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2020.09.12 Saturday
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2012.12.28 Friday 23:53皆さん、クリスマスは楽しまれたのでしょうか?
私もとっぷり堪能しましたよ。「暗黒のクリスマス」を。まるでお通夜のようなクリスマスでした。
というのは、決して「クリスマスを前に失恋した」とか、そんなスイーツな話ではないのです。もともと私は、「クリスマスは独りでも楽しむべし」なんて力説してたくらいだし。
ことの始まりは先月―――ふと腋から鎖骨あたりのリンパ節が腫れてることに、気づいてしまったのがきっかけでした。
それがたまたま癌の手術跡に近い場所だったので、「もしや癌の再発か?」と心配になってきて。
でも、乳癌の主治医のいる病院は、大きな病院なので、予約をしないと受診できない。
病院はとても混んでいるので、いきなり患者が押し掛けたら、医師が対応しきれない、というのは患者としてもよくわかる。乳癌は、たとえ再発だとしても、一ヵ月やそこらで急変する病気ではない、だから慌てなくていい―――という話も、かねてより主治医から聞かされていて、それも頭ではちゃんと理解している。
でも、でもですよ、「もしかしたら癌が再発したかもしれない」という不安が、常に付きまとっている状態というのは、なかなかにしんどいものだ。重い石のようなものが、ズシーンと頭の上に乗っかってる気分。
一週間ほど悩んで病院の予約を取って、受診したのはさらにその三週間後。
主治医が触診して、「う〜ん、やっぱり何かあるね」と言われ、CTやエコーや細胞診といった検査の予定を入れて、結果が出るのを、重苦しい気分のまま待ち続けた。
そうこうしてる間に、世間ではクリスマスが来たらしく、ジングルベルの音楽が流れてきたのだけれど―――私の頭の中では、葬送行進曲が鳴り響いていた。(と言いつつ、チキンもケーキもしっかり食ったけど。何があろうと、好物を食べるチャンスを逃すわけにはいかないのだ。)
で、クリスマスを過ぎた日に、病院に検査結果を聴きに行ったところ。
まだすべての検査結果は出そろっていないのだけれども、とりあえず画像診断では遠隔転移は認められず、癌の再発の可能性は低い―――と言われました。
まずはひと安心。正月はそんなにブルーにならずにすみそうです。
まあそんなわけで、ここ一ヵ月ほど、「もしかしたら自分はもう死ぬんかな」みたいな思いに取り憑かれていたわけです。
念のために言うと、癌の再発は、必ずしも死と直結するわけではない(局所再発なら、治癒する可能性もある)。それでもやっぱり、「死」と結びつけて考えてしまう病気ではあります。
私はずっと自殺願望があったくらいだし、「死にたくない」とはあんまり思わないんだよね。長生きしたいとも思わないし。
ただ、再発癌の治療はしんどいだろうなあ、苦しいのは嫌だなあ、治療費もかかるだろうし、できることならピンピンコロリと逝きたいなあ、なんて考えたりして。
「癌が再発したかもしれない」という状況にあっても、私はやっぱり「死にたがってる側」の人間で、それは変わらなかった。
それなのに―――なぜか、ふとした拍子に涙がこぼれ落ちるのだ。
気分はもはや人生終了モード、「自分の人生は、いいことなんて全然なくって、ロクでもない一生だったなあ」なんて振り返って、泣いてしまった。
でもそこでふと、何人かの顔と、いくつかの出来事が、目の前をよぎったんだ。そして、心の片隅から、こんな声が聞こえてきた。「いいことなんて全然ない、というわけでもなかったな」って。
何度振り返ってみても、やっぱり自分のこれまでの人生は、つらいばっかりで、いいことなんてなかったように思う。「もう一度やり直したい」なんてこれっぽっちも思わない。むしろさっさと退場したいくらいだ。
でも一方で、後ろ髪を引かれるような、このまま去るには惜しいような、後ろに置き忘れた物があるような、そんな心残りのようなものも、ずっと感じていた。
そして、癌の転移はしてないことがわかったとき―――「よかった」と素直に思うことができた。それで充分だと思う。
数ヶ月前のブログエントリで、「生きていて、よかったな」と思えることが何度かあった、と書いた。そう思うのは決して、何か素晴らしいことに巡り合えたとか、生きがいが見つかったから、ではない。
