2016.12.26 Monday 20:13
このあいだの休日の午後は、主にエレベーターで上がったり下がったりして過ごしました。
私は一体何をやっているのでせうか。

その日のことを、日記風の短歌にしてみました。
写真と一緒にご覧ください。

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆


 透明な種として過ごしたい街で個体識別されて冬空

テレビ塔



 高層ビルの窓に映った青空と雲と高層ビルがまぶしい

ミッドランドスクエア



 シースルーエレベーターに運ばれてこのまま一人で昇天したい

エレベーター



 あすの朝ゴジラに変身していたら私がビルを踏みつぶす番

展望台



 二〇〇メートル下りれば歩道を人類があるいていたので私もあるく

名駅前



 いつの日か廃墟となって堕天使がはしゃぐ駅前バベルの塔よ

タワーズ



 ビル風に殴られながらシャッターを押すゆびさきが無言のままだ

名駅前

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

写真はすべて、名古屋のランドマークです。
名古屋駅近辺と栄近辺で撮影しました。名古屋人なら、全部の場所を特定できる、かな?

以下に短歌のみ、再掲します。
透明な種として過ごしたい街で個体識別されて冬空
高層ビルの窓に映った青空と雲と高層ビルがまぶしい
シースルーエレベーターに運ばれてこのまま一人で昇天したい
あすの朝ゴジラに変身していたら私がビルを踏みつぶす番
二〇〇メートル下りれば歩道を人類があるいていたので私もあるく
いつの日か廃墟となって堕天使がはしゃぐ駅前バベルの塔よ
ビル風に殴られながらシャッターを押すゆびさきが無言のままだ


これが今年最後のブログ更新になると思います。
皆様よいお年を。






| ●月ノヒカリ● | 短歌 | comments(2) | trackbacks(0) |
2016.12.19 Monday 21:58
この世界には、二種類の人間がいる。
飲み会が好きな人間と、そうでない人間だ。

私は飲み会が苦手だ、ということは、このブログにも幾度か書いてきた。
でも世の中には、存在するんですね。飲み会大好きな人種が。
知り合いの知り合いが、「今の時期は、週に2回忘年会がある」と言ってたという話を小耳に挟み、驚愕しました。週2回って……そんなに飲み会に行きたいか? 私だったら、飲み会なんて年1回、どころか4年に1回であっても、参加したくないとゆーのに。

なんで私は、こんなに飲み会が嫌いなんだろう?
と考えてみるに、まず第一に思い浮かぶ理由は、「お酒が飲めないから」というものだ。これは大きい。
いや、学生時代から思ってたんだけど、飲み会って結構お金かかるよね。自分はウーロン茶かジュースしか飲まないのに、なんでこんなに高くつくのか? お酒をガブガブ飲んでる人の分まで払わされてるんじゃないか? 理不尽である。
お酒が飲めないって、ものすごく損してるんじゃないか。

・・・と、そう思う一方で、お酒が飲めないことのメリットもあるんじゃないか、と考えたりもする。
私のこれまでの境遇を思い返すと、アルコール依存症になっていても不思議ではないくらい、ヘビーな挫折体験の連続だったと思う。
でも幸い、私はアルコール依存症になることはなかった。アルコールに弱い体質の上、たいしてお酒が好きでもなかったので(甘酒以外)。
その代わり、チョコレート依存症やアイスクリーム依存症になってる気もするけど、これについては、医学的にも社会的にも、さして問題にされないらしい。

でもさ、疑問なんだけど。みんな本当に、お酒おいしいと思って飲んでるの?
私よりはお酒が飲めるウチの母ですら、「赤ワインとウェルチのグレープジュースと、どっちがおいしいと思う?」と尋ねたら、母は「ウェルチのグレープジュース」と即答したんですけど。
カルーアミルクとかさ、普通にコーヒー牛乳飲んでる方がいいんじゃない?

もう一度問いたい。
みんな、本当にお酒をおいしいと思って飲んでるの?


