2020.09.12 Saturday

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | - | - |
2013.05.22 Wednesday 22:57
落ち込んでいる。
といっても、失恋したとか犬に噛まれたとかタンスの角に足の小指をぶつけたとか、何か落ち込むような出来事があったから―――というわけではない。

要するに、再発癌の手術が終わって、治療方針が決まって、ひと息ついたところで、「これまでの自分を振り返り、今後のことを考え直す」モードに入ってしまったのだ。
これまでのことを振り返ったり、今後のことを考えたりすれば、それはもう、自分には落ち込む要素しかないのは目に見えているわけで。

そんなこんなでここ最近、ブログも含めて、今後どうするかなーとか考えながら、床下奥深くの暗闇に潜ったりしていたわけですよ。

実は、「ブログ自体をやめる」という選択肢も思い浮かんだ。これは自分でもちょっと驚きだった。

このブログには、これまで誰にも言えなかった話―――それでもずっと言いたかった、声に出したかったことを、文章が下手なりに精一杯書いてきたつもりだ。
しかも4年近く続けてきた。
これを「消してもいい」という心境になるとは、以前の自分なら考えられなかったことだ。

過去に何度か、すっごく面白いブログを書いてる人があっさりログを消しちゃうのを見て、「なんてもったいない!」と悲鳴を上げたこともあったのだけれども。
その「あっさり消しちゃいたくなる」気持ち、いまの自分にはわかる気がする。不思議なことに。これまでの積み重ねがあるからこそ、一気に消しちゃえばスッキリするだろうなーみたいな。
この「ネットから消えたい」衝動も、一種の自殺願望のようなものなのだろうか。あるいは失踪願望かな。

話が逸れました。
えーと、若干一名の読者様から「ブログは消さないで」という声をいただき、これまたあっさり存続することに決めたんですが。(自分でもちょっと読み返してみたら、やっぱり消すのはもったいない気がしてきたりして。)

でも実際のところ、もう自分にとっては、ブログの蜜月期間は過ぎたな、という実感はあるのです。
最初のうちは、書きたいことが次々湧いてきて、反応をもらえるのがものすごく嬉しくて、コメント一つもらうだけで天に舞い上がるような気持ちになったもので。
このブログも、絶海の孤島のような弱小ブログではあるものの、素人がいきなり始めたブログにしては、思ったより多くの皆さんに読んでいただけて、本当にラッキーだったとしみじみ思う。ありがたいことです。
ただその一方で、限界も見えてきたんだよね。ブログの限界と、自分自身の限界が。

もともと自分は、リアル生活では、もう何年も行き詰まっていたのだった。
病気は治らんし、仕事はないし、結婚できるわけでもないし。
行き詰まったといっても、別にこれまで何もしてこなかったわけではなくて、働くとかボランティアとか資格を取るとか、いろんなことにチャレンジして、その度に燃え尽きたり、体を壊したり、病気になったりしてきたわけで。

なんかもうどうしようもない状態なんだけど、それでも思い切って声に出してみたら、書くのがつらいことでもネット上にUPしてみたら、何か道がみつかるかもしれない。そんなかすかな願いのようなものがあって、ブログを始めたのだけれども。

実際に書いてみて、結局のところ、やっぱり自分はどうしようもなく「詰んでいる」のだな、と再認識しただけだった。現実は残酷だ。

「残酷な現実」に打ちのめされ、地球の裏側まで到達しそうなくらい深ーく落ち込んでみたものの―――よくよく考えてみると、結論はやっぱり決まっているのだった。

当面は、自分にできることをやっていくしかない。
「できること」はすごく少ないし、それすらいつまで可能かわからないんだけど。

そんなわけで、とりあえずブログは続けることにしたものの、やっぱり「以前のように」は無理です。テンションが上がらないというか、上げるのは無理。

元気のないときには、カラ元気を出してでもやる、という方法もあるでしょう。
でも私は、「前向きに生きれば結果はついてくる」とか「いつも笑顔でいればいいことがあるよ」とか、そういった説教には、懐疑的だ。
ちょっとした落ち込みなら、それでやり過ごせるかもしれない。でも本当に地の底まで落ち込んでしまったなら、無理に元気よくふるまうよりも、落ち込んだままでいる方がいい。
エネルギーレベルは低いままで、その状態でもできることを、探してやればいい。