そうじゃなくて、ストレスフルな状況があって、足掻いたり、不安におののいたり、じっと耐えたりして、そうやってなんとか、ふっと一息つける状態に戻ったとき―――「ああ、自分は生きてるんだな。そしてそれは、そんなに悪いことじゃないな」って、そんな思いが、じんわりと心の中に湧いてくる。そういう瞬間が訪れるのだ。
今回もそうだった。私の心は死に傾いていたけれども、生命体としての私の寿命は、まだ尽きていないらしい。
病院で「癌の遠隔転移はなかった」という結果を聞いた、その帰り道。頭上に広がる青空は、いつもよりも青く深く澄み渡っていた。
もうしばらくは、生きていけそう。とりあえず、それだけで充分だ。
今年の更新は、たぶんこれが最後です。また来年、ここでお会いしましょう。
では皆さん、よいお年を。
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2012.12.24 Monday 23:44
というのも私、これまで何度もここに書いてきましたが、80年代末〜90年代にかけて『JUNE』という異端な雑誌を愛読していたのですね。そこで、デビュー前の西炯子・杉本亜未・羅川真里茂らの投稿作品を読めたのは、今振り返ると本当にラッキーだったと思う。(杉本亜未のJUNE投稿作品の単行本はこちら。)
そんなわけで、杉本亜未は二十年以上追っかけている漫画家なのですが……最近『ファンタジウム』の続きが出ないなーと思ってたら、クリスマスを前に、ケーキ屋が主役の漫画『アマイタマシイ』、一挙に2巻まで発売されてました。
天才パティシエの登場するケーキ屋漫画というと、やっぱりよしながふみの『西洋骨董洋菓子店』を連想してしまう。正直、「描かれているケーキのウマそう度」では、よしながふみの方に軍配が上がる。
しかし、キャラクターのアクの強さという面では、『アマイタマシイ』も負けていない。 アクもクセも強すぎる天才パティシエ熊谷周作もさることながら、「スイーツの街を作るために政治家になる」などという突拍子もない夢を持つ柴田羽衣(1巻表紙)の天然っぷりもなかなか。
そして何よりも、「男がスイーツ好きで何が悪い!」という魂の叫びを結集したイケメン集団「漢(おとこ)スイーツ友の会」。4人並んで時代劇みたいに登場するシーンからして、ぶっ飛んでいる。
スイーツのお店は女性多数のため、男性には敷居が高い。しかしそれを「恥ずかしい」と思ってしまうような自意識や世間体をぶち破って、反対側に出ると―――一瞬にして“モテの境地”に近づくのだ!!
中心メンバーの川嶋賀句(2巻表紙)は、19歳ながら筋金入りの甘いもの好き。小学生のときに祖母の通う茶道教室に入門し、祖母を喜ばせたが、目的は甘い物―――すなわち名店の生菓子だった。幼い頃から祖母に連れられ、有名ホテルのケーキ店等に行き尽くし、順調にスイーツ道を歩んでいたところを、父親に「甘い物はいい加減にしなさい」と咎められる。「東大に合格したら許してやる」と父に言われ、本当に東大に合格。なのに熊谷シェフに命じられ、ケーキ店を開くためにあっさり東大を退学。その際の兄と母の会話シーン、思わず吹き出してしまった。
兄「奴は一体何を考えてるんだ?」
母「甘い物のことかと思うの……」
笑いのツボは人それぞれだと思うけど、私はこの漫画、かなりツボに入ったなあ。
2巻では、パティシエ同士が対決するテレビ番組に出演することになり、少年漫画的なバトル要素も出てきた。
なんというか、B級映画を見ているような展開(←褒めている)に、思わずのけぞったり吹き出したり……くだらなくてバカバカしくて、そこがなんとも愛おしい、いかにもマンガチックな漫画だな〜という印象です。
『アマイタマシイ』は青年誌に連載されているせいか、時おり「仕事に対する意識」に焦点が当てられることも。さびれた商店街を復活させる「スイーツで街おこし」が陰のテーマ、かな。(よしながふみの『西洋骨董洋菓子店』は女性向け雑誌に連載されていたので、そこが違いかもしれない。双方とも、男女どちらにも楽しめる作品ですが。)
それにしても最近の青年誌の連載、女性漫画家が増えたなあ。よしながふみ、ヤマシタトモコ、ひぐちアサ、久保ミツロウ、樹なつみ、佐々木倫子etc.……私が愛読している青年誌作品は、女性漫画家の手によるものが多い。
一方、女性向け雑誌では、男性の描き手が増えたという話は聞かない。
なんででしょうね?
