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2020.09.12 Saturday
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2013.09.29 Sunday 22:58
医師が、患者さんや同僚とやり取りする際に、心に留めておきたいTips集。病院内のコミュニケーションが主なので、基本的には医療関係者向けなんだろうけど―――コミュニケーションが苦手なオタクの人にとっても、有益な内容じゃなかろうか。
というのも、参考文献がちょっと独特なのだ。
山本七平の著書(『空気の研究』他)はまだわかるとして、宮本武蔵『五輪書』、クラウゼヴィッツの『戦争論』etc.……まるで軍事オタクの本棚みたい。
今の時代、「交渉術」の本なんて、他にもたくさん出版されているだろう。
それでも私にとっては、この本は、「病院」という馴染みのある場所が舞台となっているせいか、場面をイメージしやすく、理解しやすかった。
とりわけ面白く読んだのは、会話術(第5章)、謝罪のしかた(第9章)、交渉術(第10章)について分析された章。
第5章から一つ、興味深かった部分を挙げると―――。
「患者さんに敬意を持って接しましょう」などという理念を毎日唱えても、人の行動は変わらない。しかし特定の単語を一つ変えるだけで、面白い変化が起きるという(P.74〜75)。
例えば、病棟で患者さんに対して「何かあったら言ってください」という話し方を、「教えてください」に変えてみる。「言って」ではなく「教えて」と発音しようとすると、自然と患者さんに頭を下げる姿勢を取らざるを得なくなる。結果、マナーとして唱えていた理念が、高い確率で達成できる、とのこと。
う〜ん、それが本当なら、私があまり好きではない「患者様」という呼び方にも、ちょっとは意義があるのかもしれないな。
ちょっと話は逸れるけど、いわゆる「言葉狩り」というのは、批判されることもあるけど、それなりに有意義かもしれない、と考えさせられた。
「大事なのは(外面ではなく)内面だ」などということは、よく言われる。
けれども実際には、
「単語を言い換える(外面の変化)」→「人の行動が変化する」→「その人の考え方が書き換えられる」
―――という、通常考えられているのとは逆方向の変化も、起こり得るのだ。
この本は基本的に、「患者さんの目線で話す」といった理念を語るものではなく、あくまでも会話の技術(テクニック)の分析が中心なので、そのあたりで、もしかしたら好き嫌いが分かれるかもしれない。
ただ、私にとっては、妙に腑に落ちるところがあった。
例えば、「さりげない気遣いというのは、あざとく伝える技術の延長にある」(p.80)という一節。そう、「技術」の裏付けのない「気遣い」って、下手したらかえって「迷惑」になっちゃう可能性もあるんだよね。それ、私もこれまで幾度となく失敗してきたことだ。
さらに、第10章の「健全な相互不信を育む」という一節。100%の純粋無垢な信頼というのは危険だ。信頼は半分とちょっとだけでいい、「不信の目」を半分くらい残しておいてもらう方が、自由に振る舞える、という分析。これも、目から鱗だった。
でも、実感としてはよくわかる話だ。私も、主治医をいい先生だと思ってはいるものの、「全面的に信頼」はしていない。「51%の信頼を目指す」というのは、なかなか適切な基準ではないだろうか。信頼と不信が入り混じった関係こそが「健全」な人間関係なのだろう。
そして何よりも、本のあとがきに収録されているエピソード―――著者が若い頃、患者さんに言い負かされた話が、なんとも味わい深い。著者のブログにも公開されているので、興味のある方はご一読を。
そんなわけで、私にとっては、有益かつ面白い本だったんだけど―――ただ、よくも悪くも、「医師の書いた本」だな、ということは、随所で感じた。
というのも、この本の「コミュニケーション」というのは、「状況をコントロールする」ことが第一の主題になっているのだ。
つまり、「トラブル回避のための」コミュニケーション術であって、根底にあるのは「訴訟対策」じゃないか、と勘繰りたくなってしまう。(実は付録として、訴訟になったときの対処法を書いた一節も収録されている。)
だから、患者の立場で読むと、ちょっぴりもの足りなさが残るのも事実だ。
