2020.09.12 Saturday

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2016.08.29 Monday 00:20
今回は、癌の再発以降の、治療その他についての覚書です。

まず、6月に始めた骨転移の治療薬「ランマーク」について。すでに3回、注射しました。
1回目の投与では、ブログの過去エントリに書いたように背骨の痛みがあったのですが、2回目以降は、そういった副作用は出なかったです。
12年前に抗がん剤治療をした時もそうだったけど、「最初の投与は副作用がつらく、続けるうちに副作用が軽くなる」というのが実感です。
もともと骨転移のある腸骨の痛みも、今はかなり軽くなりました。
なので、初回治療の副作用がつらくても、治療を続ける価値は十分ある、というのが今の実感です。

6月に受けた最初のランマーク治療の後、ブログで「背骨が痛い〜」と大騒ぎしてしまいましたが、あの痛みは初回のみでした、ということ、改めてご報告します。過去記事だけ読んで、ランマークの副作用を過大評価されませんように。


あと7月に、脳のMRIと頚椎のCT検査をしたのですが、どちらも今は、心配はいらないそうです。
というわけで、まだ当分は、まあまあ元気に過ごせるらしいとわかってほっと一息、という感じです。


せっかくなので、癌の治療についてのTipsを少々。
私は乳がんしか経験していないので、乳がんに限定しての話ですが。

初回治療(最初に乳がんだと診断された時の治療)の場合、抗がん剤治療は「決められた量を決められたスケジュール通りに行う」のが大事だと言われています。
でも、癌が遠隔転移して、基本的に「治癒が見込めない」状況になった場合は、患者のQOL(生活の質)を優先してもいい、という話を過去に聞いたことがありました。

今やってる骨転移の治療薬ランマークは「4週に1回の注射」と主治医に言われたのですが、実は7月は、治療を一週間伸ばしたんですよね。
というのも、治療予定日直後の週末に、とある舞台のチケットを買ってあったのです。楽しみにしていた観劇だったので、もし治療の副作用で観に行けなかったら悔しいよなあ、と思い、先生に「次回の注射を一週間伸ばしたい」とお願いしました。そしたら、あっさり「いいですよ」と言われまして。おかげで、チケットを無駄にせずに済みました。

……この辺の感覚は、普通に主治医と話してるだけだと、ちょっとわかりづらいんですよね。主治医に「4週に1回の注射」と言われたら、患者としては絶対に守らなきゃいけないのかな、と考えてしまう。

●乳がんの初回治療では、「再発の可能性を減らす」ために、つらい副作用を我慢してでも、しっかりガイドライン通りの治療した方がいい。
●でも、もう「完治が見込めない」状況なら、投薬スケジュールよりも、「自分のやりたいこと」やQOLを優先してもいいケースもある。

こういう話は、過去に、乳がんの患者会で教わったことです。
もう十年以上前になりますが、勉強熱心な患者さんの集まる会では、乳腺外科医等を講師とする勉強会がしばしば開催されていました。
乳がんのタイプ別治療法、乳がんが転移しやすい臓器、局所再発と遠隔転移の違いetc.…そういった話は、一通り勉強会で教わったんですよね。
そのおかげで私も、3年前のリンパ節再発の時、また今回の骨転移・肝転移がわかった時も、比較的すんなり自分の状況を把握できたんだと思ってます。十年前とは、治療法が変わった部分もありますが、大枠は変化していないので、あの当時聴いた話は、今も役に立ってます。

ただ逆に、ヘタに知識を持ってしまったせいで、頭痛が起こった時に、「もしや脳転移ではないか?」と不安を抱えることになったわけで。「知らない方が、余計な不安を抱えずに済む」という可能性もあるかと思います。
癌患者が、自分の病気について勉強することのメリットとデメリット、両方ありますが……やっぱり私は「ある程度の知識はちゃんと得た上で、安心したい」タイプ、みたいです。

私の場合、たまたま自分が乳がんと診断された時代に、ネット上にも身近にも患者コミュニティがあって、それに協力してくれる専門医の先生もいたので、知識を得ることができたのですが。

