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2015.06.30 Tuesday 23:39
しとしと梅雨の季節ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。季節に関係なく年中うすぼんやりな月ノヒカリです。
実は先日、名著の誉れ高い分厚い本を、やっとのことで読了したんですよ。2ヵ月かかりました。でも私の頭のレベルでは、それが名著なのかどうか、よくわからんかったです……。

こういうときの、やり場のない不完全燃焼感、どうやって解消すればいいのでしょうか。
――ズバリ食べ物しかないでしょう!!

というわけで、お久しぶりのB級グルメネタです。
ネットやってて、面白ネタや読みごたえのある記事に出会うのも楽しいけど、「簡単につくれて美味しいレシピ」を拾うと、一気にQOLがぐわっと上がります。

この間たまたまネットで知った「たまごみそ」、つくってみたらハマったので、ここでご紹介します。もともとは青森の郷土料理らしい。
各家庭によってレシピは異なるみたいだけど、私が知ったのはとってもシンプルなバージョンでした。
「たまごみそ」の材料
・卵 2個
・味噌 大さじ2〜3
・砂糖 大さじ1
・酒 大さじ2〜3
・だしの素 少々

作り方は超簡単。
卵以外の材料を鍋に入れて、弱火にかけ、味噌を溶かす。
沸騰してきたら、溶き卵を加え、かき混ぜる。
好みの固さになったら火を止めて、できあがり。

ジャーン。これですよ。
たまごみそ
個人的に、卵は半熟に限る!と思っております。
甘めの味噌味のふわとろ卵、ご飯のおともにぴったりです。夜につくっておいて、翌日の朝ご飯にかけて食べるのが、マイブーム。
味噌は、白味噌ベースで、少し赤味噌を混ぜました。白味噌の方が色が綺麗に仕上がります。
ネギを入れるバージョンもあるらしいけど、私は卵だけのシンプルな味の方がいいな。


ついでに、卵を使った簡単レシピをもう一つご紹介。
ゴーヤの卵サラダ。
スライスしたゴーヤをさっと茹でて、刻んだ固ゆで卵とマヨネーズ、粒マスタードであえるだけ。
これは鏡リュウジさんがツイッターでつぶやいていたレシピです。
簡単につくれて、野菜もたんぱく質も摂取できるというスグレモノ。ウチでは夏の定番メニューになりました。


これから暑くなるにつれ、料理なんて面倒なことやってられっかーとやさぐれる毎日を過ごすことは必定。
皆様も簡単につくれて(←ここ重要)美味しいレシピをご存じでしたら、ぜひブログ主にも教えてくださいませ♪(・・・って最近こんなことばっかり言ってるなー)






| ●月ノヒカリ● | B級グルメ | comments(2) | trackbacks(0) |
2015.06.06 Saturday 23:13
たまに、「自分はなぜ、こんなシンドイ思いしてまでブログ続けてるんだろ…?」と思い返すことがある。
まあブログやってて、しんどいだけじゃなく嬉しいこともたくさんあったし、「しんどいこと」抜きで「嬉しいこと」だけを手に入れようとしても、たぶん無理なのだろうから、それはいいとして。

一つ言えるのは、私はブログでも書かなければ、ガチで「社会との接点がまったくない」ということだ。
だから、一番の動機はそれかなあ。
社会との接点がほしい。
そうして、自分が発信すると、入ってくる情報の質も変化する。これがここ数年間、ブログに個人的なことを書き続けてきて、肌で実感したことだった。

だから、困ってる人は、困ってることを発信できるようになってほしいと思う。
発信したからといって、問題が解決するとは限らないけど、解決に至る道筋の選択肢が増えたり、あるいは気持ちの面で楽になったり、そういったフィードバックが得られることもあるから。

閑話休題。「社会との接点」の話に戻る。

例えば、ひきこもりの人たちは、「ひきこもり」という名詞を名乗ることで、社会に繋がる通路を獲得できる、という側面がある。家に閉じこもって身動きできずに、「こんなことしてるのは自分だけじゃないか」と悩んでいる人間が、「ひきこもり」という名詞を与えられたことによって、同じひきこもりの人と出会えたり、「ひきこもり支援」にアクセスできるようになる。