逆説的だけど、「そうではないコミュニケーション」もあるんじゃないか、って思ってしまうんだよね。
例えば、かつて読んだ宮地尚子の著書や、看護論の本などは、ある意味、この本とは対極的な視点に立っているように感じた。
「状況をコントロールする」よりもむしろ「巻き込まれる」ことを是とするようなコミュニケーション。それはもしかしたら「女性的」と呼ばれる種類のものかもしれない。
「cure と care の違い」で言えば、careの視点。そういったものが、この本には欠けているように思う。
「患者の立場になって聴く・話す」とか、共感的なコミュニケーションとか、そういう「ケア」に相当する部分。そういったことは、病院では、もしかしたら看護師さんの役割になるのかもしれない。(医師はどこまでもcureの立場の人だ。)
実はこの本にも、印象的なエピソードが出てきた。事故現場で亡くなった子どもの遺体を前にして、親御さんはその死を受け止められず、「あの子の顔の傷を何とかしてくれ」と叫び続けたと言う。しかし、看護師さんが亡くなった子どもの顔に絆創膏を貼ったら、親御さんは、そこで初めて子どもの死を受け入れられた―――とのこと(P.23)。
おそらく、「亡くなった子どもの顔に絆創膏を貼る」ようなコミュニケーションは、この本を百回読んでも実践できないだろう。
そんな限界も感じつつ、それでも全体としては、得るものの多いコミュニケーション論だった。
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2013.09.18 Wednesday 00:03珍しくお出かけ日記。
先日、愛岐トンネル群アートプロジェクト「荒野ノヒカリ」に行ってきました。
愛岐トンネルとは、愛知県と岐阜県の県境にある廃トンネル群。
1900年(明治33年)に開通した国鉄中央本線のトンネルで、後に別ルートが開通したため、現在は使われていない。今は春と秋にのみ、一般公開されているのだけれども(愛岐トンネル群保存再生委員会のサイトを参照)。
今年9〜10月の土日祝日は特別に、今やってる「あいちトリエンナーレ」に合わせて、この場所でアートイベントが開催されているのです。
プロジェクト名が「荒野ノヒカリ」だと知り、ワタクシは引き寄せられるように彼の地へと向かいました。(だって月ノヒカリだから…!)
というわけで、「月ノヒカリ、荒野ノヒカリに行く」レポートの始まり始まり〜。
愛岐トンネル群へは、名古屋駅からJR中央本線で約30分、定光寺駅で下車。
川沿いに少し歩くと、看板がありました。
その横の急な階段を上ったら受付。入場料500円を払い、地図をもらう。
特別イベントのない日だったせいか、人影はまばら。親子連れとか女性グループがちらほらと。私はもちろん一人で行きました!!
公開されているのは、3号〜6号トンネル。片道約1.7kmを歩きます。
トンネルの入口はこんな感じ。(何号トンネルか忘れました。)
トンネルの門は、すべて異なるデザインだそうです。
トンネルの中は本当に真っ暗で、まさに一寸先は闇。
懐中電灯持ってくればよかったなあ、などとちょっぴり不安になったものの、真っ暗な中をそろりそろりと歩くのもまた楽し、というわけで。
砂利道をおそるおそる歩いていくと―――出口の光が、ひときわ眩しい。
庄内川沿いの渓谷にあるため、周囲の景色も素晴らしいです。
途中に、ちょっとした売店がありました。(たぶん「荒野ノヒカリ」期間中だけの出店です。)
私が買ったのは「大地のどらやき」(200円)。
全粒粉の小麦粉とか十勝産小豆とか、材料にこだわってるみたい。生地がふわっふわでおいしかったー。
ふと見つけた案内板に、さりげなく怖いことが書かれてました。
5号トンネル建設時には、崩落事故で作業員5人が亡くなったとか、4年間のトンネル工事で20名以上が命を落としたとか―――明治時代の工事現場、ブラック過ぎる……っ! 犠牲となった方々に合掌。
6号トンネルはこの中で一番長く、333mもあります。長ーいトンネルの中をひたすら歩いていくと―――出口付近で、ドリアン助川さんの作品を見つけました!
上から籠がぶら下がっていて「お一人一枚カードをお取り下さい」とのこと。
カードを開けると―――。
Even rapid currents eventually become placid streams.