こういう、「乳がんなら乳がんの患者を一堂に集めて、専門医が病気について一通りレクチャーする」ようなシステムが制度化されれば、診察時間の短縮につながるんじゃないか? みたいなことを考えたことがあります。
自分の病気について、大まかな知識は「患者を一堂に集めて専門家がレクチャーする場」で、同病の患者みんなが共有する。その場で質疑応答も受け付ける。その上で、個別の状況について疑問があれば、診察時間に質問すればいい。
そうすれば、手術とか治療についての説明が、よりスムーズに進むんじゃないか?
・・・まあ、これは私の勝手な妄想ですが。
どんなに丁寧に説明してくれる医師であっても、短い診察時間で伝えられる情報は限られるし、患者としても、診察時間以外で、自分の病気について教えてもらえたり、質問できたりする場があるのは、とても有り難いのです。
実現は難しいのかもしれませんが、言うだけならタダなので、ここに書いておきます。

あと、福祉の問題について。
これは乳腺外科の医師より、ソーシャルワーカーに相談したほうがいい案件ですよね。具体的には、介護保険サービスについて、とか。
癌の末期で、介護が必要なレベルになった場合、40歳以上で介護保険料を払っている人なら、介護保険が利用できるんです。 でも、「癌でも介護保険が利用できる」ということ自体、あまり知られていないみたいで。この情報も、私は、乳がんの患者会経由で知ったんです。

主治医の診察時間は、本当に「治療」の話だけで、それはそれで仕方ないのですが。
でも「治療」以外の部分で、患者にとって必要かつ有益な情報というのもあると思うんですよ。例えば、「◯◯の検査費(あるいは治療費)はいくらかかるのか」とか、そういうレベルの話。医師の診察の時には、あんまり「費用」の話って出ませんよね。
あと、本当に単純に、自分と同じ治療をしている患者さんと会って話せると、なぜか安心感が湧いてくるというのもあって。

今のところ、そういうニーズに応えてくれる場は、患者会のような場しかない状況です。
でも、幸いなことに、自分の身近にそういう場があるので、がんの話はそっちですればいいかな、と今は思うようになりました。


最後に、せっかくなので、骨転移と脳転移について、私が参考にしたサイトのURLを貼っておきます。

「知っておきたい骨転移」(がんナビ)
「Q47.脳転移について教えてください。」(患者さんのための乳がん診療ガイドライン)

あと、日本乳癌学会の医療者向けの「乳癌診療ガイドライン」も、ネット公開されていますし、「がんサポート」(今回私が見たのはガンマナイフ治療の記事)なんかも、比較的信頼できるサイトだと思ってます。

ネット上の情報を参考にするとき、最初にチェックするのは、「著者は誰か」「発信元はどこか」ってことです。 医療者が書いた記事をより信頼しますが、患者さんの書かれたブログから、有益な情報が得られることも多々あります。そこで見つけたキーワードで、さらに検索して、専門医が書いた記事にたどり着く――というのが、私がしている検索の定石です。

私は、「すべての患者が、乳癌学会が提示するガイドライン通りの標準治療をすべき」とは思っていないのですが、「ガイドラインはすべての患者が共有しておくべきじゃないか」とは考えています。ガイドラインから外れる治療を選択するなら、なおさらガイドラインは踏まえておくべきじゃないかと。

まあでもこれ以上、堅苦しい話をするのも面倒なので、この辺で。

今の私は、そうすぐに容体が急変することもなさそうなので、あまり病気のことばかり考えるのもなあ、かえって不健康かも――という気もするので、病気以外のことにも目を向けたいです。
せっかく残された時間があるんだから、他のやりたいこともやっておきたいですし。

というわけで、次の更新は、できれば病気以外のことを書けたらいいなあ、と思います。






| ●月ノヒカリ● | 病気 | comments(0) | trackbacks(0) |
2016.08.15 Monday 22:46
先月もいろいろ検査をして、もうすぐ病院で結果を聞く予定なのですが、その前に。
久しぶりに、Twitterに投稿してきた短歌をまとめておこうと思います。

半年くらい前に、拍手コメントで、当ブログの短歌エントリを褒めてくださった方がいたのですが、お返事できなくて申し訳ありませんでした。当ブログに掲載した自作短歌および引用させていただいた短歌は、著作権に配慮した上で楽しむ分には、問題ないと思います。
私はまだまだ素人レベルですが、世の中にはもっともっと素晴らしい短歌が溢れるほど存在しますので、どうかこれからも良い短歌と出会われますように。