つまり、「社会の中で自分がどこに位置するか」を認識するのって、重要なことだと思うんです。それによって、例えば「自分は政治に何を求めるか?」といった意見が、明確に決まってくるから。

でも私は、自分が「ひきこもり」なのかどうかもよくわからない。精神・身体の病気が複雑に絡み合っていて、自分はどこに何を求めれば良いのか、何だかよくわからない状態になっている。しかもその病気が、一つだけ取ればさほど「重度」ではない(と見做される)ため、例えば身体障碍者がノーマライゼーションを求めたのと同じような形で「権利を主張する」のは難しい。
その「権利を主張することの難しさ」は、「自分には社会との接点がない(と感じている)こと」と地続きになっていると思う。

今の日本が良くない方向にむかっている、ということは、報道を見ていてもわかる。
そのことに対して、自分も何か言ったりしたりしなきゃならないのかな、と思うこともある。弱小とは言え、一応ブログやツイッターというメディアを持ってるわけだし。

でも、それ以前に、「自分には、社会との接点がまったくない」という強烈なリアリティが立ちはだかっていて、そのリアリティを無視して、自分みたいなヒキコモリが、安全保障だの憲法改正だのについて語るのって、白々しいと言うか嘘くさいと言うか……てなわけで、ますます自分は社会から遠ざかってしまうのであった。

「毎日の生活が忙しくて、それ以外のことなんて考えてる暇がない」という人はたくさんいるだろう。
でも私の場合は、そうではない。
社会問題について考えたいし、アクションを起こしたい気持ちはあるんだけど、「メディアに取り上げられる問題と、今の自分との距離があり過ぎる」「リアリティのある言葉を求めても、手応えを得られない」ように感じるから、躊躇してしまうのだ。

どうも自分は、普通の人とは別の時間を生きているみたいだ、というのは、前から薄々感じていたことだった。
ここでいう「普通の人」というのは、大病を経験したり、自殺願望に苛まれたりしていない人、かな。

数年前のことだけど、ネット上で、当時40歳くらいの人とやり取りしたときに、その人から「自分もそろそろ人生の折り返し地点だから〜」という言葉が出てきて、愕然としたことがある。
「人生の折り返し地点」という発想、私には全くなかったから。
ああ、この人は、私とはまるで別の時間を生きてるんだなって、まざまざと突き付けられたように感じたのだった。
私のここ十数年は、「あと一年くらいなら何とか生きられるかな」って、ずっとずっと崖っぷちを歩いているような感覚だったから。しかもこの先、何十年も生きられる気がしないし。

余命一年の宣告をされた末期癌患者は、残された日々をどう過ごすのだろうか。
人それぞれだろうけど、政権批判とか社会運動的なものに精を出す人は、少ないんじゃないかなぁ。
私はこの十数年の間、「余命一年の宣告をされた末期癌患者」のような心境で生き延びてきた。この心境はおそらく、病気を繰り返し、自殺願望に苛まれ続けたときに身に付けたマインドセットだ。このマインドセット、簡単には解除されそうにない。

「数十年先も自分は生きている」と当たり前に思うことができる人。そういう人は、とても健全だと思う。そういう健全な人にこそ、健全な未来を描いてもらいたいと願っている。
でもその健全さは、今の自分が感じているリアリティからは、あまりにも遠くかけ離れている。
私に描けるのは、「この先どこまで生き延びることができるのか」という持久戦(あるいは後退戦)に立ち向かうような未来でしかない。

私は、残された時間、自分にできることを粛々とやっていくしかない。できることは限られるけれども。
そのスタンスは、ブログを始めた当初からまったく変わってないし、これからもたぶん変わらないと思う。






| ●月ノヒカリ● | 日記・雑感 | comments(11) | trackbacks(0) |
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