2020.09.12 Saturday

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | - | - |
2015.11.27 Friday 20:44
アキ・カウリスマキ監督作品『ル・アーヴルの靴みがき』をDVDで観た。
カウリスマキ監督作品は、ネット上で「市井の人々の日常を描いた名作揃い」という評判をちょくちょく目にするので、一度は見ておきたいと、前々から思っていたのだった。
フランス語の映画だったけど、カウリスマキ監督はフィンランド人らしい。

映画の主人公マルセルは、フランス北西部の港湾都市ル・アーヴルで、靴みがきを生業としている初老の男。妻のアルレッティ、愛犬のライカとつつましく暮らす平凡な人間だ。しかしある日、彼の妻が不治の病で入院することになる。その上、ひょんなことから、アフリカから来た難民の少年を自宅に匿うことになる。
ハリウッド映画的な派手さはないけれども、地味にドラマチックな展開ではある。

難民問題は、私にとっては身近なニュースではなく、遠い世界の出来事だと感じていた。 けど、この映画を見て、難民の存在がリアリティを伴って理解できるようになった。
――などと書いたら、大間違いなのである。

実はこのDVDには、特典映像として、主役のアンドレ・ウィルムと警視役のジャン=ピエール・ダルッサンのインタビューが収録されているんだけど、そこでは意外な裏話が語られていた。

例えば、映画の序盤、コンテナに潜んでいたアフリカからの不法入国者たちが、警察の監視のもとで発見されるシーン。 インタビューでは、監督のこんな言葉が紹介されていた。
「もし私が現実主義者なら、中にいる彼らを汚物まみれに描くだろう。でも私にはそんな描写をする権利はない。彼らには一番いい服を着てもらう」
確かにこのシーンに登場する難民の人たちは、長距離を移動してきたにしては、妙にこざっぱりとした格好をしていた。
つまりこの映画は、リアリズムを追求しているわけではなく、政治的な意図をもって選択された「表現」なのだ。

また、主役を演じたアンドレ・ウィルムは、こんなことを語っていた。
「私は労働者階級の男を演じるとき、きれいな言葉で話すように気をつけている」
なるほど、この映画に出てくる庶民、とりわけ主人公やその妻は、どこか上品な印象がある。それはリアルな庶民の姿ではないのかもしれない。しかし不思議なことに、不自然さはあまり感じない。この映画に流れている独特の雰囲気は、そんなところから醸し出されているのかもしれない。

しかし一方で、上記のインタビューでは、こんなことも語られていた。
「多くの映画では、労働者階級が天使のように描かれている。自由を求めて闘う彼らを賛美するような形でね。だが現実には酒に依存する人もいて、必ずしも天使とは言えない。つまり、複雑な問題を抱えている彼らを、我々の心情に合わせたやり方で描くのはよくない。彼らの厳しい現実にも目をやるべきだ」
欧州には社会主義の監督が多い。カウリスマキもその一人である――という話に続いて、述べられた内容だ。

この「社会的弱者の描かれ方」問題については、フィクションだけではなく、ドキュメンタリーやジャーナリズムにおいても、同じような側面があるのではなかろうか。当たり前のことだけど、貧困層であれ障碍者であれ、ダメな部分もたくさん持っている欠陥だらけの人間であって、必ずしも無垢な被害者であるわけではない。私がある種の報道(それも弱者に寄り添うような形の報道)に、どこか居心地の悪さを感じてしまうのは、そのあたりに原因があるのかもしれない。

映画のラストは、奇跡が起こって、ハッピーエンドで終わる。
これはある意味でファンタジーだ。
でもまったくのおとぎ話というわけではなく、リアリズムとファンタジーの絶妙なバランスの上に成り立っている物語じゃないか、と感じる。