という言葉が。この渓谷の地にピッタリの言葉です。
激流もやがて深く静かな流れに。
ふと、吉田秋生の『河よりも長くゆるやかに』のワンシーンを思い出してしまいました(懐かしの漫画。わかる人にしかわからない話でスマン)。
6号トンネルを抜けたところで、行き止まり。そこが愛知県と岐阜県の県境とのこと。
ここから来た道を引き返します。
アート作品は、だいたいトンネル内にあったのですが(サウンドインスタレーションが多かった)……中には、見つけにくいものも。
鈴木昭男さんの作品、「点音(おとだて)」ポイントというのは、どこにあるのかさっぱりわからず、案内のおじさんに尋ねました。その一つは、5号トンネルから少し外れたところにある、「山おやじ 榎(エノキ)の大木」の近くにあるとのこと。
(榎、たぶんこの写真で合ってると思います。が、イマイチ自信なし。)
この木の近くに、マークがありました。「この場所で耳を澄まして音を聴こう」という趣向らしいです。
まあ確かに、豊かな自然に囲まれて、ここらで清々しい気分に浸りたいところ、だったんです、が。
実はこのあたりまで来たら、自分以外、人っ子一人いなかったのです。
もしここで転んで足をくじいて動けなくなったりしたら、誰にも発見されずそのまま腐乱死体になるんだろーか、などとちょっと落ち着かなくなってしまい―――ヘタレなブログ主は、「腐乱死体は嫌だよう」などと涙目になりながら、そそくさと来た道を戻ったのでした……。
こんな山奥に一人で来るのも考えものですな。
結局、二時間半くらいトンネル付近をあちこちウロウロしてから、帰りました。
とりあえず、注意事項をまとめておきます。
●歩きやすい靴はマスト。
●懐中電灯があるとベター。
●飲み物も持って行った方がいい。(周辺に売店も自販機も見当たらなかった。)
●ICカード乗車券は、前もってチャージしておくこと。
定光寺駅は無人駅で、切符売り場も改札もありませんでした。
ICカードをタッチする機械があるだけで。う〜ん、ICカード持ってない人はどうするんだろ?(ちなみに私は「マナカ」を使いました。)
帰りの電車。
地上を走る電車に乗ることはめったにないので(普段乗るのは地下鉄)、外の景色が見えるのは新鮮です。
あと、定光寺駅に止まる電車は、1時間に2本しかありません。
前もって時刻表をチェックしておいた方が無難です。(→JR東海のサイト)
他にも写真はあるのですが、多くはピンボケで使い物にならず……比較的マトモな写真を集めて記事にしました。
おそまつさまでした〜。
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2013.09.12 Thursday 00:09今年の春、再発癌の手術で入院するにあたって、「iPodにビートルズの曲を入れて持っていく」と書いてから、はや半年が過ぎてしまいました。
「なぜビートルズなのか?」という話を退院後に書くつもりが、こんなに遅くなってしまって……待っててくださった方、すみませんでした。
ビートルズの話、しばしお付き合いくださいませ。
さて、「ビートルズで好きな曲は?」と尋ねられたら、なんて答えますか?