で、お酒が飲めないこともそうだけど、一般的にはマイナスの属性であっても、別の局面でプラスに働くことも、人生にはあるように思う。
これも何度も書いてることだけど、私は持病のアトピーのせいで、苦労することが多々あった。
でも一方で、アトピーのおかげで救われている面もあるんじゃないか、と考えることもある。とりわけ、ひきこもり状態だったときは。
仄聞するところによると、ひきこもってる人って、一週間お風呂に入らないとか、何ヶ月も部屋を掃除しないとか、あるらしいじゃないですか。
それ、アトピー持ちには考えられないです。
お風呂は毎日、部屋の掃除も週に一度は必ずする。アトピーを悪化させないために、これは必須条件だから。

でも、もし私がアトピーという病気を抱えていなかったら――部屋の掃除をサボって家をゴミ屋敷にする、なんてこともやりかねなかった、かも。掃除後3日にして雑然と散らかった我が部屋を眺めつつ、そう思う。


閑話休題。

私は飲み会より、お茶会の方が好きだ。
お酒よりもお茶(とケーキ)の方が美味しいし、飲み会より安上がりだし、酔っ払いもいないし。いい事づくめじゃないですか。

「お酒が飲めないけど、飲み会は好き」という人って、存在するのだろうか?
一人だけ、思い当たる人がいる。その人は、飲み会トークが得意で、いつも場の中心を仕切るタイプだった。そういう人なら、お酒抜きでも、飲み会を楽しめるのかもしれない。

逆に、「お酒は好きだけど、飲み会は嫌い」という人は――普通に存在するんじゃないかなあ。
私はもしお酒好きでも、おそらく飲み会は苦手だったと思う。

つまり私が、飲み会を避けてお家でゴロゴロ、というのは、好きでやってることなんだよな。

念のため一応断っておくと、若いうちは、嫌でもなんでも、飲み会くらい経験しておくべきじゃないかと、私は考えている。
私は過去、修行僧の気分で、何度も飲み会なるものに参加して、結果としてそれは苦行でしかなかったので、「自分には飲み会は向いてない」と悟ったわけで。
本当にしょーもない苦行ではありましたが、しかし「飲み会はつまらない」という結果がわかっただけで、良しとせねばなるまい。


でもね、そうは言いつつ、実は、心のどこかで、想像することもあるんですよ。
この広い世界のどこかに、お酒が飲めなくても楽しめる飲み会が、秘密結社の儀式のようにひっそりと行われているなんてことも、あるんじゃないかって。
野望を内に秘めた大人たちがひそかに集って、ウーロン茶やオレンジジュースで乾杯しながら、世界征服または人類ダメ化計画実現に向けてマターリ密談を重ねる飲み会。
そんな夢のような飲み会があるなら、私もぜひ参加したい。
心当たりがある人は、私にこっそり教えてください。

それとも、自分で開催しようかな。人類ダメ化計画推進を掲げるダメダメ星人のための飲み会。
飲み物は珈琲か紅茶かジュースで。あとケーキとかケーキとかケーキとか。
それはもはや飲み会ですらない気もするけど、細かいことを気にしてはいけません。
今年のクリスマスイヴの夜には、ダメダメ星人のためのダメダメ飲み会が実現するよう、サンタさんにお願いすることにします。

それでは皆様、お酒を飲んでも飲まなくても、どうか楽しいクリスマスを!






| ●月ノヒカリ● | 非コミュ | comments(4) | trackbacks(0) |
2016.11.09 Wednesday 23:51
日に日に寒くなる一方、しかも雨模様、絶好のひきこもり日和が続いていますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

最近はブログの更新も滞りがちなのに、拍手やコメントを寄せてくださる奇特な皆様、本当にありがとうございます。そんな皆様のおかげで、この弱小ブログもなんとか存続しています。
以前のように「拍手コメントに全レス」するのは難しいのですが、10月27日にいただいたコメントは、私も一緒に考えたい内容だったので、以下に公開レスすることにしました。
こちらのコメントです。

最近自分はパンを追うことに頭が行っていて、バラから離れてしまってるなあ、、という実感です。ヒカリさんの短歌解説わかりやすいです。最近の私は自己啓発本のパン系?な書籍ばかし読んでいたので、、、生活費を稼げていないということが常にひっかかっているので、文学的な物を読んでるとすごく焦りを感じるんですよね。「こんなことしてていいのか?」みたいな。服装に気を使ったりとかの、文化的生活方面であきらめたり、切り捨てることが多くなってきているので色々と考えものです、、文化は必要ですよね?