というわけで、今後ここはダウナー系ブログになります。
行き詰まって落ち込んでるブログ主が、落ち込んでへっこんで突っ伏したまま、文章を書く場所です。
「読んで元気になる」ようなモノは期待しないでください。

しかしよくよく思い出すと、もともとこのブログは「ダウナー系」だった気がするので、もしかしたら、これまでと何も変わらないのかもしれません。
ダメでもダメなりに生きていくブログ。
うん、やっぱり何も変わってないかも。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(8) | trackbacks(0) |
2013.05.12 Sunday 23:52
ずっと前から思っていた。
例えば入院とか手術とか、乗り越えなきゃいけない出来事があって、それをクリアするのは、確かにハードだったりする。けど、さらに困難なのは、それらのイベントが終わった後の「日常生活」の方なんじゃないかなあ、と。

手術には不安も苦痛もあるし、抗がん剤だって「もう二度とやりたくない」と懲り懲りするくらいには、しんどい体験だった。でも、それらは確実に「終わり」が来る。
一方、日常生活に戻ってからは―――というか、「元のようには戻れない」生活が続き、それがまた「いつ終わるのか見当もつかない」状態がずっと続くのは、なかなかに耐えがたいものだ。

リンパ節郭清の手術をしてから、一ヵ月以上が過ぎた。
手術した方の腕はちゃんと動くし、荷物も持てる。ただ、日課だったヨガやストレッチをすると、やっぱり以前のようには動かないんだな、とはっきりわかる。リンパ浮腫にならないように、腕をかばうことも増えた。

そういった身体的な違和感ももちろんある。けど、そういう身体的な不具合だけではない、それよりもむしろ精神的な面で、乗り越えなきゃいけない壁があるみたいだ。

体に力が入らず、声もうまく出なくて、以前は楽しかったことが、かつてのようには楽しめなくなった状態。
この状態をなんと表現すればいいかというと、「心が折れた」ということになるのかな。

といってもご飯は食べられるし、自力で外出もできるのだから、周囲の人から見れば―――いや、同居の家族の目から見ても、自分は「元気そう」に見えるみたいだ。「心」は目には見えないからね。「元気そうだね」と言われて、胸の中に湧き出てくるモヤモヤを飲み込んで、「はい、元気です」と答える病人は、たくさんいるのだろう。きっと。そこで作り笑いをする気力もなくなったら、ひきこもるしかないのだろうな。
災害や事件に遭った人だって、その場は生き延びたものの、一年、二年が過ぎても喪失感を抱えたまま、しんどい毎日を送っているということも、きっとあるんだろうなあと思う。

ただ、いまの自分は決して、過去に幾度か経験した「心がポッキリ折れる」ような状態と比べて、今回がとりわけ深刻、というわけではない。
それで、「前のときは、どうしたっけ?」と振り返ってみる。今よく思い出すのは、2004年に乳がんの手術をしたときのことだ。

あのとき―――2004年の手術後を振り返ると、どうも「頑張って回復しよう」と力み過ぎていた気がする。
まず、自分にしては社交的になり過ぎていた。治療の情報を集めるために、乳がんの患者会の人達にお世話になったので、「恩返ししなきゃ」と活動的になったら―――反動がきた。人付き合いが苦しくなった。
また仕事を探しても見つからず、アトピーが重症化して身動きが取れなくなった。
運動で気分転換しようとジョギングを始めたら、足を痛めて、さらに落ち込んだ。
当時は、自分の状態を「ガソリンの入ってない車を無理やり走らせてるみたい」だと感じていた。でも止まる方法がわからなくて走り続けたら、案の定、動けなくなった。
そうして動けなくなると、今度は思考がどんどん暗い方へ行ってしまう。
そんな「負のスパイラル」に嵌まり込んでいた。

あの当時を反省して、自分が今後回復していくための方針として、次のようなことを考えている。
ひとりでいる時間を大切にして、外出や人付き合いは控えめに。
運動は無理のない範囲で、自分の体とよく相談しつつ、どこか痛くなったらすぐに中止する。
焦って回復しようとはせず、回復には長い時間が―――おそらく年単位の時間がかかることを受け入れる。
つまり、「頑張って回復しよう」と力んだりせず、「3歩進んで4歩下がる」状態でもしょうがないと、諦めて受け入れるということだ。