さて、Twitterに投稿した短歌ですが、癌の再発に関するものなど、病気にまつわる作品は、ここでは省きました。それらはまた後日、別エントリで紹介する予定です。

以下は、ここ一年ちょっとの間に作った短歌です。
幾つかの歌は、解説付きで置いていきますので、ご参考までに。

挨拶も交わさず星を贈り合うのが今日のコミュニケーション

つぶやきが君のアンテナ掠ったら黙って星を光らせなさい

ソーシャルな愛を安売りしたくないぼくらに星を返してほしい

液晶の窓に浮かんだ文字だけの弱い絆がぼくらのすべて
これらはTwitterをテーマにした短歌。
「星」というのは、かつてのTwitterの「お気に入り」の☆印のこと。
昨年11月頃から、ハートマークの「いいね」に変更されました。個人的には、☆(お気に入り)の方が良かったですね。
Twitterでは、一言も会話を交わしたことがなく、「お気に入り」や「いいね」をし合うだけの関係でも、何となく「知り合い」のような気がしてくるから、不思議です。

饒舌な酔いどれ人に囲まれてぬるむ刺身を噛み締めた夜
「飲み会ぼっち短歌」です。ブログ主は酒が飲めない上に、飲み会トークが苦手なので、たまに気の迷いで飲み会に参加すると、こういう残念な状況になります。

三日月の欠けた部分を照らしてる地球の光のぼくらは一部
「地球照」がテーマです。地球照の写真と解説は、この過去エントリに掲載してあります。

目が覚めた後に出かけるあてもなく ぼくの前には空だけがある
空 この歌は、空の写真と一緒にTwitterに投稿しました。上がその写真です。

(走れない)地球の重力1Gが1.5Gになる月曜日
これは、外出イベントがあって疲れ果てた翌日、別に動けないわけじゃないけど、走るにはからだが重すぎる、というコンディションを歌にしました。

冥闇(くらやみ)の淵に彫られた傷痕が花になる日を待ち焦がれてる
「薄闇の底に彫られた傷痕が花になる日を待ち焦がれてる」とどっちにしようか迷ったのですが、上記表現にしました。「傷痕が花になる」イメージを表現したかったのですが、はたして伝わってますかどうか……。

ジェット機の銀の腹部が鮫になる 途端にここは海底となる
これは晴天の昼、飛行機を見上げたら、宮沢賢治の「やまなし」を連想したので。あんまり短歌っぽくないので、またそのうち作り替えるかもしれません。

化学室観察日誌普遍的絶望生成過程報告

たましいがしずかに凍りついたあとゆるりと融けて絶望となる
これは「絶望」がテーマ。
一首目は、かなり無理矢理だけど、すべて漢字表記の短歌にしてみました。

夏の夜の夢と夢とが混線し溶けあって壮大な宇宙史に

受信する夢と夢とのあわいには地球のための小さな祈りを

夢を見ている夢をみている夢を見ている夢をみている私
これは「夢」をテーマにした三首。
最後の歌は、「夢を見ている夢」をみている……という意味です。

この夏はあの子の庭の朝顔になって観察されていました

ぼくよりもきみの方こそアルマジロ珍獣決定戦で勝負だ
Twitterやってると、フォロー外からもジロジロ観察しに来る人がいて、珍獣扱いされて困っているアカウントがこちらです。そんな気持ちを、観察日記ならぬ「観察され短歌」にしてみました。


以下の歌は解説なしで。
Twitter投稿時とは表現を変えた作品、削った作品もありますが、だいたい投稿した順に並べました。

帰るべき巣をつくれない僕たちに夜のひかりはいつもやさしい

ミネルヴァの梟は飛ぶ息絶えた坑道のカナリアの墓標へ

この森にさざめく声をかき寄せて祈りにかえる八月の魔女

楽園を追われたけれど知恵の実を齧ったことは悔いたりしない

スケルトン自動車走る透明な生き物が棲む島をめざして

蒼天を駆ける空色飛行機は世界を青に導くだろう

メロディになりそこなった雨音を拾いあつめて降るラグタイム

悪役になりきれなくてきらきらと緋色の羽根を振り撒くぼくら

ト短調の吐息と寝息だけ乗せて終バスはゆく夜の向こうへ

ピアニシモの吐息でしゃぼん玉を吹くようにやさしい沈黙(しじま)がめぐる

帽子から次々跳び出す鳩や花、リボンのように語りあいたい

お喋りな君の指から蝶々が舞い降りてきてこの指とまれ

歩いても歩いても家に帰れない夢から醒めたあとの秒針

人の世の蜜に焦がれた咎ゆえにこの地に生きるわれら流刑囚

空想の裡(うち)に重ねた罪を知りつつ裁かない天日(てんじつ)の眼は

バーゲンセールにされた世界を生きている魂さえも稀釈しながら

倫理学教師が夜ごと訪れて花を散らしてゆく裏通り

降りそそぐ龍の涙を掌(て)に受けて沁みゆく爬虫類のにおいに

火星発アラームも犬の呼び声も巻き込んで夏蟲交響曲(なつむしシンフォニー)