この映画が、社会的に「負け組」の人たちに支持されるのは、理解できるように思う。
私自身、ひきこもるしかなく、どこにも行き場がない閉塞感に苦しんでいたとき、有名人の派手な成功譚などには、心惹かれることはなかった。無名の市井の人たちの、ささやかな日常を慈しむ物語こそが、私を慰めてくれた。


この映画を見て、ふと思い出した本がある。
良知力による社会史の名著『青きドナウの乱痴気』のあとがきに出てきたエピソードだ。
良知氏が貧乏学生としてウィーン留学中、グレーテという小さな身障者の老女が、同じアパートに住んでいたのだという。彼女は子どもの頃に病気をして、身長が1メートル8センチしかなく、いつもどこかが悪くて医者通いばかりしていた。
良知氏夫妻とグレーテとの交流が簡素に著述されているだけなのだけれども、私はこの短い文章がとても好きで、幾度も読み返したのだった。
このあとがきの最後のほうに、こんな一節が出てくる。
 むかし貧しいグレーテは、小さな古ぼけたラジオでいつもシュトラウスのワルツを流していた。彼女自身もなかなかいい声でウィーン子らしくよく歌を口ずさんでいた。身障者で夫も子供もなく、孤独でしかも貧乏なのにいつも陽気で、明るくニコニコと振舞っていた。私が何気なくそのことにふれると、彼女は一瞬真面目な顔になって、「ウィーン子はね、苦しみや悲しみみたいなものはシュトラウスを歌いながらみんな喉の中に流しこむのよ」と言った。

   良知力『青きドナウの乱痴気』p.268

このささやかなエピソードが、生きるのがつらくてたまらなかった頃の私を、どれほど慰めてくれたかわからない。 その後、シュトラウスを聴くたびに、私はグレーテおばあさんのことを思い出した。
私は、「成功」したいわけでも「勝ち組」になりたいわけでもなかった。こういう慎ましやかな日常の幸せをこそ、取り戻したかったのだ。

アキ・カウリスマキ監督の『ル・アーヴルの靴みがき』もまた、深い絶望に苛まれる人たちに、あたたかな希望の光を手渡してくれる、そんな映画じゃないかと思う。

     

上に引用した良知力『青きドナウの乱痴気』のあとがきは、『日本の名随筆 別巻59 感動』にも収録されているようです。




| ●月ノヒカリ● | 音楽・映画 | comments(4) | trackbacks(0) |
2015.11.16 Monday 00:05
ずいぶん更新の間が空いてしまいましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
ブログをお留守にしている間にも、ちょこちょこコメントや拍手コメントをいただき、こんな辺境ブログを見捨てずに訪問してくださる方もいるのだなあと、ありがたいやら申し訳ないやら、そんな今日この頃です。

今日は、久しぶりに見たテレビ番組のことを書きます。
11月7日のNHKのEテレ、ナチス政権下のドイツで行われた障碍者虐殺についての特集番組「それはホロコーストの‘リハーサル’だった 〜障害者虐殺70年目の真実〜」。
14日に再放送があることをツイッター知り、滑り込みセーフで録画しました。教えてくださったフォロワーさんに感謝。

内容は、想像以上に重かった。
ナチス政権下のドイツで、ユダヤ人虐殺が行われたのは有名な話だ。
しかし実は、それより前に、多くの障碍者がガス室で殺されていたのだ。とりわけ自分の意見を主張しづらい精神障碍者、知的障碍者が犠牲になった。しかも医師が率先して、組織的に殺害を行ったのだという。
この件について、ドイツの精神医学会が公式に罪を認め、謝罪したのは、わずか5年前、2010年のことだ。

障碍者殺害の根底に流れているのは、優生思想だ。
「障碍者は生きているだけで金ばかりかかる価値のない存在である」「障碍者を支えるための国の負担は、国の財政を圧迫する」といったプロパガンダが、ナチス政権によって広められていた。

