2020.09.12 Saturday

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2013.11.28 Thursday 23:12
先日も書いたことだけど、最近、瞑想法や心理療法の本を読み返している。
何で「瞑想法」と「心理療法」が同列に並んでいるのか、念のため説明すると。
うつ病に対する心理療法の一つに、仏教の瞑想やヨガを取り入れた「マインドフルネス認知療法」という、新しいタイプ認知行動療法があるのだ。数年前のことだけど、私はその手の本を読んで、独学で試みたことがあった。ヨガはずっと教室に通っているけど、その他のは独学ではなかなか難しくて、挫折したんだけど。

え〜、前置きが長くなったけど。そういう本を読みながら考えたことって、自分以外の人が読んで価値があるかわからないけど、ちょっとだけ書いてみる。
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| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(6) | trackbacks(0) |
2013.11.23 Saturday 23:19
風邪が治ったと思ったら、またぶり返してしまったので、ブログ更新することにしました。

前から感じてたことだけど、「働けない」とか「ひきこもり」とかって、メンタルの問題にされがちだけど、「からだがポンコツで、使い物にならない」っていう身体上の問題もあると思うんだよね。そもそも稼働できる日が少なすぎる。自分が「元気に外出できる日」は、年に何日あるのか?って話。
それも「体力をつけよう」とウォーキングやヨガやいろいろな運動を十年以上続けてきて、それでもこのていたらくっていうのは、絶望も深まるよね。

というわけで、今回はネガティブ系エントリです。
| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(5) | trackbacks(0) |
2013.11.18 Monday 21:43
寒くなりましたね。鍋が美味しい季節です。日が暮れるのもあっという間、外はクリスマスのイルミネーションがきらきらと――って、まだ11月なのに、ねえ。2013年もこのまま、風のように通り過ぎていくのでしょうか。

ところで先週、ブログの更新が多かったのには、理由があるのです。
というのも先週はずっと風邪気味で、ウォーキングや筋トレを全部サボって、ひたすら読書とブログ書くのに没頭していたら――あら不思議、珍しく週3回も更新できました。
普段はウォーキングや筋トレだけで、結構な時間とエネルギーを使ってたんだなあ、と改めて気づきました。

で、ちょっと考えちゃいましたよ。自分の人生って一体なんなの? って。ひたすら健康維持に時間と労力を費やして、それでどうなるわけでもない。いや運動は、やらないよりはやった方がいいんでしょうけどね。
それにしたって、運動なんてほとんどしてない高齢者でも、海外旅行に行ける人もいるというのに……自分ときたら、ウォーキングだの筋トレだのを続けてても、日帰り旅行すらままならない程度の体力しかない。う〜ん、これってどうなんだろう? 自分は何か、やり方を間違えてるんだろうか。いや、もしかしたら逆に、運動を続けているからこそ、やっと今のレベルの体力を維持できているのだろうか。

ともあれ、風邪がほぼ治った今、やっぱり運動はしないよりはした方がいいと思うので、また再開することにします。
ブログに書きたいことはいろいろあるんだけど、文章を書くのに使うエネルギーって、体力とはまた別に必要みたいで。今後ブログを更新できるかどうかは、このブログの守り神、ダメダメ大明神のご意向次第でございます。

それでは皆様も風邪など召されませんよう、元気に冬支度を始めてくださいませ。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(0) | trackbacks(0) |
2013.11.15 Friday 23:35
鮮やかな黄色い表紙も目を惹くけど、何と言ってもタイトルにそそられる。原題は「The Tiny Wife」という素っ気ないものだけど、邦題は想像力をかき立てられるタイトルだ。

