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2013.07.28 Sunday 23:32
前回のエントリで、有権者の(あるいは私の)政治離れは、「自分はどこにも包摂されていない」と感じているから―――ということをチラッと書いた。それについて、もう少し掘り下げてみようと思う。

ってことで、今回はアトピーについて書きます。
このブログには、これまで自分の病気のことを何度も書いてきたので、「またか」と思われるかもしれない。けど、いまだに全然「解決」していないので。

病気の苦しみって、本当に理解されないんものだということは、これまでも何度も何度も実感してきた。全身ボロボロになって苦しんでいる姿を目の前で見ているはずの、同居の家族にさえ理解されないのだから、まあ他人に理解されると思う方が間違っているのだろう。
でも、問題提起くらいはさせてほしいんだよね。

近年、「心の病」についての対策が必要だという主張は、ちょくちょく見かけるようになってきた。
一方で、身体的な病気の苦しみというのも確かに存在して、そしてそれは決して「心の問題」には還元できないはず―――ということ、忘れられていないだろうか。

アトピーという病気は、症状が軽度の人もいるし、「治った」人もいるから、社会的にはあまり問題にはされてないみたいだ。
でも私自身は、30年近くアトピーで苦しみ続けている。比較的「軽度」の状態のときもあれば、外出できないくらい「重度」のときもあって、その両側を行ったり来たりしている状態だ。

アトピーという病気にまつわる苦痛を、言葉で表現するのは難しい。以前にも「病歴」というエントリに、かなりしんどかったことを書いたつもりなんだけど……それでもただ「痒いだけの病気」と思われてしまったみたいで。

全身を、顔も体も手の指先まで、紙ヤスリでゴシゴシこすって、からだ中擦り傷だらけの血まみれになった状態を想像してほしい―――と言えば、少しは伝わるだろうか?
症状が酷いときは、ただ座っていることすら困難なくらい、気が狂いそうな痒みと闘わなければならない。寝ている間に体を掻きむしって服やシーツが血まみれ、ということもよくある。

「アトピー 自殺」で検索したら、こんなログも見つかった。重症アトピー患者の写真も載っている。

■【閲覧注意】アトピー板悲惨すぎ泣いた (ソニック速報)

「アトピーで苦しんでいる」話は、私自身も、これまで出会ってきた同病の患者さんからも、たくさん聞いてきた。でも、社会的には、まったく問題として認知されていない。
アトピーの体験談として世に出ているものは、「○○で治った」という話が圧倒的に多い。だから、重症アトピーの「治らない」苦しみというのは、表に出ることは少ない―――それこそ、2ちゃんねるのような場所でしか表出されていないように思う。

2ちゃんねるのアトピー板に、こんな書き込みがあった。
47 :名無しさん@まいぺ〜す:2012/05/21(月) 11:53:27.92 ID:PwbL3+rP
>>11
俺も見事なまでにアレルギーマーチ。
アトピー、喘息、鼻炎全部患った。
まあアトピーと鼻炎はだいぶこじらせたけど喘息は幸運なことに落ち着かせることができたからあまり偉そうなことは言えない。
それを踏まえた上で聞いてほしいが、俺も重症アトピーの辛さは別格だと思う。
鼻炎も運動とか色々制限されるし多少偏見があって辛いが、アトピーに比べると制限される範囲が全然違う。
重症アトピーはあらゆるところに影響が及ぶ。
仕事、勉強、運動、恋愛は言うまでもなく、趣味、交友関係、それどころか一般人にとってはごく普通のことが困難となる。
四六時中不快感に苛まれ、社会からは何の援助もない。
さらにさらに、重症アトピーから脱却する、これだけでも大変なことだが、社会にはそんな理解など一切ないので、
今度はぽっかり空いた空白期間と健常者との絶望的なまでの差に悩むことになる。
とんでもないハンデを背負わされてるにも関わらずそれを無視され無理矢理健常者と同じ土俵に立たされる。
これで精神おかしくならない人は聖者だと思う。

 (2chアトピー板「日本人の自殺原因第2位はアトピー」スレより)

私も同感だ。私は聖者じゃないから、実際に精神おかしくなったけどね。
スレタイにある「自殺」と「アトピー」の関係については、データがないはずだけど……アトピーで自殺した人は、存在する。私も自殺を考えたことは、数えきれないくらいある。

前にも書いたはずだけど、自殺の原因の一位は、「健康問題」なのだ。
内閣府の「平成24年版 自殺対策白書」のサイト内、「ライフステージと自殺の原因・動機の変化」の項を見ていたら、興味深い分析があった。
女性は全年齢を通して「健康問題」の占める割合が非常に高いのだ。男性の場合は、「経済・生活問題」の割合も高いけど、20代、30代でもやはり「健康問題」が原因のトップだ。

その割には、自殺について言及されるとき、「健康問題」に触れられることは、ものすごく少ないように感じる。(唯一、「うつ病」対策については、ちょくちょく見かけるようになったけれども。)
「病気」が原因の自殺については、どうしてあまり語られないのだろう?