1939年9月1日、「T4作戦」と呼ばれる障碍者安楽死命令が、ヒトラーによって発せられた。
治療が不可能な患者を安楽死させることは、「恵みの死」と呼ばれ、T4に関わった多くの医療者も、その行為に疑問を感じることはなかったという。

計画は極秘裏に進められ、人目につかない、辺鄙な場所にある病院が、殺害場所として選ばれた。連日、患者がバスに乗せられ、施設に運ばれていった。
当時の様子を覚えている80代の男性は、インタビューで次のようなことを語っていた。
――病院からはいつも煙が出ていて、嫌な臭いがしていた。帰還兵士はその臭いを「死体が焼かれるのと同じ臭いだ」と話していた。患者が乗せられた満員のバスは、帰りは空っぽだった。施設はすでにいっぱいのはずなのに、おかしい。住民たちは「何かおかしなことが起こっている」と気づいていた。けれども、誰も止めようとしなかった。山の上で何かが起こっているけど、自分たちとは関係ないと距離を置くようになった――。

・・・というのが、番組の前半部分のあらすじ。
パーキンソン病の父を、てんかんの叔母を、殺害された遺族へのインタビューも含めて、思わず涙ぐんでしまう箇所も多々あった。

殺害の対象となった精神病として、当然スキゾフレニア(今の統合失調症)も含まれていたので、私にとっては他人事とは思えなかった。

それだけじゃない。
障碍者殺害の動機になった考え方と同じような価値観、つまり「働いていない自分は、価値がないから死んだほうがいい」とか、「自分のような病人は、存在しない方が社会のためだろう」という思いは、これまでずっと私自身を苛み続けてきたものでもあった。
そういった考え方は、ただ単に私個人の思い込みにすぎない、というわけではないと思う。
それは目に見えにくいけれども、この社会全体を覆っている価値観の一つだ。

もちろん今の時代、公然と「障碍者、病者を殺害しろ」と主張する人は、まずいない。
けれども、「病人はお荷物だ、迷惑な存在だ」と内心思っている人は、少なからず存在する。それはある意味で事実だ。
まして「健康であることはいいことだ」という考えを否定するのは難しい。

このナチスドイツ時代に起こった障碍者虐殺は、過去の出来事だ。でも、その根底に流れている優生思想は、今も形を変えて、私たちの中に生き続けているように感じる。

そういう価値観を、目に見えない部分で刷り込まれ続けてきたら、障碍者・病者自らが「もういいから安楽死させてくれよ。その方が〈社会のため〉だ」とか、「健康な人だけを残して、健全な社会をつくればいい」とか、そう主張し始めてもおかしくはない。私自身、何度そういう言葉が喉まで出かかったかわからない。このブログに寄せられたコメントにも、安楽死を望む声が、幾つも存在した。

そして、だからこそ、番組の後半に登場した、障碍者虐殺を公然と批判したある宗教者の言葉には、深い感銘を受けたのだった。

多くの人が見て見ぬ振りをしたナチス政権の障碍者虐殺に対して、初めて公然と声をあげたのは、クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレンという、ドイツ北西部の町ミュンスターの司教だった。
彼は教会での説教の中で、「いま障碍者に行われているのは、『恵みの死』ではなく、単なる殺人だ」ときっぱり述べたのだった。
番組中で語られたフォン・ガーレン司教の言葉、ぜひ皆さんとも共有したいと思ったので、ここに書き起こしてみる。
「貧しい人 病人 非生産的な人 いてあたりまえだ
 私たちは他者から生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのか
 非生産的な市民を殺してもいいという原則ができ 実行されるならば
 我々が老いて弱ったとき 我々も殺されるだろう
 非生産的な市民を殺してもよいとするならば
 いま 弱者として標的にされている精神病者だけでなく
 非生産的な人 病人 傷病兵
 仕事で体が不自由になった人すべて
 老いて弱ったときの 私たちすべてを 殺すことが許されるだろう」