・・・うん、自分で書いてて悲しくなってきたな。そんなの受け入れられるかいって。
慎重になったり諦めたりすることがますます増えていって、それもさびしいことなんだけど……他にいい方法が思いつかない。
この自分の方針が正しいのか、まだわからない。もうしばらく時間がたってから、また振り返ってみようと思う。

ただ、「回復」したところで、戻るべき職場もなければ、生き続けなければならない理由も見つからないんだけどね。それこそが、何よりも「回復」を妨げている理由じゃないか、という気もする。
それでも「回復したい」という意思があるなら、回復に向かって少しは進んでいくのだろうか―――そう思いたいところなんだけど。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(11) | trackbacks(0) |
2013.05.10 Friday 20:33
前回の続きで、3月の入院中に気づいたこと。今回はドクター&ナース編です。

  *  *  *  *  *  *  *  *

■外科医は激務

これは前回(2004年)に入院したときも感じたこと。いやもう外科医って凄い。人間業じゃない。

外来での診察のときも、乳腺外科の主治医は、たいがい忙しそうに見えた。
外来はいつも混んでいて、朝8時半から夕方まで、ずっと予約で埋まっている状態。お昼の12時半にも普通に診察予約を入れてたので、もしかしてお昼ご飯も食べてないのでは?と心配になるほど。

主治医の外来診察は週2回、それ以外の仕事は、通院してるだけなら知らないままで終わっただろうけど……入院するとさらに、主治医の「外来診察以外」の仕事の部分が見えてくる。もちろん「手術」もその一つ。

それだけではなく、病棟では朝8時頃と夕方5時半頃、主治医はほぼ毎日様子を見にきてくれた。これは本当に有り難かった。傷の治りが順調かどうか、リハビリをどの程度やっていいかとか、もちろん看護師さんも力になってくれるんだけど、主治医と話せると安心感がある。

しかし何よりも驚いたのは。
手術が終わった後の夕方、主治医が部屋に来てくれて、手術の結果を説明してくれた、そのときのことなんだけど。
去り際にこんなことを言ってのけたのだ。

「私は今日これから他の病院の当直なのでいてあげられないけど、ちゃんと他の先生がいるからね」

・・・はい!? 手術を終えてすぐ、他の病院で当直ですと?
麻酔から醒めて間もないボンヤリ状態でビックリ仰天、今も忘れられません。
ちなみにその翌日は、主治医は外来診察の日で。

えーとつまり、主治医の勤務を知ってる範囲でまとめると。
朝8時に病棟の患者の部屋を回って、それから夕方まで外来診察。翌日は朝から病棟を回って、手術を2件こなして、夕方から他の病院で当直。で、その翌日もまた朝から病棟を回って、外来診察……。
・・・うーんと、いつ寝てるの?(目が点)

もちろんその他にも、乳腺外科のドクター全員が集まって、患者の画像診断を確認したり、治療方針を話し合う時間もあるはずだし、診断書を書いてくれたりもするし、研究もあるだろうし、それ以外にも私には見えないところでたくさん仕事があるのでしょう……。
この状況で過労死しないってだけで、スゴイですよ。

一応付記しておくと、私が通っているのは、乳腺外科だけで複数のドクターがいる、そこそこ大きな規模の病院です。主治医は3回変わって、今の主治医は比較的若いドクター。だからこそ、当直も多いのだろうけど。

いろんな意味で、不安になります。「当直明けで正確な診断ができるのか?」という心配もあるけど、何よりも、ドクターの健康面は大丈夫なんでしょうか。実は初回治療(2004年)のときの主治医は、病気で休んでおられた時期があったのですが、その間患者である自分もどんなに不安だったか……いま思い出しても胸が痛いです。

「外科医が多忙すぎる」という話はニュースにもなっていて、これまでそういった話は何度も聞いてきたけど、今のところ解決策が見当たらない。せめて診察が短時間でスムーズに済むよう、自分も協力するくらいしか、できないです。

あと、すっごく大きなお世話かもしれないけど、女性医師がこの環境でキャリアを築こうと思ったら、出産は難しいだろうなあ、とも感じました。
本当にスゴイところです。外科って。超人軍団です。


■看護師さんがPCの前で

看護師さんももちろん激務だと聞きますが……入院中はしょっちゅう担当看護師さんが替わったので、単なる一入院患者には、勤務形態がイマイチ掴めなかったのです。3交代制で、午前担当の看護師さん、夕方以降担当の看護師さんは、そのたび毎に挨拶に来てくれたのですが。
そんな中で、ふと疑問に感じたこと。

