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2015.01.07 Wednesday 23:15
映画『ゴーン・ガール』を観てきた。
とある夫婦の結婚記念日に、妻が失踪するというミステリータッチのストーリー。
映画評論家の町山智浩さんが「アカデミー賞候補!」と絶賛していたのでちょっと期待していたんだけど……正直、私はあまり好きになれない作品だった。
原作はイヤミス(イヤーな気分になるミステリ)のベストセラーらしいので、後味が悪いのは、仕方ないのかもしれないけど。

ただ、ストーリーの中で、ちょっと引っかかる部分があった。
というのは、失踪する妻エイミーは少女時代、母親の手による絵本『アメージング・エイミー(完璧なエイミー)』のモデルになっていた、という設定だ。エイミーは「理想の少女」として描かれ、その絵本はベストセラーに。でも現実の彼女は、絵本のエイミーとは程遠い、凡庸な少女に過ぎなかった。その絵本の存在が、彼女にとって抑圧になっていたということは、想像に難くない。
映画の中でエイミーはおそらく三十代なので、タイトルに「ガール」という単語が入っているのは、少し奇妙ではある。おそらくこの「ガール」というのは、絵本に「理想の少女」として描かれた、子ども時代のエイミーを指しているのではないか。

そう考えると、『ゴーン・ガール』のエイミーに、『アナと雪の女王』のエルサと重なる部分が見えてくるのだ。
『アナ雪』の主題歌「Let It Go」には「Be the good girl you always have to be」とか「That perfect girl is gone」という詞が出てくる。王位継承者である王女エルサにかけられた呪縛(「いつもいい子でいなきゃいけない」)と、そこからの解放(「完璧な女の子なんてもういない」)。『アナ雪』でもっとも感動的なシーンだ。
子ども時代に、「いい子でいなきゃいけない」という抑圧が強かった人にとっては、突き刺さるものがあるのではなかろうか。
いや、子ども時代だけではなく、今現在も、「周囲の目や世間体を気にしてしまって、思うように振る舞えない自分」からの解放を、心の奥底で求めている人が多いからこそ、「Let It Go」のヒットに繋がったのだろう。

しかし、親の期待や世間体に迎合するのを止めて、「ありのままの自分になる」というテーマ自体は、とりたてて新しくもオリジナルなものでもない。
じゃあどうして、このテーマは、今の時代に生まれる様々な物語の中で、繰り返し語られるのだろうか。

たぶん、答えが一つではないからだ。
『ゴーン・ガール』のエイミーと『アナと雪の女王』のエルサ、二人の選んだ道は、それぞれ異なる。その詳しい内容については、ここでは触れない。
ただ、エイミーとエルサ、二人には共通点もある。「失踪」だ。つまり、人生のある時期に、それまでの生活圏からの離脱を選んだことだ。

世の中には、親の期待通りの「いい子」のまま大人になって、そのまま矛盾なく「いい人」として生きていける人も、もしかしたらいるのかもしれない。
でも多くの人は、どこかの時点で、世間や親の期待に窮屈さを感じて、それまでの自分の殻を脱ぎ捨てなければならなくなるのではないか。

周囲が望む「いい子」でいるのをやめること、それ自体はそれほど難しいことではないように思う。しかし、「いい子」でいるのをやめた後、どっちに向かって進み、どこに着地すればいいのか。
この問いに答えるのは難しい。

ただ、大まかな方向性は、示すことができるのではないかと思う。
つまり、「誰かに従うこと」から「自分の欲望を知ること」へ。
「should」や「must」ではなく「want to」へ。
でもこれが、意外と難しい。
少なくとも私は、本当は何をしたいのか、自分の欲望の在り処がどこにあるのか、実は私自身にもよくわかっていない。

もちろん、小さな欲望なら、幾らか思いつく。
「アイスを食べたい」とか「あの本を読みたい」とか、そういうの。
でもそれ以上の欲望、例えば「これから自分はどう生きていきたいか」という問いへの答えは、よくわからない。
もし自分が健康だったら、それとも過去のトラウマがなければ、あるいは大金持ちだったら、もっといろいろなことを素直に欲望できたんじゃないか――という思いはある。
でも、現実の私は、様々な制約の中で生きていかなければならない存在だ。
身体的、経済的、その他さまざまな制約のある中で、「欲望」を見出さなくてはならない。

「欲望」について、精神科医の斎藤環は、ちょっと興味深いラカンの言葉を引用している。「欲望は他者の欲望である」という言葉だ。
つまり、私たちが自分だけの欲望だと思っているものには、他人の欲望が紛れ込んでいる、というのだ。
そして「他者の存在のないところに欲望は生まれない」のだとも。
だから、家族以外の人間関係を持たないひきこもりの人たちは、欲望を持つのが難しくなる。
「欲望」と「義務」の区別が曖昧になってしまう。
つまり、「働きたい」のか、あるいは「働かなければならない」と思っているのか、自分でもよくわかっていない状態で、身動きが取れなくなるのだと(斎藤環『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』より)。

