれば作品そのものの力で勝負してほしかったんだよね。
あまりにも煽られ過ぎると、しらけちゃって、「欲そのもの」を手放してしまう―――なんてこと、ないですか?
あ、なんかだんだんだるくなってきた。
愚痴るのは体に良くないんですね。
私、これからはもう、おとなしく通常版を買って、「付録商法」は見ないことにして、心穏やかに過ごそうと思います。
それがビンボー人の生きる道なのです。キリッ
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