ナースステーションの前を通ると、看護師さんたちがパソコンに向かって作業しているのをよく見かけたんだよね。「看護師さんがパソコンで仕事?」とちょっと不思議に思ったのですが……。
退院後に、アピタルの連載「町医者だから言いたい!」を読んでいたら、疑問がちょっぴり解けました。一部引用します。
とにかく、介護職員は忙しいようです。
病院職員と似ています。
病院の看護師さんもよく「忙しい」を連発されます。

何が忙しいといえば、バイタルチェックと記録です。
あのパソコン画面に向かっているのは、記録のため。
記録が無いと仕事をしたことにならないのが、現代。

本当は、お喋りをしたり、マッサージをしたり、
一緒にお散歩できればいいのですが。
とてもそんな時間は無いようです。

町医者だから言いたい!《1077》 桜が見られるのは6人に1人です」より

確かに今の病院はすべて電子カルテだけど、看護記録もパソコンに打ち込むのか……。

近年、いろんな場所で、「事務仕事が増えて、人と向き合う時間が減った」という話はよく耳にする。病院でも、学校でも、介護施設でもそうらしい。
でもなんでそんなにデータや書類が必要なのか、私にはよくわからない。訴訟対策くらいしか思いつかないんだけど。

・・・などと言いつつ、担当の看護師さんは皆親切だったし、夜中にナースコールしたときもすぐに対応してくれて、自分の入院生活の中では何の不満もなかったです。

  *  *  *  *  *  *  *  *

えーと話の種は尽きないのですが、この辺で。
手術についてはまた後日、別エントリを書く予定です。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(2) | trackbacks(0) |
2013.05.08 Wednesday 20:32
今さらという気もしますが、3月の入院中に気づいたことなど、当時のメモから書き起こしておきます。

私は子どもの頃から、病院にはよくお世話になっている方だけど、入院経験は3回だけ。
だから私にとっても、入院生活というのは、非日常のワンダーランドです。
手首にバーコード付きのリストバンドをつけて病棟に入ったら、そこはもう別世界。
一日中パジャマ姿で病院内を闊歩し、看護師さんにはトイレの回数まで尋ねられるという病人王国。

そんな病人王国の秘密の一部を、こっそり皆さんに教えちゃいましょう―――じゃなくて、単純に前回の入院生活と比較して気づいたことをまとめただけです。
思ったより長くなったので、2回に分けることにしました。

こういう話、病院に縁のない方にはまったく興味のない内容かもしれませんが、それもまたご愛嬌ということでひとつ。

  *  *  *  *  *  *  *  * 

■同室の患者さんとのコミュニケーションがなかった

ブログ主のようなビンボー人は、差額ベッド代のかかる個室に入るわけはなく、大部屋(4人部屋)での入院生活だったのですが。
なんと同室の人たちは皆カーテンを閉め切ってて、まったく話す機会がない。それどころか、挨拶を交わすことさえなかった。これは、今回いちばん驚いたことだった。

過去2回の入院生活では、同室の患者さんとおしゃべりすることもあったし、何の病気かもお互いに知って、それなりに仲良くなったものだったのに……。今回の入院では、同室の人の顔もロクに見たことがないというくらい、交流がなかった。

食事のときもそう。私が入院した病院には、患者用の食堂があるのだけれども。
2004年の入院時には、朝昼夕の食事時に、同じフロアの患者さんがそこに集まって、一緒に食事をしたものだった。今回は、食事場所は自室のベッドか食堂か、患者が各々選べるようになっていたんだけど―――大多数の患者さんが、自室のベッドで食べることを選んでいたようだ。

私も手術前は、微熱もあったので、ベッドで食事をしていた。でも、食べにくいんだよね、ベッドの上って。
なので手術の翌日、点滴の針が取れてからは、食堂で食べることにした。そしたらなんと、食堂で食べている患者さんはわずか2、3人。たまたまそこに、私と同室のおしゃべり好きな年配女性がいて、そのグループに入れてもらって、一緒に食事をすることになった。それ以来、多少なりともおしゃべりする機会はできたのだけれども……他の人とは相変わらず没交渉だった。

この数年の間に、どうしてこんなにも「個人主義」的になっちゃったんだろう?
一つ考えられるのは、入院が短期間になったからじゃないか?ということだ。
それこそ一ヵ月以上入院してるなら、同室の人と話さないのは不自然だ。でも今は、3、4日で退院する人も多い。それだったら、とりたてて話す必要はないよね。私も一週間しかいなかったし。

私自身、決して「おしゃべり好き」なタイプではないし、誰とも関わらない方が気楽でいい、と感じたりもする。それにしても「挨拶もなし」というのは、ちょっと寂しい気がするんだよね……。


■敷地内全面禁煙ってどうなの?