いつもブログを読んでくださってありがとうございます。
お名前は公開していいかわからなかったので、非公開にしました。
コメント主さんとは、ブログを通じてですが、それなりに長い付き合いなので、ある程度は置かれている状況を把握しているつもりです。
だいたいこんな感じでしょうか。

●長年病気で療養していたけど、今はかなり回復してきた。
●今現在、明日のご飯の心配をしなければならないレベルの経済的困窮状態にはない。
●働くことについて、これまでいろいろ試行錯誤してきた(つまり、単に「就労支援を受ければ?」で解決する問題ではない)。


この認識であってますか?
こういう状態であると仮定して、以下にレスしますね。

コメント主さんから最初にコメントいただいたのは、5年程前だったでしょうか。その頃に比べて、今はかなり回復してきたってことですよね。それについては、本当に良かったと思うし、私も嬉しいです。

ただ、回復した分、今は「早く社会復帰しなきゃ」「ちゃんと自分でお金を稼がなきゃ」みたいな焦りが出てきている、ということでしょうか。
そうだとしたら、その気持ちはとてもよくわかります。でも、「どうすればお金を稼げるか」なんて、私もいまだにわかってないので、これについては有効な助言など何一つできる立場にはありません。

いつだったか、少し前に「自己啓発本を読み漁っている」というコメントをいただいたことがありましたが、今もそうなんですね。
気を悪くしないで聞いてほしいのですが、私は基本的に「自己啓発本」については、過去にレビューを書いた、斎藤環『「社会的うつ病」の治し方』と同じスタンスなんです。
心の病を持つ人にとって「自己啓発」が有効なのかどうか? 疑問です。
健康でちゃんと働いている人のブログにさえ、「自己啓発本を読み漁るだけで何一つ実践できてない」などと書いてあったりするので。
私は、自己啓発書・ビジネス書の類は、たまーに書店で立ち読みするくらいの読者なので、詳しいことはわからないのですが。

それを前提として、あえて言わせてもらいますと。
「自己啓発本」も立派な文化だと思います。
「どんなジャンルにも、傑作もあれば、駄作もある。そして駄作から学べることだってある」ということ。
私自身、十代の頃からずっと、漫画やアニメやラノベやJUNEといった、まっとうな大人には馬鹿にされるジャンルばかり偏愛してきたので、そう信じています。

自己啓発本の中にも良書は当然あるでしょうし、「多くの人はつまらないと言うけど、今の自分にとって有益なことが書いてあった」ということも、十分あり得ると思います。

コメント主さんは、自己啓発本を読んでいて、面白いとか、楽しいとか、ワクワク感とか、ありますか?
自己啓発本を読むことが楽しくて仕方ないなら、それは今の自分にとって必要な文化なんだと思います。安心してじっくり自己啓発に取り組めばいいのではないでしょうか。

ただ、自己啓発書・ビジネス書の類は、実践するのも大事じゃないかと思うんですよね。
当事者研究みたいに、仲間を集めてみんなで試行錯誤しながら実践できればいいと思うんですけど、おそらくそれは難しいですよね……。
一つ思いついたのは、今自分が読んでいるのと同じ本を読んでいる人が、「その本を読んで何を感じて、どう実行に移したか」ということをネットで検索して調べてみると、本との付き合い方が変わってくるかもしれません。
これは私が、ブログに本や漫画の感想を書き始めた頃、やっていたことです。本のタイトルで検索して、引っかかったブログを読んでみる。「他の人は、私と同じ本を読んで、どんな感想を抱いたのか?」をリサーチする。これはわりと勉強になりました。