自殺の問題だけじゃない。
「身体的な病気で困ってる」という人だって、それなりにいるはずなのに、問題として認知されていない。(公的に「障碍者」と認められている人については、「障碍者問題」として語られるけれども。)

古い記事だけど、アトピー患者さんのブログで、こんな問題提起がされていた。

「(アトピーの患者には)症状の悪化するようなハードな仕事は無理で
時間に融通が効く派遣でのお仕事や時給いくらのアルバイトで
生計をたてている方が多いのが現実です」

「いわゆる格差社会の『下流』『底辺』にいる人たちの中には
アトピー性皮膚炎に苦しむ方がかなりいるのでは?」


これは別にアトピーに限らないと思うけど、「病気」が原因で、働けなくて困ってる人は、他にもいるのではないかと思う。頼れる身内がいれば何とか生きていけるけど、そうでなかったら生活保護しか生きる手段がない。そういう人、いるはずなんだよ。

アトピー患者の社会参加を阻む要因としては、やはり「身体的な苦痛」がもっとも大きいと思う。「心の問題」じゃない。「身体が悲鳴を上げている」んだよ。
それに加えて、「精神的な苦痛」も確かにある。通りすがりの人に外見をジロジロ見られたり、アトピーを揶揄する言葉に傷ついたことのある患者さんは、たくさんいるはずだ。着られる服も限られるし、化粧もできない。
その上で、健康維持のために、どれだけコストを払わなければならないか―――バランスの取れた食生活、適度な運動、充分な睡眠、こまめな掃除(ダニやハウスダストもアレルギーの原因だから)、通院、さらに薬を塗ったり、皮膚の保護をする。それだけ手間と時間とお金をかけて、やっとなんとか「小康状態」を保てるのだ。決して「治る」わけではない。

こんな状態で、「バリバリ働く」なんて、不可能だ。それに就ける仕事も限られる。

「選ばなければ仕事はある」と言い放つ人は、しばしば見かける。

でも病気だと、仕事を選ばざるを得ないんだよ。
非正規雇用のアルバイトであっても、それが体を壊すギリギリのラインの働き方だったりするんだよ。
そして何よりも、そもそも病気があったら採用されないんだよ。アトピーにしろ、癌にしろ、ハローワークや仕事の面接に行ったとき、「治ってから来てください」と言われた―――なんてことは、腐るほどあるんだよ。

これは前にも書いたと思うけど、いわゆる「ニート」の中には、「病気で働けない」人も含まれているはずなのだ。
でも、マスコミでは「働いたら負けと思っている」という言葉が一人歩きしてしまった。「働けるのに働かない若者」というイメージを押しつけられてしまった。

その後、ニート対策と呼ばれるものは出てきたけれども、それはどうやら「心の問題があって、働くことを躊躇している」人を前提としているみたいだ。病気で働けない―――とりわけ身体的な病気を抱えている人のことは、まったく考慮されていない。

そもそも今、「病気で無職」の人を名指す日本語が、存在しないのだ。名指す言葉がないからこそ、現実に困ってるのに、「問題」として受け止められていない。

あるいは、「病気を抱えてるから、非正規雇用でしか働けない」という人もいる(かつての私もそうだった)。以前はなんとか働いていたけれども、体を壊して燃え尽きた、という人もいる。

これって「心の問題」だけではないと思うんだよ。かといって、「心の問題」がまったく存在しないかというと、そうではないあたりが、難しいところなんだけど。

「からだの健康問題」というのも現実にあって、それが障碍となって社会参加できなくて困っているということ、それもまた自殺に至るリスクであるということ、そういうことも問題として議論されるようになってほしい。これは切実な願いです。