このあたりの話は、私自身も思い当たることがある。
私は長い間、自分の「欲望」がよくわからなくて、だから常に「義務」をベースに動いてきたように思う。
それも行き詰まって、身動きが取れなくなったわけだけど。

前出の本で斎藤環は、ひきこもっている人が自分の欲望の形に気づくために、まず他者と出会うこと、家から出て他人と交わることが必要なのだと述べている。
これに賛同する「常識人」は多いのではないか。
私自身もおそらくそれが正しいのだろうという思いはあって、だからひきこもっていたときも、可能なときは外出して、人と話す機会をつくるよう心がけてきた。でも私は、「外へ出て人と会う」ことで、自分の欲望を呼び起こしてくれる他者に出会うことはなかった。

転機は、ネットの世界にあった。
私が「好きでやっている努力」は、このブログが初めてで、それ以外は思いつかない、という話は、前にも書いたことがある。それまで特に文章を書いた経験もなく、自分を表現するのも苦手な私が、わざわざブログなんて面倒なものを書こうと思ったのは、いくつかの複雑な経緯があったからだけど……そのひとつは、ネット上で、とある人物と出会ったことがきっかけだった。

その人とは、ネット上でごくわずかやり取りをしただけの関係で、ハンドルネーム以外、どこに住んでいるのかも、何をしているのかも、謎の人物だった。しかもまったくの無名人だ。ここに詳しい経緯を書くつもりはないけど、その人との言葉のやり取りによって、私は自分の中に眠っていた欲望を呼び起こされたのだった。
その後、さらにちょっとした紆余曲折を経て、ブログを書こうと決心して、今に至るわけです。

まあこの弱小ブログなんて、自分以外の人間にはさほどの価値のないものだということは、わかっているつもりだ。 けれども5年半前に、読者数ゼロの状態で書き始めた当時と比べたら、ずいぶん遠くまで来たな、という思いはある。自分の考えていることを発信したら、見知らぬ人、一度も会ったことのない人が、それに反応してくれるのだから。

これって、ある意味、ちょっぴり希望のもてる話じゃないかと思うんですよ。
つまり、ひきこもりの人が家でネットやってるだけでも、自分の「欲望」に出会う可能性はあるのだ。
その生きた実例が、私です。


ただ、ここが肝心なんだけど。
自分の欲望を喚起されたところで、それで世界が一変するわけではない。
すべてを覆す魔法の呪文なんて、現実には存在しないのだから。
欲望を手にした後、それを実現するためには、自分の足で歩いていかなければならないのだ。
つまり、そこから本格的に「努力」を始めなきゃいけないわけです。

だから、ひきこもっていて、自分が何をしたいか、これからどうすればいいかわからなくても、何かしらのトレーニングは、できる範囲でやっておいた方が良いと思う。文字通り、体力を維持するためのトレーニングもそうだけど、知的なトレーニング、つまり読書とか、思いついたことをノートに書き留めるとか、そういったことも含めて。
それは無駄になるかもしれないけど、後々活きるかもしれないから。

実は私も、今よりもっと若い頃は、何かものすごい体験をしたり、素晴らしい人物との出会いがあれば、どこか遠い世界に連れて行かれるように、自分の人生も一変するのではないか――という幻想みたいなものを捨て切れなかったんだけど。
でも、そんな都合のいいことは、やっぱり起こらないのだ。
一歩一歩自分の足で歩くこと。ごく小さな行為を積み重ねること。ひとつひとつ石を積み上げていくこと。そうしなければ現実は変えていけないのだと、はっきり自覚できるようになったのは、本当にここ数年のことだ。

「いい子でいること」から解放された後、どこへ向かうのかは、人それぞれだと思う。
常識的な人は、「ネットをやめて、外へ出て人と会いましょう」みたいなことを言ったりするけど、必ずしもそれが正しいとは限らない。他人から見て「間違ったやり方」であっても、自分にとっては正解である。そういうこともあるんだと思う。

ただし、自分の欲望に出会った後、「自分の足で一歩一歩、歩いていかなければならない」ということ。これは、すべての人に共通する、誰もが通らなければならない道なのではないか。
救いがあるとすれば、「欲望」をベースに歩き始めたら、「義務」をベースに歩いていたときよりも、一歩一歩がちょっとだけ楽しい、ということだ。

そうして歩いていった先のどこかで、「欲望」と「義務」が重なり合う地点にたどり着けるのではないだろうか。
其処こそ、人がもっとも幸せに生きられる場所なのではないか。
(『アナ雪』のエルサが最後に着地したのも、「欲望」と「義務」が交差する地点だった。)


えっと、『ゴーン・ガール』の話から、ずいぶん遠くに来ちゃいましたが……ていうか、個人的に『ゴーン・ガール』の結末にはドン引きしてしまったので、あれはないわーという思いが、この長文エントリを書かせることになったのですが。

まあそんなことを、ブログを始めて5年半が過ぎた今、考えているのです。

       




| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(6) | trackbacks(0) |
2015.01.05 Monday 23:17
今日が仕事始めだった人、多いみたいですね。
わたくし月ノヒカリも今宵、新年初仕事をしてまいりました。
ジャーン。月で開催された餅つき大会に参加してきたのです!!