私の場合、「ヘイ・ジュード」といった有名曲も好きだけど。
今回、癌の治療のテーマソングだと勝手に思って聴いていたのは、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「マジカル・ミステリー・ツアー」だった。
なぜか、と言いますと。
もうずいぶん前のことだけど、愛知県がんセンターの精神腫瘍科(癌患者の心のケアを専門とする精神科)のドクターの講演を聴いたとき、「アンチ・キャンサー・リーグ」というサイトを教えてもらったのだった。その中の「ベッドサイド・ミュージック」というコーナー、つまり入院中の癌患者さんのベッドサイドにあったCDの話が、とりわけ私の琴線に触れた。
■ベッドサイド・ミュージック(愛知県がんセンター アンチ・キャンサー・リーグ)
この中の、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」について書かれた文章に、私はものすごく、涙が出るほど共感してしまったのだ。
「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」の歌詞、I think I know I mean a "Yes" but it's all wrong
これを「厳しいがん治療に同意する患者さんの心持ちのよう」に感じた、という一節。
That is, I think I disagree
(「はい」と言っても、そういうわけではなくて、結局、同意はしていないんだと思う)
私もまた、自分の受けた治療を振り返って、本当にその通りだなあと思ったんだ。
何度も書いたけど、外科の主治医は本当にいい先生で、手術や抗がん剤、放射線治療といった治療に臨むとき、きちんと説明をしてくれた。
私も頭では理解して、「はい、わかりました」と答えた。
でも、私の心の奥底では、本当のところ、ぜんぜん納得なんてしていなかったんだと思う。
抗がん剤で髪が抜けたとき、手術後に傷痕を見たとき、治療が一段落して抜け殻のようになってしまったとき―――私はずっと、「同意できない何か」を心の内に抱えていた。
「気持ちの整理をしよう」とか「前に進まなきゃ」とか、そうしなきゃいけないと頭では思っていても、体は全然ついてきてくれなかった。
ストロベリー・フィールズが孤児院だというのは、有名な話だ。
でも私には―――この歌は、癌の治療に立ち向かう孤独な心情、やり場のない葛藤、そういったものを表現してくれているように感じてしまうのだった。
そして、「マジカル・ミステリー・ツアー」も、また。
ずっと前から思っていたのだけど、病気を患うことは、旅に似ている。
これまで知らなかった世界に連れて行かれて、これまで食べたことのない食べ物を味わい、これまで見たことのない風景を見る。
もっと正確に言うと、「見慣れたはず風景が、別世界のように目の前に立ち現れる」ような、そんな体験をすることになる。
癌の治療をしているとき、毎年見ているはずの桜が、例年よりもずっと艶やかに輝いて見えた。
そして、木々の緑や、道端にひっそりと咲いている小さな花が、どれほど私を慰めてくれたか。
ふだん目にしているはずなのに、本当の意味では見ていなかったもの。それを再発見する旅だったんだと思う。
あるいはまた、こんなこともあった。抗がん剤治療をしていたときのことだ。
つい最近、乳がん患者さんに聞いた話では、今は良い制吐剤があって、抗がん剤の嘔吐は9割方なくなったらしいけど―――私が治療をした9年前は、抗がん剤の点滴をした後、嘔吐で苦しんだものだった。
みかんを食べても、もずくを食べても、吐いてしまうという状況で、すごーくお腹がすいていたんだけど、食べたら吐いちゃうから、ほとんど何も口にできなくて、ひもじい思いをした。
でも、点滴から2、3日後に、やっと少しずつ食べられるようになって。
そうしたら、母が「夕飯に好きなものを作ってあげる」と言ってくれたのだ。
だから私は、消化に良さそうという理由で、お好み焼きをリクエストしたのだった。
そのお好み焼きのおいしかったこと! あのときの感動は、今も忘れられない。
一気に食べたらまた吐きそうになるから、本当に少しずつ、一口ずつ、ゆっくり味わって食べたんだけど―――あんなに美味しいお好み焼きは、後にも先にも食べたことがない。あのとき食べたお好み焼きは、「これまでの人生で、もっとも美味しかった食べ物ベスト3」に入れてもいいくらいだ。
私は、食べ物にはかなりこだわる方だ。けど実は、ミシュランの三ツ星レストランとか、そういうのにはあんまり興味ないんだよね。
本当においしい食事というのは、グルメな人の評価で決まるような、そんなものではないと思ってるから。
あのとき食べた、母が作ってくれた何の変哲もないお好み焼きこそ、私にとって最高のご馳走だったのだ。