私が2004年の乳がんの初回治療後に、具合が悪くなったのも、必ずしも「心の問題」だけではない。抗がん剤や手術、ホルモン療法等の治療が、体を痛めつけたという面もあると思う。

私はたまに「ひきこもり」を自称することもあるけど、それは自分の置かれている状態を表現するための、ちょうどいい言葉が他に見つからないからだ。

以前このブログにも取り上げた、湯浅誠さんの内閣府参与辞任にあたっての長い文章。そこに次のような一節があったからこそ、私は深い感銘を受けたのだ。少し長くなるけど、再び引用する。
 この人たちは、一言でいうと「日本型雇用、日本型福祉社会モデル」で対応されるはずと言われながら、現実には対応されていない人たちです。上記モデルにとって「想定外」の人たちだと言ってもいい(もちろん、本当はとうの昔に想定されるべきだったのですが)。
(中略)
……日本型雇用、日本型福祉社会の「想定外」、傘の外、という共通項に着目して、その全体に対応するための仕組みづくりを行っていく必要が出てきます。それは「対象を限定せず、従来の制度では対応されてこなかった人たちに対応する」という形を取ります。なぜなら、傘の外は、何かしら名指して定義した(アイデンティファイした)とたんに、その定義にあてはまらない人たちを生み出してしまうからです。「ひきこもり」を定義したとたんに、事実上ひきこもり状態なのに、その定義にあてはまらない人たちが出てくる。「ホームレス」を定義したとたんに「ネットカフェ難民」はホームレスではなくなる。定義から漏れた人たちのサブカテゴリーを定義し、それに対応する施策を次々と打ち出すのは初期には必要なことですが、それを繰り返していると、施策はさらに細切れになり、制度全体は複雑化していき、ほとんど誰も全体像を理解できない迷路のような構築物ができあがる、となってしまうからです。

 (湯浅誠からのお知らせ「内閣府参与辞任について」より)


湯浅誠さんが、「ひきこもり」にも言及してくれたこと、その上で、「何かしら定義したとたんに、その定義にあてはまらない人たちを生み出してしまう」ということまで、語ってくれたこと。
こういうことを言ってくれる人がいるのは、本当に有り難い。自分のような存在も「忘れられていない」と感じることができるから。

私もまた、厳密には「ひきこもり」の定義には当てはまらないのだろう。
2010年の内閣府による「ひきこもりに関する実態調査」中の、ひきこもり群・ひきこもり親和群の定義(PDF)によると、「統合失調症や身体的な病気」が原因の場合は、ひきこもりの定義から除外されている。

「ひきこもり」対策というのもまた、「心の問題」にされてしまっているのだ。「身体的な病気」について考慮されることは、まずない。
だから、「身体的な病気を抱えて困っている」ことを相談する場所がないのだ。
ましてや社会保障なんて、まったくない。
この状況、どうにかならないものだろうか。

今ある社会保障も削減されつつある現在、新たに社会保障を求めるのは、相当に困難なことだと思う。
でも、せめて問題提起くらいはさせてほしい。「身体的な病気で困っている人もいる」ということくらいは、言わせてほしい。

世の中には、「病気は甘え」と切り捨てる人が、一定数(もしかしたら多数派かもしれない)存在する。
あるいは、「私は病気だったけどこんなに頑張って働いている。だからあなたのは甘えだ」と主張する人もいる。
彼らには、そう見えるのだろう。
そんな場所では、私のささやかな叫びなんて掻き消されてしまうかもしれない。

でも実際のところ、病気や障碍に負けずに頑張れる人ばかりではないと思うんだ。打ちのめされてる人だっていると思うんだ。そういう人には、私の声も届くかもしれない―――と願いつつ、書いてみることにした。
意見をもらえたら嬉しいです。

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| ●月ノヒカリ● | 社会 | comments(11) | trackbacks(0) |
2013.07.18 Thursday 23:59
ここ最近、夏バテのせいか、さっぱり頭が働かないんだけど……選挙の前に一度は更新しておこうかな、と。

選挙っていうのは、行く人は必ず行くけど、行かない人はまあ行かないよね。
私はだいたい投票してるけど……それでもむしろ、「選挙に行かない人」にシンパシーを感じたりもする。投票の後にはいつも、ある種の虚しさに襲われるし。
政治―――というか、投票という行為と、自分の利害や幸せとの間には、溝があり過ぎるから。