月
まあ餅つきは冗談として。
今夜やっと、生まれて初めて、納得のいくレベルの「満月の写真」を撮ることができたんです!
うっうっ苦節ン十年(←嘘)、失敗に失敗を重ねた甲斐がありました。
嗚呼、ここまで長かった――。

月の撮影方法については、以前のエントリに書いた通りですが……今回、このサイトを参考に、ホワイトバランスを「曇り」モードに設定してみました。
そしたら、月が黄色っぽく写るんです。


ちなみに、ホワイトバランスを「電球」モードに設定したら、こうなります。

月
少し青みがかった色になりました。

私はどっちかというと、上の黄色っぽい方が好きです。
だってチーズケーキみたいで美味しそうじゃん。
ああ、とろーりレアチーズケーキが食べたい。
月ノヒカリは満月の夜になると、チーズケーキが恋しくなるのです。

というわけで、ここを読んでくださっている心優しい読者様、おいしいチーズケーキのお店をご存じでしたら、ぜひダメダメ星の月ノヒカリにも送ってください。
待ってまーす。

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| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(4) | trackbacks(0) |
2015.01.01 Thursday 00:03
明けましておめでとうございます。
日付が変わると同時にブログ更新です。

2015年最初のエントリは、月並みですが、「今年の抱負」について。
いや、ここに書いておかないと、あっさり計画倒れになりそうなので。

まずは、ありきたりだけど「早寝早起き」。
いや、これはダイエットと同じで、何度決意してもすぐに挫折してきたので、できるかどうか自信ないんですけど、まあ心掛けとして。

あともう一つ。
もっとじっくり勉強したいです。
勉強といっても、大学へ行こうとか、そういうつもりはないのですが。そんなお金も能力も体力も時間もないですし。
ただ本当に、去年のエントリで、「世間が面白くない時は勉強に限る」などと大見得を切ったものの、ぜんぜん実践できてないんですよ。

いや実は、今後このブログに書きたいテーマというか、大まかな方向性は、ぼんやりアタマの中にあるんです。けど、それを書くつもりなら、今の自分の能力では追いつかないみたいで。
自分の実力以上のことをやろうとするなら、「まず力をつける」ところから始めなきゃいけないはずです。
というわけで、今年の大目標は「勉強」です。

ただ、私にとって「勉強」って、本を読むことだけではない。
いろいろな場所に出かけていって人に会うこと。
ネット上で言葉のやり取りをすること。
一日一日を大切に過ごすこと。
そういったリアルやネットのダメダメ修行もすべて、私にとっては「勉強」なのです。

本当に学ぶべきことは、象牙の塔や書物の中にあるのではなく、私たちの日々の生活の中にあるのではないか――ということは、とりわけ大学卒業後、社会に出てから感じてきたことだ。

もちろん学問や本から学ぶことだって、たくさんある。
でも、まずは自分がしっかり生きること。
目の前にいる人や出来事と向き合うこと。
今の生活の中から湧き出てきた問いを考え抜くこと。
そういったことをしていかないと、本に書いてあることや、目の前にいる人のことも、本当の意味で理解することはできないんじゃないか。
そんなことを思ってきたわけです。

ただ、今よりもうちょっと、読書時間は増やしたいんだよね。そのためには、やっぱネットの接続時間を減らすしかないのだろうなぁ。
というわけで今年は、だらだらネットを見るのは、ちょっぴり控えめにするつもりです(今のところ)。

最後に、先日たまたま読んだバイロンの詩が素敵だったので、引用します。
あまり新年にふさわしい詩ではないかもしれませんが、そこはご愛嬌。

  「もう我々はこのやうに」
        バイロン
        吉田健一訳

 もう我々はこのやうに夜遅くまで
  さ迷ひ歩くのは止めなければ。
 我々の心は昔通りに愛し合つてゐて、
  月は以前と変らず明るくても。

 剣の刃は鞘よりも長持ちがし、
  魂は胸を疲れ果てさせる。
 我々は息をつきに立ち止りたくなつて、
  我々の恋も休まなくてはならない。

 それ故に、夜は昔と変らず我々の心を誘ひ、
  朝が来るのが早過ぎても、
 我々はもう月明かりに
  さ迷ひ歩くのを止めよう。

詩は、岩波文庫の『訳詩集 葡萄酒の色』からの引用です。
この本、シェイクスピアのソネット集からもいくつか抜粋があって、それもまた美しい詩ばかり。
シェイクスピアが愛した青年を歌った詩も含まれていて、腐女子的にも楽しめる一冊です。

単に「夜更かしとだらだらネットをやめよう」という決意のために、バイロンの詩を引用するのは、かなり方向性が間違っている気もするのですが……それもまあ、このダメダメブログでは毎度のことなので、諦めてください。

最後に。
ここを見てくださっている皆様にとっても、2015年が素敵な一年になりますように。

       




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