アンドロイドの踊り子たちは偽りの楽土の夢を舞いながら散る

蟲や樹の御魂がヒトに輪廻する秘史を忘れて虐殺の庭

木洩れ陽も猫もわたしも生塵もすべて一つになるeuphoria

ここでは以上です。
病気にまつわる短歌は、また後日、別エントリでまとめる予定です。

例によって、感想などコメントいただけると、ブログ主は泣いて喜びますので、よろしくです♪

←拍手はこちら。コメントも送れます。




| ●月ノヒカリ● | 短歌・詩 | comments(1) | trackbacks(0) |
2016.08.08 Monday 00:18
ブログお休みしていましたが、書きたいことができたので、再開します。

ちょっと遠回りになりますが、自己責任論の話から始めます。
自己責任論で一番ポピュラーなのは、「お前が貧困状態にあるのは、努力が足りないからだろ」というのが定番ですね。
それに対する反論はたくさんされているんだけど、通じない人にはさっぱり通じないみたいで、いまだに「貧困は本人の努力が足りないせい」と平然と言ってのける人、わりと見かけます。
それはそれで問題なんだけど、今回私が焦点を当てたいのは、そこではない。

前にも書いたことがあるけど、「苦しんでいる当人が、誰よりも自己責任論を内面化している」という問題があるんだよね。私にとっても、その「内面化された自己責任論」が、自分が感じている精神的苦痛の源になっている、みたいで。
これは私自身だけじゃなく、心の病等で苦しんでいる方々がこのブログに寄せてくださったコメントからも、感じていたことだ。

「お前が苦しいというのは、ただの甘えだ」という声が、どこかから聞こえてくるんですよ。「聞こえる」というのは、比喩的な表現で、統合失調症的な「幻聴」ではない。たぶんそれは見えない「世間」から発された言葉、なんだと思う。
それはお前の被害妄想じゃないか、という人もいるかもしれない。そういう面も少しはあると思う。 でも、「病気だろうがなんだろうが、お前が働かないのは甘えだ」的な言葉を投げつけられたことは、このブログを書いていて、実際に何度かあったのだ。

「自分の努力が足りないんじゃないか」とか「甘えちゃダメだ」という言葉は、過去ずっと、誰よりも自分自身が、心の奥に持ち続けてきたものだった。
でも、このブログを始めてから、少しずつ、少しずつ、過去のつらかったことを絞り出すように書いてきて。 改めて思ったのだった。
「あれ、私って結構、苦労してきたんじゃないか?」とか、「自分は努力が足りないって思い込んでたけど、それなりに努力したこともあるよなあ」ということを。

でも、このブログを読んだ上で、「甘えだ」と言ってくる人もいるわけで、本当に「世間様」というのは厳しいものである。
もちろん、世の中には、私よりもずっと大変な思いをしている人もいる、ということはわかっているつもりだ。このブログに寄せられたコメントを読んで、この方は私よりも大変そうな状況に置かれているな、と思ったことだって何度もある。そして、不思議なことに、そういう人ほど、こちらを労わるようなコメントを書いてくださるのだ。

一方で、このブログを読んだ上で「甘えだ」という言葉を投げつける人は、「働いている健康な人」ばかりだった。私が把握している範囲では、の話だけど。
もちろん、働いている人には働いている人の苦しみというのがあるというのはわかる。私自身、働く上での苦痛や苦労を経験したこともある。
でも、それとは違う病気の苦しさというのは、どれほど言葉を尽くして説明しても、届かない人にはどうやっても届かないんだな、とつくづく実感するしかなかった。

「世間様」は、私に対して、とても厳しい。
私が、「それなりに努力はしたけど、潰れました」と訴えると、「ちゃんと計画を立てずに、闇雲に努力するからダメなんだ」などとツッコミを入れる。
「病気になったのは、お前の食生活が悪いからじゃないのか」というのも、定番のツッコミだ。