発端となるのは、カナダのとある銀行で起きた、奇妙な強盗事件。紫色の帽子をかぶり、拳銃を持って銀行に入ってきたその強盗は、その場にいた13人から、お金ではなく「もっとも思い入れのあるもの」を奪っていく。ある被害者は子どもの写真、またある被害者は母に贈られた古い腕時計を……。そして強盗は、こう言うのだ。
「私はあなたがたの魂の51%を手に、ここを去ります。そのせいであなたがたの人生には、一風おかしな出来事が起こるでしょう」
被害者たちは、奪われた「魂の51%」を自分の手で回復しなければならない。そうしなければ命を落とすことになるとのこと。

その言葉通り、被害者たちは強盗事件の後、次々に奇妙な出来事に遭遇していく。語り手の妻は、事件の後、身長が縮んでいることに気づく。他にも、全身がキャンディになった女性や、母親が98人に分裂した男性などなど、被害者たちの周囲でシュールな展開が繰り広げられる。

本編はわずか130ページほど。あっという間に読めるけど、2度、3度と読み返したくなる。
最初のうちはナンセンス小説かと思っていたのだけれども、読み進むうちに、意味深な寓意を感じるようになった。

個人的には、タトゥーのライオンに追いかけられる女性のエピソードが好きだ。彼女は、自分の中の恐怖と闘っていたのではないだろうか。
あるいはキャンディになった女性について考えると――彼女は、子どもや夫の望む通りの姿に自分を変えたために、自分自身を失ってしまったのではないか。
そんなふうに深読みしたくなる小説だ。

さらに、想像したくなる。もし自分なら、この銀行強盗に何を差し出すだろう? 「もの」ではないけど、もしこのブログ(あるいは月ノヒカリというネット人格)を消されたら、魂の半分くらいを奪われたような気持ちになるかもしれないな。そしたら私にも、何らかの変化が起こるのだろうか?

奇妙な出来事に見舞われた登場人物たちは、ハッピーエンドで終わる者もいれば、悲劇的な結末を迎える者もいる。あるいは日常にちょっと波風が立った程度で済んだ者もいる。彼らの差はどこにあるのか、考察したくなるけれども……でも私は、この小説を安易な教訓譚として受け取りたくはない。

この小説は、「魂のトリセツ(取扱説明書)」のようなものじゃないだろうか。
冒頭の銀行強盗は、「魂」について、ちょっと興味深い見解を述べていた。
――魂は金塊のような固形物ではなく、命を持ち、呼吸する生身のものである。魂はあなたがたに素晴らしいことを成し遂げる力を与えてくれるが、それは運転しながら車のバッテリーを充電するように、常に回復させなければならないのだと。

登場人物たちは、それぞれ異なる形の魂をもっていたからこそ、おのおの別の変化を経て、まったく違った結末を迎えたのだろう。
この小説の続きは、私たちが実人生を生きることによって、語り継がれることになるではないか。

銀行強盗は、もしかしたら明日、あなたのもとに現れるかもしれない。あるいはすでに事件は起こっていて、あなたは奪われた魂を回復するために、闘っている最中なのかもしれない。

人生において、不幸な出来事に見舞われたとき、あるいはそうでない日常生活の中でさえも、私たちは魂の一部を失っていく。魂は傷つけられ、蝕まれ、あるいはすり減らされていく。それは避け難いことなのだろう。

だから私たちは、自身の魂に、滋養のある食べ物を与え続けなければならないのだ。
この小説もまた、私にとっての「魂の栄養素」になり得る、そんな物語の一つだった。

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| ●月ノヒカリ● | 読書感想 | comments(0) | trackbacks(0) |
2013.11.12 Tuesday 23:30
最近は、心理療法や瞑想法の本を読み返している。(メンタル面がちょっと弱っているので……。)この手の本については、これまでブログに取り上げたことはなかったけど、もしかしたら多少はニーズがあるかも? と思い、書いてみる。

この本を最初に読んだのは、7、8年前だろうか。
『私のガンは私が治す』というタイトルからわかるように、癌患者向けの代替医療の指南書。
食事療法(ゲルソン療法)を紹介した章もあるけど、とりわけ重点的に取り上げられているのは「瞑想法」だ。著者の住むオーストラリアは代替医療大国で、瞑想(meditation)という言葉も一般に浸透しているらしい。

著者のイアン・ゴウラー氏は、25歳のときに骨肉腫で片足切断。余命宣告をされるも、瞑想法や食事療法といった代替医療で、奇跡的な回復を遂げたとのこと。
これについては、腫瘍が消えた写真も掲載され、オーストラリアの医療専門誌にも報告されているとのことから、おそらく事実なのだろう。

ただ、ここに紹介されている内容は、「医療」として考えると、エビデンスに乏しいとしか言いようがない。著者がフィリピンで受けた民間治療や、著者独自の「癌になる原因」理論については、半信半疑で、あるいは「医学的に証明されていないだろう」などとツッコミをいれながら読んだ部分も多い。しかし、瞑想法についての章からは、得るものが結構あった。

おそらく瞑想初心者向けには、他にもっといい入門書があるだろう。(私は綿本彰の『Yogaではじめる瞑想入門』『シンプルメディテーション』の付録CDをよく使用している。)
あるいは、ストレスに対処するための瞑想法の本も、他にたくさん出版されている。
じゃあこの本に特異な魅力はというと、「痛みへの対処」としての瞑想法に一章が割かれていることではなかろうか。

まず第一に、「痛みは苦しみではない」という著者の言葉に、目から鱗が落ちる思いがした。
痛みは本来、ただの体の症状に過ぎない。けれども私たちが感じるのは「痛みそのもの」だけではない。そこに、不安や心配や恐怖といった、心理的な要素が加わり、増幅された苦痛を感じることになるのだ。だから、痛みの物理的な側面と心理的な側面をきちんと見分け、区別する必要がある、とのこと。これは納得のいく話だった。

さらに、瞑想法を応用した「イメージによって痛みをコントロールする方法」も紹介されている。この章は、将来もし自分が慢性的な痛みを伴う病気になった場合、役立つかもしれない――との思いから、この本はずっと手元に置いておこうと決めている。
ただし、いざ痛みを感じるようになってから瞑想を始めようとしても、難しいかもしれない。普段からある程度、瞑想のトレーニングを積んでおくべきなのだろう。

瞑想法としては、第五章に出てくる「輝く光のイメージトレーニング」は、実際にやってみて、かなりリラックス効果があった。足の指先を意識して、白い光に満たされるイメージを描き、その感覚を少しずつ体全体に広げていくという瞑想法。うまくイメージできれば、体が温かく、くつろいだ感覚を味わえる。痛みにも効果がありそうだ。

この本に出てくる、ポジティブシンキングの推奨や、ニューエイジ系のスピリチュアルな話(カルマだの生まれ変わりだの)は、私には受け入れ難かった。

でも、「死」というテーマについて一章を割いていることには、好感が持てた。
著者は、「患者には『生きぬくことへ導く力』も、『死についての達観』も、両方が備わっている」と語る。そしてその二つの力は、実は同じものだとも。
「死と臨終についてオープンに話すこと」を大事にする姿勢というのは、癌患者のみならず、すべての人にとって有意義なものではなかろうか。
著者の至った境地――「私は生きることが好きです。でも死ぬのもかまいません」――というのは、私にとって、理想的な死生観だと感じられる。生を肯定しつつ、しかし死を忌避するわけでもない立場。(自分の生を肯定できていない私は、まだそんな境地には至れないのだけれども。)
「よりよく生きること」と「よりよく死ぬこと」は、きっと表裏一体の関係にあるのだろう。

というわけで、久しぶりに読み返してみて、また新鮮な発見を得ることができた。

ただこの本、今は絶版みたいですね。Amazonの中古はどう考えても高すぎるので(定価は2300円+税)、興味のある方は図書館で探してみてください。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(4) | trackbacks(0) |
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