「仕事」というテーマは男女共通だけれども、少女漫画に描かれるような恋愛や人間関係の機微については、いまだ男性の関心は低いのだろうか?
そのあたりは気になるところですが、話がそれるのでこの辺で。
『アマイタマシイ』2巻は、伝説のパティシエとのスイーツ勝負の途中なので、今後の展開に期待したいところです。
ケーキ好きの人、『ミスター味っ子』的なグルメ漫画が好きな人ならぜひ。
クリスマスにふさわしい「甘い魂」を分けてもらえる、はず。
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2012.12.14 Friday 23:41えっと、今度の日曜日は総選挙です。
といっても、このブログ主は、「選挙に行こう!」などと熱く主張するつもりは毛頭ありません。過去エントリにも書いたけど、そもそも私自身、選挙に熱くなれないタイプだからね。
でもなあ、ブログタイトルに「社会」なんて言葉を入れたからには、総選挙の前くらいは触れなきゃイカンのかなあ、面倒だなあ―――などという消極的な気持ちでこれを書いてます。正直者です。
相変わらず、誰に・どの党に投票すればいいのか、さっぱりわからなくて、迷ったり悩んだりため息をついたりする今日この頃。
でも、それでもね、やっぱり投票はした方がいいんじゃないかなあ、と小さな声でささやきたくなるのです。
「投票」って本来、利己的な行為だと思うんですよ。
「自分の利益のために」「これからの日本はこうあってほしい」という願いがあるからこそ、特定の議員や政党に投票する。
私はずっと朝日新聞に連載されている「悩みのるつぼ」という悩み相談コーナーを愛読してるんだけど、一年前、こんな相談が掲載されて、上野千鶴子先生が答えたんですよ。
■悩みのるつぼ「社会に関心を持つためには」
この上野千鶴子の回答に、私も心から同意します。
「自分の利益」を真剣に考えたら、それはすべて政治や経済、世界情勢とつながっている。そして選挙は、私のような一般人が政治について意思表示できる、数少ない機会だ。だから私は、「自分の利益のために」投票する。
上野先生の言葉を借りると「誰にとっても何よりも大事なのは自己利益」であって、どんな政治的主張もそれを前提にしている、はずだ。逆に言うと、「自分の利益と無関係な政治的主張」というものを、私は信じない。
ただね、一方で、こうも思うんだ。
「自分の利益」を中心としても、頭の片隅で、「日本全体の利益」とか、「世界全体の利益」というのも、ちょっぴり考えてもいいんじゃないかな、と。
自分のアタマの中の8割が「自分の利益」を求めるとするなら、残りの2割くらいは「他の人の利益」「全体の利益」を考えてもいいんじゃないかな。自分に余裕がないときには、それも難しいだろうけど……それでも、できれば1割くらいは、「自分以外の人の利益」を考えられるくらいの隙き間を残しておきたいな―――そんな思いがあるのです。
自分の利益だけじゃなく、日本の未来とか、世界全体の利益とか、そんなことまで考えちゃうようなお節介な(あるいは誇大妄想的な)人、私は好きです。