もし、今の状況に問題があるとしたら。
コメント主さんが「ぜんぜん楽しくないのに、焦りから自己啓発本を読んでいる」場合です。
そうだと仮定するならば。
できれば明日から、自分が自由に使える時間の、少なくとも2割くらいは、心から楽しいと思えることに費やしてほしいです。
別に自己啓発本を読むのをやめる必要はないです。でも持ち時間の何割かは、本当に好きなこと、楽しいことのために使ってください。

なんでわざわざこんなお節介なことを言うかというと、ですね。
私も含めての話ですが、心や体の病気だったり、不登校やひきこもり経験のある人が、まず第一に取り戻さなければならないのは、「生きる意欲」だと思うからです。
私が病気になって、自分から根こそぎ奪われた(と感じた)のは、「生きる力」「生きる意欲」のようなものでした。
だから、「生きる力」こそ、一番最初に取り戻さなければならなかったし、これから先も決して失ってはならないもの、だと思うんです。

でもって、これは私の持論なのですが、「生きる力」とか「生きる意欲」というのは、自分が本当に心から好きなことを通してしか、得られないと思うんですよね。

私がお金のために働いていたとき、仕事上のことで多少褒められることがあっても、まったく「自信」には繋がりませんでした。むしろ自尊心(と健康)をすり減らしていました。嫌で嫌で仕方がないのにやっていた仕事だったので。
でも今、こうしてブログに文章を書いて、コメント主さんのような反応をいただけると、それは私にとって、自信につながるし、生きる力を与えてもらえるんです。

私は、これまでにあなたからいただいたコメントで、パンク・ロックやアゴタ・クリストフが好きだと教えてもらったこと、ちゃんと覚えています。
あなたが本当に好きなこと、心から楽しいと思えることを、自分の時間の一部でもいいので、ぜひ取り入れてください。
それは必要なことです。生きるために。


最後に、このレスを書いてる間に思い出した本があるので、付記しておきます。
石川良子『ひきこもりの〈ゴール〉 「就労」でもなく「対人関係」でもなく』です。
ご存じでしょうか。
ひきこもった経験のある人が、この本を「いい内容だった」と評価している書き込み、しばしば見かけます。
もし気が向いたら、手に取ってみてください。

以上、お節介かもしませんが、個人的な思いを書いてみました。
ここに書いたことは、全部忘れてもらっていいです。
一番大事なのは、あなたが元気に毎日を過ごせることで、私が心から祈っているのもそれだけです。

お互い無理のない範囲で、ぼちぼちやっていきましょう♪






| ●月ノヒカリ● | web拍手レス | comments(0) | trackbacks(0) |
2016.10.16 Sunday 00:37
これから、「文学は何のために存在するのか?」という話をします。
今から書くことは、文学に造詣の深い方々には「わかってるよ、そんなこと」などと言われそうなので、そういう人は特に読まなくてもいいです。
「文学? なにそれ食べられるの?」って人に、読んでほしいです。

こういう話をしようと思ったきっかけは。
先日、斉藤斎藤さんの第二歌集『人の道、死ぬと町』の中から、個人的に印象に残った短歌を二首、Twitterでつぶやいたことでした。

私のTwitterフォロワーさんの99%は短歌に縁のない人ですが、そういう人が、このツイートに反応してくれたんですよね。
短歌って、ものすごくハイコンテクストな表現なので、「短歌村の住人でなければ理解不可能な作品」が多いと思っていたのですが……「外の人」に届くこともあるんですね。

この歌の作者である斉藤斎藤さんは、1972年生まれの歌人です。余談ですが、ブログ主と同世代です。
この歌集『人の道、死ぬと町』には、2004年から2015年にかけての作品が収録されています。

とりあえずここでは、上掲の、
宗教も文学も特に拾わない匙を医学が投げる夕暮れ
という短歌について。
「なぜ私はこの一首にグッときたのか?」という話を、これからします。解説するのは野暮だとは思いますが、意味がわからない人にもわかってもらいたいので。

この歌は、斉藤斎藤さんの第二歌集『人の道、死ぬと町』に収録された「今だから、宅間守」(2007年発表)という連作の中の一首です。
宅間守というのは、2001年、大阪教育大学附属池田小学校で起きた小学生無差別殺傷事件の犯人。2004年に死刑執行されています。

まず、「宗教も文学も特に拾わない」とはどういう意味か?