昨年は、新聞上で「政治不信」とか「ポピュリズム」についてコラムやインタビュー記事をよく読んだ。
中でも印象に残っているのは、2012年1月29日の朝日新聞のコラムにあった「政治不信2.0」という言葉だ。執筆者は大野博人編集委員。立教大学の小川有美教授の「政治不信には二つのバージョンがある」という話から始まる。

政治不信「1.0」は、政治家がやるべきことをやらず、国民の負託に応えない。経済は上向かないし、雇用は増えないし、対外関係もうまくいかない。こんなときに与党を中心に政界に向けられる不信。
それに対して、政治不信「2.0」とは、グローバル経済や少子高齢化、環境など重要な問題に、もはや政治は解決をもたらせないのではないか、リーダーや政権党が交代しても同じではないかという、もっと深刻な不信のこと。
日本を含め民主主義国では、両方がないまぜになりつつ「2.0」へのバージョンアップが進んでいる―――という見立てだ。

だからこそ、選挙以外にも、民意を表現する回路が必要だ、という主張につながるわけなんだけど。

さらに、投票率が下がっているのは、有権者が「自分は誰にも代表されていない」「どこにも包摂されていない」と感じているから―――という分析もよく見かけるようになった。

こういう感覚、私もよくわかるんだよね。
これが例えば、ひと昔前のサラリーマンだったら、労働組合に入っていて、労組の推薦する候補に投票する、というのが定石だったのだろう。
でも今は非正規雇用が増えて、労組は力を失ってる。無職ならなおさら、「誰が自分を代弁してくれるか」なんてわからない。
障碍者政策についても、各党様々なマニフェストが出されてるんだけど(それについては後述する)―――自分のような中途半端な障碍者にも、何らかのメリットがあるのか、その辺もよくわからない。
私には子どももいないし、そもそも自分自身、十年後も生きているのかどうかすら、自信がない。

だから、投票という行為が、自分にとって何らかのメリットや実感を伴う変化をもたらすとは、思いにくいのだ。
それでも選挙に行くのは、やっぱり義務感があるからだろうね。「なぜ義務感を持つのか」について書き始めたら、ものすごく長くなりそうなので、またの機会に。

きっと、政治に多くを期待すべきではないのだろう。たとえ政権が交代しても、現実はちょっとずつしか変わらないのだから。
基本的に私は、政治には期待していない(期待できない)のだけれども―――ただ、そんな自分にとっても、ここ最近の動きは、ちょっと見過ごせないなあ、と感じている。

以下、今回の選挙にあたって、参考にした記事について、ちょっとだけ触れておきます。

まずは、憲法改正について。一つだけリンクを貼っておきます。
■中日新聞 シリーズ検証・自民党改憲草案 ― その先に見えるもの
憲法改正については、あまりメディアで取り上げられていないように思うけど、中日新聞(東京新聞)では検証記事が連載されていたらしい。
憲法というのは、国家権力が暴走しないよう歯止めをかけるものだと、私は認識していたのですが―――ざっと読むだけでも、自民党改憲草案、怖すぎです。

生活保護法改正について。
■「生活保護のリアル」みわよしこ(ダイヤモンド・オンライン)
この中の記事をひとつ読むだけでも、世の中に出回ってる生活保護のイメージがいかに偏っているか、実感できる。
PDFファイルが読める環境の人は、日弁連による「今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?(PDF)」も簡潔でわかりやすいです。

障碍者政策について。
■参院選マニフェスト比較2013(障害者分野)(lessorの日記)
維新は障碍者政策に「言及なし」。ってことは、彼らの世界では、障碍者は存在しないことになってるんでしょうね……。
↓にはもう少し詳しい分析がある。
■参議院選挙を障害者政策の観点から考える ―― 各党の選挙公約をもとに(SYNODOS)

ここには挙げませんでしたが、もちろん原発問題も忘れてないです。

私には支持政党はないけれども、「この党には政権を取ってほしくない」という政党は存在する。
なので、たかが一票ではあるけれども、今度の日曜日には、意思表示をしてくるつもりです。






| ●月ノヒカリ● | 社会 | comments(8) | trackbacks(0) |
2013.07.10 Wednesday 16:37
暑いです。
うっかり外へ出たら、殺人的な太陽光線の集中砲火を浴び、こんがりトーストにされてしまう危険な季節の到来です。
しかし家の中もまたサウナ状態、小難しい本を読んでも、さっぱり頭に入ってこない。