とまあ、過去エントリを読み返して、自分はそんなことを考えていたんだなぁ、とふと思い出しました。
あのとき私は、「〈人〉ではなく〈政策〉に投票するシステムができればいいのに」と書いて、それはまだ実現していないんだけれども……今のネット上を見ると、〈政策〉について吟味する土壌はできているように感じる。
ただ、自分のアタマでは、どんなに考えてもさっぱり答えがわからないことだらけなんだけどね。消費税が上がったら嫌だけど、社会保障や福祉が機能するための財源になるのなら、増税しなきゃいけないのかな、と思ったり。TPPが自分の生活にどんな影響を与えるのかも、イマイチ理解できてないし。
でもまあ、選挙は今回が最後ではないし、これからもずっと続くんだし、ちょっとずつでも勉強していきたいです。
そういう意味で、選挙っていい機会だと思うのです。「投票」という行為をしないと、社会問題に関心を持つことをサボっちゃいそうだから。
で、まあ今更だけど、総選挙前に見ておきたい、ちょっと気になるサイトのリンクを貼っておきます。
■投票マッチング(日本政治.com)
20の質問に答えたら、自分の考えにもっとも近い政党を判定してくれるサイト。
それぞれの政策について、メリット/デメリットも書き添えてあって、わかりやすい。ゲーム感覚でできるし、何より「とっつきやすい」ところがポイント高いです。
それにしても、自分は勉強不足だなあと痛感しました。「日銀法改正」についての見識なんて、さっぱり持ち合わせてないよ私……。
■自民党憲法草案の条文解説
ネット上では、一部で「トンデモ」扱いされている自民党憲法草案ですが、「できるだけ中立的に」分析しているサイトを貼っておきます。
さらっと目を通しただけでも、自民党憲法草案12条の「常に公益及び公の秩序に反してはならない」などという文言を読むと、背筋が寒くなりました……。
今回の選挙は自民党優勢との前評判ですが、これでいいのか!?マジで?
■青空文庫とTPP、著作権保護期間について(Togetter)
青空文庫呼び掛け人、富田倫生さんのツイートまとめ。
TPPについては、農業や医療関連への影響は、よく耳にするけど……意外にも「著作権の保護期間」にも影響があるという話。もちろん農業・医療に比べれば微々たる問題かもしれないけど、青空文庫は私もたまに使わせていただいてるので、「TPPの影響」というものがグッとリアルに感じられるようになりました。
■最高裁判所裁判官達の過去の判例をチェックしてみよう その1 その2 その3 その4(ひがしよどがわどっとこむProject)
私もすっかり忘れてたけど、衆議院選挙と同時に「最高裁判所裁判官の国民審査」も行われるんだよね。いろいろ検索していたら、この力作サイトに出会った。判決文全文のPDFファイルもリンクされているのが有り難い。
最高裁のサイト内「最高裁判所の裁判官」のページや、信頼度は不明だけど、Wikipedeiaからも、個々の裁判官の略歴を見ることができます。参考までに。
まあそんなわけで、面倒でもやっぱり、選挙、行っときませんか?