私の通っている病院は、数年前から「敷地内全面禁煙」になった。
私はまったくタバコを吸わないし、タバコの煙に近づくと目や喉が痛くなるため、タバコのない環境の方がむしろ望ましい、のだけれども……。

入院患者の多い病院が「敷地内全面禁煙」というのはちょっと行き過ぎなんじゃないか、「喫煙室を設ける」方がいいのではないか、ということは常々思っていた。

というのも、私が前回(2004年に)入院したとき、隣のベッドにいた女性がやはり癌の患者さんで、喫煙者だったんですよ。
当時は、屋外の一カ所が喫煙所になっていて、彼女がそこでタバコを吸っている姿をちょくちょく見かけたものでした。そしてその方は、私が退院して数ヶ月後に亡くなったのです。
その記憶があるから―――癌の末期の患者さんには、せめてタバコくらい好きに吸わせてあげようよ、とか思っちゃうんだよね。自分は相変わらずタバコ嫌いなんだけどね。

  *  *  *  *  *  *  *  *

えーとこんな感じで、次回は「入院生活の雑感 〜ドクター&ナース編」の予定です。もう文章は書いてあるので、近日中にUPできるはずです。もう少々お待ちを。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(6) | trackbacks(0) |
2013.05.01 Wednesday 22:43
漫画雑誌を買うなんて、何年ぶりだろう。
思い出してみるに、私が雑誌を定期購読していたのは学生時代まで、その後はすっかり単行本派になってしまったのですが。

今回は、買わなきゃいけないワケがあるんですよ。
だって、だってね、獣木野生のパームシリーズ最終章「TASK」が、ついに連載開始になったのです!!

パームシリーズについては、かつて一度このブログに書いたことがあります。
あのエントリを書いた後、「私もパーム大好きです」という同志は幾人も現れたものの、「面白そうだから読んでみます」という人はひとりもいなくて、ブログ主としては残念な感じだったのですが。

まあいいです。
ジャーン。
Wings (ウィングス) 2013年 06月号 特別付録 永久保存版小冊子「プチ・パームブック」[雑誌]
獸木 野生 かわい 千草 尚 月地 箱 知子 御手洗 直子
新書館 (2013-04-27)

4月27日発売のWings6月号、表紙はジェームス&アンディですよ!
しかも付録として、パーム特集の小冊子「プチ・パームブック」までついてるんですよ!!
ファンとして、これは買わないわけにはいきません。
ひとつ想定外だったのは、しばらく見ないうちに、Wingsがひと回り大きくなってたことです。サイズの話です。B5判になってました。書店で探す場合はご注意を。

さて、パーム本編です。ネタバレはしてないつもりですが、一応折り畳みます。
続きを読む >>
| ●月ノヒカリ● | 漫画感想 | comments(12) | trackbacks(0) |
←新しい記事 1/1 pages 古い記事→
Search
Profile
Category
Recommend
Recommend
私の幸福論 (ちくま文庫)
私の幸福論 (ちくま文庫) (JUGEMレビュー »)
福田 恒存
たとえ不幸のうちにあっても、私たちが「幸福である」ために
Recommend
新版・小説道場〈4〉
新版・小説道場〈4〉 (JUGEMレビュー »)
中島 梓
わが人生の師。全4巻
Recommend
敗北からの創作
敗北からの創作 (JUGEMレビュー »)
明川 哲也
9・11テロ後「敗北」した私たちにできる「創作」とは?
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Admin
Calendar
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< May 2013 >>
Latest Entry
Archive
【WEB拍手】
応援してくれる人、拍手ポチッと押してね↓↓↓
↓ブログ主に小銭を!
note 瑞木理央
https://note.com/waterfield5
(自作短歌置き場です)
Analytics
Sponsored links
Mobile
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM