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2014.08.21 Thursday 23:08
相変わらず暑い日が続いていますね。
気候に合わせて――というわけではないのですが、このブログも、今しばらく暑苦しいエントリが続きます。

一つ前のエントリ、「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述を読んでに、こんな拍手コメントをいただきました。

*渡邊被告やブログ主様からすれば
強い者側からの意見かもしれませんが、
多くの人に長時間不快な思いをさせた犯罪者として
渡邊被告が好きになれません。

被告の生い立ちには同情しますが、
間違った方法による主張だったと思います。
陳述書は一部しか読んでおりませんが、
自分が理不尽に傷つけられてきたという思いがあるなら、
なぜ自分も理不尽に傷つける力を持っており
理不尽に傷つけられた人はどう思うかというところまで想像がいたらなかったのでしょうか。

ただ、生きて発言し続けるべきというブログ主様の意見には賛成です。 自殺者に残された者としては、
なぜもっと周囲に迷惑をかけてでも自己主張してくれなかったのかという思いがあるからです。
(加害者になることを大変嫌う人でした)
今となってはそれが彼にとって周囲に迷惑をかけず自身の苦痛を減らす最良の選択に思えたのかなと思うばかりです。
自殺をした方、自殺を真剣に考える方の気持ちが判っていないのかもしれないと今でも後悔します。

被告の内面的世界がどんなものであろうと、
法的な処罰を受けた上で、被告が自分の人生を探っていただけたらと思います。

乱筆乱文ご容赦ください。


*昨日、被告のことは好きになれないと送信した者です。

今日陳述書を一通り読み終えました。
好きになれないとは書きましたが最後まで読んでやや印象を改めました。
陳述書の最後で、人の幸せを願うことができているということは、
被告の更生は既に始まっているのはではないかと思いました。
更生という言葉を被告は嫌うかもしれませんが。



コメントありがとうございます。
渡邊被告について、私自身の考えは、前回のエントリに書いた通りですが、もちろん人によっていろんな捉え方はあるだろうな、と思っていました。
ただ私は、そもそも3月に冒頭意見陳述を読んだときにも感じたことですけど、渡邊被告は、自身が述べているような「クズ」だとはとても思えないんですよ……。

ひとまずその話は後にして。
コメントを拝読して、コメント主さんは、近しい方を自殺で亡くされた経験をお持ちのようで……こういうデリケートな問題に触れていいものか躊躇いがあるし、自分なんかがそれについて語る資格があるのか、という迷いも常に付きまとっているのですが。
でも、ちょっと思い出したことがあるので、それについて書いてみます。

先にお断りしておきますと、私自身は、近しい人を自殺で失った経験はありません。
ただ、自分自身ずっと、強い自殺願望を持ってきたことは、このブログにも書いた通りです。さらに、癌という病気を患ったため、同世代の健康な人よりちょっとだけ「死」に近い位置にいた、とは思ってます。
そういう立場で書いているということを念頭に置いた上で、お読みいただけると幸いです。
続きを読む >>
| ●月ノヒカリ● | 自殺について | comments(14) | trackbacks(0) |
2014.08.12 Tuesday 22:36
このブログでは4月に、「負け組」にとっての幸せとは? 〜「黒子のバスケ」脅迫事件に寄せてというエントリで、渡邊博史被告による冒頭意見陳述について書いたのを覚えていらっしゃるでしょうか。
その後、私はこの事件について触れてなかったのですが……7月18日、被告人の最終意見陳述がネット上で公開されていました。A4のレポート用紙44枚にも及ぶ超大作です。

■「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開
■「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述2 地獄だった小学校の6年間
■「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述3 事件を起こした動機
■「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述4 「黒子のバスケ」作者について
■「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述5 「無敵の人」
■「黒子のバスケ」脅迫事件 最終意見陳述6 EXOにこだわる理由

さらに、ネット向け声明文には、この意見陳述を書くにあたっての「参考図書一覧」も載っている。いろいろな本を読んで、最初の意見陳述とは考えが変わった部分もあるみたいだ。

というわけで、私は全部、プリントアウトして読みましたよ。
この長い最終意見陳述の、少なくとも一部は、「生きづらさを抱えた人」に宛てて書かれているようなので。私は読まなければならないみたいだ、と感じたのだった。

渡邊被告はどうもネット上の評判すべてに目を通しているようなので、もしかしたら前回の私のブログ記事も読んだのかもしれない。もし読んでくれたのだとしたら、とても嬉しいと思う。だってあのエントリは、誰よりも本人に届いてほしいと祈りつつ、書いたのだから。
だからこの文章も、渡邊被告に読んでもらえることを前提に、書くことにする。

前回と同じく、ものすごく「読ませる」文章で、長いのは苦にならなかったんだけど……ところどころ、読んでいて胸が苦しくなる所があった。
とりわけ家族による虐待について書かれた部分を読むと、自分の子ども時代の記憶がフラッシュバックして、思い出したくないことを思い出してしまって、ちょっとつらかった。
渡邊被告が受けてきたのは、「死に至るような酷い虐待」ではない。でも、主観的には「殺されるんじゃないか」という恐怖を伴うものだった。そうであるからこそ、周囲の理解を得るのは難しいだろうし、自分自身が虐待を受けたと認めるのも難しい。そのあたりの機微は、自分自身の体験と重なるところがあった。

この文章を読む限り、どうも渡邊被告は、安易に「理解できる」などと言われたくない、という思いがあるようで(その気持ちもわかる気がするのだけど)、だから私がここで安易に「共感した」と言ってもいいものか、躊躇いがある。

でも一カ所、読みながら涙が止まらなくなったところがあって。
というのは、この意見陳述の最後の方に出てくる、小学校時代の同級生・広野くんについて書かれたところだ。
広野くんは小1の秋に骨肉腫に罹り、片足切断の手術をし、必死に闘病したものの、小3で亡くなったという。
そして渡邊被告は小学校時代、「広野くんではなくて自分が癌になればよかったのに」と思っていたのだと。
このくだりを読んで、私も過去にまったく同じこと考えてたのを思い出して、思わず泣いてしまった。
私は癌の経験者だけど、死にたがってたくせに、病気の進行が怖くて、治療して、生き残ってしまった人間だ。
でも、同病の患者さんで、大切な家族もいて、必死に生きようとしたのに亡くなられた方の訃報に接するたびに、 「何で私が死ななかったんだろう。私が死んでも困る人は誰もいないのに」って、ずっと思ってた。

だからやっぱり、私には、ここに書いてあることが「他人事」とは思えない。そんなふうに言われるのは、もしかしたら渡邊被告にとって不本意なのかもしれないけど。
私は、この文章を読んで、「ここにいるのはもう一人の私だ」と、心の中で叫ばずにはいられなかった。

渡邊被告はこの意見陳述で、「反省も謝罪もしない」ときっぱり述べているけど、私はそれを全面的に支持したい。
口先だけの反省や謝罪を述べるよりも、何倍も素晴らしい。以前のエントリにも書いたけど、私は岡本茂樹の『反省させると犯罪者になります』の主張に同意するので、「自分の本音と向き合う」姿の方が、上っ面だけの反省や謝罪よりも、ずっと誠実な態度だと思う。

3月に冒頭意見陳述を読んだときは、その文章から「自分との共通点」を感じとったのだけれども……今回の最終意見陳述ではむしろ、「自分との相違点」を突きつけられた気がする。

今回の意見陳述には、「社会的存在/生ける屍」「努力教信者/埒外の民」「キズナマン/浮遊霊」という対になる言葉が出てくる。
私自身もまた、「生ける屍」「埒外の民」「浮遊霊」と、完全に一致するとは言い切れないけど、重なる部分があると感じる。

ただ私は、次の二つの点で、渡邊被告より恵まれていたんじゃないかと思う。
一つは、病気という「わかりやすい不幸」があったこと。
もう一つは、「オタク」になれたこと。

たとえ不遇な状態に置かれていても、「わかりやすい不幸」の持ち主は、周囲の理解や同情も得られるし、自分も納得できるというのは、その通りだと思う。
「お前より不遇な人は幾らでもいるぞ。それなのにお前は〜」的なこと、私も言われたことがあります(主に両親にです)。「病気は甘え」という人も一定数存在します。でも、癌になってからは、さすがにそんなことは言われなくなりました。疾病利得(病気であることによって得られる利益)というのは、確かに存在すると思う。
だから「わかりやすい不幸」を持たない、中途半端な不遇の状態にいる人が、ある意味で「重い病気で苦しんでいる人」よりもさらに生きづらいということ、多少なりとも理解できるつもりです。

渡邊被告は、「現在の日本の国教は『努力教』ではないのか?」と書いているけど、確かにそういう面はあると思う。
で、「努力して負けた人間」もいるけれども、一方で「そもそも努力ができなかった人間」も存在するということ、これは重要な視点だと思う。「やる気格差」みたいなものって、確かにあるのよ。そんで「やる気」っていうのは、「生きる力」みたいなものと密接に結びついているのよ。
だから、「自分に未来がある」と思えない人間は、そもそも努力することができない。これ、とてもよくわかる。

私もずっと、夢なんて持ってなかった。努力した先にいいことがあるとはまったく思えなかったから、「努力」という言葉は大の苦手だった。

予備校時代と大学時代には、それなりに楽しいこともあったけど、特に勉強やサークルに打ち込んだわけではなく、将来の展望とか、目標なんてまるでなかった。ただ何となく、流されるように生きてきただけで。私が過去にしてきた「努力」というのは、ただただ苦痛に耐えることでしかなかった。

これまでの自分の人生を振り返って、本当に心から「頑張った」と思えるのは、癌の治療とこのブログ、その二つだけだ。「好きでやってる努力」というのは、このブログがたぶん初めてで、それ以外には思いつかない。

だから、「このブログを書き始める前の自分」を思い出すと、渡邊被告がここに書いたことをすべて理解できるとまでは言えないまでも、ちょっとだけわかる気がするのだ。
私もまた、「生きる力」とか、根源的な「安心」なんて持ち合わせていない人間だったから。