前提として踏まえておきたいのは、福田恆存という評論家が書いた、「一匹と九十九匹と」という有名な文芸評論です。昭和21年に書かれたものだけど、「政治と文学」というテーマは、今でも通用する内容だと思う。これについては以前このブログにも書いたことがあるけど、もう一回、一から説明します。

福田恆存の「一匹と九十九匹と」という評論のタイトルは、新約聖書の「ルカによる福音書」に出てくるエピソードが元になっています。
聖書に出てくるイエスの言葉、新共同訳から引用します。
 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、喜んでください』と言うであろう。

 言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

 (「ルカによる福音書」15章より 新共同訳)

百匹の羊のうち一匹を見失ったなら、残り九十九匹を野に捨て置いても、その一匹のために駆けずり回る。
このイエスの言葉を、福田恆存は、「政治と文学の棲み分け」について語ったものだ、と解釈したのです。

つまり、どれほど善き政治が行われても、政治で救えるのは九十九匹までである。政治では救われない一匹が、必ず存在する。その一匹を救うのこそ、宗教の役割であり、文学の役割である、と。
いや、その「失われた一匹」は、あなた自身の内に存在するのではないか?
福田恆存はそう言っているんです。

実は私自身が、社会運動的なものに共感しつつ、今ひとつ積極的に関われないのは、この感覚があるからなんです。

どんなに社会が良くなっても、それだけでは人は幸せになれない。
どれほど医学が発達しても、人が「死」から逃れることはできないように。

「宗教も文学も特に拾わない匙を医学が投げる夕暮れ」という一首の前には、宅間守を精神鑑定した精神科医の発言が引用されています。
宅間は人格障害(妄想性・非社会性・情緒不安定性)ではあるが、精神病ではありません。(中略)……宅間のような人間に関しては、犯罪を防止する方法はないと思います」(精神科医・樫葉明の発言より)
「医学が匙を投げる」の意味はこれです。精神科医も匙を投げた。それが宅間守という人間です。

それを踏まえて、もう一度この短歌を読んでほしい。
精神科医が、「宅間守のような人間は理解不能だ」と匙を投げるのは、まあしょうがないと思う。
でも、精神科医という「正しい社会」にいる人が投げ出したもの、宅間守のような「誰がどう見てもクズ」にしか見えない人間を救うことこそ、宗教者の役割であり、文学者の役割じゃないの?

福田恆存の「一匹と九十九匹と」に書かれているのは、そういうことじゃないかと。
文学や宗教って本来、そのくらい危険なものであり得るんです。
「医学が投げたというその匙を、文学や宗教は拾えよ」と、個人的には思います。

宅間守というのは、社会から非難されて当然、処罰されて当然(死刑制度の是非は別として)の人間ですよ。でもね、そういう「誰がどう見ても極悪人としか思えない」ような人間を救ってこその宗教じゃないのですか。あるいは、そういう不気味としか思えない人間の存在に意味を与えるのが、文学じゃないんですか。

さて、そんな骨のある宗教や文学が、今の日本に実在するのでしょうか。

で、斉藤斎藤さんは、その匙を拾いにいったんだなあ。
しかも、池田小事件が起きたのが2001年で、「今だから、宅間守」が発表されたのは、2007年。ということは、6年もかけて。
今の日本に、そんなことする人が他にいるでしょうか?
誰もいないと思う。
すっげーなーと感動しましたよ。本当に「文学」だなあ、と。

えっと、ただ私は、まだ短歌の世界に片足を突っ込みかけただけの初心者レベルなので、この連作について、「短歌としての良し悪し」は、正直よくわかりません。
でも、その志の高さは惚れ惚れとするというか、仰ぎ見るしかない存在です。

ここでもう一度、福田恆存の「一匹と九十九匹と」に戻ります。
九十九匹を救うのは政治の役割であり、私たちが「善き政治」を求めるのは、必要かつ当然の振る舞いだ。
今の日本は、「善き政治」が行われているとは言い難い。九十九匹どころか、五十匹も救っていないのが現状である。
政治的な働きかけによって解決できる問題を解決しようとする努力は、当然なされるべきだ。それに異論はない。

じゃあ、貧困その他、様々な不遇の状態に置かれている人に、文学は必要ないものなのか?