抗がん剤なんてもう二度とやりたくないくらい、しんどい経験だった。でも、抗がん剤を経験しなければ、あんなにおいしいお好み焼きは食べられなかっただろうな。
だから、私は、癌の治療というのは、「マジカル・ミステリー・ツアー」だと思うことにしたんだ。
行き先も、この先何が起こるかも、わからない旅。
でもときに、今まで見たことのないような、美しい景色を見せてくれる旅。
The Magical Mystery Tour is waiting to take you away……
今年、癌の再発がわかったのは、ちょっぴり、否、かなりショックだったけど―――私は、マジカル・ミステリー・ツアーに誘われたんだって、そう考えることにした。
そうして私は、iPodにビートルズを入れて、「マジカル・ミステリー・ツアー」を聴きながら、手術に臨んだのだ。
ちなみに、歌詞はこちらのサイトにありました(対訳付き)。
【Strawberry Fiels Forever】 【Magical Mystery Tour】
歌はYouTubeで検索すれば、聴けるはずです。
あと、私はビートルズのアルバムはそんなに持ってなくて、上記の歌は「青盤」で聴いてました。
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2013.09.02 Monday 23:41タイトルからして、ずいぶんと不謹慎な感じですが……このブログには、「密かに思っていても、口に出しては言えないこと」を言葉にしようと試みてきたので、あえて書きます。
(このブログを初めて読む方へ。ブログ主のこれまでの病歴については、このエントリにざっとまとめてあります。)
生きたいのに生きられない癌の患者さんの話は、たくさん世の中に出回っている。けど、「死にたがっている癌患者」の話なんて、まず見かけない。
でも、存在しないわけではないと思うんだよね。癌の罹患後に鬱になるというのも、わりとよくあることみたいだし。
だからここで、「死にたがってる癌患者」の一人として、自分の気持ちを書いてみる。
ただ、私がこれまでに知り合った癌患者さんの中には、遠隔転移して治癒しないと言われる状況で、それでも必死に治療を続けている人もいる。亡くなった方だっている。そういう患者さんの前では、「死にたいと思っている」なんて、口が裂けても言えないよね。
同病の患者仲間というのは、治療についての情報交換をしたり、ときには励まし合ったりできる、本当に有意義な関係だとしみじみ思うけれども―――それでも、「死にたい」という気持ちは、表には出せないし、共有できない。だからずっと、一人で思い詰めることしか、私にはできなかった。
それにしても理不尽だな、と思う。
「なんで死にたがってる私が生き残って、生きたがってる人が死ななきゃならないんだろう?」
なぜこんなことを考え始めたのかというと―――昨年末、「癌が再発したかもしれない」というエントリを書いたとき、いただいたコメントの中に「正直に言うと、羨ましいと思う」というものが複数あったからです。
そのコメントに引っかかりを感じたんだよね。「以前どこかで聞いたことがあるな」みたいな。
記憶を探ると、それは重症アトピーの人の言葉だったように思う。
「こんな治らない病気、地獄だよ。いっそ癌みたいに死ぬ病気の方がよかった」
私もその気持ちはわかる。けれども、実際に自分が癌になってみて、「癌の方がアトピーよりマシ」なわけではない、ということも実感した。もちろんその逆も真で、「あの病気よりこの病気の方がマシ」などと、一概には言えないのだと思う。
でも自分が癌になってみて、いろいろと「自分は思い違いをしていたな」と感じたことはある。自分が罹患する前に、癌という病気に対して持っていたイメージは、今振り返ると、一面的なものでしかなかった。
まず、「癌は、必ずしも死ぬ病気とは限らない」という事実がある。もちろん癌の種類やステージによって異なるけれども、今では「癌=死」というわけではない。適切に治療すれば、治り得る病気だ。(「治る」というのは、ちょっと語弊があるかもしれない。癌の治療前と後では、健康状態もメンタルへの影響も、大きく異なるのだから。「治る」のではなく、「長期生存が期待できる」と言った方が正確かもしれない。)
それだけではない。私が罹患した乳がんは、進行がゆっくりのタイプの癌なのだ。
以前のエントリ(病歴)にも書いたけど、私は自覚症状(胸のしこり)に気づいてから、専門医を受診するまでに、2年以上かかっている。
そして、その初回治療から8年以上を経て、今年リンパ節に再発したわけで。
それでも今のところ、死に至るような症状は出ていない。不幸中の幸いというべきか、私のは「おとなしい癌」だったみたいだ。
それにしても、8年も経ってから再発するだなんて、ずいぶんとまあ、のんびり屋さんの癌だよね。癌も宿主に似るのだろうか?