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2012.12.08 Saturday 23:23
『社会的ひきこもり』で有名な精神科医の斎藤環先生、今増えている新しいタイプのうつ病を「社会的うつ病」と命名。これまでに培ってきた「ひきこもり」への治療方針が、最近のうつ病患者にも応用できると気づいたことが、この本の執筆につながったらしい。
第一章では、古典的なうつ病像とは異なるタイプのうつ病患者(いわゆる「新型うつ病」)が増えている背景を、社会的な要因を軸に解説している。この部分、患者さんにとっては必要性のない話かもしれないけれども、批評家としても活躍中の斎藤環先生だけあって、説得力も十分、読みごたえがあった。
古典的なうつ病は、「まじめで勤勉、責任感が強い」タイプの人が、それまでの生活を180度ひっくり返したように動けなくなるというものだった。一方、最近増えてきた「新型うつ病」患者は、「遊ぶときには元気だけど、出勤の朝には布団から出られない」など、旧来のうつ病を知っている者からすると「自己中心的なわがまま」に見える。しかし斎藤環は、新型うつ病を「甘え」「怠け」とみなす風潮には警鐘を鳴らす。このあたりは、著者の「ひきこもり」に対するスタンスと近く、好感が持てる。
「仕事中はうつになるくせに、遊ぶときだけ元気になる」という批判については、「ストレスの少ない活動はこなせるが、ストレスが高まると難しくなる」と言い換えると、これはむしろ当たり前のことである。ならば、ある程度元気になったときには、ストレスのかからない「活動」(遊びを含む)をやってもらう方が、回復のためには有意義―――との説明には、なるほどと納得した。
さらに、「(病気の)犯人捜しをしない」というスタンスにも同感できる。
新型うつ病は、軽症なのになかなか治らず、長期化することがある。
そういうとき、社会、家族、個人、いずれに原因があるのか。著者はその「関係性」に着目する。個人、家族、社会のそれぞれにはっきりわかる病理がなかったとしても、個人と家族、個人と社会、あるいは家族と社会といったそれぞれの「関係」が病理をはらんでしまうことがある。たとえ「うつ病」と診断されるのが個人であっても、病んでいるのはその個人だけで、周囲の家族は健康なのだから問題ない、ということにはならないらしい(P.73)。
「なぜ病んだか」を問うよりも、「病をこじらせないためにどうすればいいか」の方が重要だ―――というのが、著者のスタンスだ。
だからこそこの本では、患者本人だけではなく、家族をはじめとする周囲の対応も重視していて、第五章では家族へのアドバイス、第六章では職場の上司へのアドバイスにも頁が割かれている。そこでは、家族もまた治療に参加するという視点―――治療者とタッグを組み、ともに病気と闘う環境づくりを提唱している。
この本をうつ病患者本人が読むのはもちろん、家族の理解を得られないうつ病患者さんは、この本を家族に読んでもらうのもいいかもしれない。
世間一般ではまだまだ「うつ病=甘え」みたいな考えの人が多いけれども、この本を読むと、多少は理解が深まるかも。
この本で中心になっているテーマは「人薬(ひとぐすり)」、つまり「人間関係」がうつ病治療において重要な役割を果たす、というものだ。健全な「自己愛」の回復、身体的な快さの回復といったテーマが中心で、抗うつ薬のような薬剤の話はまったく出てこない。だからこの本は、うつの最悪の時期を脱して、回復期に入ろうとしている人向きの内容かもしれない。
特に印象に残っているのは、第八章にあった、声楽家・佐藤宏之氏のもとで行われている「声楽療法(ベルカント・セラピー)」を紹介した部分だ。旧来の音楽療法とは違い、「歌がうまくなる」という技術的な向上を目指した副産物として、うつやひきこもりに対する治療的な効果があると言う。こちらのサイトに詳しい事例が載っているので、興味のある方はどうぞ。
あと、「自己啓発」の問題点を指摘しているところ(P.227〜229)にも、共感してしまった。ここでいう自己啓発というのは、「ポジティブシンキングを身につけ、コミュニケーションスキルを高め、仕事の能率も上げて成功する」みたいなスタンスのこと。中には「自己啓発的な手法でうつを克服しよう」という内容の本まであるらしいけど、著者はこれを「とんでもないこと」と一刀両断。治療というのは、自己啓発とは対極にあるものだという。
自己啓発的な方法論が有効な人もいるだろうけれども、それは健康度とポテンシャルの高い一部の人に限られるのではないか―――との結論にも納得。
この話に限らず、斎藤環先生の精神科医としてのスタンスについては、私は好感を持つことが多い。
ただ……ここからは蛇足、ブログ主の個人的な感想です。 - ←新しい記事 1/1 pages 古い記事→