そんなことはないと思う。今から8年ほど前、朝日新聞の短歌投稿欄の常連に、「ホームレス歌人」が存在したことを覚えている人もいるだろう。
困難な状況に置かれている人には、衣食住が必要なのは当然として、文化もまた必要なのだ。

――人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。(國分功一郎)

私たちの生活に文学が必要だとして、じゃあ今この時代に、どんな文学が必要とされているのだろう。
福田恆存は、上記評論の末尾で、「文学は、失われた一匹に対して、一服の阿片の役割をはたすものだ」と述べている。

私がこれまで好んで触れてきた短歌は、間違いなく阿片の役割を果たしてくれた。私にとって短歌は、美しい世界を映し出すメディアで、私はその美しさを心から愛してきた。
でも、斉藤斎藤の『人の道、死ぬと町』は、阿片ではなかった。

上掲ツイートにも引用した、「わたしが減ってゆく街で」(2013年発表)という連作では、低賃金の非正規雇用者であり「結婚しても出産は諦めるしかない」現実が、様々なデータや本からの引用とともに、赤裸々に表現されている。
かなり「痛い」内容である。しかし、これこそが今の時代のリアル、私たちの一側面ではないのか。
その痛さには、これまでの私が持っていた、浅い短歌観を突き崩すくらいの力があった。

私たちが文学に求めているのは、痛い現実を忘れさせてくれる阿片なのだろうか。
それとも、痛い現実に向き合うための触媒となる何か、なのだろうか。

阿片なら、代用品は他にいくらでも存在する。極論を言えば、パチンコでもいいのだから。
でも、痛い現実に向き合うための触媒となるもの、それは文学にしかできない業ではないだろうか。

『人の道、死ぬと町』から、そういう連想が広がって、しばし打ちのめされていたのだった。

というわけで、この一首の凄みを、ここを読んでくださっている皆様に、少しでも共有していただけたなら、ブログ主も本望です。



※ 文中の國分功一郎氏の言葉は、『暇と退屈の倫理学』からの引用です。




| ●月ノヒカリ● | その他雑文 | comments(6) | trackbacks(0) |
2016.09.19 Monday 18:10
最近はブログに書くことも思いつかなくて、久しぶりの更新になってしまいました。

前々回予告した、癌の再発・転移にまつわる短歌を、ここにまとめておこうと思います。
そこそこ元気に毎日を過ごしている今となっては、悲壮感あふれる闘病短歌をつくってしまったのは、もはや黒歴史な気もしますが……自分としては気に入ってる歌も幾つかあるので、ブログに残しておきます。
Twitter投稿時とは、一部表現を変えた作品もあります。

最初の短歌は、今年の5月末、整形外科で骨のMRI検査をして、「癌の転移の可能性もあるから、精密検査をするように」と言われたときに書いた歌。
死神の消息を聞くたびにこの世界は色を鮮やかにする
まだ癌の転移かどうかはっきりしないけど、「もしかして私、死ぬのかな」って思ったとき、もちろん不安もあったんですが、それ以上に「世界が鮮やかになる」感覚があったんですよね。
「死」と向き合ったとき、自分が本当にやりたいこと・なすべきことの優先順位がはっきりする、みたいな。


次の一連の短歌は、6月初旬、実際に転移を告知された頃につくったものです。
死神がご機嫌いかがと軽やかに尋ねてわらう初夏真昼(はつなつまひる)