でも私には、漫画もBLもラノベも同人誌もあった。
もともと自分はひきこもり系だったので、イベントに参加することはなかったけど、それでもフィクションの世界に思う存分耽溺することができた。萌え話を共有できる友人なんてほとんどいなかったけど、それなりに充実したぼっちヲタライフを送ってきた。私は「オタクになること」で、自殺もせず、犯罪にも関わらず、生き延びることができたのだと思う。
「オタクになること」は確かに、一時しのぎの逃避に過ぎなかったかもしれない。でも、末期がん患者の痛みを抑えるモルヒネのように、それなしではこの地獄を生き抜くことはできない。そのくらい、私にとっては切実に必要としている薬だった。
渡邊被告はずっと、モルヒネなしでこの苦痛な人生に耐え続けなければならなかったのかと思うと、それはものすごくつらかっただろうなあ、と本当に胸が痛む。

さらに言えば、自殺志願者としても、共感する面はあった。
「死は地獄のような生からの解放」という言葉、あるいは「死ぬのは嫌じゃないけど、そこに至るまでの肉体的苦痛が嫌」という感覚は、私も実感としてよくわかる。こういう感覚は、自殺志願者にとって、ある程度共通する考え方じゃなかろうか。

その上で渡邊被告は、自殺志願者を社会から合法的に退場させるための「公営の自殺幇助施設を開設せよ」と主張している。
これね、私も、まったく同じことを何度も考えてきたんですよ。私もまた、苦痛に満ちた生よりも、安楽な死を望んできた人間だから。
で、このブログに自殺願望について書いていたら、やっぱり同じようなことを望んでいる人も、それなりにいるってことがわかった。

だからこそ逆に、私は、「公営の自殺幇助施設」は実現すべきではない、と考えるようになったんだよね。
確かに、自殺志願者を合法的に社会から退場させてくれるのなら、救われる人もいるかもしれない。
「死刑になりたいから」という理由で起こすタイプの凶悪犯罪に対する抑止力もあるかもしれない。
でも、そんな施設作っちゃったら、間違いなく「死ななくてもいい人」まで死んじゃうんだよ……。

もし「公営の自殺幇助施設」があったら、私はそこを利用して、とっくに死んでいたと思う。
おそらく渡邊被告も同様でしょう。
そしたら、渡邊被告はこの意見陳述を書くこともなく、私はそれを読むこともなかった。それって、ちょっと悲しいことだと思いませんか?(私は悲しいですよ……。)

本当に、勝手な願いだと思うけど、渡邊被告には生きていてほしいと思う。
生きて、文章を書き続けてほしい。

書くべきことは、私が思いつくだけでも、二つある。

一つは、好きなアイドルのこと。
私は二次元にしか興味のないオタクだけど、自分が生き延びてる理由って、「好きな漫画の続きを読みたい」くらいの理由でしかないですよ。
でも、萌えは人生を彩る花です。人生が苦しくても、心に花があれば、それなりに生きていけるものです。
渡邊被告が腐男子なら、腐女子コミュニティで一緒にキャッキャウフフと萌え話をするという生き方もあったはずなんだよね。実際、そういう腐男子もネット上ではちらほら見かけますし。
好きなアイドルがいるのなら、思いっきり愛を叫ぶといい。その人に未練があるなら、気が済むまで追いかけ続けるといい。
これは腐女子として、オタクとして、そう思ってます。

あともう一つ。
自分の生きづらさを言葉にして、表に出すこと。
これは、多くの人が理由のわからない生きづらさを抱えている今の時代、とりわけ必要とされていることだと思う。
渡邊被告は、確かにこの長い意見陳述を書いた。すごく読みごたえのある、素晴らしい内容だと思う。でも、本当にこれでおしまいなの?

私も自分なりに、これまでこのブログに、自分の抱える生きづらさについて書いてきたつもりだ。でも5年間書き続けて、まだ「道半ば」という気がしている。
だから、渡邊被告にも、まだ書きたいこと・書くべきことがあるんじゃないの?って思っちゃうんだよね。

この意見陳述に書いてあること、例えば「日本の最大の福祉施設は刑務所」だとか、「虐待といじめを同時に受けている子どもも多いはずなのに、それについての学問的知見がない」というのは、重要な指摘だと思う。
そういうことをぜひ言葉にしてほしい。文章に書いてほしい。
それはある意味しんどい作業になるだろうけど、もしかしたら、そうすることによって、同じ痛みを抱える人と繋がれるかもしれない。
そう考えると、ちょっぴり心躍る要素もあるのではないでしょうか?

どんな判決が出るのかわからない状態で、ものすごく無責任な発言になっちゃうかもしれないけど、それでも私は、渡邊被告には、生きて、幸せになってほしいと思う。
そして文章を書き続けてくれるなら、私はぜひ読み続けたい。

それだけは言っておきたくて、このブログに長い手紙を書きました。
できることなら、渡邊被告の目に止まってほしいと祈りつつ。






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