このフォン・ガーレン司教の言葉は、聴衆の心の深い部分に訴えかける力があったのだろう。その説教の原稿は、書写され、全国のキリスト教団体に、そして市民へと広まったという。

そして、司教の説教から20日後に、T4作戦は中止となった。
そう、独裁政権による非道な行為であっても、市民が声をあげれば、止めることは不可能ではないのだ。

ただ、番組の最後で、さらに衝撃的な結末が待っていたのだけれども。というのは、T4作戦の中止によって取りやめられたのは、ガス室での殺害だけだったのだ。T4作戦の中止を不満に思っていた医師たちは、薬の過剰投与や計画的餓死などの形で、その後も患者殺害を続けたのだという。
このT4中止後の安楽死(「野生化した安楽死」と呼ばれる)の犠牲者も含めると、殺害された患者は、ドイツ全土で20万人以上にのぼるとのこと。

そしてその後、1941年以降に本格化したユダヤ人虐殺の舞台となった収容所には、T4に携わっていた医師や看護師が派遣され、ノウハウを教えていたのだという。
つまり、「T4作戦」は、実質的に「ホロコーストの予行演習」のような形となったのだ。

番組に登場した、障碍者虐殺の調査に携わった歴史家・ハンス=ヴァルター・シュムール教授の締めの言葉を、最後に引用したい。
「……
 私たちは人間を改良しようと考えるべきではありません
 社会の中に 病、障害、苦悩、死が存在することを受け入れる
 こういった意見が少なすぎます
 命に関する問題に直面したとき
 他人の価値観に振り回されていないか
 それがもたらす結果まで想像できているかと
 自分に問う必要があるでしょう」

「他人の価値観」、つまり世間一般に流布されている価値観をそのまま受け入れることは、病や障碍を抱えた人間にとって、害毒となることもある。
「人は働くべきだ」「健康なのはいいことだ」というのは、否定しがたい価値観だから。
でも、その価値観こそが、病・障碍を抱えてきた私自身の、苦しみの源泉だった。

この社会は、病や障碍をもたない人間を基準に設計された社会だ。
その基準から外れた人間は、隙間で生きることになる。
世間一般に流布している価値観とは、別の考え方、生き方が必要になる。ただ生きていくため、それだけのために。

そういう意味で、今回の放送は、私にとって、単なる「過去の出来事」でも「他人事」でもなく、今の自分自身につながる問題を多く含んだ、深く胸に迫ってくる番組だった。

このNHKの「ナチスから迫害された障碍者」については、12月初めに、3回シリーズの番組の再放送があるようなので、興味のある方は見てみてください。

※NHK シリーズ戦後70年 障害者と戦争 ナチスから迫害された障害者たち
(1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか
(2)ある視覚障害者の抵抗
(3)命の選別を繰り返さないために







| ●月ノヒカリ● | 社会 | comments(6) | trackbacks(0) |
←新しい記事 1/1 pages 古い記事→
Search
Profile
Category
Recommend
Recommend
私の幸福論 (ちくま文庫)
私の幸福論 (ちくま文庫) (JUGEMレビュー »)
福田 恒存
たとえ不幸のうちにあっても、私たちが「幸福である」ために
Recommend
新版・小説道場〈4〉
新版・小説道場〈4〉 (JUGEMレビュー »)
中島 梓
わが人生の師。全4巻
Recommend
敗北からの創作
敗北からの創作 (JUGEMレビュー »)
明川 哲也
9・11テロ後「敗北」した私たちにできる「創作」とは?
Recent Comment
Recent Trackback
Links
Admin
Calendar
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< November 2015 >>
Latest Entry
Archive
【WEB拍手】
応援してくれる人、拍手ポチッと押してね↓↓↓
↓ブログ主に小銭を!
note 瑞木理央
https://note.com/waterfield5
(自作短歌置き場です)
Analytics
Sponsored links
Mobile
qrcode
無料ブログ作成サービス JUGEM