他界からの風の便りになつかしい空のにおいがよみがえる午後

生まれくる前の場所へと還る旅 ひと息ごとに花が零れる

去り逝くと知ればすべてがいとおしい 傷痕さえも煌き果てる

重すぎる荷物をひとつ捨てたあとの空漠をただ抱きしめている
いやー、この頃はもう、死ぬ気満々って感じでしたねー。
でもって、不思議なことに、再発を告知された当初は、さほど悲壮感はなかったんですよね。私の場合。
「そっか、死ぬんだ。仕方ないねー」みたいな。この感覚、根深い自殺願望をお持ちの方には、ある程度ご理解いただけるのではないかと。
実際のところ、当時のブログ記事に書いた通り、まだ数年は大丈夫だろうと言われたので、そんなに差し迫った恐怖はなかったのです。このときは。


次は6月中旬、骨転移の治療が始まった時期。
薬の副作用で、背骨が痛くて、ずっとベッドに横になってたときにつくった歌です。
脊椎がここにいるよと自己主張するように痛む長い長い夜

体芯を貫く光の道をもつ脊椎動物なんだ私は
その当時のブログ記事はこちらです。前回のエントリでも書きましたが、背骨が痛くなったのは、初回治療のときだけでした。 今は、注射をしても、目立った副作用もなく、まあまあ元気に過ごしています。


以下の連作は、7月、癌の転移した腸骨が痛くて、寝ていたときにつくった歌。
私から光も風も過ぎ去ってdepressionが支配する夏

致死量の悪意を解毒し切れずに悲鳴をあげた肝臓異変

ひんやりと白い機械のトンネルを出るたびに流れる時の砂

亡骸となりゆく日々を直射する生の証としての痛みは

ロキソニンだけでは消えない痛みのみ生の証として認めます

長生きも早死にするも親不孝だから間をとって早生き

通行人Aを襲った悲劇より静穏な死を迎える準備

一歩ごと見えないドアに開かれる終りへの道果てしなくひとり

いつか君も齢(とし)を重ねてたどり着く道にしおりを残していくね。
一部改作しました。
この頃が、いちばん精神的にキツかったですね。頭痛もあって、「もしかして、癌が脳に転移してるんじゃないか?」と不安になったりもして。
短歌は、雑誌などではよく「連作」という形で発表されることが多いのですが……私は「連作」ってどうやってつくるものなのか、まだよくわかってないんです。なので、これは習作ですね。


もう少し明るい気分のときに書いた短歌はこちら。
走れないからだを生きて黄昏に追い越されたら火星になろう
当時は、癌が転移した腸骨が痛くて、ゆっくりとしか歩けなくて。もう二度と走ることはできないのかな、と思うと、ちょっとせつなかったですね……。
でも今は、治療のおかげで、さほど痛みは感じないです。走ったり、激しい運動をするのは、今も避けてはいますが。


ありふれた病でたぶん逝くからだにはありふれた午後の紅茶を

幾千の叶わなかった夢の実がさざめきながら僕に降る夜

安らかに眠れ私が呼吸する機能を終えた後の世界よ
この三首は、「死」を強く意識していたときに、生まれた短歌です。
三首とも思い入れのある歌ですが、今はさほど死が間近に迫っているわけでもないとわかったので、こういう短歌は、当分つくるのはやめておこうと思いました。


というわけで、最近できたのがこちら。
ほら、悪性新生物と呼べば癌もやんちゃな未知の小動物だ

転移した癌をチャルルと名付けたら一緒に生きていける気がした
「癌とともに生きてゆく」短歌です。
保険の契約文書なんかには、癌のような悪性腫瘍を「悪性新生物」と書いてあったりしますよね。
「悪性新生物」って文字面だけ見ると、悪戯好きの新種のネズミみたいな生き物を連想しませんか?

そんなわけで、肝臓と骨に転移した癌のこと、私はこれから「チャルル」と呼ぶことにしました。
私、チャルルと一緒に幸せになります! 皆さんありがとう!!

いやー、やっと明るく前向きな闘病ブログっぽくなってきましたね。
ええと、いろいろツッコミどころはあろうかと思いますが、どうかこれからも生温かい目で見守ってください。






| ●月ノヒカリ● | 短歌 | comments(0) | trackbacks(0) |
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