それはさておき、最初の話に戻る。
これまでもこのブログに書いてきたように、私は長いこと、それこそ中学生の頃からずっと、「死にたい」と思っていたわけですよ。
じゃあ癌になったらそれ幸いと、治療なんてせずに、自然に死ぬに任せればいいじゃん、などという考えも出てくると思うんですよ。
でも実際に癌になってみたら―――そう単純に思い切れるものではなかった。
そもそも「自分が癌かもしれない」と疑い続けて毎日を過ごすのは、それ自体かなりのストレスだった。はっきりさせるには、専門医を受診するしかないわけだけど―――そこで癌の告知をされて、「治療をしない」という選択をするのは、自分には無理だった。
ここで、ちょっと注釈を入れると。
ご存じの方もいるかもしれないけど、世の中には、「がん放置療法のすすめ」とか、「抗がん剤や手術は寿命を縮める。免疫力を高めて治せ」といった、西洋医学のコンセンサスとは真逆の主張をする一派も存在する。癌患者が治療に臨むとき、そういった「雑音」とも戦わなければならない側面もあるのだ。
まあ確かに私も、抗がん剤や放射線治療は怖いと思っていたし、できることならそんな治療はしたくなかった。
でも、乳がんについて知識を得れば得るほど、「治療をしないこと」の弊害も見えてきた。
乳がんの手術をしないまま進行すると、癌が皮膚にまで浸潤し、血や浸出液が滲み出て、悪臭を放つようになるらしい。そうなったら、日常生活を送ることも困難になる。
もっと深刻なのは、癌が遠隔臓器に転移した場合だ。
私は、乳がんの診断を受けてから、癌患者のコミュニティで、たくさんの患者さんの体験談を読んだり聞いたりしてきた。そこで知った末期癌の苦しみというのは、想像するより遥かに厳しいものだった。「もしかしたら自分も再発するかもしれない」という不安もあったため、それら体験談は、切実なリアリティをもって、私の身に迫ってきた。
先に書いたように、私の癌はかなりのんびり屋さんなので、まったく治療しなかったとしても、数年くらいは無症状で生きられたかもしれない。
それでも、「そのうち骨や肺や肝臓に転移するかもしれない」という恐怖心を抱いたまま毎日を過ごすというのは、それもまた物凄いストレスである。
つまりは、怖いんだよね。
「死ぬのが怖い」というよりはむしろ、生きて味わう「苦痛」の方が怖い。
「苦痛を味わうのが怖いから」―――そんなヘタレな理由で、今も私は、癌の治療を続けている。
こうやって思い返してみると、この十数年というもの、私は「生きたい」と「死にたい」の間を行ったり来たりし続けてきたのだった。
最初に癌の診断をされたのは、今から9年前、2004年のことで。そのときも、その後も、私はずっと「死にたい」と思っていた。外科の主治医は本当にいい先生で、熱心に説明も治療もしてくれたのに、「死にたい」なんて考えちゃうのは、申し訳ないという気持ちもあった。それでも「死にたい」という気持ちは、私の中から消えてくれなかった。
でも、不思議なことに。
私の体は、ちゃんと回復していくんだよね。
手術後に熱が出たり、腕が動かなかったりしたけど、それでも日が経つごとに、少しずつ力が戻ってくる。
私の心は死にたがっていたけど、私の体には、ちゃんと生きる力が残されていたんだな。それはちょっとした発見だった。
もちろんその後も、落ち込むこともあったし、思うように体力が戻らなくて焦りや不安に苛まれたこともあった。自殺を考えたことも、何度もあった。
それでも、何とか生き延びてきた。
そして今年になって、癌がリンパ節に再発したことがわかったとき、ごくごく自然に、「じゃあ手術しなきゃいけないな」と考えるようになった。それまではずっと「入院とか手術とか、もう二度とゴメンだ」って思ってたんだけどね。
私にもまだ、この世に思い残すことがあったみたいだ。
癌が再発して、一つよかったことがあるとすれば―――自分の中に「生きたい」という気持ちが存在していたということ、それに気づいたことじゃないかと思う。
私には、「明るく前向きに病気を乗り越える」なんてできそうにない。ドラマやマスメディアに出てくるような「美しい語り」は、どうやっても出てこない。
「生きたい」と「死にたい」、両方の気持ちのせめぎ合いの中で、みっともなく足掻くしかない。これからもそうして足掻き続けるのだろう。
ここはそういう、かっこわるいブログです。
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