自分の被害妄想も、多少は入っていると思う。
でも、こういう「無限に世間から責められている感覚」というのは、確かに自分の中にあって、それを現実に言葉にしてぶつけにくる人が現れると(たまにいるのだ)、私を責めてくる「世間の声」というのは、妄想なんかじゃなかった、実在するものだった、と改めてショックを受けるのだった。
こんなに苦しんでも、「まだ苦しみ方が足りない」と責められているようで、でももう苦しいのは嫌だ、ラクになりたい、と叫びたくなる。
「世間」の内部にいる人、きちんと社会に居場所を与えられている人には、こういう感覚は、理解しがたいのかもしれない。
逆に、「世間」の外側にいて、苦しんでいる人には、この感覚は、ある程度理解してもらえるんじゃなかろうか。無限に「世間」から責められているような感覚。

私が本当に欲しかった言葉は、「これまでよく頑張ったね。大変だったね。ちゃんと休んで、またできることをやろう」とか、そういう言葉だったんだと思う。
実際にそういう言葉で、私を慰めてくれたのは、これまでに自身も病気や障碍で苦しんでこられた方ばかりだった。これは100%そう。もちろん、病気で苦しんだことのある人皆が皆、優しくて親切ってわけじゃないってこともわかってるんだけど。

「私もあなたと同じように、苦しんでる」というメッセージ。それは、ずっと苦しんできた人でなければ、伝えることができないんだと思う。
精神科医やPSWも、相談に乗ってくれるし、支えてもらえることもあるけど、それとはちょっと異なる。「苦しいのはあなただけじゃない。皆苦しいのよ」という一般論とも違う。
努力しても、休んでも、勉強しても、助けを求めても、それでもどうしようもないことがある。それを経験として知っている人の言葉は、誰のどんな言葉よりも、心に響く。そういうこと、何度もあった。

癌が再発してからの私は、以前と比べて「できないこと」が増えて、苦痛を感じる時間も増えて、落ち込むことも多くなって、これから先「悪くなる」ことはあっても「良くなる」見込みはなく、それなのに、なんで苦痛に耐えてまで生き続けなきゃいけないんだろう? などと考えてしまうことがあった。そんでもって、どんなに考えても、自分が苦痛に耐えてまで生きる理由、というのは見つからなかったんだけど。

でも、今苦しんでいる人、大変な状況に置かれている人に対して、それでも生きてほしい、と私が願う理由は、はっきり説明できる。

苦しんできた人にしか、伝えられないメッセージはあるんだと思う。
「あなたと同じように、苦しんでいる人間が、ここにいる」というメッセージだけが、ほんの少しだけ、私を孤独な苦しみから、解放してくれる。
だから、今苦しんでいる人に、それでも生き続けてほしいと、私は願うのだ。自分と同じような苦しみを味わったことがある人、そういう人が発する言葉に、私は救われてきたから。

最近よく、過去に出会った再発癌の患者さんのことを思い出す。
今から十年以上前、私が癌の初回治療をしていた頃のこと。
患者会で、癌が遠隔転移している方に出会うこともあったし、ネット上で交流があった癌患者さんの「癌が再発した」という報告に接したこともあった。
その当時の私は、彼女たちを慰めたい、励ましたい気持ちはあるけれども、「かける言葉が見つからない」と感じていた。
それでも何とか伝えた言葉が、正解だったのかどうか、今もわからない。

このブログで再発の報告をしたとき、励ましのコメントをくださった方も、同じような気持ちだったのかな、と思う。
「かける言葉が見つからない」中で、それでも言葉でメッセージを伝えようとしてくださった方々には、何度感謝してもし足りないくらいだ。

だから今、自分がこういう状況にあって、それでも私がブログを書き続ける意味があるとしたら。
私が発した言葉が、悲鳴のような叫びや嘆きや呻き声のようなものも含めて、めぐりめぐって、いつかどこかで誰かの心を温めることができるかもしれない。そのとき、その誰かも、私自身も、ほんの少しだけ、孤独から解放されるかもしれない。そういう、ささやかな願いのようなもの。
自分にとって、本当に心から「書きたいこと」があるとすれば、それだけだと思う。

そんなわけで、ぼちぼちとですが、ブログを再開することにしました。
といっても、書くのは身辺雑記とかで、たいした内容にはならないでしょうが。
よかったらこれからも読んでやってください。






| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(4) | trackbacks(0) |
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