そんなときはやっぱり漫画でしょう。
今回おススメしたいのは、四宮しの『魔女と猫の話』。
書店の猫漫画コーナーで見つけた本。今の大手書店の漫画コーナーって、猫漫画だけ集めた棚があるんだね。初めて知りました。
そして帯には「今年一番のお薦めコミックス!『ねこぱんち』編集長」と書いてあった。今は『ねこぱんち』なんて雑誌があるんだね。初めて知りました。

まず、設定がちょっぴりファンタジーなのだ。
舞台は12〜18歳の女の子が通う魔法学校。彼女たちは13歳になると、生涯の守護霊となる猫を召喚できる。
全7話の読み切りで、すず、蛍(けい)、ニナ、マリーの仲良し4人組がストーリーの中心となっている。13歳になった彼女らが、それぞれの猫(守護霊)と出会い、喧嘩したり反発したりしながら、次第に信頼し合うようになり、かつ自分の夢も見出していくという、女の子の成長物語だ。
確かに魔女に猫はつきものだし、この設定なら、猫が人語でおしゃべりするのも、さほど違和感がない。

さらに第3話はすずの祖母が、第7話はすず達の先生が魔法学校の生徒だった頃を描いている。上の世代が主人公となる話もあるからこそ、魔法学校の歴史やストーリーに奥行きが増している。

そして何よりも、猫が可愛い。もう犯罪的に可愛い。ショートヘアにロングヘア、黒猫にぶち猫、オッドアイetc.―――様々な種類の猫がちゃんと描き分けられている。
私の一番お気に入りの猫は、第2話に出てくる子猫のマルセル。走る姿もキュート、泣き顔もプリティ。やられました。ノックアウトです。

もちろん小さな魔女たちも、皆ピュアで真っ直ぐで可愛くて、古き良き時代の少女漫画を思い起こさせる―――個人的には、昔の赤い背表紙の萩尾望都全集に収録されているコミカルなタッチの漫画(「3月ウサギが集団で」とか)を思い出した。

ただこの漫画、「女の子だけの世界」かと思ったら、猫はすべてオスで、人型にも変身できるいうあたり、ジェンダー的な思惑があるのだろうか、などと勘繰りたくなってしまった……が、そんな分析は野暮かもしれない。
爽やかな風のような読後感を、素直に楽しめばいい。

私はポジティブ自己啓発本の類いは苦手なんだけど―――いつもこういう漫画から、心がほんわか温かくなるようなエネルギーを得ているのだと思う。
この『魔女と猫の話』も、「読むと元気になる心のサプリメント」として手元に置いておきたい一冊となった。

猫好きはもちろん、魔法少女好き、女子校で女の子たちがキャッキャウフフしてるのが好きな人は、読んでみたらいいと思うよ。


魔女と猫の話 (ねこぱんちコミックス)    
賑やかな表紙もキュートです。




| ●月ノヒカリ● | 漫画感想 | comments(4) | trackbacks(0) |
2013.07.05 Friday 21:25
7月になりました。7月といえば、このブログの誕生月です。
4周年の誕生日を迎え、これまで地下に潜っていた月ノヒカリも、そろそろ〜っと地上に顔を出すことにしました。

えーとつまり、拍手レスの復活です。半年ぶりになります。
今年始めに癌再発がわかってから、ずーっとレスしてなかったんだよね。
心に余裕がなくなったときは、うまく言葉が出てこないというか、コメントレス程度の文章も書けなくなるもんだなーと、つくづく実感した半年でした。

でも今は、ブログ主も拍手レスができるくらい元気になりました。これもひとえに温かく見守ってくださった皆様のおかげです〜。

いただいたコメントをまとめて読み返してみて、改めて、たくさんの方に励ましの言葉をかけていただいたことを実感し、その有り難さをしみじみと噛み締めました。
多くの方に心配していただけて、月ノヒカリは本当に幸せ者です。

本来なら、お見舞いや応援のコメントをくださった方すべてにレスしたいところですが―――入院前にいただいたコメントについては、すでにタイミングを逸している感じなのですよね。

なので、まずはこの場で、コメントくださったすべての皆様に、お礼申し上げます。
みんな本当にありがとう!!

以下、いただいた拍手コメントをいくつかピックアップして、レスすることにします。
感謝の気持ちを込めて、拍手レス。
送った覚えのある方は覗いてみてください!
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| ●月ノヒカリ● | web拍手レス | comments(0) | trackbacks(0) |
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